今日は秋分の日、お彼岸の中日だ。天気は朝から雨。それも涙雨ではなく、一時は物凄い降りだった。そんな中、お墓参りに行ってきた。実家に行き、仏壇に先日産まれた私の孫娘の写真を飾った。亡くなった両親にとっては10人目のひ孫だ。親父が生きていれば、今年で100歳になる。親父もお袋も、天国でひ孫の誕生を喜んでいることと思う。
お墓に行くと、土砂降りの雨。お線香をあげるにも雨で濡れてしまった。お墓には、最後に煙草をあげてくることにしている。
亡くなった親父は、若い頃から「しんせい」というタバコを吸っていた。それでも肺癌にならず、胃癌で亡くなった。最後は肝臓にまで癌が転移し、医者の見落としで手術もできない状態だった。お袋は糖尿病を患い、最後は認知症になっていた。自分の連れ合いを忘れ、自分で産んだ子どものことさえ忘れ去っていた。会いに行くと、「ここは自分の家ではない。家に連れて帰ってくれ」とせがまれたことが忘れられない。
お彼岸が来るたびに、両親のことをいろいろと思い出す。亡くなった者を供養するとは、生きている者が亡くなった者のことをいつまでも忘れないことだと思う。
お墓に行くと、土砂降りの雨。お線香をあげるにも雨で濡れてしまった。お墓には、最後に煙草をあげてくることにしている。
亡くなった親父は、若い頃から「しんせい」というタバコを吸っていた。それでも肺癌にならず、胃癌で亡くなった。最後は肝臓にまで癌が転移し、医者の見落としで手術もできない状態だった。お袋は糖尿病を患い、最後は認知症になっていた。自分の連れ合いを忘れ、自分で産んだ子どものことさえ忘れ去っていた。会いに行くと、「ここは自分の家ではない。家に連れて帰ってくれ」とせがまれたことが忘れられない。
お彼岸が来るたびに、両親のことをいろいろと思い出す。亡くなった者を供養するとは、生きている者が亡くなった者のことをいつまでも忘れないことだと思う。