日々雑感

最近よく寝るが、寝ると言っても熟睡しているわけではない。最近の趣味はその間頭に浮かぶことを文章にまとめることである。

集団的自衛権と日本の安全保障

2015年07月29日 09時04分06秒 | 日々雑感
 安全保障関連の法案審議が参議院で始まった。集団的自衛権の行使は多くの憲法学者が指摘するまでもなく憲法違反に違いないが、安倍首相を始めとする与党は日本を取り巻く環境変化に対応することこそが、憲法より重要であるとの言い分である。
 環境変化とは、北朝鮮が核兵器の保有を盾に拉致問題に真剣に取り組まないことや、東シナ海における中国との尖閣諸島の領土争い、日中中間線付近での石油開発問題等であろう。元ひげの隊長、佐藤議員も中国が東シナ海に建設している石油開発用プラットホームの数がこの一年で倍増したと危機感を煽り、集団的自衛権容認に反対する野党はこの問題に目をつぶっているとナショナリズムに訴えている。
 この中国の動きに対し、安倍首相や菅官房長官はその都度厳重抗議していると発言しているが、効き目はないようだ。抗議以外日本独自では何も出来ないし、米軍は応援してくれそうも無い。米国は、尖閣諸島は安保の枠内と明言しているが、中間線上の石油基地に関しては、何も言及していない。排他的経済水域を日中中間線にするべきか大陸棚を考慮して決めるべきか日中間でもめている。石油基地は日本の主張する中間線より中国側にあるが、そこでのストロー現象を主張し、抗議しているのだ。
 このような状況に対し、集団自衛権の容認派は米軍の威を借りたいとの思惑がありありである。米国には安保条約により東京の周辺や沖縄に膨大な土地を貸しているが、これだけでは不十分と更なる貢物を申し出ているのだ。米国は「民主化は絶対的な善」として、アフガニスタンやイラク等に進出したが、思い通りには進まず、逆に米国の力の減退を招いてしまった。ここに来て南シナ海での中国進出が問題化し、それを食い止める監視活動等にも十分な力が避けないため、日本に肩代わりを要求しているに違いない。 日本としても、米国との蜜月状態を誇示しておけば、抑止力になるとの思惑があるのだ。
 しかし、その期待通りになるであろうか。今や中国は米国にとっても最大の貿易相手国である。経済的な影響で見れば、日本より中国の方が重要であろう。 このような環境変化を読み取り、日本独自の抑止力を持たなくてはならないとする考えもある。すなわち軍事力の増強であるが、軍事力の強化は相手の軍事力の強化となる。軍拡競争になれば、最終的には核の保有にまで考えなくてはならないが、中国は既に核を保有している。また、国土の広さや国民の数からも勝敗は目に見えている。自衛隊は中国軍より強いと主張する輩もいるが、極めて近視眼的である。
 日本は、中国との経済的な結びつきを強めることにより、平和的な関係を強化すべきである。日本には憲法9条の強い後ろ盾と世界に類を見ない技術力がある。これらを有効に用いることが外交の知恵だ。8月に予定される安倍首相の70年談話でも自己満足ではなく、将来に向けた友好関係をどうやって築くかに的を当てるべきだ。東シナ海の諸問題は共同開発の方向を推し進めるべきだ。万が一、中間線上の石油やガスを全部抜き取られたとしても、戦争での損害よりよっぽど少ないであろう。中国の反日教育があっても、日本を訪れる中国からの観光客はうなぎのぼりだ。ほとんどの国民は国家間の争いとは無縁なところで生きている。戦争を喜ぶのは、戦争でも命を落とさない政治家と軍需産業関係者だけだ。(犬賀 大好-150)

超小型車はイノベーションを招くか

2015年07月25日 09時26分48秒 | 日々雑感
 1~2人乗りの超小型モビリティの開発が急である。トヨタ自動車の一人乗り用 I-ROAD を始め、ホンダ、日産はそれぞれ独自のコンセプトを発表し、自動車メーカが開発を競っている。背景には蓄電池の高性能化や制御技術の進歩があり、また高齢化社会へのニーズもある。
 しかし、小型モビリティが社会へ浸透、すなわちハードの変革ばかりでなく社会まで変革させるイノベーションとなるか、となると様々な問題が浮かび上がる。すなわち、これまでに市販されている小型モビリティが、道交法(道路交通法)や道路の構造により普及が今一であるからである。
 例えば、電動車いすやシニアカーは身障者や足腰の弱い老人用として買い物等に便利であるが、道交法では歩行者として扱われ、歩道を走行してもよいが、歩道の起伏が激しいための転倒事故や歩行者との接触事故が多発し、普及を妨げている。
 また、電動アシスト自転車は手軽さから普及が目覚しい。この自転車は、名が示すように多少の人力を使わなくてはならないため、道交法では自転車の範疇で扱われる。僅かな改良により人力を使わずに走れるようにすれば、一層使用の範囲も広がり普及すると思うが、現在の法体系の下では原動機付自転車の仲間となってしまう。そうなると安全性の面から、ウインカーの設置等が義務化されるため、重装備となり折角の長所が損なわれる。
 またセグウェイと称する一人用の立ち乗り二輪車は従来の車の概念を覆す画期的な乗り物であるが、現在の日本では公道での運転は禁止されている。すなわち、現行の道交法では、その出力の大きさから自動車扱いになるため、車両運送法で定める保安基準を満たさなければならず、すべて電気的にコントロールするセグウェイの場合機械的な制動装置を持たず、保安基準を満たさないため禁止となってしまう。
 現在の道路は一般的に車最優先で作られている。道路は、まず車が通ることの出来る幅が決められ、残りを歩道等に割り当てられる。このため、自転車の通行帯が10cmとの笑い話的現象も起こる。また、歩道は車の出入りのため凸凹だらけである。
 今後、従来の車の概念を覆す小型モビリティもどんどん発案されるであろう。自動運転が可能となると更に新しい概念の車も生まれる。しかし、それらが道交法により禁止され、道路の構造により制限されるとなれば、折角のイノベーションの芽を摘むことになってしまう。
 将来の交通システムは小型モビリティにより一新される、すなわち交通システムのイノベーションがなされる可能性があるが、それには、道交法まで含めた周辺環境の整備がどこまで進むかに左右されるであろう。従来から指摘される電気の補充ステーションの充実等は当然であるが、どちらかと言えば簡単な部類であろう。従来型の自動車を優先した道路ではなく、小型モビリティを想定した道路が必要となろうが、この狭い日本で可能かとなると、頭の痛いところだ。まず、どこかに特区を作り、試行することから始めればよい。しかし、いつまでも現状に固執しておれば、世界の潮流から取り残されることになろう。(犬賀 大好-149)

生産労働人口の減少を考える

2015年07月22日 09時25分10秒 | 日々雑感
 来春2015年3月卒業予定の大学生・大学院生対象の求人倍率は大幅に改善されたようで、若者にとって大変喜ばしいことだ。しかし、学生の民間企業就職希望者数は、前年42.6万人とほぼ同じ水準の42.3万人であったとのことで、生産労働人口はこれから着実に減少の一途であろう。
 この生産労働人口の減少は当分の間如何ともし難い。この減少分をどうやって補うかが次の問題だ。定年年齢の引き上げによる高齢者の活用も考えられるが、外国人労働者の受け入れが一つの解決策であろう。
 外国人技能実習制度は、我が国が先進国としての役割を果たしつつ国際社会との調和ある発展を図っていくため、技能、技術又は知識の開発途上国等への移転を図り、開発途上国等の経済発展を担う「人づくり」に協力することを目的とする高尚な制度である。厚労省が関与している研修生・技能実習生は、平成24年末、約15万人とのことだ。ピーク時には20万人いたとのことだが、いろいろ問題があり、減ってきているようだ。その最大の問題は、実習生を単なる低賃金労働者として働かしていることだ。
 7月10日、NHK,首都圏報道で茨城県の農家における海外からの実習生の逃亡問題が報ぜられた。平成26年までの10年間では約2万5千人が実習先に無断でいなくなり、平成26年は、過去最多4800人が失踪したとのことだ。
 多くの実習生が研修との名の下に最低賃金水準で働いているが、残業代の未払いなど労働関連法違反は後を絶たない。このような労働条件の厳しさが失踪増加の背景にあると言われている。しかし、NHKの報道では、特に中国からの実習生は、技能の習得より金稼ぎが目的であり、本来の技能実習では金が貯まらないため、少しでも高収入を目指して、逃亡し、不法就労化するとのことに焦点が当てられていた。
 しかし、逃亡した実習生がやはり茨城県下の農家で働いている場合もあるとのことである。これは、少しでも割りの良い農家を求めて転々とするためらしいが、現行の実習制度の下では雇用主を代えることはご法度とのことだ。一方農家の方でも農繁期には彼らが居ないと、やっていけないのが現状らしい。それならば、農閑期には最低賃金でも実習生のスキルアップに繋がる研修をしっかり行い、農繁期には単純労働でも賃金を増す等の柔軟な運用に変える必要がある。
 一方、不法残留者の数は、法務省統計によれば、平成25年1月1日現在、約6万人であるが、本当の数は不明らしい。現在の日本は人手不足の状況であるが、主として建設関係やサービス関係に限定されている。多分、この分野に多くの不法滞在者が流れているのだろう。
 毎年40万人強の新人労働者は増えるが、定年退職者も多く、昨年4月には生産労働人口がついに8千万人を割ったとの話だ。現在の社会システムを維持しようとすれば、労働者が必要になる。今後技能実習制度の見直しや不法労働者の合法化等が必要になってくる。
 集団自衛権云々の問題でも日本を取り巻く環境変化は誰もが認めている。環境変化は、領土問題だけではなく、グローバ化された世界での人の移動のし易さにもある。難民に関しても、日本はほとんど受け入れを拒否し、単一民族文化を重んじてきた。
生産労働人口減少の時代、積極的平和主義は、軍事面だけではなく、他民族と同居できる文化の育成に力が注がれるべきである。(犬賀 大好-148)

エルニーニョ現象の原因は?

2015年07月18日 09時45分43秒 | 日々雑感
 今年6月九州南部で記録的豪雨があったり、東北地方の入梅が例年よりかなり遅れる等、今年の梅雨は異常状態である。気象庁は、この異常な梅雨前線の動きの一因をエルニーニョ現象と発表している。エルニーニョ現象とは東太平洋の赤道付近で海面温度が高くなる一方、沖縄の南海上からフィリッピン付近では比較的低くなる現象である。
 エルニーニョ現象が起こると太平洋高気圧が発達し難く、このために梅雨前線の北上が遅れる等の因果関係はテレビのワイドショウでも説明され、なるほどと分かったつもりになる。しかし、なぜエルニーニョ現象が起こるかとなると、ほとんど説明が無いと言うより、実際ほとんど分かっていないらしい。
 地球表面には偏西風や貿易風など、年中ほぼ一定に吹いている風がよく知られている。これらの風は、太陽からの輻射熱や地球の自転等も影響して起こる地球規模の現象である。しかし、常に一定ではなく、変動がある。すなわち、エルニーニョ現象の数ヶ月前には、通常赤道付近を東から西に流れる赤道海流の流れが弱まり、同時に西から東に向かって吹く風が強くなる現象が起こるらしい。ラニーニャ現象と言われる逆の現象もある。正に自然現象のゆらぎだ。
 このようなゆらぎの原因は何か、研究者にとって重要かつ研究意欲をかきたてる壮大なテーマだとも言える。振動力学の分野において、自励振動と称する振動が知られている。一般に振動は外からの周期的に変化する力によって振動を起こすが、自励振動においては外からの働きが無くても一旦発生するとその特性から振動が継続するという特徴がある。エルニーニョやラニーニャは、この一種と勝手に想像するが、何とも壮大な現象であろうか。
 このような研究には計算によるシミュレーションや観測手段が必須である。シミュレーションと言えば、スーパーコンピュータである。 日本には世界に誇る超大型計算機、“京” がある。
 更に、気象衛星ひまわり8号が、今年7月7日より、運用が開始された。最近のテレビの天気予報を見ていると、日本を覆う雲の流れが鮮明に分かり、神様になった気分にもなる。また、台風も単なる渦巻きではなく大きな流れの中に細かな不規則な流れも読み取れ、予報の難しさを示唆する。更に、地球温暖化の影響を加味するとなると、一層複雑となろうが、気象学者の奮闘を期待したい。
 しかし、ゆらぎの原因が分かったところで、具体的な対策が立てられるかとなると疑問であるが、そこは科学である。科学は即成長戦略に結びつかないが、子孫のために金を惜しむべきでない。(犬賀 大好-147)

新国立競技場は誰の責任か

2015年07月15日 09時33分24秒 | 日々雑感
 新国立競技場の建設が2520億円の予算で、有識者会議により承認された。有識者の集まりであるので、さぞかし有意義な議論により、有意義な建物が出来上がると思っていたが、とんでもないようだ。
 予算の膨大さばかりで無く、予算には組み込まれていない廃土の処理問題や工事要員確保等費用が更に増える可能性が十分高いことも既に指摘されている。十分検討して予算の組んだところで、予算以下で済んだ公共施設の建設などこれまでに聞いたことがない。多分3000億円を超えることになるのではないだろうか。
 有識者とは、森善朗元ラグビー協会会長、河野一郎日本スポーツ振興センター(JSC)理事長、下村博文文科相、舛添要一東京都知事等である。なるほど、色々な知識を持ち合わせているような人々の集まりである。しかし、上記の問題が指摘されているにも関わらず、この会議に建築の専門家が誰もいないことに、出席者全員が疑問に思わなかったのであろうか。
 メンバーの筈の建築家の安藤忠雄氏は、個人の都合によりこの会議には出席しなかったとのことである。個人の都合と言うのは、どうも裏がありそうであるが、安藤氏はお偉方の言いなりにはならない反骨精神のある人物と信じている。
 以前、安藤氏の講演会に出席したことがある。氏の経験上での話は面白かった。ある建築物を計画していたが、国の許認可権を有する複数の組織の許可を得なければならなかったが、遅々として進まなかった。そこで、氏はある組織に許可を得に行った際、「もう他の組織の許可を得た。残るはお宅だけだ。」と嘘をついて許可を得た。国の組織は、まず自ら進んで責任をとることはしない、他の組織が許可したなら、追従しようとの無責任体質であり、また、各組織は縦割り組織であるので、わざわざ他の組織に確認することはしない。従って、嘘はばれずに、無事建設は完了した、との話だ。
 オリンピックを招致したいために、大勢の人間が集まり、立派な国立競技場もその場の雰囲気で何と無く決まってしまったに違いない。誰が責任者と言えないところが、日本的である。各組織に属するお役人も、自分の縄張りをしっかり決め、余計なことは考えない、口出ししないとの体質が身に沁みているのであろう。国立競技場の設立総責任者は下村文科相であるとの話ではあるが、彼が予算を決められるわけではないし、責任過多であろう。彼としてはオリンピックを招致したのは東京都であるので、舛添要一東京都知事が総責任者であると言いたところであろう。新たに、遠藤利明五輪担当相が任命されたが、遠藤氏がすべて決められるとは到底思えない。やはり、総責任者としては安倍首相しか考えられない。
 予算2520億円の財源、そして予想される更なる膨らみ、オリンピック後の維持費等、問題点は山積みであるが、期限が迫っているとの理由で安倍首相も承認してしまった。
 ラグビーのワールドカップ開催を別の既存の競技場に移せば、1年の余裕が生まれ、計画を見直すことが出来る。安倍首相がここで見直しを支持すれば、国民の支持率は一挙に上がるに違いない。リーダーシップが発揮されたと、集団自衛権の件でも支持が広がる筈であるが、この好機を逃してしまった。安倍首相は、国民より森元首相の方が気になると見える。(犬賀 大好-146)