もっちゃんのボケ防止日記

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「北の国から」 第1作を見た

2016年09月07日 10時09分24秒 | 日記
 昨日も朝から晴れ渡り、気温が上昇した。真夏日の暑さももう少しだろう。午前中、妻がバイクで出かけたので留守番をしていた。

 午後も家にいた。蒸し暑くて何もする気が起きなかった。そんなこんなで昨日は終わってしまった。

 今日は朝から雨。天気予報では、一日雨だと言う。出かけることもできず、ユーチューブで「北の国から」の第1話を見た。

 「北の国から」は倉本聰さん脚本のテレビドラマで、昭和56年10月から翌年の3月まで24話が放送された。その後、ドラマスペシャルとして8作が作られ、「2002遺言」で終わっている。

 すべての作品を何度か見ているが、見るたびに感動させられる素晴らしい作品だ。

 久しぶりに今日は第1作を見たが、東京で暮らしていた黒板五郎(田中邦衛)が、妻(いしだあゆみ)と別れ、子供たち(吉岡秀隆、中嶋朋子)を連れて、故郷の北海道に移住するという話だ。

 住もうとする家は廃屋のようなもので、水道も電気もガスもない。純(吉岡)が五郎に、「電気がなかったら暮らせませんよッ」と訴える。さらに「夜になったらどうするの!」と続ける。すると、「夜になったら眠るんです」という五郎の答えには笑ってしまうが倉本さんの心の中には深い意味があるようだ。

 インターネットで調べると、北海道新聞に倉本さんの言葉が載っている。

「都会は無駄で溢れ、その無駄で食う人々の数が増え、全ては金で買え、人は己のなすべき事まで他人に金を払い、そして依頼する。他愛ない知識と情報が横溢し、それらを最も多く知る人間が偉い人間だと評価され、人みなそこへ憧れ向かい、その裏で人類が営々と貯えてきた生きるための知恵、創る能力は知らず知らず退化している。それが果たして文明なのだろうか。『北の国から』はここから発想した」

 この言葉を読むと、最後の作品である「2002遺言」の中で五郎が独白する言葉が思い出される。倉本さんはドラマの全体像を初めから想定して作品作りを始めていたことに感心する。

 ドラマの内容はもちろんであるが、映像の素晴らしさにも感動させられる。さだまさし作曲の「遥かなる大地より」のメロディーをバックにオープニングで流れる富良野の風景には、毎回見入ってしまったものだ。

 春の緑の大地、夏の雲、秋の紅葉風景は絶景だ。冬の雪に覆われた北の大地、いろいろな草花、クマゲラやアカゲラなどの野鳥、エゾリスやキタキツネ、エゾシカなどの動物、自然の素晴らしさが直に伝わってくる。

 今思うと残念なことは、映像が荒いことだ。今流行りの4K画像で見たら、更に感動することだろう。

 「北の国から」が始まった頃、我が家には次男が誕生した。長男は3歳、親子4人でアパート住まい。そんな生活の中で、純と蛍の成長に子どもらの成長を重ねていたことが思い出される。

 純と蛍がドラマの中で成長していく。子役であった吉岡秀隆と中嶋朋子が、そのまま成人してドラマの中で純と蛍として生きていく。

 同じ俳優を子ども役から成人役までやらせるなんて、倉本さんの発想には驚くばかりだ。

 第1作を見ていて、地井武男さんも大滝秀治さんも今は亡く、田中邦衛さんも入院生活?をしているかと思うと時の流れを感じる。

 我が家を振り返っても、2人の息子とも結婚して親となり、自分の家庭を持っている。私もリタイヤして、今や年金生活者。昔を懐かしく思い出しながら、また第2作を見ようかと思う。