青森県弘前市には、禅林街という33もの禅宗の寺が集まったところが有ります。そして、その役割は、第二の弘前城とすることだったそうです。最大のものが一番奥にある長勝寺です。元々、鰺ヶ沢町種里に有った寺を、二代藩主津軽信枚公が弘前城築造とともに移転させたものだそうです。
禅林街の入口に黒門が有ります。
長勝寺の門だそうです。1677年(延宝5年)から1687年(貞享4年)の間にこの地に造られたそうです。
そして、六角堂が有りました。
栄螺堂とも呼ばれているようです。中にはらせん階段が有り、上に登って行くようです。会津若松市にあったものと同じ構造でしょうか。33のお寺のひとつ、蘭庭院が管理しているそうです。
そして、長勝寺の山門です。
1629年(寛永6年)の建造だそうです。美しい形の門だと思います。1809年(文化6年)に大修理され、花頭窓が設置され、仁王像が安置されたそうです。
長勝寺には、中学校の修学旅行で来ました。その時、ミイラが安置されていた記憶が有ります。このミイラは、藩主を継ぐべき立場だった津軽承祐(ゆきとみ)公だったそうです。1855年(安政元年)に17歳でお亡くなりになりました。1954年(昭和29年)に墓を長勝寺に改装するために掘ったところ、埋葬された当時のままの姿で発見されたそうです。それを弘前大学医学部法医学教室がミイラにしたそうです。現在は、ご遺族の要望により、火葬され、埋葬されたそうです。
禅林街を出て、歩いていると、美しい五重塔が有りました。最勝寺の五重塔です。トップの写真です。国指定の重要文化財です。1656年(明暦2年)から建築が始まり、1667年(寛文7年)に完成したと伝えられているそうです。
「弘前市には明治から大正期の建物、さらに古い江戸時代の建物も多く残っているな。」と思いました。