こころ模様

人はなぜ生きるのでしょうか。希望、居場所、時間というキーワードから、人生とは何かについて考えていきます。

パセリ

2009-05-31 09:44:18 | 自然
植木鉢で育てている我が家のパセリ。
パセリは2年目に花が咲く。
じっくりと育てることが必要だ。

人を育てるときも同じ。
温かく見守って育てれば、花が咲く。
早く、早くと急き立てれば、咲くものも咲かない。
枯れるかもしれない。

じっくり、ゆっくり、焦らずに。
のんびり、ゆったり、落ち着いて。
たっぷり、時間を愉しんで。
たんと、幸せ味わって。










目玉おやじ

2009-05-21 23:19:30 | 自己
目玉の長さを測ったら27ミリだった。平均は22ミリ。5ミリも長い。ずいぶんと大きな目玉だ。強度の近眼の場合、目玉が大きくなっていくとのこと。文字通り、目玉おやじだ。

我ながら大きな目玉を抱えているのだと思ったものだが、自分ではそんなに大きいという自覚はない。当たり前か。

50年で5ミリ伸びた、とすると、10年で1ミリずつ大きくなってきた勘定になる。この先、100歳まで生きると仮定すると、30ミリを超えることになる。そんな単純計算では行かないのだろうが、思わず絶句。

いつまで生きるか目玉おやじ。それが気になる今日この頃。


連休の終わりに

2009-05-06 23:29:18 | 土地
近くにある道の駅八王子滝山に行ってきた。超満員。駐車場に入るのに、順番待ちをした。

駅に入ってみると、その秘密がわかった。新鮮な野菜、果物がいっぱい。八王子の物産も豊富。買い物かごに、次々に入れていく人、人、人。みんな満足そうな顔で帰って行く。

私も4パック800円(雨の日価格)の苺を買って帰り、ジャムを作る。おおよそ800グラム4瓶の出来上がり。これで今シーズンの苺ジャムも最後だろうか。

菖蒲湯

2009-05-05 22:05:36 | 季節
今日は菖蒲湯。

菖蒲の長い葉には、強い香気がある。この香りの強さが不浄を払い、邪気を遠ざけてくれるそうだ。

菖蒲は勝負や尚武に通じる。江戸時代から男の子の出生を祝い、端午の節句に菖蒲湯に入ることが習慣になったようだ。

菖蒲湯は、血行促進の働きや鎮痛作用がある。というわけで、腰痛予防に、今日は菖蒲湯。

タケノコ

2009-05-04 09:48:41 | 料理
頂き物のタケノコを若竹煮にする。木の芽を添えると、一段と美味しそうに見えてくる。

タケノコは漢字で筍。成長が早く、十日で竹になるとわれることから、旬という字を当てて、筍と書くらしい。

近くの竹林を見ていると、一日で一メートルぐらい伸びているような気がする。まさに筍の字句通りである。



想像力の大切さ

2009-05-02 20:55:06 | 希望
だらだらと下る坂道を歩いていたら、リンリンとベルの音が聞こえてきた。「自転車だ」と思って、細い歩道の右側に身体を寄せた。そんな私の横を通り過ぎていったのは、バックを背負った女子高校生だった。

その後に、思ったこと。もしも私の耳が聞こえなかったとしたら、はたしてどうなっていたのだろうかと。もしかするとぶつかっていたのかもしれない。

自転車に乗っていた彼女は、前を歩いている私の耳が聞こえることを、ごく当然のこととして思っていたのであろう。自分と同じように、前を歩いている人は耳が聞こえるのだと。だからベルを鳴らし突けて、私の横を通り過ぎて行けたのだろう。

でも、現実にはどうだろうか。彼女の推測が正しいとは限らない。そうした推測がはずれたとしたら、悲しい事故が起きることになるだろう。

ここから学ぶべきことは何か。私たちは、自分の体験や知識を参照しながら、相手のことを推察しようとする。だが、それは自分を雛形にして、相手を理解する行為に他ならない。そのときに、相手が自分とは異なる存在であることに気づかないとすれば、想像力が欠けていることになりはしないか。

私とは異なる人々が世の中には暮らしている。だから理解できないのではなく、異なる人々の生活ぶりを思い描くことのできる想像力こそが、人と人をつなぐ力となるのだと思う。

背後からの自転車のベルを聞きながら、そんなことを思っていた。

スズラン

2009-05-01 20:54:46 | 自然




4年前に偶然知ったミューゲの日。スズランの花に自分の思いを託す。

人と人との絆を感じ取ることのできる日。それがミューゲの日である。

スズランを贈る人、そして贈られる人。その間にある温かく密な関係。

そうした人と人との絆が、何よりも人々を結びつけていく。素敵な日。

私もその中の一人として、誰かとの大切な絆を強めていきたいと思う。






スズランや清らかな音の聞こえ来る

君影草妹が心地の偲ばれる

我が思い伝えんとするミューゲの日