新型コロナウイルス騒動で影を潜めているが、国会の場で説明責任と言う言葉がよく登場した。安倍首相は、森友・加計学園を始めとして最近の検察省人事問題でもいつも丁寧に説明すると繰り返し、表情豊かに手振りも大きく、言語は明瞭であるが、中身のない説明ばかりで国民の大多数は納得できていない状態だ。
今回の新型コロナウイルス騒動で政府は緊急事態宣言を発した。海外の国での緊急事態宣言では違反すると逮捕等の法的な拘束力を受けるが、日本では都道府県知事は住民に対して期間と地域を定めた上で不要不急の外出を自粛するよう要請できるほか、事業者などに対して店舗や施設の使用制限を要請できるようになるが、あくまでも要請であり強制ではない。今こそ指導者の説明力、説得力が試される訳だ。
安倍首相も”生活の維持に必要な場合をのぞき、みだりに外出しないよう要請すべきだ”として、人と人との接触を最低7~8割削減するなどの行動変容を国民に求めた。首相の説明の説得力が今こそ必要であるが、残念ながらこれまでの行動の記憶が蘇り説得力が感じられない。
検察庁法改正の件でも安倍首相は相変わらず国会答弁で丁寧に説明し国民に理解されるよう努力すると言っているが、中身のない答弁ばかりだ。この法案は政権に近いと言われる黒川氏を検事総長に起用するためではないかの質問に対し、そのような恣意的な人事のためでは無いとの主旨の返事をした。首相の返事は質問前から分かり切っているのに質問する方は何を期待していたのか理解に苦しむ。
三権独立とは権力の濫用を防止し、国民の政治的自由を保障するため、国家権力を立法・司法・行政の三権に分け、それぞれ独立した機関にゆだねようとする民主主義の基本原理であり、我が国の憲法でも保証されている。
しかし三権分立と言いながらそれぞれの長を独自に決める分けにもいかず、誰かが人選し任命しなければならない。我が国では首相の権限であるが独裁の道にも繋がる。そこに三権分立の本質的な矛盾がある。この矛盾を分かり易く丁寧に説明する必要があるが、根底にあるのは信頼の問題である。この説明を安倍首相に期待しても無理であろうが。
ドイツのメルケル首相は、”今回の新型コロナウイルス騒動で感染症保護法で対処する方針を示し、このウィルスは新種のウィルスで、治療薬もワクチンもありません。ですから、感染拡大の速度をできるだけ遅くし、医療システムに過大な負荷がかからないようにしなければなりません。私たち自身が人と会う機会を可能な限り避ける必要があるということです。私たちは、互いへの思いやりや配慮がある社会なのだということを、示すことができると信じています”、と国民に分かり易く、丁寧に説明した。
安倍晋三首相が緊急事態宣言を4月7日に発令したが、決断の理由について安倍首相は、”医療提供体制が逼迫している地域が生じていることを踏まえれば、もはや時間の猶予はないとの結論に至りました。この状況は国民生活および国民経済に甚大な影響を及ぼす恐れがあると判断いたしました”、等を述べたが、少なくとも分かり易さの点ではメルケル首相の方が上である。2020.05.16(犬賀 大好-600)