日々雑感

最近よく寝るが、寝ると言っても熟睡しているわけではない。最近の趣味はその間頭に浮かぶことを文章にまとめることである。

原発事業に対する国民の不信感は少しも減っていない

2021年02月27日 10時05分44秒 | 日々雑感
 菅首相の今年始めの施政方針演説において2050年地球温暖化効果ガス排出実質ゼロ宣言をしたが、その具体化案に関しては触れなかった。さて、経産省の2019エネルギー白書によれば、日本の電源構成は2016年から2030年までに再生可能エネルギーの利用を16%から22~24%と増加、原子力も3%から20~22%と増加を予定し、石炭火力発電は35%から26%と減少を目指している。

 この白書の最終目標である2030年から実質ゼロとする2050年まで20年もあるので、現時点では両者間に矛盾する所はないが、化石燃料発電が全体の2/3を占めている現状を見ると、2030年目標の実現でさえ困難であると懸念される。

 実質ゼロ作戦には自然エネルギーの活用が分かり易いが、自然の不安定さをカバーする方策が確立されておらず、その点原子力発電が有望であり、菅首相も安全最優先で原子力政策を進め、安定的なエネルギー供給を確立するとしている。

 しかし、原発事業に対する国民の不信感が依然として強い。その不信感の原因は、・東日本大震災時の原発事故の後始末が出来ていない、・原発事故の責任の所在が不明、・核のゴミの処分法が未だ決められない、・核燃料サイクルの破綻に対する反省や今後の方針が不明、等であろう。

 これらは、不信感の直接の原因であるが、最近の国会における政府の答弁に対する不信感も追い打ちをかける。口では丁寧に説明すると言ってはいるが、少しも納得できる説明を聞かされていないからだ。

 これらの不信材料を放って置いて、原発再開の動きだけは活発である。運転開始から40年を超える関西電力の高浜原子力発電所1号機と2号機について、地元の福井県高浜町は2月1日、再稼働に同意することを表明し、今後は福井県の同意が焦点となるそうだ。

 福井県は同意の判断の前提として、原発から出る使用済み核燃料の搬出先となる”中間貯蔵施設”の候補地を県外に示すよう求めているが、これまで関西電力は具体的な候補地を示すことが出来ないでいる。これは問題を先送りしてきた国の責任でもあり、更にその基には国に対する国民の不信感がある。

 また、東京電力は柏崎刈羽原発7号機で、安全対策などの工事を今年1月12日終了したと発表した。6月には営業運転に入る計画を示しているが、実際に7号機を再稼働するためには、福井県同様に地元自治体の同意が必要で再稼働の具体的な見通しは立っていないようだ。

 さらにここに来て同原発で不祥事が相次いでいるそうだ。社員による中央制御室への不正入室や、終了したと発表した安全対策工事の一部未完了が発覚する等、社員の気の緩みが噴出し、地元の不信感を招いている。

 原発関係者は、”お金をかけているし、安全審査も進んでいる。動かさないままにすることは出来ない”、と相変わらず経済最優先で国民の意識変化を感じ取っていない。2021.02.27(犬賀 大好ー681)

地方への人の流れは現実となるか

2021年02月24日 09時35分27秒 | 日々雑感
 日本は少子高齢化が激しく、人口は2008年の1億2,808万人をピークに減少に転じており、2060年には総人口が9000万人を割り込み、高齢化率は40%近い水準になると推計されている。一方で、東京への一極集中、中でも若年層の人口集中が進んでおり、地方は限界集落は言うに及ばず地方の都市であっても消滅すると囁かれる。

 このような状況を改善すべく、菅首相の今年1月の施政方針演説の中で農業を成長産業として”地方への人の流れをつくる”と語ったが、この言葉は初めてではない。2014年の第2次安倍内閣発足時に、東京一極集中に歯止めをかけ地方を活性化させることを目的に政府が”地域創生”というスローガンを掲げ、その中で、”地方への新しいひとの流れをつくる”等のキャッチフレーズを掲げたのだ。

 菅首相の施政方針では未だに地方への人の流れが実現しない為再度掲げた格好だが、的を絞っている点でこれまでとは少々違う。すなわち、我が国の農産品は牛肉やいちごをはじめアジアを中心に諸外国で大変人気がある故、農産品の輸出額を、2025年2兆円、2030年5兆円の目標を達成するべく、産地を支援するとしている。

 これはこれで大変結構であるが、東京一極集中の弊害に対する対策は進んでいない。東日本大震災から10年近くが経ち、自然災害の怖さがどんどん忘れ去られようとしている。東京直下型地震は今後30年以内に発生する確率は70%と言われ、また富士山も最後の噴火から約300年経過しており、いつ噴火してもおかしくはない状況にあるそうだ。

 そこで安倍内閣は2015年中央省庁の地方移転を打ち出し、道府県が政府機関の誘致に名乗りを上げた。文化庁の京都移転、消費者庁の徳島移転、総務省統計局の和歌山移転等候補に挙がったが、その後の進展は見るも無残である。

 文化庁が京都に移転する時期が当初予定していたのは今年2021年度であったが、移転先となる京都府警本部本館の改修工事と新庁舎建設が遅れ、完成は早くても2022年と見込まれるそうだ。消費者庁の徳島県移転は見送られ、代わりに常設の調査研究拠点を設置したことでお茶を濁したようだ。統計局の和歌山移転は話題にもなっていない。

 中央省庁の地方移転は官僚の抵抗に合い、絵に描いた餅に終わった格好である。菅首相の人事に対する辣腕は有名であるが、影響力の強い総務省でも力が及ばなかったほど、集団的抵抗が強かったのであろう。

 目下、コロナ騒動でテレワーク、リモートワークの働き方が注目され、片や菅首相がデジタル庁を押し進めており、地方への人の流れが現実となりそうな感じもするが、人の生活は仕事だけではないため、東京一極集中はますます進みそうな感じもする。

 また、東日本大震災の際の東電福島第1原発事故の責任が当時の東電幹部に問われた。その訴訟において事故を予測できたかが焦点であったが、万が一首都圏が大自然災害を受けた場合、予測はされても責任を誰も取らないであろう。菅首相よここで強いリーダシップを発揮して欲しい。
2021.02.24(犬賀 大好ー680)


東京五輪の開催は米テレビ局の視聴率の予測次第

2021年02月20日 10時03分06秒 | 日々雑感
 東京オリンピック・パラリンピック大会組織委員会の森会長が女性蔑視と取れる自らの発言の責任を取り辞任し、橋本聖子オリンピック担当大臣が次期会長に決まった。東京五輪に関わる組織は沢山あるが、組織委員会は大会の準備・運営のための重要な組織であるため、これほど大騒ぎになったのであろう。

 東京五輪・パラの開催の主催は東京都であり、この組織委員会は東京都の下部組織の位置付けであろう。委員会の会長は2014年1月の設立時から森喜朗氏であり、これに対し東京都の知事は当初の石原氏から猪瀬氏、舛添氏と現在の小池氏まで4人も代わった。国際オリンピック委員会(IOC)にとって、東京五輪の総責任が東京都にあると言えども、こう頻繁に責任者が代わったのでは交渉が中断し、何かと相談は森氏に集中したのは当然であろう。

 橋本氏は森前会長を師匠と仰ぐ関係であり、組織委員会から森氏の影響を一掃することは出来ないであろうが、開幕までに5ヶ月とちょっとであり、森氏の助言を必要とすることも多々あろうので、仕方がないと思われる。

 橋本氏の会長就任挨拶でもあったように東京五輪・パラを安心・安全な大会とするためにはコロナ対策が重要となる、コロナワクチンの接種はようやく始まったばかりであり、開幕までに終息するか分からない。厚労省のホームページでは65歳以上の高齢者には早くても4月からとのことであり、一般人は未定であり早くても5月以降となろう。

 日本では開幕時にはコロナウイルスが終息していないだろうが終息の目途が立っているかも知れない。しかし、世界の何処かではまだ猛威を奮っているに違いなく、このような状況下で大騒ぎしてよいとは思えないが、政府は経済的な理由から是非やりたいだろう。

 橋本新会長に課せられた課題はコロナ対策の他にも多々あるが、最重要なことは五輪開催に対する国民の盛り上がりを促すことであろう。現在国民の7割程度が開催に否定的である。そもそもオリンピックが東京に開催決定する際でも、国民の盛り上がりが欠けるのが唯一の欠点と言われていた。

 開催都市決定の際、東京は最後までスペインのマドリードとトルコのイスタンブールと競い合った。経済的な面では他を圧倒していたが、国民的な熱意が足りないのが唯一の欠点と言われていた。しかし、関係者の必死なキャンペーンにより、2020年夏季五輪の開催都市を獲得したのだ。

 さて、東京五輪を従来通り満員の観客の下実施するのが理想的であるが、無観客開催か、あるいは中止との判断もあり得るであろう。開催の決定権はIOCが握ると言われているが、テレビの放映権を有する米テレビ局のNBCの意向が大きく影響するだろう。テレビ局はコマーシャル料で稼ぐ。このため視聴率が最重要であるが、無観客でも視聴率が稼げると判断されれば、問題無く実施されるであろう。

 オリンピックは世界的なお祭りである。少なくても国民的な盛り上がりが必須である。橋本新会長はこの期待に応えられるであろうか。
2021.02.20(犬賀 大好ー679)

”分をわきまえろ”発言は”時間がかかる”発言より問題が根深い

2021年02月17日 09時47分12秒 | 日々雑感
 2月3日東京五輪・パラリンピック組織委員会の森喜朗会長が日本オリンピック委員会(JOC)臨時評議員会で、理事会に女性を増やしていく場合は、発言の時間をある程度規制をしておかないとなかなか終わらないから困るとの主旨の発言をし、これが女性蔑視になるとの批判を受け、翌日の謝罪会見で口では謝罪の弁を語ったが、原稿を棒読みであり本心からではないことが露呈し、辞任に追い込まれた。

 女性差別とは、女性であることを理由に不当な扱いを受けたり、差別を受けたりすることであり、外で働いて家族を養うのは男性の役割で、子どもを育てるのが女性の役割といった考え方が差別の根源になるそうだが、人により得手不得手があるため、世の中役割分担のあることは当然となろう。

 この役割分担において不当な扱いが、セクハラ、パワハラ、モラハラ等になるのだろう。役割分担があることを当然と認めれば、不当とは何かが問題となる。何が不当にあたるか、法律で規制されるような犯罪行為の類に関しては明らかであるが、道徳に基ずく行為となると人により判断が異なるから厄介だ。

 例えば、”年長者を敬え”は道徳の一つであるが、これがスポーツ界における先輩、後輩の関係に拡大解釈されると様々なパワハラとなる。また、地域の人々の価値観、伝統、慣習などによっても影響され、長年日本社会で生きてきた高齢者にとって、何が女性蔑視に相当するか戸惑うことが多い。欧米で見かける紳士の行為である”レディファースト”の考えは、女性は”か弱い者”と見なす女性蔑視そのものではないかとも思ってしまう。

 森前会長の謝罪会見でも、この辺りが有耶無耶なまま会見に臨み、一応謝りはしたが内心納得できない様子がありありと読み取れた。

 ”時間がかかる”発言の他に”分をわきまえろ”発言があったが、女性蔑視以上に、日本社会における大きな問題である。この言葉は”空気を読め”や、”忖度しろ”に直結し、民主主義の根幹に関わる。民主主義はお互いに意見を述べ、その中から一致点を見出すことが重要であるが、議論そのものが無駄であるとのニュアンスが含まれる。恐らくこれまで組織委員会において森会長の鶴の一声で何事も決まっていたのだろう。

 そもそも、日本人は議論することが苦手であり、議論始めるとすぐに喧嘩になる傾向がある。このため会議の前に結論は決まっており、会議は儀式の場と化すことが多い。そのため会議の前の根回しが重要で頻繁に行われるが、根回しは非公式の場で行われ、しばしば酒を飲みながらが多い。森前会長の得意とする調整はこのようにして行われていたのであろう。

 酒の場の調整となると女性の出席機会が少なくなり、会議の場では雰囲気が分からず、話が長くなることになってしまう。次期組織委員会の会長が本日にでも決まるとの報道がある。誰が会長になっても、公の場で皆の意見を短時間に取りまとめるのは難しい。2021.02.17(犬賀 大好ー678)

森会長の辞任劇から見えるIOCの商業主義

2021年02月13日 09時38分31秒 | 日々雑感
 2月12日、突然東京五輪の組織委員会の森会長が辞任することになった。ことの発端は、2月3日に開かれた日本オリンピック委員会(JOC)の臨時評議員会で、森会長の女性蔑視発言が”反差別や男女平等原則の完全実施をめざす五輪精神”に反するものだとマスコミの批判を受け、翌日には謝罪し発言を撤回したが、会長職の辞任は否定していた。

 自民党の二階幹事長は、発言を撤回をした為問題はない、と述べ、辞任の必要はないとの認識を示した。菅首相も8日の衆院予算委員会で森会長に辞任を促すように求められたが、進退についてはあくまで、組織委員会として判断するものとの認識を示し、このまま時間と共に忘れ去られていくのを期待しているようだった。

 そもそも組織委員会のメンバーは森氏の意見に意を挟む人は除外されていたであろうし、オリンピックの理念は何か、何のために開催するのかの話題は興味の外で、この夏東京五輪を何が何でもやると一致団結しているだろう。日本のオリンピック関係者の間では森氏の会長辞任は問題外だし、増して東京五輪の中止や延期など口にするのもご法度であろう。

 しかし、海外では女性蔑視には敏感であり、森会長の発言について世界のメディアも辞任の方向で関心の高さを示している。11日には五輪の放映権を持ち、開催可否に大きな影響力を持つ米放送会社NBCが“辞任勧告”の記事を掲載し決定打を放った。

 IOCのバッハ会長は森会長が発言の翌日に謝罪したのを受けて、森氏の問題は終わったと沈静化を図っていたが、今月9日、IOCは、一体性、多様性、男女平等はIOCの活動に不可欠な要素であり、森会長の最近の発言はIOCの公約や五輪アジェンダ2020に反する、と改めて非難の声明を出した。

 IOCは表面上、森氏の発言が五輪の理念に反しているとの観点から非難しているが、その裏ではNBCの意向が大きく影響していたと推測する。NBCは1兆円以上の放映権料をIOCに払っており、コマーシャル料で稼ぐNBCはスポンサー企業の意向を重んじなくてはならない。企業は顧客と密着しており当然世論を気にする。

 結局、世論→スポンサー企業→NBC→IOC→辞任の流れであろう。IOCこそオリンピックの基本精神を真っ先に守らなくてはならないが、先立つのは資金であろう。兎も角オリンピックをやらなくては金は入らない。これがバッハ会長の最初の発言であり、NBCの意向を忖度して慌てて声明を出し直したに違いない。図らずもIOCの商業主義が表に出てしまった。

 世界中コロナウイルスが猛威をふるっており、ようやく先進国ではワクチンの使用が始まった。東京五輪は7月24日開幕となるが、間違いなく世界の隅々までワクチンが広がってはおらず、地球上からコロナウイルスが撲滅されてはいないだろう。

 オリンピックは世界の平和の為の祭典だ。オリンピックの精神からはコロナに苦しむ国々を横目に見ながらお祭り騒ぎが出来る筈が無い。しかし、IOCは東京五輪を無観客でも実行したいようであるが、開催の是非はNBCが無観客でも視聴率が稼げるとの判断次第となろう。2021.02.13(犬賀 大好ー677)