日々雑感

最近よく寝るが、寝ると言っても熟睡しているわけではない。最近の趣味はその間頭に浮かぶことを文章にまとめることである。

ドーピング問題を考える

2016年06月29日 09時19分57秒 | 日々雑感
 ロシア陸上界の組織ぐるみのドーピング問題で、国際陸上競技連盟は6月17日、ウィーンで理事会を開き、ロシア陸連に科している資格停止処分を解除しないことを決めた。これでロシアの陸上代表チームは、8月のリオデジャネイロ五輪に出場できないことになった。

 一般的には、薬を使って運動能力を高めることが ”ドーピング” とされるが、薬以外にも、自分の血液を冷凍保存しておき、試合の直前に再び体内に入れ、酸素運搬能力を高める”血液ドーピング”や、ドーピング検査において、他人の尿とすりかえる行為など、また細胞、遺伝子、遺伝因子、あるいは遺伝子表現の調整を競技力向上のために行う ”遺伝子ドーピング” といった新しい方法も普及し始めているようであり、これらも禁止対象になっている。

 薬によるドーピングは、それが選手の健康を害することにつながり、後遺症に長く悩まされたり、最悪の場合は命を落とすこともあるそうだ。これが一番の禁止理由であり、よく理解できる。対象となる薬は、世界反ドーピング機関(WADA)が禁止表の形で公表している。この一覧表には蛋白同化薬、ホルモン調節薬および代謝調節薬等に分類され、聞いたことのない薬品が列挙されており、素人には全く分からないが、その多さに驚く。

 ネットで ”筋肉増強、サプリメント” を検索すると多数の紹介記事がある。東京大学で筋肉を専門に研究している石井直方教授も、副作用のない筋肉増強剤は無いと断言している。しかし、副作用を最小限に抑え、体に害が出ない接種方法を懇切丁寧に解説している記事も見受ける。

 アルギニン系のサプリメントは、自分の脳の視床下部へ作用して、脳下垂体に伝わり、成長ホルモンを分泌させるシステムで、自身で分泌させるのでドーピングにはならないとのことだ。このように、運動能力を高めるための薬は、年々進化しており、禁止表も年々更新されているとのことだが、”いたちごっこ” の状態であろう。

 米国は、サプリメント大国であり、この種の研究も一番進んでいることであろう。ロシアの陸上選手は、リオ五輪への出場停止を食らった。この分野で後れをとるロシアのプーチン大統領にも言いたいことはいろいろあるだろう。

 ドーピングを禁止するもう一つの理由は、スポーツにはフェアプレ精神が必要であるとしてこれらに反する行為を禁止の対象にしているからだ。アルギニン系のサプリメントが、本当に副作用が無いと証明されても、この理由により禁止対象になるかも知れない。肉体の鍛錬は厳しいが、この厳しさを薬によって補えるとしたら、フェアプレ精神に反する行為であろうからだが、食肉との本質的な差はあるのだろうか。

 また高地トレーニングはどうであろうか。アフリカ大陸の高地に住む人間は無料で鍛えられるが、先進国の人間は高い費用を出して高地で鍛える。金にものを言わせる行為はフェアプレイと言えるであろうか。そもそもプロの選手とアマチュアの選手が競争すること自体が、フェアプレイ精神に反する行為である。このようにフェアプレを持ち出すと、グレーゾ-ンは第1の理由より遥かに大きくなる。

 ドーピングは現状、非常に曖昧な部分を多く抱えている。将来遺伝子レベルで肉体を改造する遺伝子ドーピングなるものが出て来た場合、グレーゾンが更に拡大し、収拾がつかなくなるのではないだろうか。

 そこまでして、肉体を改造して競技に勝つことは、それに見合った報酬があるからだ。ロシアの場合、オリンピックで金メダルを獲得すれば、一生安泰に暮らせる生活が保障されるとのことだ。日本でも、金メダルを獲得すれば、国会議員になれたり、テレビのCMでも活躍できる。メダルにこのようなご利益がある限り、ドーピングは形を変えて存在し続けるであろう。

 クーベルタン男爵の”オリンピックは参加することに意義がある”、はすっかり忘れ去られ、”勝負は勝つことに意義がある” が正しいとされる世の中だ。何の競技でも勝負は興奮させられるが、その裏にドーピングが存在すると思うと、興奮も覚める。
2016.06.29(犬賀 大好-246)

民進党岡田代表の消費増税先送り戦略は是か

2016年06月25日 09時22分09秒 | 日々雑感
 今夏の衆院選で、民進党はマニフェスを掲げず、「国民との約束」を公約とする方針だ。民主党時代、高速道路無料化などのマニフェストを掲げ、痛い目にあった反省でもあろう。内容は、・経済と暮らしの立て直し、・憲法の平和主義を守ること、の二本柱であるとのことだ。

 経済面ではアベノミクスの失敗で格差が広がったとし、低所得者層への影響を考慮し2019年4月まで消費税の増税を再延期すべきと主張する。理屈的にはその通りであろうが短絡的である。消費税の増税は毎日の買い物で実感される痛みであり、一般庶民に不人気なことはよく理解できる。民主党政権の菅総理大臣時代、突然消費増税を言い出し、民主党没落のきっかけを作ったこともトラウマになっているに違いない。

 消費税の増税再延期は自民党も主張し、安倍首相はこのため約束の社会保障の充実は困難であると予告している。一方民進党は、増税延期に関わらず年金・医療・介護の充実と子育て支援は、予定通り来年4月から実施するとし、その財源は構造改革・身を切る改革等の推進で捻出すると主張する。民主党政権時代にも身を切る改革等を主張し結局実現出来なかった実績がある。今更何を言っているのかと空々しく聞こえる。当初、財源は赤字国債の発行で補うとしていたが、受けが悪かったのかその主張は影を潜めてしまった。

 民進党は消費増税の再延期ではなく、来年4月実施を主張した方が俄然筋が通っている。5月18日に行われた党首討論において、民進党の岡田代表は、1年半前の衆院解散時に、安倍首相は”必ず消費税を上げられる状況にする”と国民に約束した故、果たされないならば、内閣総辞職だと首相に迫った。野党第1党の党首として当然の主張だ。しかし、参院選挙での影響を心配したのか、その直後、増税の再延期も言い出したのには、驚いた。

 安倍首相も岡田代表の言に意を強くしたのか、再延期を正式決定した。今回の再延期も、アンケート調査でも、国民の4割が評価、2割が否定的と答え、国民受けはすこぶる良い。消費税に限らず、所得税、相続税等、何でも増税は評判が悪く、強く主張すれば選挙では負ける覚悟がいる。この意味では、岡田党首の主張はよかったかもしれないが、民進党の存在は薄くなってしまった。

 日本は1千兆円を超える借金を抱え、これまで基礎的財政収支の黒字化を目標にすると言いながらも、相変わらず膨大な借金を増やし続けている。破綻という時限爆弾の導火線の長さは短くなり、爆弾の大きさはますます大きくなっていることは間違いない。確かに、破綻の話はかなり前からあったが、一向に破綻せず、すっかりオオカミ少年化したきらいもある。

 しかし、借金返済のため借金する自転車操業状態が現に起こっている。国の借金が1.1千兆円に迫っており、更に借金を増やしたところで、大した影響は無いと、今年度の赤字国債は28兆3800億円としたが、昨年より減らしたと大見得を切っている。問題を子供や孫世代へ先送し、我が世を謳歌していることが一番の問題だ。

 消費税増税の再延期は、国民が買い控えし日本経済が低落するとの理由であるが、そんな理由より選挙目当てであることが明白である。消費増税は、野田元首相が命をかけた3党合意の筈であったが、簡単に否定されそうだ。安倍首相もあれほど胸を張って来年4月実施すると確約していたが、”新しい判断”であるとあっさりと覆してしまった。

 今回に限ったことではないが、首相の言の軽さは一層の政治不信を招いた。今回の選挙は、18歳~19歳の若者が初めて参加する選挙である。マスコミは、連日若者を登場させ、政治に関心を持っているようなコメントを載せ盛り上げようとしている。しかし、大半の若者は政治に無関心であろう。その大きな理由は、政治は自分とは関係ないところで行われているとの政治不信にあることを肝に銘ずべきである。

 民主党政権時代のていたらくを今でも誰も忘れていない。岡田代表が何を主張しても、民主党政権時代はどうであったとか、対案を出せとか、すっかり弱みを握られている。政権奪還など夢のまた夢である。消費増税の再延期を主張して選挙民のご機嫌を取るより、予定通りの実施を主張し、国家100年の計を念頭に、政治の信頼回復に努めるべきであろう。

 なお、消費税の10%化が本当に日本経済の低迷に結び付くのであろうか。多少影響はあるかも知れないが、根本にあるのは政治不信だ。所得が増えても老後の蓄えの為に消費を控えるのも、政治不信が根にあるからだ。

 今回の参院選では、自民党、民政党ともに、「分配と成長」をキャチフレーズにしている。しかも民進党は民主党時代の弱みを握られ、何を言っても否定される。民進党は、自民党と同じ土俵で争うのではなく、別の観点から争うべきである。すなわち、日本が抱える時限爆弾を子孫に引き渡さないように、今何をなすべきか、アベノミクスは時限爆弾の縮小に役立っているのか、政治不信はなぜ起こるのか、を取り上げるべきだと思う。
2016.06.25(犬賀 大好-245)

飽食の国日本はいつまでもつか

2016年06月22日 09時23分46秒 | 日々雑感
 地球上に住む人間は、現在73億人と推定される。国連の「世界人口展望」は、21世紀半ばには90億人を突破、その後は増加のペースが鈍化していくものの21世紀末までに100億人を突破するだろうと予測している。世界の人口が100億人に達した場合、種々の問題と直面するが、食料問題もその一つだろう。

 食料は、現在の食事のとり方を続ける限り、100億人を食べさせられることは到底出来ない。米国の平均的食生活を基準にすると、この地球は26億人分の食糧しかまかなうことができないと言われている。日本人は米国人ほどでは無いだろうが、どんどん欧米化していることは間違いない。

 世界で、穀物は年間 24億トンも生産されているが、これは世界中の人が生きていくのに必要な量のおよそ2倍にもなるそうだ。しかし、これは穀物のみを食する場合の話であり、人間は穀物と同時に蛋白源である肉を食べるため、多大な穀物が飼料として使用される。牛肉1キロ作るために11キロ、豚肉1キロのために7キロ、鶏肉1キロのために4キロの穀物が消費されてしまうのだ。

 最近マグロの養殖が盛んになり、マグロ資源の枯渇の心配がなくなったと喜ぶ人もいるが、畜養マグロの体重を10キロ太らせるためには、200キロ前後にも及ぶイワシのエサが必要だそうで、何におかいわんやである。

 今、世界には約10億人の「飢餓人口」があると言われているが、日本では飢餓で亡くなったとの話はまず聞かない。児童虐待による飢餓で亡くなったとの話は例外的にあるが、ホームレスの人が糖尿病に罹る位で食料は十分にある。日本に居ながら、世界中の食材を味わうことが出来る。テレビ番組では連日グルメを取り上げ美食を誘っている。TPPが発効すれば、食料が更に安く手に入る。食べ物に関しては、日本は我が世を謳歌している。

 しかも、大多数の日本国民はこれが当たり前だと思い込んである。世界中の食べ物を買いあさり、食い散らかした挙句の食品ロスの多さを猛省し、食料自給率の低さが示す不安定さを心に止めておかなければならない。

 日本は年間 5500万トンの食糧を輸入しながら、1800万トンも捨てているのだ。廃棄される食品は、加工工程でごみとなって捨てられるもの、流通過程で賞味期限等の理由で捨てられるものもあるが、日本の食品廃棄の実に半分以上にあたる1000万トンが家庭から捨てられているのだそうだ。この家庭からでる残飯の総額は、日本全体で年間11兆円、これは日本の農水産業の生産額とほぼ同額となり、さらにその処理費用で、2兆円が使われているとのことだ。TPPで食料が安価に手に入れば、更にこの無駄は増えること間違いなしだ。

 終戦直後に育った人間は、茶碗に米粒一つ残しても叱られた。お百姓さんが一年かかって育てたお米は一粒なりと大切にしなければならないと。”先祖を敬え”等の道徳教育は好きになれないが、”もったいない”の精神は是非学校でも教えていただきたい。

 長野県では、平成22年度から食品ロスの削減を目指し、飲食店や宿泊事業者にも協力願い「食べ残しを減らそう県民運動」を実施しているそうだ。具体的には、飲食店で注文の際に適量を注文しよう、等との運動だ。余談だが、長野県は介護予防の点でも県民運動が盛んであり、医療費が大幅に削減出来ているそうだ。いづれも信濃教育の成果であろう。学校教育の重要さがうかがい知れる。

 一方、日本の食料自給率は、40%以下の低さだ。この低さのお陰で、世界中の一番安い所から輸入できるという長所を最大限に利用して、世界中から食料を安く手に入れることが出来ているのだ。また、逆に安く入手できるから、国内の生産は育たず、食料自給率が下がるのだ。しかし、世界に食料が十分にある時には、食料自給率の低さは利点となるが、不足状態となると途端に欠点となる。地球温暖化による異常気象は世界のいたる所で発生しており、不足状態はいつ何時やってきてもおかしくない。

 国内農業の育成と海外からの輸入のバランスをどうとるか、いろいろな意見がある。農協におんぶに抱っこの兼業農家はさておき、農業に挑戦する若者たちは、是非応援したい。自由貿易の流れは止められないであろうが、少なくとも若者の挑戦は積極的に応援すべきだ。日本の将来は若者にかかっているのだ。
2016.06.22(犬賀 大好-244)

米国社会における過激派のイスラム化

2016年06月18日 09時46分27秒 | 日々雑感
 今月12日に、米フロリダ州オーランドのナイトクラブで銃乱射事件があり100人以上が死傷したとの報道があった。過激派勢力のいわゆる「イスラム国 (IS)」が犯行声明を出しているが、関与の程度は不明だとのことだ。実行犯はアフガニスタン移民の両親を持つ米国生まれの29歳の男で、ISに忠誠を誓っていたとされる。

 オバマ大統領はこれを「テロとヘイトの行為」だと強く非難し、アメリカ国民が「悲しみと怒りと、自分たちを守ろうという決意」で一致団結していると語った。米国は国内に、テロ、人種差別や性的マイノリティに対する差別、移民問題、経済格差など数多くの問題を抱えており、大統領のこの発言も具体性なく、むなしく聞こえる。

 昨年11月のパリ同時多発テロ、今年3月のベルギー首都の空港およびEU本部近くの地下鉄駅構内での連続テロに引き続くISによる大規模テロと報道されている。しかし、今回のテロは、国際問題より米国の国内問題の方が原因となっているようだ。米国は自由経済の総本山であり、その結果として、拡大する経済格差は大問題のようである。

 米国の格差の大なる例として、ハーバード大学では、10ヵ月で7万ドル(約770万円)必要とするらしい。成績が優秀であれば誰でも安い学費で行けると思っていたが、日本の私立医学部並みの高さだ。このように、超富裕層の子どもしか入ることが出来ないが、そのようなエリート大学を出ると投資銀行ですぐに年収2000万~3000万を稼ぐようになるそうだ。金持ちは益々金持ちに、貧乏人は一生這い上がれない構造が確立しているのだ。

 今回の事件の容疑者の詳細は不明であるが、恐らく社会に対する不満が根にあったと想像される。次期米国大統領候補にトランプ氏が名乗りを上げているが、その人気は人々の不満に乗じ、煽っていることであろう。常識的には解決が極めて困難な問題もトランプ氏に任せれば、簡単に解決できると。このように閉塞感に満ちた米国社会での、移民系の若者の過激化は想像に難くない。

 6月11日、朝日新聞オピニオンで、欧州大学院大学(EUI)教授、オリビエ・ロワ氏が蔓延するテロに対する見解を述べている。氏はイスラム世界専門家だそうで、今の現象はイスラム教徒の過激化でなく、過激派のイスラム化であるとしている。説得力ある見解である。

 今回の実行犯は単独犯行らしく、ISから指令を受けたとの証拠は無いようだ。すなわち自分を取り巻く社会に対する不満を正当化するためにISを名乗っただけと推測される。ISの指示によるテロは聖戦であり、単なる犬死にでなく、仲間から称えられるのだ。これが正にオリビエ・ロア氏が指摘する過激派のイスラム化であろう。

 大統領候補のクリントン氏は事件について、銃規制強化の必要性を強調した。クリントン氏は「戦争の武器はこの国の市街地にあってはならないと、改めて認識させられた」と指摘した。共和党候補になる見通しのトランプ氏は、銃撃を非難しながら「イスラム過激主義」という表現を使わなかったオバマ大統領は辞任すべきだと非難した。かねてからトランプ候補は移民規制強化も打ち出している。

 今回の銃乱射事件は、銃規制や移民問題とは無関係ではないだろうが、根源は若者の不満の爆発であろう。ずばり過激派のイスラム化であるならば、恐らくそうであろうが、若者の不満が解決されない限り、両候補の対策も抜本的な解決にならない。悲劇は繰り返し起こるであろう。
2016.06.18(犬賀 大好-243)

店頭販売の生き残りは ”おもてなし”

2016年06月15日 09時21分46秒 | 日々雑感
 世の中のグローバル化、社会の効率化の徹底および情報技術(IT)の普及により、ネット通販が対面販売を圧倒し始めている。中国のネット通販の大手のアリババも、国内の隆盛を背景に、日本企業が同社のサイトに出店するように積極的な勧誘を始めたとのことだ。中国人観光客の日本での爆買いはすっかり有名になったが、ネット通販もそれに並ぶ勢いとのことだ。

 個人商店を始めとする対面販売業者は、このようなネット通販の勃興を指を加えて見つめているだけでは早晩死を迎えることになる。そこでいろいろ知恵を絞り生き残りを模索しているが抜本的な解決策は見出されていないようだ。地方都市の小売店は、郊外の大型店舗だけではなく、ネット通販も敵としなくてはならず、四面楚歌状態である。

 インターネット上には、個人商店の生き残る道は、職人的な技能、豊富な商品知識、接客のプロ、といった魅力のある商店主に自らがなることである、等の記述がある。間違いないと思うが、それはおいそれと身につく魅力ではなく、長年の努力・蓄積が必要である。一度廃れた状態から立て直すのは並大抵の努力では済まない。

 また、大型店舗に対抗するため個人商店は商店街として、イベント開催等により活性化を図ろうとの試みも各地で行われる。人気アイドル等を呼ぶイベントは、瞬間的には良いだろうが、一過性に過ぎない。この点、輪島や八戸の朝市は伝統があり、いつも沢山の人で賑わうとのことである。基本的には、直前に採れた野菜や魚介類を早朝持ち寄り販売するので新鮮であり、しかも収穫者から直接販売されるので安いという大きな特長がある。この点、ネット販売も敵わないだろう。

 しかし、朝市は常設ではないとの欠点も併せ持つ。大抵の場合、朝市は土日やその他の休日の日に開かれる。現役を引退した高齢者は、休日以外の交通機関が混雑しない日に出かけると、まず朝市にはお目にかかれない。朝市の賑わいは即交通手段の混雑となり、余り高齢者向きではないが、おまけや値切り等、他では出来ない”おもてなし”を味わうことが出来る。

 生産者自らが小売業となること、小売業者自らが生産者となること、兎も角両者が密接な関係を持つことが今後の生き残り策なのであろう。ここにおいては、効率化は問題外としなければならない。

 大型店舗やネット販売は、大量の商品を少人数で効率よく扱い利益を上げることを目的とする自由経済の行きついた姿である。そこにおいて、手間のかかる ”おもてなし” は二の次であり、買い手と売り手の関係は極めて薄い。

 最近、大型店舗とは対極にある御用聞きや移動販売のサービスが始まったようだ。御用聞きは、江戸時代からあったようであるが、昭和20年代まで続いていた記憶がある。スーパーマーケット等の発展により廃れていったと思われるが、高齢化社会で復活する兆しである。移動販売は、野菜、魚などの生鮮食料品を小型自動車で販売するサービスだが、高齢者向け、あるいは過疎地において有望であろう。

 いずれの場合も、顧客1人1人の要望をしっかり把握した対応が必要であり、大型店やネット通販では真似できないが、効率が悪く、儲かるサービスではないだろう。しかし、これからの社会にとって必要なサービスとなろう。個人商店の生き残る道は、朝市のような安価、新鮮を売りにするか、個人としてのつながりを重視したサービス以外は思いつかない。兎も角大儲けするような話ではなく、ボランティア精神がなければ長続きしない。

 大型店舗は、例えば家電の「ビックカメラ」とカジュアル衣料の 「ユニクロ」は、ユニクロの衣料品を身に付けたマネキン人形にヘッドホンなどの電気製品を持たせるなど、コラボレーションを意識したディスプレイで集客を目論んでいるそうだ。この程度のことでネット上の宣伝に勝負できるか分からないが、手をこまねいているわけにはいかないだろう。

 しかし、これからは、大型店舗はショ-ルーミング(showrooming)の流れに、手を貸しているだけとの気がする。ショ-ルーミングとは、顧客は現物を店舗で確認し、実際はネットで購入するとの意味である。

 郊外に出現した大型店舗は、駅前通りをシャッター商店街に変えた。大型店舗は、暇を持て余す高齢者や電子機器を扱えない人にとって快適、便利であり、店舗に併設された娯楽施設は魅力的である。大型店舗はしばらくは我が世をおう歌するであろうが、時代はどんどん変わっていく。いつまで続くであろうか。
2016.06.15(犬賀 大好ー242)