日々雑感

最近よく寝るが、寝ると言っても熟睡しているわけではない。最近の趣味はその間頭に浮かぶことを文章にまとめることである。

東京都議の責任を問う

2016年09月28日 09時22分24秒 | 日々雑感
 今年7月のブログで、舛添前都知事の辞任問題を扱った。その中で、以下のような感想を記した。
舛添氏にいろいろな不始末はあるとは言え、都議会はこれまで何をやっていたのか。議員も、都の幹部も同じ穴のむじなで、自らも甘い汁に慣れ切ってしまっていたのではないだろうか、と。小池百合子新都知事は、豊洲新市場への移転を巡り、担当者の無責任さを指摘していたが、それより私は都議の無責任さを問いたい。

 現時点での最大の関心事は、建物の下の空洞の設置を誰が決めたかに集中しているように思えるが、これは極一部の問題であり、今後広尾病院移転問題等、様々な問題が明らかになってくるとマスコミは示唆している。

 役人は前例に従って事を運ぶ。自分で新たなことを考え出すことはまずない。空洞設置に関しても、やはり言い出したのは石原元都知事であろう。しかし、石原氏の明確な指示があった訳ではないだろう。石原氏は上から目線の第一人者である。自分の言いなりにならない人間を無能呼ばわりするのはよく知られた話である。石原氏の直接の指示は無くても、官僚は上の思いを忖度するのは得意である。忖度とは他人の気持ちを推し量ることである。石原氏の思いは、専門家会議の全面埋め立てより、経費削減のために建物の下はコンクリートの箱であった筈だ。石原氏は、安全性を無視したわけではなく、技術者に任せておけば、この難問を何とか解決してくれるであろうとの過大な期待があったのだろう。技術者、担当者は石原氏の無理難題にも罵声を恐れて反論できず、建物の下を空洞にした。上司の誰もが気が付いていたが、敢えて ”触らぬ神に祟りなし” と気が付かないふりをした。以上が私の勝手な推測である。

 小池都知事は、この経緯を明確にすると言っているが、恐らく有耶無耶になるだろう。関係者は口裏を合わせて忘れたふりをするだろう。稟議書に証拠が残ると言っても、如何様にも解釈できる文言と、印鑑が多いのは、責任の分散であり、誰もが責任を取らなくても済むようにするためである。これは都庁に限ったことではなく、お役所すべてに当てはまる。

 元凶は石原氏にあると主張する人もいるが、私は都議にあると主張したい。知事も都議も選挙によって選ばれた人である。知事は一人であるが、都議は大勢おり、時間的な余裕はあるはずだ。役人は、大きな組織の中の歯車として、一生懸命任務を全うしている筈だ。この点、都議は分担して都政の全体を監視し、疑問点を指摘し、改善点を提案できる筈だ。怖いのは選挙民であり、都庁の中には怖いものは居ない筈だ。

 豊洲移転問題で地下空間問題が明らかになると、各会派は慌てて視察したり水質検査をやり、自分たちは何も知らされていなかったと自己弁護する。現場の担当者は、地下空間をモニタリング空間と称して、かなり前から知っていたとのことであり、都議の誰もが知らなかったというのは、到底信じられない。そもそもこの事件の発覚は共産党への外部からの指摘であったとの話である。一部の議員は知っていたが、知らないふりをすることにより、個人的に何か得をしていたに違いないと勘繰ってしまう。

 豊洲移転問題は今後どのように決着するか分からないが、想定外の費用を注がざるを得ないことは間違いないだろう。これも、都議の責任だ。

 本日から10月13日まで、東京都の定例会が始まるとのことである。今回、小池氏は自らの報酬の半減を議会に提案するとのことであるが、都知事の報酬を半減すると、一般都議の報酬の方が高くなってしまうため、自分たちの報酬も下げざるを得ないであろう。しかし、議員活動を全うするためと称して抵抗するだろう。これまで都の行政に対する監視が十分になされなかったことをいかように言い訳をするであろうか。都議会議員の反応が楽しみである。2016.09.28(犬賀 大好-272)

貧困ビジネスと ”集団としての協調性”

2016年09月24日 09時37分55秒 | 日々雑感
東日本大震災(2011年3月)や熊本地震(2016年4月)の災害時、よく海外の報道で、「日本人はあんなに大変な震災が起きても暴動が起きないのは不思議」とか「避難所の悪環境の中でも秩序を守って生活するのは感動的」など日本人に対する賛美がある。しかし、日本人全員が公徳心の高い人ばかりではないようだ。あのような悲惨な状況の中で火事場泥棒に走る輩は必ずいるのだ。

宮城県警察は3月30日、東日本大地震発生の11日から26日までの県内の 窃盗被害総額が、約1億円に上ったと発表した。犯人は、地元の人か、他県からの人か不明であるが、地元の人であれば誰もいない所に金目のものがあったのでちょっと失敬するとの出来心であったろう。しかし、わざわざ他県からの出張泥棒となれば、計画的であり、かなりの確信犯であろう。

現日本では、火事場泥棒が一定の割合で発生すると言ってもその率は極めて低いと思われる。すなわち日本人の誠実さは世界的には特殊で、例えばお金の遺失物の場合72%が持ち主に返されるという輝かしい実績があるそうだ。被災者の秩序正しい行動は、他国から不思議がられ、羨ましがられているのは、自慢してよいし、誇りとしてよいだろう。

このすばらしい国民性は、日本の単一民族性に大きく関わっている気がする。日本は農耕民族であり、農耕は皆の協力なくしては成り立たない。秩序を乱す行為は村八分だ。しかし、東京を始めとする大都会ではどちらかと言えば狩猟民族的な行動が得をする。ある獲物、利益を巡って互いが競争する社会である。そこでは助け合いの精神は薄く、地域のコミュニティは薄くなる。今後経済格差の拡大と共にこの傾向は高まるだろう。また文化の異なる外国籍の人も多くなっている。首都直下の大地震が発生したとき、これまで通りの秩序正しさが保たれるであろうか疑問である。

最近貧困ビジネスに関する報道がたびたび登場する。貧困ビジネスとは、社会活動家の湯浅誠氏により提唱された概念であり、経済的に困窮した社会的弱者を鴨として利益を上げる事業行為を指すとのことである。先述の他県から出張する火事場泥棒の類もこれに含まれるであろう。

貧困ビジネスに従事する者は、表向きは貧困者支援の顔を持ち、貧困者を食い物にする。例えば、ボランティアの名目で被災地に赴き泥棒する。あるいはホームレスの人々を自分たちの無料・低額宿泊施設に入るよう斡旋するが、国から支払われる生活保護費を違法に受けさせ、大部分を着服してしまう。農耕民族にはあるまじき行為である。

貧困ビジネスが流行る原因は社会関係資本の低下で説明される。社会関係資本とは単純化して表現すれば、集団としての協調性の重要性と言うことであろう。まさに農耕民族の本質だ。

日本ではお金の遺失物の場合多くが戻ってくる現実をみると、貧困ビジネスが盛んになりつつあると言え、他国に比べ社会関係資本はまだまだ残っていると理解してよいのだろう。そう考えると、他国における貧困ビジネスは、さぞかし大手を振って流行っているのであろう。アメリカの貧困ビジネスの典型は、2008年9月に破綻した投資銀行リーマンブラザースによってなされたと主張する人もいる。

この投資銀行はサブプライムローンと称する低所得者向け住宅ローンをやっていた。当時、アメリカの地価が上昇してたので、貧乏な人たちはそのローンでお金を借りて土地が高くなったら売って儲けて借金を返そうとしていた。これ煽っていたのがリーマンブラザースと言う訳だ。

この投資銀行の破たんはリーマンショックとなり、世界の経済に影響を与えたが、日本の貧困ビジネスとは規模が違う。さすが、狩猟民族の国、米国ならではとも思ってしまう。日本は、グローバル経済の中で、このような国と競争していかなければならないが、狩猟民族を真似るのではなく、今こそ社会関係資本の重要性を世界に訴えるべきだ。

2020年の東京五輪において、”おもてなし” や、 ”もったいない” をキャッチフレーズにしようとしているが、これらの行為は社会関係資本と大いに関連している。おもてなしは他人との協調であり、もったいないは物をお互いに協調して使用する精神だ。日本には、まだ根強く残ると思われる社会関係資本を有効に生かすべきである。2016.09.24(犬賀 大好-271)

アレルギー患者は益々増加するだろう

2016年09月21日 09時59分54秒 | 日々雑感
 厚生労働省の2015年度乳幼児栄養調査によると、6歳以下の子供6人に1人が食物アレルギーと思われる症状を起こした経験があるとしている。幼稚園や学校の給食で食物アレルギーを起こす子供には特別な食事を用意しなければならず、担当者に大きな負担をかけていると問題となっている。私の小学校時代にも脱脂粉乳で有名な給食を経験しているが、特別メニューの話なぞ聞いたことが無かった。最近、人間の免疫システムに異常をきたしているのではないだろうか。

 さて、私たちの体には免疫システムが完備されており、自分の体の成分と違う物、例えば、細菌、ウィルス、食物、ダニ、埃、花粉などが体の中に入ってくるとこれを体に害を与える異物と認識して体外に排除するように構築されている。

 利根川進博士は、この免疫システムの解明でノーベル賞を受賞したが、氏の著書により人間が有する免疫システムのすばらしい機能を知った。詳細は忘れたが、非常に複雑な神がかり的な機能であることは記憶に残っている。

 ところが問題のアレルギーは、人間が有する免疫システムが特定の異物に過剰に反応するとことと言われている。この異物は、抗原と呼ばれ、アレルギーの原因になるものは特にアレルゲンと呼ばれている。アレルゲンとなり得る物は、私たちの周りのいたるところに存在するが、人により反応が異なることが曲者だ。食物アレルゲンは、鶏卵・乳製品・小麦などが代表的で、アレルギー性鼻炎の元になる杉花粉等もアレルゲンとなり得る。

 これらのアレルゲンが一度体に入ると、免疫システムが働き、体が記憶し、再度それが入ると除去しようと過剰に反応し、体にまで害を与えてしまう。アレルギー反応を演ずる役者は数多く、抗原提示細胞、リンパ球、好酸球、マスト細胞などの細胞と、IgE抗体、ヒスタミン、ロイコトリエン、インターロイキンなどのタンパク質や化学物質だそうだ。役者が多いだけに、対処法も一筋縄ではいかないらしい。

 先の厚労省の発表では乳幼児の食物アレルギーが増えているとのことであるが、子供に限らず鼻炎等大人のアレルギーも増えているようである。しかし、現状ではその原因は明確になっていないそうだ。アレルギーを発症する人、しない人の差は何だろうと、考えてしまう。

 原因として、食事内容の欧米化、抗生物質の使い過ぎ、生活環境の変化等が挙げられているが、つい最近、米食品医薬品局(FDA)が19種類の殺菌剤を含有する石鹸などの販売を禁止すると発表した。これらの殺菌剤を含む石鹸は、通常の石鹸と比べて優れた殺菌効果があるとはいえず、かえって免疫系に悪影響を及ぼすおそれがあると警鐘を鳴らしている。日本ではまだ検討段階だ。

 この他、アレルギー増加の原因を説明するものとして「衛生仮説」がある。これは、清潔すぎる環境下では感染症が減るかわりに免疫系が鍛えられないために、アレルゲンに過剰反応しやすくなるとの説である。免疫系を鍛えるとはいかなることか良く分からないが、低開発国にはアレルギー患者が少ないとの統計もあるようであり、この説を裏付けている。私の周囲を見渡しても、清潔好きな人ほど花粉症に悩んでいると感ずる。

 最近、抗菌グッズがもてはやされている。抗菌グッズとは、製品に各種の消毒剤や抗菌作用のある物質を混ぜて弱い殺菌能力を持たせたグッズのことだ。O157ウィルスの食中毒が流行りだしたここ数年、多くの台所用品、文具などに抗菌グッズが流行っている。人間の体には、特に腸内には多くの細菌が共生し、人類は細菌と共に生きる道を選んだ。これらの細菌に影響を与える抗菌グッズは、はたして体に良いものであろうか。

 利根川博士の指摘のように免疫系は非常に複雑なシステムであり、腸内細菌も大いに関係しているに違いない。免疫系を鍛える様々な工夫、食事から運動まで提案されている。恐らく、アレルギーには多くの因子が複雑に絡み合っているので、工夫も多岐に渉るに違いないし、万能の方法も無く、また効き目も人によって異なるに違いない。

 日本人のアレルギー患者数は年々増加を続けており、厚生労働省の調査では、現在日本人のアレルギー有病者数は約2人に1人、約6,000万人にものぼると言われている。衛生仮説を含め、アレルギーの原因となる要因は今後益々増える傾向にあるので、アレルギー患者は益々増加するだろう。アレルギーの死亡率が低いのがせめてもの救いである。2016.09.21(犬賀 大好-270)

日銀金融緩和の検証

2016年09月17日 10時47分01秒 | 日々雑感
 日本銀行が来週、火曜日と水曜日の金融政策決定会合で取り上げる予定の金融緩和策の「総括的な検証」に関し、黒田総裁が5日の講演で言及した。物価上昇率が2%に届かない理由や、マイナス金利政策の効果や副作用を分析する予定とのことだ。また日銀は今後も、緩和の縮小する方向には向かわず、追加の金融緩和を検討するようである。

 予想される緩和策としては、外債購入や社債の購入等があるらしい。しかし、外債の購入は、事実上の為替介入でり、政府は先日のG7、G20で通貨安競争を避けると宣言していた手前難しいのではないかとの観測である。また、介入権限は財務大臣にあり、日銀法に違反するとのことであるが、それでも外債購入に踏み切るとなれば、いよいよ日銀も追い詰められ,策が尽きた感がする。

 社債の購入に関しては、金融機関に資金提供することにより、投資を促す目論見であろうが、その効果が無いことはこれまでの国債購入でも証明されている。

政府、日銀は2013年4月に、2年間で物価上昇2%達成を目標を掲げた。しかし今なお目標に届かず、物価低迷の根拠として、・原油価格の低迷、・消費増税後の消費などの需要の弱さ、・新興国経済の減速を挙げているが、日本の社会状況の変化に目を瞑っている。すなわち、少子高齢化社会の到来である。団塊の世代の高齢者にとって、若者ほど欲しいものが見当たらない上、老後の心配が一層大きくなっている。貧困老人、下流老人の言葉が週刊誌を賑わす昨今、少しでも消費を控えるのが人情である。しかし、今更少子高齢化を理由には出来ないであろう。

 また、第3の矢であった成長戦略がうまくいっていない現状もある。成長戦略の中で規制緩和も唱えていたが、そもそも規制緩和とは経済システムの無駄をなくす効率化のことであり、物価上昇とは逆の方向なのだ。
本来の成長戦略は新しい需要を作り出すことにあるが、簡単なことではない。目下、外人観光客の増加が目に付く程度であるが、それも日本の努力というより、アジア諸国の経済発展のお陰である。

 政府は、今月9日、未来投資会議の設立を発表した。2013年から成長戦略を主導してきた”産業競争力会議”と”官民対話”を統合し、新たな組織を立ち上げるとのことである。これまでの成長戦略がうまくいかないからと言って、組織を変えたくらいでうまくいくはずがない。単なる目くらましであろう。

 さて、来週の金融政策決定会合の総括的な検証であるが、黒田総裁も頭を抱えていることだろう。表面的には、量・質・金利の各次元での金融緩和の拡大は十分可能、と強気の姿勢を保持しているが、ここで、金融緩和の縮小を言明したならば、立ちどころに日本経済は大混乱に陥るのではないだろうか。米国の金利引き上げの時期をめぐって、日本の株価が右往左往するくらいである。

 目標を達成できずに、金融緩和を止めたならばこれまでの負の遺産をどうするかが大問題となろう。しかし、このまま続行すれば、負の遺産は増加するばかりである。理想は物価が適度に上がり、それ以上に賃金が上がる状態であろうが、夢のまた夢の感がする。

 東京オリンピックの招致が決定した3年前には、先の1964年の東京オリンピックを思い出して、好景気がやってくるだろうとの期待があった。しかし、今や五輪の開催費を巡りすったもんだしている。日本の国の借金は64年当時には無く、戦後の復興の名目で公共投資も無限に出来た。今や1000兆円を超える借金を抱えており、2兆円とも3兆円とも言われる開催費を少しでも減らさなくてはならない社会環境の変化である。

 東京五輪開催まであと4年、アベノミクスも限界に近づいた。日銀および政府はこの苦境をどうやって打開するのであろうか。2016.09.17(犬賀 大好-269)

貧困児童と経済格差

2016年09月14日 09時11分08秒 | 日々雑感
 昨年、厚生労働省が発表した「子どもの相対的貧困率」は過去最悪の16.3%となり、6人に1人の子どもが「貧困」とされるそうだ。このような状況を解説したNHK番組に対し、抗議が殺到したそうだ。番組で紹介された貧困状態を訴える子供の部屋の様子などを見ると、一般視聴者が「貧困」と聞いて直感的に思い描く姿とは全く異なって見えたことに、違和感を覚えたとの抗議のようである。私を含め、貧困の現状認識がずれているのだ。

 貧困の種類は、相対的貧困と絶対的貧困に分類されるそうだ。前者は家庭の収入が全世帯の平均収入の50%以下の家庭であり、後者は衣食住の確保が難しく普通に生活するのが困難な家庭とのことだ。先進国では、生活保護制度が整っており、生活保護を受ければ絶対的貧困の状態から抜け出すことが出来るそうだから、絶対的貧困者はほとんど存在しないとのことだろう。
 
 子供の貧困と言うと、インド、フィリッピン等の発展途上国のスラム街でごみを漁る子供達を連想するが、それは絶対的な貧困とのことであり、今日本を含め先進国で問題になっているのは相対的貧困のことだそうだ。相対的貧困の状態では、周りの皆にとっては当たり前の生活が享受できないことになる。すなわち、経済的な理由で放課後の習い事に行くことができなかったり、高校や大学に進学できなかったりする。これは子どもたちに一生消えない精神的ダメージを与えるとのことである。

 相対的な貧困状態にある子供たちは、外観上普通の子供たちと区別がつかないため、余り認知度が高くなく、先のNHKの放送に対する抗議となったと言うことであろう。貧困と表現するとすぐに絶対的な貧困を思い浮かべるが、相対的貧困に代わるもっと適切な言葉が無いだろうか。

 内閣府と厚生労働省によると、OECD34ヵ国中、日本の相対的貧困率は29位という高い数値だそうだ。30位は経済格差社会と言われている米国であり、日本社会が経済格差の点でも米国並みになったと言うことか。
 
 子供の貧困が増加している原因として、山形大学人文学部の戸室健作准教授は日本全体の労働環境の悪化に目を向ける。「現在労働者の約4割が非正規労働者です。子育て世帯は就労世帯でもあるため、賃金の低下が子どもの貧困に直接関係します」、と解説する。つまり、「子どもの貧困」の増加は、子育て世代での非正規労働者の割合が増えたことが原因だと指摘するが、これだけが原因でなくもっと広範囲に探れば、離婚率の増加等様々な原因があるだろうが、子供には原因が無いことは確かである。

 貧困家庭の子供に社会が投資しないと将来莫大な損失を招くと社会学者が主張するが、確かであろう。貧困家庭に生まれた子供は、貧困環境の中で大きくなり、十分な教育を受けられず、全うな就職も出来ず、健康状態も悪く、結局は社会資本を無駄に浪費することになるとの指摘であり、説得力がある。

 子供の貧困は、人生の始めから公平な競争の場に上がれないことに問題がある。米国では結果の格差は容認されるが、機会の格差は問題視されるとのことであり、少子化が社会問題となっている日本においても、数少ない子供を公平に扱う必要がある。意欲ある子供の芽を早期に摘むことは社会的な損失である。

 子供の機会の不平等に対し、社会として、国としてやらなくてはならないことは多々あるが、世界を見渡すと、少子化を議論できるだけでもましとの感もする。

すなわち世界には絶対的な貧困も多々存在するのだ。絶対的貧困が引き起こす発育阻害は、生後1,000日の間に慢性的な栄養欠乏に陥ることで引き起こされる”隠れた悲劇”だそうだ。発育阻害による影響は、一生涯続くが、先進国を含め世界の5歳未満の子供の4人に1人がその状態にあると言われる。発育阻害に苦しむ5歳未満児の数は、約1億6,500万人。その90パーセント以上は、アフリカとアジアの子どもたちだそうだ。

そのアフリカやアジアへ、先進国は先を争って経済的な投資を行っている。ケニアを訪問中の安倍晋三首相は今年8月27日、TICAD(アフリカ開発会議)に共同議長として出席し、基調演説の中で、2016年から18年までの3年間で官民合わせて総額3兆円規模の投資を、アフリカに対して行うと表明した。インフラ整備などに約1兆円を投資するほか、1000万人の人材育成にも取り組むとの表明である。

アフリカの将来はアフリカの人々が決めなくてはならない。この点、人材育成に力を入れるとの表明には、安倍首相に全面賛成である。即効果がある経済投資は、間違いなく経済格差の助長となる。人材の育成には時間がかかるが、将来を担うのは人材だ。2016.09.14(犬賀 大好-268)