日々雑感

最近よく寝るが、寝ると言っても熟睡しているわけではない。最近の趣味はその間頭に浮かぶことを文章にまとめることである。

日本の国家予算を想う

2016年03月30日 10時12分25秒 | 日々雑感
 29日、平成28年度の国家予算が決まった。一般会計歳出総額は96.7兆円で過去最高となり、100兆円に迫る。その内訳をみると、社会保障関係費と国債の元利払いに充てられる費用とで歳出全体の6割弱を占めている。社会保障費の32兆円 はなんと全体の3割強を占めるが、高齢化社会の真っただ中であり、しかも年1兆円つづ増加しているのが恐ろしい現実だ。次に多いのが公債費(利払い、債務償還費)の24兆円であり、これまでの借金を返済するための費用だ。

 国債は、返済期日が決まっており、借り入れ期間中、固定金利を支払わくてはならず、返済期日がくれば、国債保有者に返済しなければならない。債務償還費とはその国債の返済にあてられる費用とのことだ。実に 借金の返済の為に支出全体の約1/4が費やされているのだ。

 公債費の24兆円の内、利息分は10兆円位であり、歳出の約1割が利払いに消えるのだ。最近日銀が始めたマイナス金利政策の導入は、金利負担を少しでも減らすことを狙っていると勘繰りたくなる。満期となった国債を買い戻すための費用に関しては、複雑なからくりで痛みを先送りしているようだ。政府は、すべての国債を60年間で返済するというルールを決め、発行後60年以内の国債は、返済期限がきても、その90%は、「借換債」発行で、借り換えられるそうだ。すなわち現金が必要のない旨い仕組みを考え出したのだ。

 歳出の債務償還費は残りの10%の部分であり、それも返済するのではなく、60年後に返済するために、積み立てているのだそうだ。細かな仕組みはよく分からないが、複雑化することにより、問題を隠そうとする思惑も読み取れる。兎も角、借金の繰り延べである「借換債」発行額は、膨大な金額になるだろう。平成22年度の借換債発行金額は111.3兆円だったそうだ。いづれこれも返済する必要はあるだろう。

 借金返済のための金が全体の約1/4の23.6兆円とは、随分多いような気もするが、借金が1千兆円を超えることからすれば少ないような気もしていたが、借換債という逃げ手があったのだ。借金返済の先延ばしは、現在の痛みを将来に回すことであり、子供や孫に大きな負担を負わせるのは間違いない。

 一方、歳入のうち税収は約54兆円であり全体の約6割弱であり、公債金収入は37兆円で4割弱は将来世代の負担となる借金に依存していることになる。 現在、過去の借金の支払いのために24兆円が必要であるが、そのために現在借金しなければならないのだ。37-24=13で、13兆円が公共事業費等に使用できるが、近い将来は過去の借金の返済だけの為に赤字国債を発行することになるのだろう。

 1千兆円を超す借金を減らす努力は当然必要であるが、その前にこれ増やさないようにするプライマリーバランスですら掛け声倒れの状態である。プライマリーバランスとは、国債の利払いと償還費を除いた歳出と、国債発行収入を除いた歳入についての財政収支である。そのバランスが均衡出来たとしても、過去の借金返済の必要は厳然として残る。負債を増やさずに、行政サービスを行うためには、借金返済費用まで含めた税収がなくてはならない。現在、将来共にプライマリバランスですらとても実現できそうにない経済状況であるが、政府は相変わらず大判振る舞いであり、将来のことはどこ吹く風である。

 このような借金大国になったのは、1964年の東京オリンピックがきっかけだ。その時の浮かれ余韻が借金体質を麻痺させた。一度味わった贅沢気分を捨てることは普通の人間にはできない。さて、2020年の東京オリンピックは、正常な好景気の下で行われるであろうか。異次元緩和が続行される異常な好景気の下に行われ、更なる麻痺が進むことを恐れる。

 その結果はハイパーインフレである。異次元の金融緩和が暴走し、物価が2%どころか10倍になれば、たちまち負債は1/10になる。1千兆円が100兆円相当になるのだ。政府、日銀の真の狙いはここにあると疑いたくなる。
2016.03.30(犬賀 大好-220)

介護の仕事は人手不足

2016年03月26日 09時24分09秒 | 日々雑感
 現在、特に介護と保育の仕事は人手不足と言われている。共に、人の役に立つ重要な仕事であるが、報酬が低いのが大きな原因のようである。月収が約20万円程度で、他の一般的な仕事より10万円程度低いとのことである。世の中アベノミクスのお陰であろうか、人手不足の昨今である。より高い報酬を目指して仕事を変えるのは当然である。余程のボランティア精神が無いとやっておられない。

 報酬の引き上げが手っ取り早い解決策であるが、いずれも公的な補助がなければ、利用者への負担が大きくなり、社会問題化する。国の借金が1千兆円を超す状態では公的な補助金を増やすことも容易でない。社会保障費が毎年1兆円づつ増加するとのこと、更に増やすことは難しくても、何とか増やさなくてはならない。財源は消費税であろうが、10%を云々している場合でない。他の先進国並みに20%も必要かもしれない。国の借金、1千兆円は国の危機であるが、保育や介護の世界における人手不足は”今そこにある危機”だ。

 同じ人手不足でも介護の仕事の方がより深刻である。団塊の世代が高齢化し、ここしばらくは介護対象者が爆発的に増える時代となった。介護の結果はほとんどの場合、死である。介護とは平穏な死を迎えさせるための過渡的な手当てである。保育の結果がこれから希望をもって社会へ送り出すのとは大きな違いである。これに痴呆が加わると一層介護は困難になり、様々な社会問題を引き起こす。

 川崎市の有料老人ホームで入所者の男女3人が転落死した。この件で元職員の今井容疑者が逮捕された。深夜から早朝の時間帯は3人体制で約80人の入所者の面倒を見なければならない。分刻みのスケジュールでなすべき仕事が管理されているそうだ。各部屋を巡回し、必要に応じておむつを交換し、床ずれしないように頻繁に体位を変える。仕事は新3K(きつい、汚い、限がない)だ。認知症患者からは”ありがとう”の言葉を期待できない。おまけに給料は安い。これではいくらボランティア精神が高くてもやっておられない。今井容疑者の気持ちも理解できる。

 拘束や虐待は人権問題だと言って非難するのは簡単だ。それらは介護する人に原因があるとして、その解決を介護人に求める。根源は給与の低さだ。政府は東日本大震災の復興予算に、2011年度から5年間で、国費のみで26.3兆円を投じた。復興も重要であろうが、介護も保育も”今そこにある危機”だ。人口減少が著しい東北地方で復興予算がどれほどの人々に有効に使われているであろうか。この金が復興とは関係ないところで使われたと聞くと、無性に腹が立つ。

 さて、介護の世界の人手不足を補うために、低料金でも働いてもらえそうな外国人労働者の採用が必要と言われ、その通りと思っていたが、世の中既に先に進んでいるようである。台湾は1992年より介護を担う「介護工」になってくれる外国人を受け入れ始めた。資格要件はほとんど無いそうだ。2014年末に約22万人働いていた。インドネシア人が約17万で最多で、この他フィリッピン、ベトナムからの人が多いという。しかし、介護工希望の申し込みから実際に来るまで、数年前には2ヶ月だったが、今では約半年待たなくてはならないとのことである。早くも人材不足が起こっているのだ。

 日本でも外国人労働者の受け入れが早くから叫ばれてきたが、言葉の問題等の理由で、遅々として進んでいない。関係者はこのような世の中の変化を認識しているのであろうか。今後、様々な条件を付けて受け入れを認めても応募する人材が居なければ、絵に描いた餅でしかない。
2016.03.26(犬賀 大好-219)

日銀の政策続行を想う

2016年03月23日 09時47分07秒 | 日々雑感
 3月15日、日銀は金融政策決定会合で金融緩和およびマイナス金利政策の維持を発表した。一時期2万円を超えていた株価も1.7万円台となり、折角の円安効果が薄れてきたためか、経済界は一層の金融緩和を期待する。日銀は、これまでの政策を続行すると言わざるを得ないのであろう。更なる拡大は将来の負担を大きくするばかりだし、縮小は景気減速に直結するであろう。行くも帰るも、地獄が待ち受ける。

 日銀が今年1月29日に公表した1月の「経済・物価情勢の展望」(展望リポート)では、消費者物価の前年比が、「物価安定の目標」である2%程度に達する時期は、2017 年度前半頃になると、またまた先送りした。原油価格の低迷が長引くとの理由からだ。

 金融緩和というのは、日本銀行が現金を発行して世の中のお金の量を増やすことである。黒田日銀総裁の異次元緩和は市中の国債を買い取って、現金を市中に増やし、企業の景気を良くすることを目的とした。企業の景気が良くなれば、従業員の給料が上がり、消費が拡大し、また企業が儲かるとの好循環を期待させるものであった。しかし、成長戦略は観光事業以外は軌道に乗らず、市場に溢れるお金も新規事業等の投資に回っていないようだ。

 また、世の中のお金の総量が増えること自体がインフレムードとなり、消費者物価の上昇2%達成は容易に達成される筈であった。経済は”気”からを期待したが、少子高齢化社会を迎え、将来への不安の方が大きく、人々は踊らなかった。

 ただ、お金の価値を下げた為円安となり、自動車産業等の輸出企業は大儲けし、最高益を更新し、従業員の給料はそれなりに上がったようである。輸出企業は利益を上げたが、輸入産業は逆である。円安で輸入品は値上がりした。輸入企業はそのまま自社で損を被る筈は無く、大手の食品メーカーは昨年9月から冷凍食品やワイン、ジャム、ハムなどを値上げした。この春にも値上げは各種あるようである。食料自給率30%程度の日本にとって原材料の値上げの影響は大きい。

 異次元金融緩和は、成長戦略の点では上手くいかなくても、円安効果で消費者物価を上昇させる筈であった。しかし、黒田総裁にとって石油価格の下落との予想外の出来事が発生した。石油価格の低迷はガソリン価格の他石油製品の低下となり、物価上昇を妨げる結果となった。現在消費者物価上昇率は0%に近く、またエネルギー価格の寄与度は、-1%強位と言われているので、石油安の出来事が無くても、大雑把には、1%程度の消費者物価指数の上昇であろうか。

 大目に見ても、これでは異次元金融緩和は失敗であったと言わざるを得ないだろう。しかし、少なくとも円安には大いに効果があり、輸出産業は大儲けし、黒田様様であろう。しかし、賃金上昇は輸出産業をはじめとする大企業限定であり、中小企業まで広がっていないようだ。

 物価上昇が賃金上昇となり景気好循環を目指していたが、実質賃金は下がっているとの話だ。厚労省が2月8日に発表した「毎月勤労統計調査」によると、2015年の働く人1人当たりの実質賃金は、前年比で0.9%減。4年連続でマイナスとなった。

 また、先の展望リポートでは、消費者物価上昇2%達成後は、平均的にみて、2%程度で推移する と見込まれると述べているが、果たしてその通りになるであろうか。日銀の言うことは大分信頼性が落ちてきた。黒田日銀総裁は、いつも能天気に、ニコニコと記者会見するが、内心はドキドキであろう。本心を顔に出してしまえば、景気は”気”からである。アベノミクスは一気に破たんするに違いない。
2016.03.23(犬賀 大好-218)

最期の希望を記録する

2016年03月19日 09時28分32秒 | 日々雑感
 老衰と思われる高齢者にも容赦ない延命治療が普通になされる。しかもこのような延命治療を望む家族が結構居るそうだ。人命尊重の考えを徹底させる自己満足の為か、またそれを免罪符と考えるのか。それはそれで結構なことかも知れないが、老人病院で点滴を受けながら、口を開け、身動き一つせず横たわっている老人の列を見ると、自分はああはなりたくないと思う。それは、関係者に迷惑をかけたくない心からでもあるが、自分の尊厳でもある。

 そのため、終末期を迎え、自分の意思を伝えられなくなったときの為に、元気な内から家族等の間でよく話し合っておくこと、また自分の希望を記録として残しておくことを誰もが薦める。京都大学大学院の田村恵子教授は、日本人は人生の最後を考えることを忌避し過ぎると言う。考えずにいて、いざその時が訪れると「どうしたらよいか」とおろおろする。早い段階で自分の最後を直視していたら、人生の最終段階を有意義に過ごせる。命に関わる病気や怪我をしたとき、自分の最後とこれからの人生を考えるチャンスだと捉えて欲しい、と言う。

 これは十分に納得力のある話である。しかし、問題が一つある。それは、死は誰もが始めての経験であるので、死を迎えたときに自分の心がどのように変わるか分からない、という点である。家族等関係者に面倒かけたくないとの思いは理性からであろう。人間の本能は生である。死に直面した時、変わらないと断定できるのであろうか。また認知症を患った場合、本能が全面に出るのではなかろうか。

 死に直面したときの希望が元気な時の希望から変化しても、元気な時の記録を盾にそのまま実行することは、善であろうか。本能を大切にするのか、理性を大切にするのか、答えは簡単に出ないであろうが、やはり希望くらいは記録に残すべきであろう。

 筆者に限らず誰もが尊厳ある安らかな死を迎えたいとの希望があるだろう。老いて衰え、最後の時期が近づくと、徐々に食べられなくなり、眠る時間が長くなる。そして肉体的にも精神的にも苦痛がなく、穏やかに亡くなる。このような死を特別養護老人ホームの常勤医の石飛幸三氏はこれを「平穏死」と名付けている。理想的な死であろうが、病気や認知症にならず老衰で死ねれば、何も記録に残すことはない。

 現在日本の男の平均寿命は80歳位だ。80歳位の死は、何らかの病気によるものであろう。老衰で死ぬためには恐らく100歳位まで生きる必要があろう。平均寿命までまだ5年以上ある筆者にとって、80歳に老衰で死ぬためには、今から貧困生活をする必要があろうが、貧しい食事に耐えられそうもない。

そこで、何らかの病気に罹った場合を前提に希望を記録する必要がある。現時点では延命治療はもっての他と考えるが、認知症になった場合、自分がどう変わるか確信がない。本能が強くなり、少しでも長生きしたいと言い出すかもしれない。そんな時でも元気な時の希望を重視し安楽死させてもらいたい。しかし、安楽死は現在の法律では違法である。医者も法を犯したくないだろう。

 最近、在宅で療養する末期のがん患者に、「終末期鎮静」という新たな医療が静かに広がっているとのことだ。鎮静剤で静かに寝むらせ、その間栄養補給等は何もしないで自然死を待つと言うことである。安楽死との関係はよく分からないが、私の終末期ノートには、「終末期鎮静」を希望すると記録しておこう。
2016.03.19(犬賀 大好-217)

学歴社会と学習塾の役目

2016年03月16日 08時40分36秒 | 日々雑感
 今は3月中旬、来年の受験のため、今日も塾のチラシが新聞に入っていた。相変わらず、いや益々塾は繁盛しているようだ。

 さて、グーグル社は世界トップの IT 企業であるが、人材採用では学歴・成績を考慮せず、年齢や人種にもとらわれず本当に優秀な人材を採用するとのことである。日本の企業もグローバル化に対応して、世界で活躍できる人材を採用したいのは当然であろう。そこで、日本企業は公式的にはどの有名企業も学歴を問わないとしているが、新卒採用の場合、学歴フィルターなるものが厳然と働いているようである。これは、出身大学により試験前に篩い分ける仕組みとのことである。

 学歴フィルターなるものが大手を振っている理由として、他に有効な判断基準が無い、があるようである。新卒者の場合即戦力ではなく、入社後教育により育てる風潮が今なお強く、出身大学を基準に選択するのが無難であるからだ。将来活躍できる人材を前もって試験等により見分けることは困難であり、特に学歴偏重主義の下で育ってきた人間には一層難しいと思われる。

 従って、若者にとって、一流企業に就職する為には有名大学に入学することが人生にとって最重要事項となる。一流企業と言えども他社に吸収されたり、終身雇用だからと言って安穏として居られない世の中ではあるが、まだまだこの風潮は強い。そこで有名大学に入るために塾に入り、合格のためのテクニックを身に付けるのが一般的である。

 少子時代を向かえ、入学希望者全員が大学に入れるような時代となったが、学歴フィルターでふるい落とされないためには、どこの大学でもよいと言う訳には行かない。そこに塾の存在意義がある。現在、入学試験は記憶力と早さが決め手であるため、その為のテクニックを教え込んでいる。変革の時代を向かえ文科省も思考力・判断力・表現力を中心に問う入試方法に変えようとしているが、塾の役目は生徒を大学に入学させることであり、入試がどのように変革されようが、塾は素早く対応するに違いない。どの塾も、少子化時代を迎え個別指導方針に重きを置くように、時代の要求に素早く対応するのが、一民間企業である塾の経営方針である。

 塾では効率的に点数を上げることに的が絞られる。歴史を学ぶ目的は、なぜその時にそのような出来事があり、後の世にどのような影響を与えたかを知り、現在に生かすことである。しかしそんなことは二の次であり、事件の名前と起きた年代を覚えた方が点を取りやすい。しかも、沢山の事件を語呂合わせで覚えることが効率的である。鎌倉幕府の成立した年、1192年を”いい国作ろう鎌倉幕府”は有名である。そこでは理屈抜きにつめこみ教育が徹底される訳だ。

 ある決まった条件下では効率化は非常に有効であるが、条件が変わるともろくも崩れる。塾の功罪は後で顕著に現れる。学生から企業に就職したが、自分を取り巻く社会環境に馴染めず、会社のお荷物となっている東大卒の話はよく耳にする。社会は記憶力だけでは動かないのだ。

 今後、記憶力から思考力・判断力・表現力が必要になると言う。今では悪評高い”ゆとり教育”は、この意味では非常に適切な教育法となる筈であった。ゆとり教育はつめこみ教育の反省からであった。しかし、時代が早過ぎたのか、具体的な指導法が分からないまま、単に先生のゆとりの時間で終わってしまったのは残念であった。

 公立の中学、高校は、体育や音楽の授業もあり、総合的な人間形成が目的である。塾の目的は受験戦争に勝つことである。そこではつめこみ教育の欠点など考える必要がない。両者の目的は一致することは無いだろう。従って学歴社会が続く限り、塾の役目は終わらないであろう。
2016.03.16(犬賀 大好-216)