もっちゃんのボケ防止日記

新型コロナウイルスに感染しないよう三密を避けて鳥撮りに嵌っています。

老人性難聴?

2016年09月04日 15時32分32秒 | 日記
 今日は曇りかと思ったら、急に雨が降り出したり日が差したりとおかしな天気だ。気温はさほどではないが、とにかく蒸し暑くて参った。

 この天気では出かける気にもならず、家にいた。

 以前から人の話が聞き取りづらくなり、補聴器も使ってみたが雑音がひどくて使い物にならない。インターネットで老人性難聴を調べてみたが、改善策はなさそうだ。

 困るのは、買い物等で出かけた時に店員の話していることが聞き取れないことだ。また、ウォーキング中に出会った人とも話ができない。

 テレビを見るときも音量を上げないと聞こえない。音量を上げると周りはうるさいという。そこで、最近は字幕放送にして見ている。ところが、字幕を読んでいると画面の展開に追い付かないことが多い。

 耳鼻科で精密検査も受けたが、老人性難聴はどうしようもないと言われてしまった。

 まだ老人になったという自覚はないが、体が老化していることは受け入れざるを得ない。目は子供時代から悪く、小学生の時から眼鏡をかけている。歯も丈夫でなく、子供の頃から歯医者通いをしていた。今では入れ歯のお世話になっている。髪の毛も減る一方だ。

 昔、勤め先で「自分は障害者です」と話したことがある。聞いた人は「どこに障害があるの」という顔をした。「眼鏡をかけているのは視覚障害があるからです」と言うと、大概の人は「えっ」という顔をする。

 オリンピックが終わり、パラリンピックが始まる。テレビでも、障害者スポーツを話題にすることが多くなってきた。

 しかし、障害者理解となると昔とあまり変わらない気がする。それは、障害を理解することの難しさの表れだと思っている。

 人と話をする時に、聞こえが悪いことを先に話すと始めのうちは大きな声で話してくれる。しかし、直ぐに普通の声になってしまい、私には聞こえなくなる。そうなると、再度、大きな声でとお願いすることになる。

 だが、お願いすることも面倒になることがほとんどだ。耳の聞こえが悪いということを相手に理解してもらうことは不可能に近いことだとつくづく思う。

 これからの私の人生、老化していく機能を何とか補いながら生きていくしかなさそうだ。

 ”子ども叱るな 来た道じゃ 年寄り笑うな 行く道じゃ”

 ふと、昔聞いた言葉が浮かんできた。