こころ模様

人はなぜ生きるのでしょうか。希望、居場所、時間というキーワードから、人生とは何かについて考えていきます。

高浜二郎161012

2016-10-12 17:18:09 | 自己

高浜二郎は1884’明治17)年9月、姫路市神屋町に漢学者高浜信民(号、書山)の二男として生まれた。兄は一高に入学したが、その夏に病死した。その兄は、官吏になるなら外交官に、なれないなら新聞人にと言っていたようだ。父親からは、兄の後継ぎになれと言われていたが、幾何や代数が嫌いだったので、姫路中学を2年で中退し、新聞社に入った。

「姫路新聞」「鷺城新聞」「五州公論」・「白鳳新聞」等の記者をしていたことが分かっている。姫路新聞は1899(明治32)年4月創刊、鷺城新聞は1900(明治33)年5月創刊、五州公論は鷺城新聞社を退社した小嶋三郎(黒風)が創刊、白鳳新聞は1902(明治35)年11月創刊である。10代後半には、新聞記者として活動していたのであった。

1903(明治36)年11月、再び「鷺城新聞」の記者となり、1904(明治37)年3月頃から38年8月退職するまでは同紙「日曜文壇」の担当者であった。「日曜文壇」の投稿者であった5歳年下の三木露風と知り合ったのも、その当時である。

高浜二郎161003

2016-10-03 22:03:31 | 自己
高浜二郎は母方の祖父である。1884(明治17)年、姫路に生まれた。新聞記者、雑誌編集者、歌人、鍍金(めっき)や蒲生君平の研究者。祖父はいろいろな顔を持っていた。

その祖父から、私は何を受け継いでいるのか。自分のアイデンティティのルーツが何処にあるのか知りたくなった。ネットで検索してみると、断片的な情報が組み合わさって、祖父のことが少しずつ分かって来た。それを、これから書き記して行こうと思う。