自分がいつから、巡礼の道を歩きたいと思っていたのか、定かではない。それも、フランスから入り、ハカから始まる旅というイメージだけはできていた。
「フランス」と「ハカ」この2つのキーワードだけで、実に、コンポステーラがどこかと言うことを、そもそもどこに向かう巡礼なのかが完全に欠落していた。
フランスからハカに向かって、歩く。その道をどれだけ想像したか。しかし、そこには途中に訪れるカテドラルやイグレシアの存在は微塵も無い。
私のイメージにあるのは、ただ「道」である。
だから、今回の旅で、私はなんとしてもハカに行かねばならなかった。
ハカの道、それはそれはすばらしい道であった。
まず、通りすがりの人が歩いていいのか判らない、どう見ても私道。
廃車のような車が乗り捨てられ、とうせんぼしている農道?
背の高い草がびっしりと生え、道とは思えないが、腐った杭に、蛍光ペンキでしるしがついているから、選択すべき道。
小川が横切っている、どうやっても飛び越えられない道。
そして、どこまでもまっすぐ続く、道。
誰もいない道で、苔むした石に腰かけ、川のせせらぎと、虫のかさかさ歩く音を聞く。
この道を、いつか、帆立貝とひょうたんを持って歩く日がくるのか。
この道の先に、何があるのか。
それは判らなくてもいいのかもしれない。
巡礼本来の意味合いは無いかもしれない。でも、この道を歩くことで、私はいつの日か、自分の巡ってきた土地を、懐かしみ、思い出し、紐解くことができそうな気がする。
自分探しを終えた時、この道は、私の前に開ける気がしている。