日々雑感

最近よく寝るが、寝ると言っても熟睡しているわけではない。最近の趣味はその間頭に浮かぶことを文章にまとめることである。

これからの原発事業はこれまでの尻拭いに追われる

2018年06月30日 09時38分35秒 | 日々雑感
 東京電力ホールディングスの小早川社長は6月14日、福島第2原発の4基全てを廃炉にする方針であることに言及した。東電はこの4基の廃炉費用を約2800億円と見込む。福島第2原発も第1原発と同様に津波で施設が破損しているため、想定以上に費用が膨らむこと必須である。

 福島第1原発事故の後始末に関しては、使用済み燃料プールに保存されている核燃料を取り出す作業は4号機では完了したが、3号機では今年2月ようやく取り出し準備が整ったとのことで、今年中には完了するだろう。しかし、1号機、2号機においては、これからで2023年に完了予定との話だ。

 当初の廃炉工程表によれば、格納容器から溶け出たデブリの取り出しが開始されるのは、2011年より10年以内とされている。デブリの取り出しは核燃料取り出し後の筈であるので、既に計画から遅れている。

 東京電力は今年4月、福島第1原発2号機の原子炉格納容器の内部について、格納容器底部2カ所で周囲より高く降り積もったデブリとみられる堆積物の画像や動画を公開した。ようやくここまで突き止めたが、デブリ取り出し法の具体策検討や1号機、3号機におけるデブリの調査は恐らくこれからであろう。

 福島第1では、炉心溶融などにより、廃炉と汚染水対策で計8兆円の費用が必要とされるが、計画の遅れは、作業の困難さを物語り、費用の増大は必須であろう。

 費用がいくら増加したところで、電気料金に上乗せすれば済むとのことで、東電社員にとって特に慌てる話では無いかも知れないが、世間に対し肩身が狭く、士気低下に繋がることは間違いない。

 原発事故以後、安全基準が厳しくなり、再開するためには国の安全審査が必要となる。日本全体で、既に廃炉が決まったのが17基あり、比較的小規模で安全対策費の増大で将来の採算が見込め無いため、再稼働を申請していないのが17基あり、計34基が廃炉の運命である。

 原子炉1基当たりの解体費用は、300億~800億円とのことだが、日本では廃炉の経験が無く、海外では1000億円かかる試算もあり、解体費用は大幅に膨らむに違いない。これらの費用は、電気料金の上乗せで賄うのであろうが、廃炉が決まってもそこから生ずる廃棄物の処分場が決まっておらず、これにもいくらかかるか分かっていない。

 商業用原子炉で初めて廃止が決まった東海原発は、2001年より解体作業を進め2017年度に完了予定だったが、過去2回延期され2025年度に先送りされている。

 今現在日本では、原子力施設を解体して出る廃炉のゴミは、「低レベル放射性廃棄物」として地中に埋めて管理する規則になっている。比較的低いレベルの廃棄物の処分場としては青森県六ケ所村に埋蔵センターがあるが、ここが受け入れるのは運転中の原発から出たゴミだけで、廃炉のゴミは引きとってもらうことが出来ないそうだ。これが先送りされている理由だ。

 そして、もっと放射能レベルの高い廃棄物に至っては、処分する施設そのものが一つもないどころか、その候補地ですら決まっていないのが現状だ。

 廃炉が決まったが、解体工事が出来ず、このままでは原発維持費が嵩むばかりである。原発を持つ電力会社10社のうち、原発が稼働していない7社が「原子力発電費」として、原発の維持・管理に2012~16年度の5年間で5兆円超を支出していたことが明らかになったとの報道が今年3月にあった。

 原発を抱える自治体の中には、稼働中の原発の核燃料に課す核燃料税が入らない為、自治体の運営に支障を来たしているとの話だ。そこで停止中の原発に課税や廃炉原発に課税する方針の自治体もあるとのことだ。自治体も一度味わった甘い夢を何とか取り戻したいと、未だに廃れ行く原発に縋っている。

 安全神話の下に栄華を誇った原発も、これからは過去のつけを払うために、懸命努力するしかない。原発事故を起こした東電旧経営陣は色々裁判所に訴えられたが、何れも無罪となった。しかし、事故の影響は夥しい。法的には無罪かも知れないが、不作為の行為は、人生における大きな禍根となろう。2018.06.30(犬賀 大好-455)

増税は誰もが反対するがその先にあるもの

2018年06月27日 09時47分59秒 | 日々雑感
 6月15日に公表された新たな財政健全化計画では、基礎的財政収支(プライマリーバランス=PB)を黒字化する目標を従来より5年遅い2025年度に設定するとともに、社会保障費の抑制の目安は高齢化による増加分に相当する伸びにおさめるという抽象的な精神論にとどまった。

 PBの黒字化目標は、これまで何回か先送りされてきたが、2025年目標も極めて楽観的な経済成長を前提にしており、まず達成困難、否不可能と思われる。現在アベノミクスによる異次元金融緩和のお蔭で名目GDP成長率は2018年度2.5%となる見込みであるが、その後更に順調に伸び2020年度は3%、2025年度には3.5%になるとの超楽観的試算に基づいているのだ。

 経済成長は覚束ないのに歳出は確実に膨らむ一方である。高齢化による社会保障費の増加は当然であるが、最近は高等教育の無償化等、将来を担う若者に対する投資額も増えている。

 2018年度の一般会計総額は約98兆円であり、歳出の第1位は社会保障の約33兆円、一方歳入の第1位は税収の約60兆円であるが第2位は新規国債発行による借金の約34兆円である。2025年の財政健全化に向けて歳入を増やさずに、歳出を減らすことが可能であろうか。

 2025年問題とは、2025年には団塊の世代が75歳を超えて後期高齢者となり、国民の3人に1人が65歳以上、5人に1人が75歳以上になるハイパー高齢化社会に関わる諸問題であるが、ここにPB黒字化問題も加わった分けだ。

 厚生労働省の推計によれば、2025年の医療保険給付は総額54兆円と、現在より12兆円以上増える見通しだそうだ。生産人口の減少が進む日本の国力で、激増する超高齢者をとうてい賄える額ではない。

 先の計画では、高齢化に伴う増加分を社会保障費の抑制で凌ごうとのしている。医療行政における無駄の削減や効率化による抑制が望まれるが、サービス低下につながる抑制も当然あるだろう。

 医療行政の無駄とは、例えば処方される薬の多くが未使用のまま捨てられる問題である。このような無駄の削除や医業の効率化でどこまで対処できるか甚だ疑問である。裏には医薬業界などの利権が絡むため、簡単には進まないであろう。

 医療・介護の自己負担の月額上限引き上げ、後期高齢者医療の保険料値上げ、等による収入の増加も見込んでいる。先日、成人健康診断を受けたが、確か去年は無料であったが、今年は500円取られた。知らない間に値上げされる料金は今後どんどん増えるであろう。

 高齢者にとって、医療費は上がる、医療サービスは低下する、年金は下がる等、住み難い時代が待っている。国債発行による子供達への負の遺産は残したくないと思うと、高齢者は姨捨山に行かざるを得ないのか。

 税収を増やしたいが、増税を口にすれば選挙で落選間違いなしと国会議員は目先のことしか考えない。来年10月には、再三延期されてきた消費税の10%化が実施される予定であるが、国会議員の一部からは更に延期すべきとの声もあると言う。ポピュリズムの最たるものである。

 民主党政権時代の2010年、当時の菅直人首相が突然増税を言い出して、国民から猛反発を食らい、党の退潮傾向を強めた。当時財務官僚の口車に乗せられたとの噂であったが、少なくとも財務官僚は現在の不健全財政を予想していたのだろう。現在の財務官僚は、政府の意向を忖度するばかりで、国の将来を心配するより、自分の将来を心配している。

 政府、日銀は異次元金融緩和で物価上昇率2%の達成を目標にしているが、当分達成されそうに無いとのことだ。しかし、逆に物価上昇率2%が達成されるとなると、金融緩和続行の名目が無くなり経済界は慌てるだろうし、高齢者は物価が上がって生活が苦しくなると慌てるだろう。2018.06.27(犬賀 大好ー454)

夢の核燃料サイクルの破綻は技術への過信から!

2018年06月23日 09時21分18秒 | 日々雑感
 2050年を目指した長期的なエネルギー政策について議論する経済産業大臣の私的懇談会が今年4月10日、「エネルギー転換へのイニシアティブ」と題した提言をまとめた。本来この懇談会には、日本が将来にわたって原子力発電とどう向き合うのかを示すことが期待されたが、結論的には将来はどうなるかよく分からないので、色々な選択肢を考えておくべきだとの至極差しさわりのないものとなった。

 先の国際エネルギー機関(IEA)が昨年発表したレポートでは、世界で再エネルギー由来の電力は今後5年間で4割を超えると予想し、発電コストも太陽光で25%、洋上風力で3割下がり、従来の化石燃料による発電と同水準まで下がると予想しているが、このような踏み込んだ議論はなされなかったようである。

 先の懇談会の結論も会の構成員次第であり、主催者の意向に合致するように仕組むことは簡単である。従って懇談会の設立に当たって、経産大臣から2050年のエネルギー戦略のシナリオを描くよう求められたにもかかわらず、従来の路線に沿った考えの専門家や経済人を集めれば、当然の帰結とも言える。再生エネルギーの重要性が分かっていても、従来の柵が強く、二進も三進も行かなくなっているのだろう。

 しかも、今夏の閣議決定予定の第5次エネルギー基本計画でも、2030年度の電源構成は、太陽光や風力などの再可能エネルギーの比率を22~24%にするとしながらも、電力量に占める原子力発電の割合を20~22%にする等、原発が相変わらず主要な電源と位置づけている。

 東京電力福島第1原発事故が起こる前は、絶対的安全神話の下、原子力発電は地球温暖化にやさしく、安価で、無限のエネルギーを供給出来るものとしてもてはやしてきた為、世界の流れは再生可能エネルーとなっているが、日本はなかなか踏ん切りがつかないのだ。

 すなわち、これまでのエネルギー政策が余りにも核燃料サイクルの夢にどっぷり浸かっていたため、なかなか夢から抜け出せないのだ。核燃料サイクルは無から有を作り出す夢のサイクルであるとし、技術的な問題も数々あっても、時が経てばその内技術が進歩して解決するとの甘い見通しの下にぬるま湯に浸かっていたのだ。

 その中核をなす高速増殖炉は今や風前の灯である。高速増殖原型炉 ”もんじゅ”は、既に廃炉が決まっているが、高速増殖炉そのものは未練がましく開発続行の姿勢を崩していない。なんせ核燃料サイクルの中核をなすものだから止めるに止められない。

 しかし、その後継機の開発について議論する経済産業省の作業部会に、今月始め、フランス原子力庁の担当者も出席し、日仏で共同研究を進める高速実証炉の計画を大幅に縮小する方針を明らかにした。また一歩後退せざるを得ない状況に追い込まれたのだ。

 一方、核燃料サイクルの一角を占める、原発の使用済み核燃料からプルトニウムを取り出す再処理施設を青森県六ケ所村に建設中であるが、大金を注ぎ込んで無事完成できたとしても、宝の持ち腐れになる恐れが充分高まった。

 片や、これまで再処理を行ってきた東海再処理施設は、今年6月、原子力規制委員会は廃止計画を認可した。だが、国費で賄う廃止費用は約1兆円かかるそうだ。廃止作業は完了まで約70年かかる見通しだが、そこで生じた廃棄物の処分場は未だ決められずにいる。

 日本はこれまで原発の恩恵に与ってきたが、これからは多大な出費と年月を払わなくてはならない。それも、その恩恵に報いるためと我慢するしかないだろう。

 一度躓いた技術の流れは簡単には元に戻せない。夢の無い所には有望な人材は集まらないため、ますますじり貧状態に陥る。夢の核燃料サイクルの破綻は、”もんじゅ”の躓きや福島第1原発事故等、が直接影響しているが、そこでは技術は永遠に進歩するとの過信があったことには間違いない。

 「夢を抱いて挑戦すればいつかは必ず適う」は、よく耳にするフレーズであるが、過信に基づく挑戦は自殺行為である。以上

2018.06.23(犬賀 大好-453)

財政規律の撤回を叫ぶ自民党若手国会議員

2018年06月20日 10時03分42秒 | 日々雑感
 政府は、今年6月の経済財政諮問会議で、経済財政運営と改革の基本方針の原案を公表した。財政再建目標は、国と地方の基礎的財政収支(Primary Balance、略してPB)を、団塊世代の全てが75歳以上となる2025年度までに黒字化すると明記した。

 内閣府は今年1月の経済財政諮問会議で、PBの黒字化見通しを従来の2025年度から2027年度に先送りした筈であった。私の勘違いで無ければ今回はそれより2年早めた分けだが、まともな議論や根拠に基づいての結論であろうか。私には単にアベノミクスの失敗を覆い隠すために早めに設定し直しただけと思われるが。

 現在日本は1千兆円を越す借金を抱えているにも拘わらず、財政の健全化を目的とするPBは、再三先送りされ、借金は雪だるま式に増え続けている。GDPとの比較では既に2倍以上になり、終戦直後の経済状態より悪いとのことだ。行く手には何が待ち受けているだろうか心配になる。

 こんな心配をよそに、自民党の当選2回の若手衆院議員の集まりである”日本の未来を考える勉強会”では、PB黒字化目標の撤回を求めているそうだ。経済成長を優先し、PB赤字を気にせず公共事業や教育分野の歳出を増やすべきだと訴える。経済が成長すれば税収も増えるから何ら問題なしとのストーリーである。

 政府は元々、経済再生なくして財政健全化なしの基本方針であり、経済再生を経済成長と理解すれば何ら矛盾せず、単なる安倍首相の応援団である。しかし、アベノミクスの異次元金融緩和で企業は空前の好景気の筈であるが、それでも財政健全化目標を先送りするのだ。先送りした結果の副作用を考えずに、今が良ければと考える自民の若手議員に不信を感ずる。

 彼らの主張には、京都大学大学院工学研究科教授の藤井聡氏の影響がある。氏の主張の主要部分は、国の税収を如何に増やすかにあり、そのためには経済成長をひたすら追い求める。消費税の増税も消費低迷となるから反対との立場であり、逆に法人税の減税もそれにより企業の活動が活発化し税収が増えるから賛成の立場である。

 経済成長し税収が増えれば大半の問題は解決できることは、話としては単純で分かり易いが、経済成長が現実的に可能かとなると極めて厳しいと言わざるを得ない。

 内閣府が今年1月作成した”長中期の経済財政に関する試算”によると、名目GDP成長率は2018年度2.5%であり、その後順調に伸び2020年度は3%、2025年度には3.5%になると試算している。過去を見ると乱高下状態であり、2015年度は3%と突出したこともあったが、2016年度は1%となる等2000年以降はほとんどが2%以下であった。金額的には1998年は528兆円、2018年は556兆円であるが、2020年度には600兆円を見込んでいる。兎も角今後の経済の見通しを、極めて楽観的に捉えているが、楽観的過ぎる。捕らぬ狸の皮算用とはこのことだ。

 2018年度予算は一般会計総額が97.7兆円と過去最大である。主たる歳入は、税収が約60兆円、新規発行国債が約34兆円だ。一方歳出は、社会保障費が約33兆円で断トツであるが、その次はこれまでに発行した国債の元利払い分、約23兆円だ。このつけのため、何と新規国債の約7割が費やされるが、更につけは増える一方だ。既に日本の経済は自転車操業状態に陥っている。

 2025年に幸運にもPBが達成できたとしても、このつけは、いつまで続くか分からないが、将来への負の遺産であることには変わりない。

 藤井教授が、経済健全化を税収の増加に依存するのであれば、その根拠をもっと明確にすべきであろう。例えば、成長戦略のありかた、なぜこれまでの戦略がだめであったか等、大学教授として緻密な検証や分析をすべきであろう。
2018.06.20(犬賀 大好-452)

世の中チャレンジ精神を欲しがるが!

2018年06月16日 09時49分25秒 | 日々雑感
 6月1日、大学4年生を対象とする採用面接などが解禁されたとの話であるが、既に大半の学生が内定を取っているとの声も聴かれ、人手不足の現状がよく理解される。

 経団連の調査によると、企業が選考で重視する要素のベスト5は、「コミュニケーション能力」「主体性」「チャレンジ精神」「協調性」「誠実性」だそうだ。

 多くの就活サイトでは面接でこれらの特性を如何にアピールするかの手ほどきが丁寧に披露されている。こんな付け刃のアピールで企業の採用担当者が騙されないとは思うが、目下空前の人手不足の状況で内定者を頻発しているのだろう。

 さて、本来のチャレンジ精神とは、誰もやったことのないことに立ち向かい、他人が何と言おうとひたすら挑戦する心であろうが、経団連が要求するチャレンジ精神はそんなに徹底した精神ではなく、単なる積極性と解した方がふさわしい。

 経団連が欲するチャレンジ精神は、物事に対して何事であっても意欲的に取り組む程度に過ぎない。そこでは、脇目も振らず一途にやるのではなく、仲間とコミュニケーションを図り、協調して誠実にやることなのだ。

 ひと昔前には体育会系出身者のように言われたことをがむしゃらにやるタイプは影を潜め、言われなくとも仲間をまとめて主体的に考えて仕事をこなす人材を必要としている訳だ。何と虫の良い要求であろうか。

 本来のチャレンジ精神に協調性は必要ない筈だ。チャレンジ精神の持ち主として有名なのは、ソニー創業者の井深大氏であり、ホンダの創業者の本田宗一郎氏であるが、植村直己氏を筆頭と考えたい。氏は、1984年、43歳の誕生日に世界初のマッキンリー冬期単独登頂を果たしたが、翌日に連絡が取れなくなったまま消息不明となった登山家である。植村氏はほとんど単独行であり、協調性を重んずるとの話は聞いたことがない。

 他人のやらないこと、他人が出来なかったこと、あるいは他人が考えもしなかったことに情熱を注ぐことが本来のチャレンジ精神である。大勢の人が合意するような物事への取り組みには積極性で十分である。

 日本は昔から、”仲良きことは美しき哉” の国である。出る杭を打つ伝統があり、最近 ”出る杭を打たない” をキャチコピーにする企業も現れ始めているが、本当に社内でそのように運営されているかは疑問である。先の経団連の調査でも、チャレンジ精神の他にコミュニケーション力や協調性もしっかり入っており、日本では全体的には今なお出る杭は打たれる伝統を守り続けているのだろう。

 日本では、昔から独創性が乏しく、欧米発のアイデアの改良を得意とすると言われてきた。日本民族には、農耕民族の生活が習慣つき、他人と足並みを揃える重要性が刷り込まれているのだ。最近では独創的なアイデアに挑戦する人も現れているようであるが、社会全体としてそのような人を応援する環境が整ったとは思われない。

 チャレンジ精神が旺盛な国と言えば米国であり、そこでもシリコンバレーが有名である。世界から、独創的なアイデアを持つ個性的な人が集まり、そこに一儲けを企む投資家も集まり、失敗もまた勲章とする土壌があって、新技術が育つのだ。

 日本でもこのような環境を育てたいのであろうが、このような総合システムは一つの文化であり、一朝一夕には出来ない。精々できるのは情報収集であり、IT技術を駆使し、いち早く将来有望な技術を見つけること位であろうが、そこでも将来を見通す力が必要とされる。誰もが有望と気が付いた時には既に手遅れであり、そこにもチャレンジ精神が必要とされるが、日本の企業はどこまで対応できるであろうか。
2018.06.16(犬賀 大好-451)