しなしなの記録

 しなしなの趣味の記録です。洋楽カラオケ、郵便局訪問、川、猫など

6月10日(土)、新潟市では、夕食に新潟駅前の須坂屋さんの「へぎそば」をいただくことにしました

2023-09-04 18:55:41 | Weblog

 6月10日(土)、新潟市内の観光を終えた私は、夕食を取ることにしました。午後2時過ぎにバスセンターのカレーを食べていますので、そんなに腹が減っていません。のど越しのよい「へぎそば」ならOKだな。」と思い、新潟駅前の須坂屋さんに入りました。

 


 注文した「へぎそば」が供されました。

 


 美味しいです。つなぎに「ふのり」が使用されているので、コシが有ります。のど越しもいいです。トップの写真のようにすぐに半分食べてしましました。
 へぎという枠に並べるので、へぎそばというのでしょう。全てを食べ、満足して店を出ました。
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新潟県郵便局訪問 NO.8 弥彦村・燕市 日本一の大鳥居、旧吉田町の街並みと今井家の建物、洋食器メーカー等を見た郵便局訪問でした

2023-09-02 16:47:05 | Weblog

 6月13日(火)は、前日の柏崎市に次いでの新潟県の郵便局訪問でした。訪問したのは、弥彦村と燕市です。訪問したのは、次の局です。

 弥彦麓、弥彦、矢作簡易(以上、弥彦村)、吉田中町簡易、神田町、越後吉田、西燕簡易、燕、燕中央通、灰方簡易、燕東、燕南、燕物流センター簡易、粟生津(以上、燕市)

 14局の訪問でした。トップの写真は、10100局目となった、粟生津(あおうづ)郵便局です。


 「こうゆう笹が新潟の笹団子になるんだよな。」と思ったのが、下の写真です。

 

 「葉が柔らかいからできるんだよな。北海道のクマザサやチシマザサではうまくいかないだろうな。」札幌に帰ったら、驚いたことに、妻の新潟の親戚から手作りの笹団子が送られてきました。

 

 縛っているのは、イグサだそうです。「笹団子、手作りできる方は新潟でも少なくなっている。」と、親戚の方から伺いました。


 弥彦村役場の所で日本一の大鳥居が見えました。

 

 下から見上げると迫力が有ります。

 

 1972年(昭和57年)上越新幹線の開通を記念して建てられたそうです。彌彦神社の一の鳥居がモデルだそうです。高さは30.16m、笠木の幅は38.5m有るそうです。


 燕市吉田には、素敵な雁木の街並みになっています。

 

 旧吉田町で、旧分水町とともに2006年(平成18年)に燕市と合併しています。

 その街並みの先に香林堂と書かれた建物が見えました。

 

 後で知りましたが、今井家の建物群です。今井家は、家庭薬会社などと営んでいたそうです。明治中期に建築された洋館、江戸時代後期の母屋、1920年に建築された旧今井銀行の建物が続いています。レンガ造りの洋館に「香林堂」と書かれたのは、1951年(昭和26年)だそうです。全てが登録有形文化財です。

 

 上の写真は、旧今井銀行の建物です。1920年(大正9年)から1932年(昭和7年)まで銀行として営業していたそうです。その後、製薬会社の工場としてつかわれていたそうです。


 燕市のマンホール蓋には当然、ツバメが描かれています。旧市の章と松と菊も描かれています。旧燕市の市の木と市の花だそうです。

 

 燕市といえば、洋食器の製造です。2軒ほど見つけました。

 

 
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6月10日(土)、新潟市のみなとぴあ博物館を出た私は、掘割を一部、復活させた早川堀通りを歩き、旧小澤家住宅に向かいました。

2023-09-01 19:34:36 | Weblog

 6月10日(土)のことです。私は新潟市の観光をしました。みなとぴあ博物館の所で、旧新潟税関庁舎、旧第四銀行住吉町支店等を見た後で、早川堀通りを歩きました。人工的では有りますが、素敵な水辺空間になっていました。

 

 

 


 早川堀は、艀下川が舟が通るには狭くなったことから、1872年~1873年(明治5年~明治6年)に人工的に掘られたバイパス水路です。しかし、1960年~1962年(昭和35年~昭和37年)には埋められ、道路となりました。その早川堀を地域の熱心な運動で、1986年(昭和61年)に復活させたそうです。2013年(平成25年)には「早川堀通り周辺まちづくりを考える会」が新潟市と管理協定を結び、維持管理をしているそうです。なるほど、かなり良好に維持管理されていると思います。以上の事は、下の看板等で知ることができました。

 

 


 清廣刃物製作所の素敵な建物が有りました。

 

 昔は、商店等で、車が車庫では無く、建物に入ることも多く有りました。私の父親が営んでいた会社もそうでした。昭和40年から昭和43年くらいです。


 旧小澤家住宅に着きました。トップの写真です。


 中に入ると、説明が有りました。

 

 1880年(明治13年)の大火で母屋は焼失しており、直後に再建された建物だそうです。


 日本家屋は「陰と陽」が美しいコントラストになります。

 

 明治期の建物ですので、洋風なものが入ってきます。

 

 ピアノも置かれていました。


 庭の様子です。

 


 小澤家は、米を扱い、廻船を運行し、港に関する会社を経営していたそうです。
 
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