日々雑感

最近よく寝るが、寝ると言っても熟睡しているわけではない。最近の趣味はその間頭に浮かぶことを文章にまとめることである。

ポスト安倍は人材不足

2020年05月30日 09時05分05秒 | 日々雑感
 長期政権を誇る安倍政権の雲行きが怪しくなってきた。これまで森友・加計学園問題、桜を見る会等、数々の問題を起こしてきたが、安倍一強政権の下、国民の多くが納得しないにも拘わらず何事も無かったかのように乗り切ってきた。

 しかし、コロナ騒動でのアベノマスクに象徴される対策遅れ、PCR検査数の少なさに対する指導力の無さ、給付金を巡る現状認識の甘さ、等綻びが目立ってきた。

 更に追い打ちをかけたのは、検察庁人事に関する閣議決定である。政府は、1月31日に東京高検黒川弘務検事長の定年延長を国家公務員法の解釈変更というかたちで閣議決定したのだ。理由は法務省からの推薦があったからだとの説明であったが、あったとしても法務省の過度の忖度があったことは容易に想像できる。

 さて、問題の黒川氏は、緊急事態宣言中の掛マージャン問題が突然発覚し、辞任することになった。黒川氏は報道で知る限りでは、他人に甘いばかりでなく自分にも甘いようであり、政権側には使い易い人物であったようだ。余人をもって代えがたい人材との推薦理由であったが、なるほどと納得させられる程の使い勝手の良い便利な人材であったようだ。

 黒川氏を推薦したのは森雅子法相であるが、国会での追及に対する答弁のシドロモドロさには信念のかけらも感じられない。しかし、表向き推薦の責任があり、自らも責任を感じて進退伺を安倍首相に提出したが、留意されて職に留まり、信頼回復に努めると弱弱しく説明した。安倍首相も簡単に辞任を了承できないのは元々の言い出しっぺが誰であったかを伺わせる。

 法務省の過大な忖度や閣議決定に参加した無責任大臣の面々、安倍一強政権の成れの果てを伺わせる。本来であれば内閣総辞職も要求されるであろうが、コロナ騒動の最中、混乱を避けた方が良いとの判断があるのか、与党や野党の中からも声が上がらない。コロナ騒動前、安倍首相に4期目の声もあったそうだが今となってはさすがに無いだろう。

 追及の甘さは後釜がいないのも一因であろう。これまでマスコミはポスト安倍の有力候補として石破氏、岸田氏の他、菅官房長官が担ぐ河野防衛相や小泉環境相、安倍首相が引き立てようとしている茂木外相や加藤厚労相等の名前を挙げていた。

 しかし、今回のコロナ騒動や黒川前検事長の人事問題で大部様子が変わってきた。この定年延長の閣議決定に際し、居並ぶ大臣から疑問の声が発せられなかったことは、将来国を任せられる資質を有する人物が大臣にいないと大いに失望させられた。

 中でも筆頭は加藤厚労相であろう。コロナ騒動でPCR検査数の少ない原因を野党から質問されたが要領の得ない答弁や、更に至急改善するとの答弁に対し一向改善されない指導力の無さ等、情けない姿を見せつけた。

 さて、ダークホースとなるべき石破元幹事長の存在感が最近薄くなっているが、今月14日、インターネットを通じた石破派の例会で、検察庁法改正案について政府に説明を尽くすよう求めたそうだが、追及の声は小さい。

 コロナ騒動で名を上げたのは吉村大坂府知事や西村経済再生担当相かも知れないが、まだ実績が足りない。安倍首相は崖っぷちに追い込まれているが、野党は力不足だし、自民党から一体誰が出てくるだろうか。2020.05.30(犬賀 大好-604)

現実を無視した正論は迷惑

2020年05月27日 09時00分24秒 | 日々雑感
 最近、新型コロナウイルスの新規感染者の数が下がっており、25日緊急事態宣言が全国的に解除された。しかし、即従来の生活に復帰出来る訳ではなく、何らかの自粛の要請は相変わらずである。またそれに応えて多くの人々が自粛に努めているのにはすこぶる感心する。

 ワクチンが出来ていない現状、自粛の全廃は間違いなく第2波の到来を招くとの識者の意見は間違いないであろう。しかし、自粛が長期化する中、感染者の数が少なくなってくると気持ちの緩みが生ずるのは誰も止められない。

 一方自粛要請の行き過ぎが目に付く。例えば、地域の早朝ラジオ体操の自粛、老人を集めての健康体操の自粛など、コロナウイルスの拡散は防げるかもしれないが、高齢者の体力低下や認知症患者の増加等逆効果も出てくる。

 また、若者の間で盛んなサーフィン等の自粛も叫ばれるが、サーフィン自体にはリスクは少ないがその前後における談笑や近くの商店における買い物等がリスクを高めるからであろう。そこでサーフィンを悪者にするのではなく、食料は自宅で準備し食事は各自離れて摂れ等のマナー喚起をした方が、社会全体としては役立つであろう。

 更に行政の自粛要請に便乗した「自粛警察」の動きも結構あるようだ。子供連れの親子が公園で遊んでいるのを警察に通報する行為や、ツイッターなどのSNSに公園や店舗に人が集まっている写真や動画を掲載し、これを非難する投稿が相次いでいるのだ。

 また、都内のライブハウスが、無観客でライブを実施しインターネットで配信したところ”自粛してください。次発見すれば、警察を呼びます”という張り紙が店先に貼り付けられたケースもあったそうだ。

 こうした行為は自粛要請に応じて取り締まるのは警察ばかりでなく市民の役目だとして、一種の正義感からくる行為であろうが、個人の正義が行政に裏付けされたとなると我が意を得たりと増長されるから厄介だ。

 正義は人によって捉え方が様々であり、往々にして些細な正義に固執し、拡大解釈する正義があるから始末が悪い。このような一見正義面した行為は緊急事態宣言が解除されたところで、多少は収まるかも知れないが、常日頃社会のあらゆるところに見かけるストレスの捌け口だ。

 例えば公園の入り口に”ボール遊びは禁止”の看板をよく目にする。この目的は危険行為の禁止であろうが、親子のボール遊びを見かけると、それが危険な行為かはさておき看板を指さし出て行けと声高に注意し、自己満足して胸を張る。

 昨年台風19号が東京を襲った。ホームレスの男性が自主避難所となっていた小学校を訪れたが、区職員は収容人数が限られることから区民のための施設ですと断ったそうだ。この行為を人道上の問題として非難した人がいた。困っている人を誰でも避難所に受け入れることは人道上の問題としては正論である。このような正論は時と場所をわきまえないと迷惑以外の何物でない。

 今回のコロナ騒ぎが収束する前に避難所を必要とする自然災害が起こることは十分考えられる。そこでの避難所で三蜜が要求されるとなると問題は複雑になる。区民を優先するか、弱者を優先するか、先着者を優先するか、絶対的な正解は無いだろうが、普段から考えて置くだけの価値はある。2020.05.27(犬賀 大好-603)

ウイルスの人類にとっての存在意義とは

2020年05月23日 09時37分29秒 | 日々雑感
 新型コロナウイルスが世界中を騒がしており、ウイルスを目に見えない人類の敵と称する政治家もいるほどの嫌われ者だ。しかし、ある種のウイルスは人類の存続に重要な役割を果たしており、人間にとって無くてはならない正義の味方のようである。このことが解明されたのが2000年だそうだからつい最近のことだ。

 さて、赤ちゃんが誕生する際、受精から胎盤形成の過程において、母親の免疫系にとっては父親の遺伝形質は異質な存在であり、普通であれば免疫反応によって拒絶され赤ちゃんが出来る筈がない。しかし、ある種のウイルスが子宮の胎盤形成を助け、このウイルスのお蔭で赤ちゃん誕生となることが解明されたのだそうだ。

 動的平衡で有名な福岡伸一博士も、ウイルスと人間の共存関係を語っている。ウイルスは構造の単純さゆえに、生命誕生の最初から存在したものでは無く、高等生物が進化した結果、はじめてウイルスが現れたと推測しているそうだ。高等生物の遺伝子の一部が外部に飛び出したものとして、つまりウイルスはもともと我々の一部だったと言う訳だから、進化とは摩訶不思議なものだ。

 新型コロナウイルスは人間に感染し易いと言われているが、歴史を遡れば我々の体の一部であった所以かも知れない。これはウイルス表面のたんぱく質が、人間の細胞にある血圧の調整に関係する蛋白質と強力に結合し、そこに人間の細胞膜に存在する蛋白質分解酵素が働き、ウイルス内部の遺伝物質を人間の細胞内に注入するのだそうだ。それは人間側が極めて積極的にウイルスを招き入れているとさえ思える挙動をしているのだそうだ。

 つまり人間の方がコロナウイルスに感染したがっていると理解され、ウイルスこそが進化を加速する役目を担っていると暗示しているのだそうだ。親から子に遺伝する情報は垂直方向にした伝わらない。ウイルスのような存在であれば情報は水平方向に、場合によっては種を超えてさえ伝達し得る。それゆえウイルスという存在が進化のプロセスで温存されていると理解できるのだそうだ。

 種を超えた伝達とはよく理解できないが、今回の新型コロナウイルスも人間の進化を促すものであれば、将来が楽しみにもなる。しかし、進化とは一般的にはよりすぐれたものや複雑なものになることと理解されるが、あくまでも人間にとって有益であるとの意味であり、自然全体にとってどうかと言うと考え込んでしまう。

 今や地球温暖化問題で代表されるように人類は地球環境を破壊してきた。地球全体から見て”より良きものとは”必ずしも人間に都合が良い物ではないだろう。

 新型コロナウイルスはコウモリ等の野生動物が保菌していたウイルスが遺伝子の突然異変により人間にも感染するようになったと説明される。しかし、この突然異変も一度限りの現象ではなく、何度も繰り返し起こっているとの話だ。新型コロナウイルスも武漢型とかヨーロッパ型とか呼ばれ、更にはアメリカ型もあるそうで、自然も色々模索しているようにも思える。

 新型コロナウイルスが進化を加速する役目を担っているとすれば、それは人類をどちらの方向に導くのであろうか。2020.05.23(犬賀 大好-602)

新型コロナウイルス隠れ保菌者の実態調査は必須

2020年05月20日 09時06分48秒 | 日々雑感
 新型コロナウイルスに対する緊急事態宣言を完全解除するためには、日本人のどの位の割合が感染しているかを知り、その時間的な経過より将来を予測することが重要になる。そこでの統計的な処理より、ある適度な社会的規制下で新規感染者数を100名以下に抑えることが可能と判断できれば、現在の医療体制で十分対処できるとの話であるので、これを判断基準にすることが出来る訳である。

 日本のPCR検査数の少なさは先進国の中でも群を抜いており、これを反省してか厚労省は今月8日夜、PCR検査の新たな受診資格を体温に関する表記等を取りやめ、息苦しさや高熱などの症状があればすぐに相談出来るように方針変更をした。

 これまでPCR検査数が少なかった原因は、今までの目安が厳しかったことも一因であったかも知れないが、窓口となる保健所の人員不足や、検査機関における人材不足の方が影響が大きかったように思われる。また、政府は、3月始めには保険適用して保健所の了解がなくても医師の判断で民間の医療機関を使えるようにし、検査能力を拡大すると述べていた筈だが、検査数が格段に増大した話は聞こえてこない。従ってこの厚労省の目安変更により検査数が飛躍的に増加するようには到底思えない。

 今週14日の専門家会議で、緊急事態宣言を解除するための条件として感染状況、医療提供体制、検査体制の三つを重視する方針が示された。新規感染者数が10万人当たり0.5人/週以下が数値で示された条件であるが、隠れ感染者に関しては何も触れられなかった。

 しかし、ごく最近、新型コロナウイルスに感染したことがあるかどうかを調べる「抗体検査」や感染をPCR検査より短時間で調べられる「抗原検査」も実施すると政府は言う。そこで、厚労省は抗体検査について、15日、6月にも1万人規模の調査を実施すると発表した。これまでのように言い放しで終わらないように願うばかりである。

 抗体検査は過去に感染したかの検査であるが、PCR検査と抗原・抗体検査をうまく組み合わせ、全国的な規模でサンプリング調査等が実施出来れば、隠れ保菌者の実態も明らかになり、解除の目安を明確にすることが出来る。

 さて、先述の検査キットの性能評価のために4月下旬に東京都と東北地方で計1千検体の調査を行ったところ5検体が陽性と分かったとのことだ。調査条件が不明であり、検査キットの信頼性が十分でない等の為、信頼性に疑問が残るが0.5%の隠れ保菌者の存在の可能性が示されたそうだ。

 東京1千万人とすれば、5万人程度が推定陽性者となり、現在東京の累積感染者数が約5千人であるので、10倍の数の陽性者の可能性があることになる。

 更に、東京大学が都内一般医療機関で5月1日または2日に採取された500検体で抗体検査をしたところ3例が陽性であったと、15日発表した。陽性率0.6%で同じような値である。

 また、慶応義塾大学病院は、コロナ以外の病気で来院した患者67人にPCR検査を行ったところ、4人が陽性者だったと先日公表した。約6%の割合であり、先述の割合とは大きな開きがあるが、何れにしても膨大な数の陽性者が予想される。毎日感染者の数が公表されるが相変わらず感染経路不明の人が多いことも隠れ保菌者が多いことを暗示している。2020.05.20(犬賀 大好-601)


説明力と説得力が今こそ必要されるが

2020年05月16日 09時19分34秒 | 日々雑感
 新型コロナウイルス騒動で影を潜めているが、国会の場で説明責任と言う言葉がよく登場した。安倍首相は、森友・加計学園を始めとして最近の検察省人事問題でもいつも丁寧に説明すると繰り返し、表情豊かに手振りも大きく、言語は明瞭であるが、中身のない説明ばかりで国民の大多数は納得できていない状態だ。

 今回の新型コロナウイルス騒動で政府は緊急事態宣言を発した。海外の国での緊急事態宣言では違反すると逮捕等の法的な拘束力を受けるが、日本では都道府県知事は住民に対して期間と地域を定めた上で不要不急の外出を自粛するよう要請できるほか、事業者などに対して店舗や施設の使用制限を要請できるようになるが、あくまでも要請であり強制ではない。今こそ指導者の説明力、説得力が試される訳だ。

 安倍首相も”生活の維持に必要な場合をのぞき、みだりに外出しないよう要請すべきだ”として、人と人との接触を最低7~8割削減するなどの行動変容を国民に求めた。首相の説明の説得力が今こそ必要であるが、残念ながらこれまでの行動の記憶が蘇り説得力が感じられない。

 検察庁法改正の件でも安倍首相は相変わらず国会答弁で丁寧に説明し国民に理解されるよう努力すると言っているが、中身のない答弁ばかりだ。この法案は政権に近いと言われる黒川氏を検事総長に起用するためではないかの質問に対し、そのような恣意的な人事のためでは無いとの主旨の返事をした。首相の返事は質問前から分かり切っているのに質問する方は何を期待していたのか理解に苦しむ。

 三権独立とは権力の濫用を防止し、国民の政治的自由を保障するため、国家権力を立法・司法・行政の三権に分け、それぞれ独立した機関にゆだねようとする民主主義の基本原理であり、我が国の憲法でも保証されている。

 しかし三権分立と言いながらそれぞれの長を独自に決める分けにもいかず、誰かが人選し任命しなければならない。我が国では首相の権限であるが独裁の道にも繋がる。そこに三権分立の本質的な矛盾がある。この矛盾を分かり易く丁寧に説明する必要があるが、根底にあるのは信頼の問題である。この説明を安倍首相に期待しても無理であろうが。

 ドイツのメルケル首相は、”今回の新型コロナウイルス騒動で感染症保護法で対処する方針を示し、このウィルスは新種のウィルスで、治療薬もワクチンもありません。ですから、感染拡大の速度をできるだけ遅くし、医療システムに過大な負荷がかからないようにしなければなりません。私たち自身が人と会う機会を可能な限り避ける必要があるということです。私たちは、互いへの思いやりや配慮がある社会なのだということを、示すことができると信じています”、と国民に分かり易く、丁寧に説明した。

 安倍晋三首相が緊急事態宣言を4月7日に発令したが、決断の理由について安倍首相は、”医療提供体制が逼迫している地域が生じていることを踏まえれば、もはや時間の猶予はないとの結論に至りました。この状況は国民生活および国民経済に甚大な影響を及ぼす恐れがあると判断いたしました”、等を述べたが、少なくとも分かり易さの点ではメルケル首相の方が上である。2020.05.16(犬賀 大好-600)