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どこに行っても見る番組は、天気予報ではないだろうか?スペインの天気予報を見て、まず思ったこと。それは「あ、女王様の横顔だ!!」ポルトガルのところがちょうど横顔になり、金髪のお姫様に見えた。
国によって天気のマークは違う。何よりも印象的だったのが、晴れ。日本人的感覚だと、丸くて赤い太陽から光線の線が出ているものを誰しもイメージすると思う。スペインのはどう見ても卵の黄身。黄色くて丸い太陽マークがたくさん並んでいると、目玉焼きが食べたくなる。
初めてスペインに行った時、私はスペイン語がまったく判らなかった。ひとりで行く海外も初めてだった。今思えば、よく行ったもんだと我ながら感心するが、若さというか、バカさというか…
イタリアから入ったので、しばらくイタリア語でなんとなく、カタコトを口にしていた。「カフェ・ラテ」と言えば「カフェ・コン・レチェ!」とかえされる。「グラッチェ」と言えば「グラシァス!セニョリータ!!」と、耳をつかまれんばかりに寄ってきて、私の体にスペイン語を吹き込んでくれた陽気なスペイン人たち。
それはヨーロッパの国にいくつか行ったことがある私にとって初めての経験だった。
ドイツ圏では、全部「判らない」というジェスチャーでかえされて、とほうにくれた。フランスでは全部フランス語でまくし立てられた。イタリアは、気の無い英語がかえってきた。
スペインは何かが違った。英語が出来る人でも、とりあえずスペイン語で色々説明し、そして最終的に英語で解説してくれた。英語が出来ない人は、諦めてしまうことなく情熱的に語りかけてくれた。
この情熱をきちんと理解できないことがとても悲しかった。どうやったらスペイン語を理解できるようになるのか。私はとにかく、スペイン語になれるためにテレビをつけた。宿にいる時でも常に聞いていれば、少しはましになるのではと思ったのだ。
最初、卵の黄身に釘付けになっていた天気予報。私の耳はひとつの単語を捕らえた。「ブハイラ」予報官の女性は確かにそう言った。ブハイラ…それはアラビア語で湖の意味。地図を広げて見ると、予報官が指差したところには、湖があった。湖水地方だ!
私はヘレン・ケラーがはじめて言葉を理解した時の気持ちが判ったような気がした。
スペイン語のうち約1万語はアラビア語源である。私はアラビア語が堪能ではないが、ほんの少し判る。スペイン語よりはだいぶ単語を知っている。さて、この1万語はどんなところに残っているのか考えてみた。日本に残っているポルトガル語はどんなところ?そんなイメージで探し始めた。
スペインはイスラームがどこまでも攻め入り、小国を作った。イスラームが残した足跡はどこにあるの?疲れきった私は、とにかく何か食べようと外に出た。タベルナでメニューを広げ、めくらばんで頼もうとした時、私の目に飛び込んできた文字は「ガンバス」これはえびに違いない。アラビア語の「ガンバリ」だ。値段も見ずに私はそれを注文した。すばらしく大きなえびが出てきた。
地名と食べ物にアラビア語源のものが多いと気がついた私は、恐れることなく街に飛び出した。私の行きたいイスラームの香り高いスペインの地は、アラベの名前を持っているに違いない。そして、どんなに苦しい時でも、私は自分の知っている食べ物を要求することができる。アルハムドリッラー(アッラーのお陰で)
こうして、私は無謀な旅を続けている。そして、スペインの人たちは、私が理解していないことを判っていながらも、情熱的に話しかけてくれる。そこにいることを許されている。そんな気にさせてくれるスペインは素晴らしい。
どこに行っても見る番組は、天気予報ではないだろうか?スペインの天気予報を見て、まず思ったこと。それは「あ、女王様の横顔だ!!」ポルトガルのところがちょうど横顔になり、金髪のお姫様に見えた。
国によって天気のマークは違う。何よりも印象的だったのが、晴れ。日本人的感覚だと、丸くて赤い太陽から光線の線が出ているものを誰しもイメージすると思う。スペインのはどう見ても卵の黄身。黄色くて丸い太陽マークがたくさん並んでいると、目玉焼きが食べたくなる。
初めてスペインに行った時、私はスペイン語がまったく判らなかった。ひとりで行く海外も初めてだった。今思えば、よく行ったもんだと我ながら感心するが、若さというか、バカさというか…
イタリアから入ったので、しばらくイタリア語でなんとなく、カタコトを口にしていた。「カフェ・ラテ」と言えば「カフェ・コン・レチェ!」とかえされる。「グラッチェ」と言えば「グラシァス!セニョリータ!!」と、耳をつかまれんばかりに寄ってきて、私の体にスペイン語を吹き込んでくれた陽気なスペイン人たち。
それはヨーロッパの国にいくつか行ったことがある私にとって初めての経験だった。
ドイツ圏では、全部「判らない」というジェスチャーでかえされて、とほうにくれた。フランスでは全部フランス語でまくし立てられた。イタリアは、気の無い英語がかえってきた。
スペインは何かが違った。英語が出来る人でも、とりあえずスペイン語で色々説明し、そして最終的に英語で解説してくれた。英語が出来ない人は、諦めてしまうことなく情熱的に語りかけてくれた。
この情熱をきちんと理解できないことがとても悲しかった。どうやったらスペイン語を理解できるようになるのか。私はとにかく、スペイン語になれるためにテレビをつけた。宿にいる時でも常に聞いていれば、少しはましになるのではと思ったのだ。
最初、卵の黄身に釘付けになっていた天気予報。私の耳はひとつの単語を捕らえた。「ブハイラ」予報官の女性は確かにそう言った。ブハイラ…それはアラビア語で湖の意味。地図を広げて見ると、予報官が指差したところには、湖があった。湖水地方だ!
私はヘレン・ケラーがはじめて言葉を理解した時の気持ちが判ったような気がした。
スペイン語のうち約1万語はアラビア語源である。私はアラビア語が堪能ではないが、ほんの少し判る。スペイン語よりはだいぶ単語を知っている。さて、この1万語はどんなところに残っているのか考えてみた。日本に残っているポルトガル語はどんなところ?そんなイメージで探し始めた。
スペインはイスラームがどこまでも攻め入り、小国を作った。イスラームが残した足跡はどこにあるの?疲れきった私は、とにかく何か食べようと外に出た。タベルナでメニューを広げ、めくらばんで頼もうとした時、私の目に飛び込んできた文字は「ガンバス」これはえびに違いない。アラビア語の「ガンバリ」だ。値段も見ずに私はそれを注文した。すばらしく大きなえびが出てきた。
地名と食べ物にアラビア語源のものが多いと気がついた私は、恐れることなく街に飛び出した。私の行きたいイスラームの香り高いスペインの地は、アラベの名前を持っているに違いない。そして、どんなに苦しい時でも、私は自分の知っている食べ物を要求することができる。アルハムドリッラー(アッラーのお陰で)
こうして、私は無謀な旅を続けている。そして、スペインの人たちは、私が理解していないことを判っていながらも、情熱的に話しかけてくれる。そこにいることを許されている。そんな気にさせてくれるスペインは素晴らしい。