日々雑感

最近よく寝るが、寝ると言っても熟睡しているわけではない。最近の趣味はその間頭に浮かぶことを文章にまとめることである。

ポスト資本主義

2014年12月31日 09時37分02秒 | 日々雑感
 今回の衆議院総選挙の論点はアベノミックスの是非であったと言う。安倍首相の“デフレ脱却にはこの道しか無い“の主張に対し、野党は対案を示せなかったことが、敗北の要因のひとつであったとの大方の見方であり、その通りと思う。
 アベノミックは、一見旨く行っているように見えるが、実に危うい要因を抱えている。異次元の金融緩和により、大量のお金を市場にばら撒いて、株高等を維持しているが、このバラ播きを永遠に続けるわけには行かない。安倍首相は成長戦略が軌道に乗るまでと思っているのであろうが、成長戦略は簡単でなく、軌道に乗る前にハイパーインフレと言わないまでも大きなインフレがやってくるのではないかと懸念される。
 安倍首相は悪夢の15年間のデフレを克服するためと主張し、物価上昇率3%を目標に掲げている。経済の好循環を主張し、物価上昇は賃金上昇へと結びつくと言っている。しかし、かってあった高度経済成長を夢見ているのではないかと懸念する。食料品等の輸入品は既に3%を越していると思うが、中小企業の従業員は相変わらずの低賃金に耐えているらしい。高度経済成長期には団塊の世代が働き盛りであったし、技術革新も情報革命等いろいろあった。少子高齢化でかつ成熟社会の昨今日本にはそれを期待するのは土台無理な話だ。
 過去15年の間には、デジタル化に伴うテレビの一斉買い替え特需があったが、それでも世の中一時的な景気回復であり、しかもそれを将来に向けて有効に生かせなかった。今の世でテレビ買い替え特需を上回る成長戦略が期待できるであろうか。はなはだ不安である。世の中にはお金があふれているが、銀行もどこに投資してよいか分からず手をこまねいている。無理も無い話しである。
 日本は社会主義的な要素が多いと言どもやはり資本主義国家である。資本主義には経済成長が必須である。民主党がアベノミックスの対抗策を打ち出せなかったのは、単に準備期間の少なさが原因ではない。資本主義が行き詰まっているからである。少子高齢化社会と成熟社会に向き合うポスト資本主義の考えが無いからだ。集英社新書「資本主義の終焉と歴史の危機」(水野和夫著)によれば、現在の経済活動の根幹をなす資本主義が末路を迎えつつあるとのことである。ポスト資本主義がどのような社会を目指すのか、先の水野氏も明言していない。しかし、将来の日本をどのように築くか真剣に考える時期に来ている。
 本日は2014年の最後の日である。アベノミックスが来年に破綻しないことを願うばかりである。(犬賀 大好-88)

スマートフォン文化を考える

2014年12月27日 10時06分22秒 | 日々雑感
 インターネットを携帯端末で楽しむことの出来るスマートフォンは、いつでもどこでも使うことが出来るので非常に便利である。例えば “惻隠の情”とは何か等、疑問が浮かんだときすぐに調べることが出来る。電車の中では猫も杓子もスマートフォンに夢中なのは理解できる。一方、物事を深く考えることなく想像力が低下する、他人とのコミュニケーションが出来なくなる等の欠点が指摘されているが、刹那の便利さの前にはどこ吹く風である。
 情報通信の発展は経済の地方分散を招くはずであったし、携帯電話の普及はコミュニケーションの活発化を招く筈であったが、どうも逆のようだ。情報の拡散は都会の魅力を地方に伝えたが、それを体感する魅力には勝つことが出来なかったため、人は都会を目指すことになり、一極集中となった。また、スマートフォンとのコミュニケーションは、人とのコミュニケーションより簡単なため、人に応用することが出来ず引きこもりを招いてしまった。
 知りたい情報が即座に手に入り、判った気になる。深く頭に刻み込まなくても、忘れたならば再び携帯で調べればよい。しかも、実に様々な情報が手に入る。自分に都合の良い話もあれば、都合の悪い話もいくらでもあるが、その真偽については分からない。自分に都合の良いときに、都合の良い話に耳を傾け、都合の悪い話は無視すればよい。しかも、その行為は誰にも知られることなく行え、自分から発信する場合も匿名で済むため、相手を傷つけても自分は傷つかずに済む。
 最近、中国や韓国に対する強硬姿勢をはじめとするナショナリズムの台頭が目に付く。近隣国と仲良くするより、喧嘩する方が話としては簡単である。仲良くするためには相手を理解し、自分を理解させるために面倒な説明をしなければならないのに対し、喧嘩するためには相手の欠点をひとつ指摘すれば話は済む。まさに、スマートフォンに向かうときの姿勢そのものである。携帯端末の普及とナショナリズムの台頭の間には、関係があると思わざるを得ない。
 スマートフォンはその便利さゆえ今後ますます使用されるであろう。かっては、個人の生き方や考え方は書物から得ることも多かった。スマートフォンで読書することも出来るが、スマーオフォンには余りにも誘惑が多すぎる。その誘惑に打ち勝って、読書できる人間がいるとは思えない。物事を深く考えない単細胞的人間が増えることを懸念する。(犬賀 大好-87)

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2014年12月22日 10時24分56秒 | 日々雑感
 ロボットコンテストは、全国高等専門学校ロボットコンテスト、ABUロボコン(Asia-Pacific Robot Contest)やIDCロボットコンテスト(International Design Contest)が有名であるが、ついに “リアルロボットバトル”なるコンテストが登場した。このコンテストはもっと前からあったかも知れないが、12月はじめのテレビ放映で知った。
 これは、人型ロボット同士を争わせ、相手を打ちのめせば勝ちと言うコンテストであり、“最先端の科学技術に情熱とチームワークの結晶“と格調高く銘打っているが、破壊の快感を映像の世界から実物の世界へと拡張させた趣味の悪い番組であった。
 従来のロボコンと称する競争は、例えば球をある場所からある場所へ移す速さを競う頭脳のコンテストであった。そこには、独自の創意、工夫が勝負の決め手であった。しかし、今回の“リアルロボットバトル”では破壊を売り物にしていた。技術的な未熟さが目立ったが、資金を投入すればどんどん進化するであろうし、エンターテイメントとしては視聴率が上がるであろう。技術の追求としては面白いが、行き着く先は戦争ロボットである。
 戦争ロボットと言えば、地球の裏側から操作できる無人爆撃機はイラク等で現に使用されている。また、自衛隊も参加する環太平洋合同演習リムパックには、荒地を移動できる4足歩行ロボットも登場している。このロボットは、水などの物資を運ぶ補給が役目であるが、そのうち戦闘にも直接参加し、機関銃やロケット砲を使用するであろう。急激にゲームの世界が現実化している。
 従来のロボコンにおけるロボット、今回のリアルロボットおよび戦争ロボットは、技術的には繋がっており、明確に区別は出来ないところが恐ろしい。もっと大きな観点から見れば、科学技術の発展が人間に幸福をもたらすかの命題であり、単に技術の問題だけではなく、哲学的な問題でもあり、答えは簡単に見つからない。(犬賀 大好-86)

アベノミックスと株高

2014年12月19日 10時21分51秒 | 日々雑感
 アベノミックスの成果の一つは株高にある。日経平均は2年前の政権発足当時に比べて8000円近く上昇した(12月9日現在)。成長戦略が軌道に乗ったとの話は聞かないが、なぜ株高なのかよくわからない。原因のひとつは日銀の国債買取により、資金が市場にあふれて株に向かっているとのことだ。
 しかし、株高で恩恵を受けやすいのは外国人投資家だ。円安で日本株を買いやすくなっていることが背景にある。今年3月末のすべての国内株式のうち外国人の保有比率(時価総額ベース)で、3割を始めて超えたようだ。一方、国内の個人投資家は18.7%とのことである。折角の株高も日本人の2割弱のみが個人的な恩恵を受けるが、国民全体には関係ないことだ。株高により会社の資産が増えればそのうち個人にもお金が回ると政府は説明するが、その時期はいつになるか分からない。永久に来ないかも知れない。
 外国人投資家は、儲かるとなると投資するが、損となると一斉にお金を引き上げる。過去に開発途上国のいくつかが、米国の金融政策の変更に伴って国家的規模の大打撃を受けた。12月10日、日経平均が約400円暴落した。この原因も、中国やギリシャにあるとのことだ。日銀の黒田総裁は、日本の金融政策はコントロール可能と胸を張るが、中国やギリシャの影響をもろに受けるようでは、むなしく響くばかりである。
 個人で株を持っている人は、余裕のある一部に限られている。昨年8~9月の時点で株式を持っている人は国民の約11%だそうだ。この点で、アベノミックスは株に関しては間違いなく格差を助長している。預貯金や株式などの金融資産を1億円以上持っている世帯が100万を超える一方で、生活保護を受ける世帯は160万を越したとのことだ。安倍首相の言う “古き良き日本を取り戻す”の日本は格差の少ない日本ではないかと思うが。(犬賀 大好-85)

生命の誕生とはやぶさ2

2014年12月17日 10時25分01秒 | 日々雑感
 12月はじめ、はやぶさ2号が打ち上げられた。目的地の小惑星は地球が誕生した46億年前と同時期に誕生し、その構成物質に有機物や水が含まれていると考えられている。地球誕生の謎に加えて、海の水の起源や生命の原材料となった有機物の起源も探ることに目的がある。順調にいけば、東京オリンピックが終了し、その余韻が残る間に帰ってくる計画である。
 人間を始めとする生物を構成する蛋白質の構成ユニットはアミノ酸である。そのアミノ酸を無機物から合成することは、実験室レベルで可能であるが、そのアミノ酸が更に複雑な有機物に進む過程は、全く分かっていない。ダーウィンの進化論では単純な組成から複雑な構造へと進化していくとの説であるが、生命誕生の謎に関しては全く触れられていない。
 ウイルスは、現在流行中のインフルエンザの元凶であるが、基本的にはタンパク質と核酸からなる粒子であり、生物の特徴である自己の複製は自分だけでは出来ず、他の細胞の中に入り込んでのみ可能であるという、生物と無生物の中間にある。生物誕生前に、このような無生物に近いウイルスの誕生があったと考えたくなるが、このウイルスですら何か他の生物が存在しなければ増殖出来ないとなると、では最初の生物は何であったか謎は深まる。それどころか、現在の自然科学でも生物・生命の定義すら出来ないほど生命の謎は深い。
 このような考えに対して「知的設計説」がある。これは「知性ある何か」によって生命や宇宙の精妙なシステムが設計されたとする説である。「知性ある何か」を神様と解釈すれば分かりやすい。宇宙のどこかに神様がおり、神様が生命の種を地球上に撒き、その種がまわりの環境に応じて進化し、現在の生態系が出来上がっていると言う説だ。神様を持ち出せば、色々な謎も一挙に解決する。そこで神様とは何者かを知りたくなくが、この説においては愚問となろう。兎も角、神様を持ち出さなければならないほど、生命誕生の謎は深いわけだ。はやぶさ2はこの謎に少しでも近づけるか。東京オリンピックより遥かに興味深い。(犬賀 大好-84)