バラの季節、マドリードにいたら必ず薔薇園に行く。
2月、まだ寒い冬のマドリード。あの、天国のような、薔薇園を想い、カサ・デ・カンポを散歩をしたあと、薔薇園ヘと丘を下った。
閑散とし、春に向けて株だけになっている薔薇たち。
通路には、切り落とした枝葉が散乱し、歩くこともママらない。
噴水が一つだけ水音を立てているだけの、荒れ果てた庭園。
二組の恋人たちが、ベンチでひっそりと語らうだけの薔薇園。
行く道を阻む、切られた枝に、まだ息のある薔薇を見つけ、手にする。
棘の痛みに、枯れゆく薔薇のプライドを感じ、詩の一説を思い出す。
バラの季節が過ぎたる今にして、
はじめて知るバラの何たるかを。
遅れ咲きの茎に輝けるただ一輪
千紫万紅をつぐないて余れり。
恋人たちには、いかなる季節でも、満開の薔薇だけが見えていることだろう。
いま、スペインへいつ還れるのかと思いを馳せる、私の目の前が、常に満開の薔薇、そのかぐわしい匂いが風に乗ってくる錯覚に捕らわれているように。
(シラーの頭蓋骨をながめてより、一説。『ゲーテ詩集』高橋健二訳)