日々雑感

最近よく寝るが、寝ると言っても熟睡しているわけではない。最近の趣味はその間頭に浮かぶことを文章にまとめることである。

核による威嚇

2015年03月28日 14時03分05秒 | 日々雑感
 ロシアのプーチン大統領がクリミア紛争の際、併合過程で核兵器を臨戦態勢に置く可能性があったと明言したことが波紋を広げている。クリミア併合後、1年を経過した後での発言であるので、当時本当にその可能性があったか疑問であるが、現段階で明言したことは、領土を守ろう、あるいは増やそうとする姿勢を改めて強調し、周辺の国に大きな威嚇になっているらしい。日本にとっても北方4島の問題があり、返還のハードルは日本が思っている以上に高いとの宣言にも聞こえる。
 以前、コリン・パウエル元国務長官がインタビューに応じて、“核兵器は「極めてむごい兵器」であるため使えず軍事的には無用な存在だが、政治的には極めて重要である”との趣旨を語っているが、プーチン大統領は見事に政治的に利用している。軍事的に使えないものならば、脅しにびくびくすることは無いと思うが、万が一を考えれば、やはりビビッテしまう。万が一をやりそうだと日ごろ思わせておくのも重要な仕事か。
 軍縮・安全保障を扱う国連総会第1委員会において、核兵器の非人道性と不使用を訴える共同声明が発表されたことがある。この声明には日本も賛同しており、当時の新聞にはトップ記事で紹介されていた。しかし、核保有国は賛同していないため、単なる負け犬の遠吠えとしか聞こえなかった。オバマ大統領は就任直後に核兵器根絶の演説をし、ノーベル平和賞を受けたが、その後の動きは皆無である。核保有の有効性を再認識したからであろう。
 以前核を保有していたのに廃棄を決めたのはウクライナくらいであろう。核放棄はウクライナの独立に際しての条件であったかも知れないが、世界の国々はこの判断をもっと評価すべきである。そのウクライナが現在ロシアからいじめられている。ノーベル平和賞をウクライナに授与するくらいなことをして、ウクライナを支援すべきである。
 兎も角、核の保有は政治的に非常に有効である。核開発に北朝鮮やイランが必死になるのはよく理解できる。現在、イラン、イラクの国境地帯でイスラム教徒の一部がイスラム国を樹立したと宣言しているが、どの国も承認はしないであろう。しかし、核兵器を保有する事態となったら、建国を世界が認めざるを得ないであろう。(犬賀 大好-115)

原発廃炉問題を考える

2015年03月25日 09時58分20秒 | 日々雑感
 原子力発電所の5機の廃炉がようやく決まった。関電の美浜1号機、2号機、原電の敦賀1号機、中国電力の島根1号機そして九州電力の玄海1号機である。原発の運転期間を「原則40年」とする基準に従った廃炉であるが、特別な審査に通れば延長運転も可能であった。しかし、比較的低出力であり、運転を延長するための安全対策等の費用が発電で得られる収入を上回ると判断されたから廃炉となったとのことである。東京電力の福島第1原発の4機の廃炉は大震災の結果であるが、今回は原発の運転期間を「原則40年」とする新基準を決めてからの初適用である。
 しかし廃炉と決まったからと言って、すんなり廃炉できるわけでない。問題はゴミと地元対策であるらしい。まずゴミ、すなわち廃炉で生ずる廃棄物の処理や使用済み燃料の扱いである。何しろ初めての経験であり、ゴミ処理方法が確定されておらずゴミ捨て場所も決まっていない。当面、原発の敷地内で保管しなければならないだろう。原発事業者は、原発は国策であるからそのうち国が何とかしてくれるであろうと思っているに違いない。国は、福島原発事故後の汚染ゴミの中間貯蔵施設ですら、4年経っても決められずにもたもたしている状態であるから、押して知るべしである。
 次の問題は、原発立地自治体への対策であるそうだ。現在、立地自治体には電源三法交付金が配られており、廃炉が決まればこの交付金は無くなる。元々、原発は経済的な自立が困難な場所に作られたものであるので、この交付金への依存度はかなり高い。交付金が無くなれば、自治体としての維持が出来なくなる。そのため国としても何らかの支援が必要となるわけだ。しかし、建設当時からいずれ廃炉となることは分かっていたはずだ。廃炉が決まって、交付金がなくなると騒ぐのは、これまでの努力が自治体に無かったと言わざるを得ない。交付金が無くなって維持できない自治体は廃炉と運命を共にするしかない。
 そもそも交付金は麻薬みたいなものである。薬が効いている間は、ハイな気分になり、将来に対する不安はどこかに吹き飛ぶ。薬が切れれば、以前の状態に戻るどころか、副作用のため一層悪くなる。原発自体もそれに似たところがある。ゴミと言う副作用をすっかり忘れて、いや分かっているが今を享受せんがため推進するとしか思えない。
 国は原発依存度を「可能な限り低減させる」としながら、廃炉は電力事業者の経営判断にゆだねている。当事者能力を尊重していると言えば、聞こえはよいが、単に決められないからであろう。核燃料サイクルも既に破綻しているのに、原発稼動により使用済み核燃料はどんどん増えていく。各原発事業者はやはり国が何とかしてくれるであろうと高をくくっているに違いない。政府は、ゴミ処理問題等を含めて将来のエネルギー計画を明確にすべきだ。(犬賀 大好-114)

科学における不正行為を考える

2015年03月21日 10時24分52秒 | 日々雑感
 3月10日、NHKクローズアップ現代で“論文の不正は止められるのか”の放映があった。不正の背景には、インパクトある論文を量産しないと研究費が確保できない研究環境や、研究室の密室性が関わっていると専門家は指摘するが、今一はっきりしない。
 不正防止対策として、国は去年「研究不正防止のガイドライン」を改定し、研究者の倫理教育プログラム受講の徹底や、研究生データの保存義務づけなどの新たな対策に乗り出したそうだが、論文の虚偽記載に関しては、既に平成15年、日本学術会議の“学術と社会常置委員会が”「科学における不正行為とその防止について」の報告をしている。
 研究倫理と言えば、体外受精や原子力の開発等、研究対象が人類にとって有益か等の高尚な内容かと思っていたが、そんな高次元の内容ではなく、研究の遂行、成果の発表に関するものが中心であった。その中で、不正の防止策としては、大学においては倫理教育を強化することが望ましいとの指摘があった。具体的には以下の内容であった。
 “科学研究ことに科学の進展の鍵を握る分野の研究での欺瞞や不正はいかなるものであれ、その再現が不可能なことから必ず短期間のうちに暴露されるという認識を徹底させるべきであろう。それを犯したものは、それによってたちどころに研究者としての経歴に不名誉な終止符を打たれることは疑う余地のないものでなければならない。”
 こんな基本中の基本をわざわざ倫理教育としてやる必要があるかと思っていたが、どうやら本当に必要であったらしい。結論で、研究行動規範(ガイドライン)の作成等を提言しているが、昨年行ったのはこの改定であったのか。兎も角、今もって改善がなされていないようだ。
 最近では東京大学分子細胞生物学研究所の旧加藤研究室に関わる165件の論文の内、33件に不正が見つかったそうだ。報道によれば生命科学の分野においては、加藤研究室ばかりでなく各所で問題が起こっているようだ。
 この分野において論文不正が話題になるのは、やはり時代の先端を走る分野であるからであろう。新たな発見が、これまで不治と思われてきた病を治すかも知れないとの夢をかきたてる。STAP細胞は幻で終わったが、当初はIPS細胞に次ぐノーベル賞級の発見と思われた。時代の先頭を走れば、資金も出、ポストも用意される。当然競争も激しくなる。
 しかし、不正の結末が分かっているのに、不正がなぜ行われるのであろうか。結果の波及効果が大きければ大きいほど、大勢の人間が再実験を試みるが、しかし、抹消の研究においては、追実験者もおらず、嘘も当分ばれないかもしれない。その間に、新たな研究費の請求やポストの確保が可能かも知れない。それも束の間の話だ。STAP細胞では小保方氏が若い女性であったことによる周囲の甘やかし、加藤研究室では東大の名の下での驕り、それくらいしか、不正する理由が思いつかない。(犬賀 大好-113)

生命誕生の謎

2015年03月18日 09時39分23秒 | 日々雑感
 3月12日付けの英科学雑誌ネイチャーに、土星の衛星の一つ「エンケラドス」に生命が生息できる環境が存在する可能性が高いとする研究結果が掲載されたそうだ。1997年に打ち上げられた土星探査機「カッシーニ」が観察した噴出物に、二酸化珪素の微粒子(ナノシリカ)が含まれることを突き止めことを受け、東大や海洋研究開発機構がエンケラドスの海を模擬した実験を行い、ナノシリカが作られる条件を突き止めたとのことである。この結果、生命が生存のために必要な水、炭素、窒素などの元素ばかりでなく、熱などのエネルギーもそろい、生命を育む状態であると分かったらしい。関根康人東京大准教授も「生命がいる可能性は高く、いなくても生命に近い複雑な有機分子が合成されているのでは」と期待しているとのことだ。
 これまでの研究から、エンケラドスは表面が厚い氷に覆われているが、その下には液体の海が存在し、海底からは熱水が噴出していることが分かっている。表面の氷の一部から噴出する水蒸気を分析したのであろうが、遥か遠い所のことがよく分かるものと感心する。
 無機物から有機物が合成されることは、既に実験的に証明されているが、有機物から生命体が生まれることは、未だ分かっていない。生命体とは自己複製する機能を有することであるが、恐らく複雑な有機物が何かのきっかけで自己複製機能を有する原始生命体が出来たと推定される。いったん原始生命体が生まれてしまえば、その後は遺伝子が突然異変し、進化して現在の人間が出来あがっているとの理屈はまず間違いないであろう。しかし、最初の原始生命体がどうやって生まれたかは謎のままである。
 生命誕生のためには、有機物、水とエネルギーが不可欠とのことである。エンケラドスに生命誕生のための三要素がいつごろ備わったか分からないが、恐らく地球の年齢とは余り変わらないだろう。地球の深海において、熱水が噴出する周辺には独特の生態系が作られているとのことであるので、何らかの生態系が作られていてもおかしくない。
 生命誕生の謎を探って各種の衛星が打ち上げられているが、地球上にも謎を解く鍵はころがっているような気がする。生命誕生のための三要素は地球上の至る所に存在するからである。地球の誕生より10億年以内に原始生命体が誕生したと推定されているので、その誕生以降にも何回か原始生命体が生まれるチャンスはあったはずである。原始生命体の実体は分かっていないので、現在でも存在しているが人間が気づいていないだけかも知れない。あるいは、上記の三要素だけでは生命は誕生せず、4番目の要素が必要なのかも知れない。地球誕生の初期にその4番目の要素がたまたま在ったのかも知れない。興味は果てしなく拡がっていく。(犬賀 大好-112)

大学は何のためにあるか

2015年03月14日 09時38分39秒 | 日々雑感
 3月4日朝日新聞 オピニオンで、文系学部で何を教えるかに関し、2氏の意見が出された。
 経営コンサルタントの冨山和彦氏の主張は、日本のどの大学も東大を頂点とした総合大学で似たり寄ったりである、これからの大学は、高度な資質を育てるアカデミズムの学校と、実践的な職業教育に重点をおいた実学の学校に特徴化すべきであるとのことである。
 名古屋大学准教授の日比嘉高氏の主張は、次のような主旨である。技術は日進月歩であり、実学をせっかく学んでもすぐに陳腐化する。たくさんの本を読み、膨大な学説と向き合い、時間がかかって面倒くさいプロセスを背負いこんで身に付けた教養はどんな分野に進んでも役に立つ。
 日比氏の意見も、冨山氏の意見も一理ある。両者の意見を両立させるためには、冨山氏の指摘のように特徴の無い総合大学ではなく、特徴のある大学を創ることであろう。
 そもそも、大学は自主的に勉強するところである。大学生は単に大学の教室で授業を受けるだけでなく、教室外での自主的な学修を行うことが求められ、文科省も授業外での学修も重要と指摘している。その為であろうか、特に文系のカリキュラムには自主的勉強の時間が十分用意されている。そこで、多くの学生は社会勉強と称し、アルバイトやクラブ活動、マージャン等に夢中になっている。
 大学へ行く目的は何か。大半はよい就職のためであろう。このため就職に有利なのは、実学か、深い教養か、あるいは人脈かを学生はよく計算している。今の日本においては、深い教養や実学より、教室外での社会勉強や人脈つくりの方が役に立つと判断している訳だ。この意味で、現状大学が碌な授業をしなくても、大学の役目を十分果たしていることになる。
 しかし、大半の学生がそうであったとしても、日本の将来を洞察できるような人間も必要である。このような人間には、日比氏の言う教育が必要である。そこで、社会勉強をしたい学生向け大学ばかりでなく、きちんと学問したい学生向け大学を用意することが重要となろう。その大学においては、厳しい卒業試験が待ち受けており、卒業生がまさにエリートとして認知される。(犬賀 大好-111)