里の家ファーム

無農薬・無化学肥料・不耕起の甘いミニトマトがメインです。
園地を開放しております。
自然の中に身を置いてみませんか?

岸田首相式辞 加害と反省なぜ語らぬ

2022年08月16日 | 生活

「東京新聞」社説 2022年8月16日

 岸田文雄首相は終戦の日の式辞で、戦争の惨禍を繰り返さないと強調する一方で、アジア諸国に対する加害に言及しなかった。反省なき不戦の誓いは国際社会から信用されまい。平和国家としての歩みを強固にするには、負の歴史にも真摯(しんし)に向き合うべきだ。

 近年の歴代首相は終戦の日の式辞で、党派を超えてアジア諸国への「深い反省」や「哀悼の意」などを表明し、加害責任に触れてきた。首相に再登板した故安倍晋三氏が二〇一三年にこれを覆し、在任中八年連続して加害や反省に言及しなかった。昨年の菅義偉氏も安倍氏の姿勢を踏襲した。

 岸田首相は式辞で、戦後日本が「歴史の教訓を深く胸に刻み、世界の平和と繁栄に力を尽くしてきた」と述べ、安倍氏が二〇年に削除した歴史を顧みる表現は復活させた。だが、この言葉から侵略や加害への反省は読み取れない。

 首相が安倍氏と同様に、いつまでも謝罪を続ける必要はないと考えているなら、思い違いも甚だしい。日本が広島・長崎への原爆投下や各地の空襲、沖縄戦を忘れないように、日本に侵略された国も被害を忘れない。歴史をなかったことにはできない。

 特に今年は、ロシアによるウクライナ侵攻で無辜(むこ)の民の犠牲が増え続ける中で終戦の日を迎えた。今こそ、日本がかつてアジアに侵略した歴史を直視し、反省を新たにする時ではないか。

 ロシアの蛮行や中国、北朝鮮の軍備拡張を踏まえ、首相は五年以内に防衛力を抜本的に強化する方針を掲げるが、そこに歴史への反省が伴っていなければ、アジア諸国から日本が再び軍事大国になるとの疑念を持たれかねない。

 日本は明治維新から近代化を進め、七十七年後に壊滅的な敗北に至った。その過程で国の進路を誤り、自国民だけではなく、アジアを中心とする他国民に多大な犠牲をもたらした。

 敗戦後、七十七年という同じ年月の間、日本は戦火を交えることなく、経済発展を遂げ、民主主義も定着させた。非軍事を中心に途上国支援や平和維持に努力し、国際社会からも信頼を得てきた。

 戦後七十七年の歴史を誇れるのも戦前への反省があってこそだ。平和国家としての歩みを次世代に引き継いでいくために、政治には節目に当たり歴史と謙虚に向き合い、語っていく責任がある。


昨夜から北海道も大雨となり、被害が出ているところも出てきている。
畑に設置してある私設雨量計では今朝10時半時点で90mmを超えている。
沼の水位を確認し、ハウス内の水の浸透を確認して帰宅した。

バラは雨で枝が開帳していたので紐で軽くまとめてきた。


「戦争する国」への逆流許さず

2022年08月15日 | 社会・経済

 77回目の終戦の日

「しんぶん赤旗」主張 2022年8月15日

 日本がアジア・太平洋戦争に敗北した1945年8月15日から、きょうで77年です。31年の中国東北部への侵略(「満州事変」)で始まった15年にわたる侵略戦争は310万人以上の日本国民、2000万人を超えるアジア諸国民の命を奪いました。戦争の惨禍を二度と繰り返さないという誓いこそが戦後日本の出発点です。ロシアのウクライナ侵略という暴挙に乗じて自民党などが日本国憲法の破壊を企て、戦後の歩みを逆転させる動きを強めていることは重大です。東アジアと日本に戦火を招かないために平和外交に全力をあげる政治への転換が必要です。

「9条は人類の到達点」

 破壊しつくされた街、砲撃で恐怖に震える子どもの姿―ウクライナから伝えられる戦争の悲惨な光景に胸が締め付けられます。自分の戦争体験と重ね合わせ、心を痛める人も数多くいます。

 戦争を絶対に起こさないため知恵と力を尽くす責任が政治にはあります。

 岸田文雄首相は10日の内閣改造後の記者会見で、最重要課題のトップに軍事力の「抜本強化」を掲げました。「敵基地攻撃能力」の保有や、軍事費を国内総生産(GDP)比2%以上にすることを念頭に大幅増を狙うなど大軍拡に拍車をかけようとしています。それと一体で、憲法9条に自衛隊を明記する改憲策動も加速する構えです。東アジアで「軍事対軍事」の緊張を高める道に踏み込もうという危険な姿勢です。

 しかし国民の願いは異なります。日本世論調査会の「平和世論調査」(7月31日報道)がそのことを示しています。「戦争を回避するために、最も重要と思うことは」との質問では「平和に向け日本が外交に力を注ぐ」(32%)、「戦争放棄を掲げた日本国憲法を順守する」(24%)との回答が、「軍備を大幅に増強し他国からの侵攻を防ぐ」(15%)を大きく上回りました。

 ロシアのような国が世界秩序を揺るがしている時だからこそ日本国憲法に意義があると説く外国の国際法学者もいます。アメリカのイエール大学のオーナ・ハサウェイ教授です。

 同氏は「長い人間の知の歴史、さまざまな人々のアイデアと考えの積み重ねがあって、1928年の不戦条約があり、第2次世界大戦があり、国連が生まれ、そして日本国憲法が生まれた」と世界史の文脈で考えることが重要と語り、憲法9条は「戦争違法化の流れからいって、人類の一つの到達点」と強調します。そして、いま日本が平和憲法を変えることは、「戦争違法化」の世界秩序を覆したい勢力に付け入らせることになり、世界の法体系に影響し、安全を損なう恐れがあるとも指摘します(朝日新聞社『ジャーナリズム』8月号)。9条を守り生かすことは世界の平和にも重要な貢献となります。

再び惨禍招かないために

 日本の侵略戦争と植民地支配の深い傷はいまもアジア・太平洋の各地に残され、日本の責任は問われ続けています。過去の過ちを直視しない政治では平和の未来は開けません。

 「政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにする」。憲法前文に記されたこの一節を心に刻んで、「戦争する国」づくりを許さないために力を合わせましょう。


「戦争の違法化」『核兵器の所有と使用の違法化」更に『武器の所有の違法化」も必要だろう。

武器がなければどうする?
話し合うか?
他の対決で決着を図るか?
ジャンケン?
競技?
 そもそも武器がなくなれば「温暖化対策」も「食糧問題」も「貧困対策」も何もかもうまく行きそうな気がするのだが・・・・

人を攻撃するのはやめよう!
地球を攻撃するのはやめよう!


岸田新内閣には神政連関連18人、日本会議関連11人…“差別容認集団”と蜜月関係の閣僚ズラリ

2022年08月14日 | 社会・経済

日刊ゲンダイDIGITAL 2022/08/14 

 「心機一転。気持ちを新たに難局突破」──。10日の内閣改造後、岸田首相がこう言ったそばから、問題の旧統一教会(現・世界平和統一家庭連合)側と関係のある閣僚が7人も発覚。内閣支持率も下落しているが、自民党を支援する「宗教右翼」は旧統一教会だけではない。差別を容認するような組織と蜜月関係にある議員が改造を機にウヨウヨと入閣し、宗教色が一層濃厚になっているのだ。

 ◇  ◇  ◇

 問題の組織は、神社本庁と一体化した「神道政治連盟」と、安倍政権時代から自民党との蜜月関係が取りざたされてきた右派団体「日本会議」。日刊ゲンダイの調べで、全20閣僚のうち、神政連を支援する議員連盟の会員は18人、日本会議国会議員懇談会への所属が確認できたのは11人に上った(別表)。特に、神政連議連の会員になっている閣僚は改造前から3人増えている。

 神政連といえば、性的マイノリティーへの差別的思想を持ついわく付きの団体だ。参院選直前、神政連の議連会合で配られた冊子に「同性愛は精神障害で依存症」などとLGBTに対する差別的な内容が書かれていたことが分かり、問題視された。今回の改造内閣で非会員だったのは、公明党の斉藤国交相ら2人だけ。会員の議員は選挙のたび、神政連の支援を受けている。

「心機一転」どころか「古色蒼然」

 神政連、日本会議両議連と関係があったのは、岸田首相本人に加え、安倍元首相シンパの高市経済安保相、西村康稔経産相ら10閣僚。旧統一教会と関係がある閣僚数を上回っている。宗教問題に詳しいジャーナリストの藤倉善郎氏はこう言う。

「日本会議と神政連、さらに旧統一教会は家父長制という伝統的な家族観を重視している点で、考えが一致しています。その思想には、性的マイノリティーの権利抑圧、女性蔑視といった差別的な内容が含まれている。掲げる政策を見る限り、各団体と自民党内の保守派が思想を共有しているのは間違いないでしょう。ですから、仮に今回、自民党が旧統一教会との関係を“清算”できたとしても、日本会議と神政連の影響を排除できなければ何も変わりません。政権内に復古的な価値観が根付いたままになってしまうでしょう」

一体どこが「心機一転」なのか。ジェンダーフリーと逆行する「古色蒼然」もいいところだ。


これらの問題のど真ん中にいたのが安倍晋三だ。
「国葬」に断固反対する。


統一協会との癒着 新閣僚も次々判明 「無関係の議員」で組閣できず

2022年08月13日 | 社会・経済

「しんぶん赤旗」2022年8月13日

 岸田政権は10日、改造内閣を発足させましたが、初日から7人の閣僚が統一協会(世界平和統一家庭連合)との関わりを認める異常事態となっています。首相は改造前の記者会見で「自ら点検し、厳正に見直していただくことが新閣僚、党役員においても前提となる」(9日)と述べ、岸信夫前防衛相、二之湯智前国家公安委員長など協会との関係を認めていた7人の閣僚交代を表明していました。新任・留任の閣僚から次々と協会との癒着が判明し、「もはや自民党は統一協会と関係のない議員では組閣ができない深刻な癒着があるということが逆に証明された」(日本共産党の小池晃書記局長)という事態です。

 加藤勝信氏は10日の記者会見で、2014年、16年に関連団体へ会費1万5千円をそれぞれ支出していたことを明らかにしました。また、協会系の「世界日報」との関わりについて「さまざまな取材の一環として取材に応じた」と強弁しました。

 他にも、西村明宏氏は、関連団体のイベントで宮城県代表世話人を務め、岡田直樹氏は関連団体のイベントにメッセージを寄せ、会合に秘書を出席させたことを認めるなど、相次ぎ明らかになりました。

留任の2氏も

 協会との関わりがありながら留任したのが林芳正氏と山際大志郎氏です。林氏は当初、協会との関係を否定していたのが一転、「世界日報」の取材を受けていたことを明らかにしました。

 山際氏は13年に関連団体に会費として1万円を支出したほか、18年に関連団体のセミナーに出席。山際氏は10日の記者会見で、協会との関係について「私自身が首相に直接何かを説明することはしていない」と開き直りました。

徹底解明せよ

 最新の世論調査では、「日経」で、改造後の閣僚・党役員について協会との関係をめぐる懸念が「払拭(ふっしょく)されたとは思わない」が76%、「読売」では、首相が新閣僚に対し、協会との関係を自己点検するよう求めたことについて、十分な対応だと「思わない」が55%に上ります。首相は議員任せにせずに徹底解明し、反社会的カルト集団との関係をきっぱり断ち切るべきです。

 協会の田中富広会長は10日、日本外国特派員協会で記者会見し、自民党への選挙協力について問われ、「私たちの基本姿勢は共産主義と対峙(たいじ)して進める。その観点から言うと、自民党議員の方々がより多く接点を持つことがある」と述べました。反共主義で癒着する自民党と協会の関係が厳しく問われます。

*     *     *

暴言常習の杉田議員 政務官に

問われる任命責任

2022年8月13日

 自民党の杉田水脈衆院議員が12日、総務大臣政務官に任命されました。政務官の任命は大臣の申し出に基づいて内閣が行います。

 杉田氏はこれまで、性暴力被害者支援事業をめぐり「女性はいくらでも嘘をつける」と発言し、LGBTQに関連して「彼ら彼女らは、子どもを作らない、つまり生産性がない」と発言するなど暴言を繰り返し、厳しい社会的批判を受け、野党から議員辞職の要求を受けてきました。

 また同氏は2016年8月5日、ツイッターに「幸福の科学や統一教会の信者の方にご支援、ご協力をいただくのは何の問題もない」と投稿し、開き直りました。

 こうした人物を政務官に任命する岸田政権の見識と責任が問われます。


もうこんな政党は消えてもらいましょう!
もう少しマシなことをするかと思いきや・・・・
岸田政権の支持率も急落を加速させるでしょう。
総辞職か解散か。
「国葬」などしてる暇などないはずだ。
「野党」は力を合わせて戦え!

昨夜から神戸からカミさんの妹が家族(すでに独立した娘2人と孫2人)を連れてやってきたので、今日は砂川の岩瀬牧場で昼食とジェラートを。


その前に畑によってくれたので、ミニトマトのもぎ取り、普段は食べないというミニトマトを幼い子がたくさん食べていた。その場でトウキビも食べたいと言うので焼いてあげた。ピーマンも食べたい、じゃがいもも、・・・
なんだ、これなら最初からここでBBQするんだった。


物価高による倒産ラッシュが始まった! 8月中に年間最多件数を更新か

2022年08月12日 | 生活

日刊ゲンダイDIGITAL  2022/08/10 

 「プーチンの戦争」が拍車をかける資源や食糧の需給逼迫に円安が重なり、庶民の暮らしは急激な物価高騰にアップアップだ。仕入れ価格上昇に苦しむ企業もしかり。帝国データバンク(TDB)の調査では、物価高による企業倒産が急増。過去5年で最多ペースになっているという。

 TDBによると、7月の企業倒産は31件。コロナ禍では初めて3カ月連続で増加。調査を開始した2018年1月から先月までに判明した物価高による倒産は累計558件。今年は先月までで116件に達し、過去5年で最多となった21年の138件を大幅に上回るペース。早ければ今月中に年間最多件数を更新する可能性が高いという。

「足元の物価高倒産の主な要因は原油や燃料、原材料などの『仕入れ価格上昇』や、取引先からの値下げ圧力などで価格転嫁できない『値上げ難』です。中でも中小・零細企業は収益を維持できず、持ちこたえられなくなってしまう。倒産という形で表面化するには数カ月ほどかかるため、倒産件数がこの先どんどん増えていくとみています。需給逼迫や円安が解消されない限り、事態は好転しない。資金需要が高まる年末が迫るにつれ、企業を取り巻く環境はますます厳しくなるでしょう」(情報統括部の内藤修氏)

 デフレ脱却を目指したアベノミクスは9年経っても効果を表さず、インフレと縁遠かったところに外的要因による物価高騰が猛威を振るい、企業の対応は追いつかない。倒産急増は一人一人の暮らしに直結する。「値上げの秋」の次は「倒産の冬」到来か。マトモな経済対策が打たれなければ、年の瀬は死屍累々だ。


これだけの倒産でどれだけの労働者が失業の波に飲まれるか?
安倍「国葬」と同時に国民の葬儀の列ができるのではないか?
コロナ無策、経済無策。

園のようす。

アジサイまだ頑張っています。

このバラ、1株で50個の蕾がついている。

家に帰ってきたら久しぶりの夕焼け。


【御巣鷹山から37年】123便

2022年08月11日 | 事件

【御巣鷹山から37年】「なぜ、救助は翌朝に?」天国の夫に誓う墜落の真相究明

 2022/08/07 『女性自身』編集部

 「21年間の結婚生活で夫婦げんかは一度もありませんでした。

百貨店に行けば、私を着せ替え人形のように頭の先から爪先まで、ぜんぶコーディネートしてくれた主人です。

 生まれつき股関節脱臼がある私を『歩けなくなったら、必ずおんぶしてあげる』と。

この幸せが、ずっと続くように祈っていました。

あの年の8月12日、主人は急な日帰り出張で東京に行きました。

帰りの飛行機の前に電話をくれた主人は、とても疲れた声でした」

それが、吉備素子さん(79)が聞いた最愛の夫・雅男さん(享年45)の最後の肉声だった。

「いまから帰る。19時に伊丹空港に着く便に乗るーー」

 

■「主人がなぜ亡くならなければならなかったのか?」

1985年8月12日に発生した日航123便墜落事故。

 群馬県上野村の御巣鷹の尾根に18時56分に墜落した羽田発大阪行き(ボーイング747)には、乗員・乗客524人が搭乗していたが生存者はわずか4人(すべて女性)。520人もの尊い命が犠牲となった単独機世界最大の大惨事だった。
犠牲者の中には、国民的歌手の坂本九さんも含まれていた。

  また、同事故を扱った山崎豊子原作の映画『沈まぬ太陽』(2009年)では主演の渡辺謙が航空会社社員として遺族の世話役を演じた。

 夫の雅男さんはその犠牲者であり、吉備さんは遺族となったのだ。

「4カ月間、私は遺体安置所で、身元不明の部分遺体をひとつずつ手に取って、主人を捜しました。でも主人は手も足もバラバラで、ぜんぶは見つかりませんでした」

 9月の誕生日で満80歳となる。昨年は大腸がんの摘出手術をした。さらに先天的な股関節脱臼で激痛があり、歩くのには杖が必要だ。

  そんな吉備さんが日航に対し、民事訴訟を東京地裁に起こしたのは、2021年3月26日のこと。当初、この7月に判決予定だったが、8月25日の口頭弁論を経て、9月以降になる見込みだ。

 「墜落機のボイスレコーダー(音声記録装置)とフライトレコーダー(飛行記録装置)の生データ開示請求」が趣旨だが、なんと発生から36年、日本では同事故の裁判が一度も行われてこなかった。

 それを、なぜいま吉備さんが、ひとりで闘おうとしているのか。

 「ひとえに、主人がなぜ亡くならなければならなかったのかの事実、真実を知りたいだけなんです。

 今日の今日まで、日航から直接、事故原因を説明されたことなど、一度もないんですから」

 同事故は、事故調査委員会の1987年の事故調査報告書で「ボーイング社の修理ミスが原因で後部圧力隔壁が破壊、急減圧が発生し垂直尾翼が吹き飛ばされたことが原因」とされ、ほとんどの人が「不運な事故」と記憶しているはずだ。

 しかし吉備さんは目を見開いて「真実は明かされていないんです」と訴える。

 「日航や国の対応は辻褄が合わず、おかしな点ばかり。夕方に墜落したのに救助は翌朝やっと始まった。夜に始めていれば100人ほどは助かったのではとも聞きました。

 国も日航も、なにか隠している。私は墜落原因にずっと疑問を持ってきました」

 今日までの出来事と疑問、闘いのすべてを振り返ってもらった。

(なお、判決の行方は、河出書房新社より10月25日に発売される青山透子さん著『JAL裁判 日航123便墜落事件と1985』で詳しく綴られる)

■「家に帰ると、その日の出来事をすべて私に報告するのが、主人の日課でした」

 「私が生まれて3カ月のとき、父はニューギニアで戦死しました。私には父の記憶がないんです」

  1942年9月24日、朝鮮生まれ。歯科医の父と石川県出身の母とのあいだに生まれた、3人きょうだいの末っ子で次女が吉備さんだ。

 3歳になる年に終戦を迎え、その12月に一家は引き揚げの途に。

「すでにロシア兵が侵攻していて、一家で歩いて38度線を越えました。足が動かなかった私を、母が背負って歩いてくれたんです」

 命からがら「おんぼろ船に乗り込んで」父の実家の徳島県へ。

成長につれ股関節は丈夫になり、小学校には杖なしで歩いて通えた。

 その後、学生時代の吉備さんを見初めたのが、雅男さんである。

「3歳上の雅男さんと学生同士の集まりで知り合いました。でも私は最初、逃げ腰だったんです」

というのは雅男さんの外見が、いわゆる“コワモテ”だったから。

だがそのうち、彼の内面のやさしさ、包容力に気がついた。

「長男で、責任感が強い人とわかってきました。逆に私は末っ子で、甘えたいところがあった。

 股関節のことでいつかは歩けなくなる覚悟をしていましたので、『歩けなくなったら、必ずおんぶしてあげるよ』という雅男さんの言葉が、温かかったんです」

 大学で薬剤師の資格を取得した雅男さんが製薬会社に就職した後、2人は結婚。長男、長女も授かり、幸せを実感する日々を迎えた。

 「主人はたばこを吸わず、お酒も仕事のつき合い程度。家に帰ると、その日の出来事をすべて私に報告するのが日課でした」

 そんな雅男さんに、吉備さんはかなり溺愛されていたようで。

「私が家から徒歩数分のパン屋さんに行くのも心配で、幼少の娘に『迎えに行っておいで』と後を追わせ、次に息子を。最後は本人が店の前で私を“出待ち”していて」

吉備さんも、夫に献身した。

 「主人は朝6時半過ぎには家を出ますから、私は4時起きで、まず自動車を拭いて、靴を磨き、家族全員分の食事を支度します。

 そして、主人の仕事に役立つようにと、経済や医学の新聞記事に赤ペンで丸をつけるんです」

 ほほ笑んだ吉備さんが、表に目を向けるように言った。

 「車の運転席に主人、隣が長男で、後ろに長女と私。

 そんな休日には幸せをしみじみ感じました。『この幸せがずっと続きますように』と天国の父に祈っていたんです」

夫45歳、妻42歳、幸せの絶頂にいたはずが、あの日、一変する。

■バラバラになってしまった夫を必死で探しまわった

 1985年8月12日、夕刻。 東京から帰阪する予定の夫を、長男が伊丹空港に迎えに出ていた。

「19時過ぎ、その息子から電話で『いつまでたっても出てきへん』と。いつも、真っ先に降りてくる主人がです。慌ててテレビをつけたのが19時半ごろでした……」

テレビから飛び込んできたのは、

《日航123便が、レーダーから消えたもようです》

近所に住む妹夫婦に、すぐ空港まで送ってもらった。

「主人が乗った飛行機だとわかっていました……でも、無事をひたすら祈っていました」

夫の同僚も駆けつけた。そして。

 「《墜落した》とだけわかりました。でも《場所はわからない》と」

 搭乗者名簿の報道に夫の名が出たのは、23時過ぎだったと記憶している。

 一旦帰宅し「一睡もせず」翌朝7時の飛行機で上京。「群馬方面」へのバスの道中、11時前に《生存者4人発見》の速報が。

 「でもなぜか『主人はダメだろうな』と感じていました。群馬について、トイレに行く気も食欲もなく体育館で待機していると、16時過ぎに警察が『調書を取る』と」

そこで夫の持ち物、身体の特徴、服装、カバンの中身などを聞かれるにつけ「ふつうの状態では見つからないのだろう」と観念した。

 「体育館には次々遺体が収容され、17日には身元確認に遺族2人までが入れることになりました。

でも、虫の死骸を見るのも苦手だった私は長男と義弟に止められて、彼らが先に入ったんです」

ほどなくして、雅男さんと似た遺体の一部が見つかったといわれたが、吉備さんが確認すると一目瞭然で別人とわかった。

「ちょっと擦りむいたり、筋肉痛があるだけでも『痛い、痛い』って私に甘える人でしたから、どこに傷があるかも全部わかっているんです」

 当時、検視では、頭部と胴体がつながっている遺体を「完全遺体」、両部が離れた遺体および顔や手足など一部のみの場合を「離断遺体」(部分遺体)と呼んだ。

群馬県警高崎署で身元確認班長を務めた飯塚訓さん著『墜落遺体』(講談社)によれば同事故の検視総数は《2千65体》。つまり《520人の身体が、2千65体となって検屍された》というのである。

このような想像を絶する状況で、吉備さんは「必死になって主人を捜し回った」と述懐する。

「家が好きだった主人を、早く家に連れて帰りたい一心でした。あるとき子どもさんの棺を開けてしまったんですが、そこに納められていた小さな右手が、ひと目で主人のものとわかったんです」

なぜ小さな右手を雅男さんだと確信できたのだろう。「ダメだ」と警察に制止されるも食い下がり、指紋の照合を懇願している。

「5時間ほど後に、指紋が一致しました。焼かれたら縮むんですね。すっかり小さく、やさしい手になっていたけれど、指の短さなどが夫の手でした。主人を見間違うはずがありません」

棺にはズボンも置いてあった。

「主人のズボンに違いありませんでした。そして棺には、太ももの途中から足首までしかない右足があり『B型』と書かれていた。

でも主人は『O型』ですので、警察に引き取られてしまい、『もう一度、正確な血液検査をしてください』とお願いしました」

■抗議に出向いた日航の本社で、当時の社長はブルブルと震えだした

 翌日には、傘だけすっぽり抜け落ちたカバンが、ほかはあの朝、詰めたのと同じ状態で見つかった。そして19日、右手とズボンとカバンだけ荼毘に付すことに。

  「知人が般若心経を写経した着物を届けてくれて。でも、頭も体もありませんから、日本赤十字社の看護師さんが新聞紙で主人の全身をかたどって、顔の部分も包帯で巻いてくれたんです」

 その夜は、夫の骨壺を「肌身離さず抱いて」明かした。

 「亡くなったことは受け入れなければいけない。でも、わかってはいるけど、空虚な感じでした……」

  残りの遺体確認を続けるなか、10月には、再検査を依頼していた右足が勝手に荼毘に付されてしまっていたことが発覚する。

 「『話が違う』と抗議しました。さらに『政府が部分遺体すべてを10月中に荼毘に付す予定だ』と聞き、日航の社長に会いに行ったんです」

  一遺族に一人ついた「世話役」の社員が帯同し、本社に高木養根社長(当時)を訪ねると。

 「彼は墜落現場に行かず、黒焦げの遺体も見ていないことがわかった。私は『あのような状態で荼毘に付しては浮かばれない。520人の命を持って中曽根(康弘)首相に直訴しましょう』と言いました」

 すると高木社長は「ブルブルと震えだした」というのだ。

「そして『そんなことしたら私は殺される』と怯えているんです。『なぜだ?』と疑問に思いました」

  その後、部分遺体を荼毘に付すのは延期され、雅男さんの背中の一部と右足首も見つかった。

  12月の合同葬の前日、吉備さんは身元不明の残りの部分遺体すべてに、両手をさしのべている。

「2時間くらいかけて『捜し当てることができずに、ごめんなさい』とお詫びしていました」

【後編】【御巣鷹山から37年】遺族の闘い「裁判に勝って、すべての真実を明らかに」

 「ひとえに、主人がなぜ亡くならなければならなかったのかの事実、真実を知りたいだけなんです。

  今日の今日まで、日航から直接、事故原因を説明されたことなど、一度もないんですから」

1985年8月12日に発生した日航123便墜落事故。

 その遺族である吉備素子さん(79)が日航に対し、民事訴訟を東京地裁に起こしたのは、2021年3月26日のこと。当初、この7月に判決予定だったが、8月25日の口頭弁論を経て、9月以降になる見込みだ。

  1985年当時から吉備さんは、おもに次の4つの疑問を抱いてきた。

第1に、墜落場所の特定が遅れ、救出が翌朝になったこと。

第2に、相模湾に落下し沈んだ垂直尾翼などの残骸が「引き揚げできない」と結論されたこと。

第3に日航の高木社長(当時)の「私は殺される」という不可解な発言。

第4は、群馬県警事故対策本部長・河村一男氏に言われた「事故原因を追及したら、米国と戦争になる」発言。加えて同氏が退職後、関西で再就職した後の次の言動。

「あるとき突然電話がかかってきて、私を『監視するためにわざわざ関西に来ました。ずっと見ているから』と言うんです。その後も計3度ほど、電話で言われました」

 だが、そもそも遺族の疑問は、「日航側が一度も事故原因の説明をしていない」ことに起因する。

 「なんの説明もないから、遺族は疑問をぶつけようがない。論点の整理もできない。『取り合わない~はぐらかす』の繰り返しで疲弊させられるばかりでした」

 そんななか、遺族は最終手段として訴訟を“試みた”のだが……。

 1986年4月、日航、ボーイング社、運輸省各幹部を業務上過失致死傷罪と航空危険罪違反で告訴するも、1989年11月の東京地検、1990年7月の前橋地検ともに不起訴処分。

 民事では1986年7月、吉備さんら70人が米国ワシントン州で損害賠償請求をしたが、「日本の裁判所で決定すべき」とされ、1990年8月に同州最高裁が上告棄却。同月、公訴時効が成立してしまった。

  ほかに損害賠償請求は計32件あったが、すべて「和解」し、真相究明にはほど遠い決着に甘んじた。

 「遺族の疑念は報告書の完成で封じ込められました。遺族の悪口を吹聴する世話役もいて、遺族間の分断が狙いだったんでしょうか。

 私も、高木社長の『殺される』発言や河村さんの監視が無意識の脅威となって、声を上げる場所を失ってしまいそうでした」

■「すぐ救助していれば助けられた命があったのに……」

そんな窮地を一冊の本が救う。

 元日航客室乗務員の青山透子さんが2010年に著した書籍(現タイトル『日航123便墜落 疑惑のはじまり 天空の星たちへ』河出書房新社)で、同事故の疑問点に初めて光が当てられたのだ。

 「報告書の矛盾など数々の疑問を指摘していました。地元選挙区の中曽根首相が事故後3カ月も現場入りしなかったことも、検証していた。強い味方を得た思いでした」

 2011年8月、吉備さんは上京し、青山さんに思いの丈をぶつけた。

 「そこから青山さんがさらに取材を深め、個々の疑問が集約されて“争点”に変わっていきました」

のちの発表分も含む青山さんの著書群から要点の一部を抜粋する。

 《当日18時24分に後部圧力隔壁が突風で破壊されたとの報告書の結論は、付近の生存者が誰も吹き飛ばされなかった事実と矛盾する。

 報告書・付録(2013年公開)には、垂直尾翼のほぼ中央に「異常外力の着力点」と印が明記されている。

 群馬県警本部発行の冊子に手記を寄せた自衛官、文集に作文を書いた上野小の児童など、ジャンボ機や追尾するファントム2機の目撃談が多数あった。

 なかにはジャンボ機の胴体に楕円に付着していた朱色か赤色や、「真っ赤な飛行機」の目撃談もある。

 上野村村長は墜落直後に国や県に「墜落現場は当村」と電話連絡。

 米軍元中尉は墜落20分後に輸送機で現着したと後に証言。

 事故直後に現場は特定されていたはず》

 これらの要素を総合し青山さんは次の仮説を立てている(要約)。

 《相模湾上空で、123便の垂直尾翼の「異常外力着力点」にテスト飛行中の自衛隊模擬ミサイルか朱色の標的機が衝突したのが原因だ。

 墜落場所を知りつつ救助開始が遅れたのは、自衛隊が証拠の隠蔽工作をしていたからではないか》

 これを「にわかに信じがたい」と訝る向きもあるかもしれない。

 だが同時期、自衛隊の海上でのミサイル飛行テスト実施状況が各紙で報じられていた。

 中曽根政権が防衛費1%枠の撤廃や国産ミサイル開発を推進するただ中だった。

 また墜落現場でほぼ完全状態で発見された重要証拠の圧力隔壁を、事故調査委員が来る前日の15日に自衛隊が大型電動カッターで5分割してしまったのは事実である。

  吉備さんが声を震わせて言う。

 「救助された落合由美さん(当時26歳、CA)の証言では墜落当夜、現場で『おかあさん』とか『ようし、僕は頑張るぞ』という声が、しばらく聞こえていたといいます。

川上慶子ちゃん(当時12歳、生存者の1人で、両親と妹を失う)は、しばらく妹さんと会話できていたようです。すぐ救助していれば助けられた命があったのに……」

 もはやボイスレコーダーの開示検証が必須なのは明らかだろう。

 だが、報告書に記されたレコーダーの会話には空白部分が多く、存在するはずの高濱雅己同機機長とファントム機などとの通信記録が欠落しているのである。

  吉備さんは決意を固めた。

  2020年7月、三宅弘弁護士や経済アナリストの森永卓郎さんらの協力で「日航123便墜落の真相を明らかにする会」を発足し代表就任。

  そして2021年3月26日、日航に対してボイスレコーダーとフライトレコーダーの生データ開示を求める民事訴訟を起こしたのだ。

  当日、吉備さんはビデオメッセージで第一声を発した。

「疑問点を払拭するために立ち上がりました。

日航の持つ情報をすべて明らかにしてほしい、ボイスレコーダーを直接聞かせてほしい。

それが夫をはじめ520人の供養になり、遺族の当然の権利です」

 いま、吉備さんは520人の魂とともに闘っているのだ。

■「主人がそばにいなければ、私は安心して泣けない」

 「医師から『手術が必要。外出は禁止』と言われてしまいました」

かねて吉備さんは判決を見届けようと上京のためのトレーニングをしていた。

それは、自宅近くの坂上にある夫のお墓への日参。

「朝4時起きで、往復1時間かけて歩いていました。そうしたら股関節に無理がかかってしまい、夜も痛くて眠れなくなって……」

  裁判では生データ開示を求めているが、被告は過去の新聞記事を証拠に「仮に情報提供義務があるとしても、すべて和解しているため義務は生じない」の一点張り。

  8月12日、37回目の命日にはまだ、判決の報告はお預けとなる。

 「きっと日航は、はやく私が死ねばいいと思っているでしょうね。

でも、絶対にくたばりません。

 事故以来、主人のために泣けていないんです。主人がそばにいなければ、私は安心して泣けない」

 そうして吉備さんは携帯ストラップの雅男さんの写真を見つめた。

遺影の威厳ある表情に比べると、髪を刈り上げ、より精悍な若き夫。

「主人の右手が見つかったとき、私は『やっと家に連れて帰れる』と狂喜しました。

でも姉が『なんで喜ぶの? 雅男さんが、亡くなったってことなのよ』と。

頭から冷水を浴びせられた思いでした」

 幸せな日常を理不尽に引き裂かれたあの夏の憤怒を、37年の星霜を経たいまも、吉備さんは微塵も風化させていないのだ。

  「主人の戒名『玅響院釋了信』は、『言いたいことがある、世界に響き渡ってほしい』という意味だと聞きました。

私には『事故原因を明らかにせよ』という主人の遺言のように響いているんです」

  勝ってすべての真実が明らかとなり、愛する夫に向き合って伝えられるその日まで。

 (取材・文:鈴木利宗)


雨宮処凛がゆく!「女性の貧困」が放置されてきた背景に見え隠れする、自民党と統一教会のズブズブな関係。

2022年08月10日 | 生活

 | マガジン9 (maga9.jp  

 

 「40代女性。フリーランスで収入がなくなり母の年金で生活中。何か利用できる制度は?」

 「20代女性。単身。コロナの影響で仕事が減少し、3つの仕事をかけもちしているが、コロナ前に比べ約10万円月収が減り、生活に困窮」

 「70代女性。6月に解雇され、自分の葬儀費用として貯めていた貯金を崩しながら生活している。障害のある子どもと二人暮らし。この先の生活が不安」

 これらの言葉は、2020年4月から隔月で開催されている「コロナ災害を乗り越える いのちとくらしを守る なんでも電話相談会」に寄せられたものだ。この相談会では私も2年間にわたって相談員として電話を受けてきた。

 「女性不況」とも言われるコロナ禍は、特に非正規で働く女性たちの生活を破壊するものだということはこの連載でも書いてきた通りだ。

 何しろ、女性の非正規雇用率はコロナ以前から6割近く。また、非正規で働く人の平均年収は176万円だが、女性非正規に限ると153万円(2020年 国税庁)。月に13万円にも届かない計算である。これで一人暮らしだと貯金などまずできないわけだが、コロナ以前の19年の「家計の金融行動に関する世論調査」によると、単身の貯金ゼロ世帯は38%にものぼる。20代では45.2%、30代では36.5%、40代は40.5%だ。

 ちなみにコロナはまずサービス業を直撃したわけだが、飲食・宿泊で働く人の64%が女性。そのほとんどが非正規だ。

 さて、ここまでのことを一言で言えば、この国のサービス業を支えていたのは低賃金の非正規女性たちで、その層がなんの保証もなく放り出されたのがコロナ禍だったのである。

 そんな苦境を示すように、20年の女性の自殺者は前年比で935人増え、15.4%増の7026人。

 また、21年2月には、女性の実質失業者が103万人にも上るという野村総研の試算が発表された。パート・アルバイトのうち、シフトが5割以上減り、休業手当も受け取っていない女性がそれだけいるというのだ。

 冒頭の電話相談に寄せられた言葉は、そんなコロナ禍で苦境に喘ぐ女性たちから寄せられたものである。紹介したのは、配偶者がいないと思われる女性たち。非正規女性には、パート主婦なども含まれることから「自分で生計立ててるわけじゃないんでしょ?」という声もある。が、非正規で働く女性は、数にして1413万人(21年労働力調査)。そのうち、夫がいる女性は6割弱。4割強は、単身やシングルマザーなど、自らの稼ぎで生活しなければならない人たちだ。数にして560万人を超える。

 冒頭の声も、一人暮らし、もしくは子どもや高齢の親と同居しているが、経済的に頼れる配偶者がいないと思われる点で共通している。

 そんな女性の貧困に対して、私はずっと声を上げてきたつもりだ。また、コロナ禍では「女性による女性のための相談会」などに参加して女性たちの相談に耳を傾け、生活保護申請や役所に同行するなどもしてきた。そしてそれを、政策提言などにつなげてきた。

 しかし、今に至るまで、「女性の貧困」はまったくもって全然一切改善していない。その兆しすら見えない状態だ。

 ただ、その背景に透けて見えるものには以前から気づいていた。

 それは「女はどうせ結婚するもの」という昭和の忘れ物的価値観、もっと言えば、「貧しい単身女性を支援などしたら結婚しなくなる」というような「おっさん社会」に根深く存在する男尊女卑的意識だった。

 そのことを示すように、この国には、単身女性に対する支援は皆無と言っていい。だからこそ、電話相談には以下のような声も寄せられる。

 「60代女性。解雇される。友人の自宅で居候、ネットカフェを転々とする。生活保護申請したが3回断られる」

 「70代女性。コロナにより仕事を失い、地元に帰ってきた。間借りしているが、住居が見つかりしだい出て行ってと言われている。市営住宅に当選したが、保証人を断られ、申し込み期限に間に合いそうにない」

 このように、60代、70代であってもネットカフェ暮らしや家のない生活を強いられる単身女性たちがいるわけである。ロスジェネ単身女性である私自身、これは自分たちの「未来の姿」ではないかと思ってしまう。彼女たちが結婚しなかったのか、したものの離婚したのかはわからない。が、配偶者や頼る子どもがいない単身女性の貧困リスクが高いことは各種データからも明らかなのに、この層を救う施策は今のところまったくない。

 一方、この国は「離婚した女性」に対しても、あまりにも冷たい。

 例えばヨーロッパなどでは、夫が養育費を払わないと銀行口座が差し押さえられたり国が養育費を立て替えたりと「母子世帯の生活を守る」ことが何よりも優先されているが、日本では元夫から養育費が支払われているのは2割台。払わなくても口座を差し押さえられたりしないし未払いに対する国の補償もない。結果、母子世帯の貧困率が約半数という数字がキープされてしまっているわけである。

 このようなものを見るにつけ、なぜ、この国はこれほど「男とつがいにならない女」に罰を与えるようなことばかりするのかと思ってきた。それだけではない。子どもを産まない女にもいかに厳しいことか。

 ここ数年の自民党議員の発言を振り返るだけでも枚挙にいとまがない。

 例えば18年には、自民党の加藤寛治議員が「3人以上の子どもを産み育てて頂きたい」などと発言し、批判を受けてのちに撤回。

 19年にはやはり自民党の桜田義孝議員が「子どもを3人くらい産むようお願いしてもらいたい」と発言してやはり批判を浴びる。

 同じ19年には自民党の麻生太郎氏が「子どもを産まなかったほうが問題だ」と述べて発言を撤回。

 それ以外にも、遡れば「女性は産む機械」などこの手の発言の自民党クオリティには定評があるわけである。

 なぜ、こんなにも「家父長制」的なものにこだわるのか。そこにあてはまらない女にことごとく冷たく当たるのか。今までずっと疑問だった。が、安倍元首相銃撃事件からの1ヶ月で、その理由が明確にわかった。

 これだけ統一教会とズブズブなら、そりゃそうだろう。

 そう心から納得したというわけだ。

 さて、そんな銃撃事件と統一教会についての興味深い鼎談を読んだので紹介したい。『創』22年9月号の「安倍元首相銃撃事件の背景、そして国家と社会」という鼎談だ。

 ここではジャーナリストの金平茂紀氏とノンフィクションライターの吉岡忍氏、ジャーナリストの有田芳生氏が話しているのだが、その一部を引用しよう。統一教会と自民党の政策の多く――ジェンダーフリー反対や同性婚反対、選択的夫婦別姓反対など――が一致しているという有田氏の発言を受けての金平氏のものだ。

 「(前略)トランプを支持しているようなキリスト教原理主義右派と統一教会ってものすごく親和性があるんです。中絶反対もそうだし、LGBTQなんかもってのほかだというような点でもそうですね。家族とか幸せな家庭とか、そういう考え方が、今の寄る辺なき若者たち、希望が見えてこない若い世代に浸透しやすいんじゃないかと思います」

 これを受けて、吉岡氏は言う。

 「でも、それを壊したのがまさに新自由主義そのものだったわけじゃない。つまり保守政治家が作り出した社会そのものが、そういう幸せな家庭像を壊してきたわけですね。
 格差社会を作ったり、非正規雇用をこれだけ増やしてきたのはまさに自民党の政府だったし、もっと言えばアメリカの政府だったし、経済政策そのものがそれを壊してきたわけじゃないですか」

 本当に、まったくもってその通りだと思う。

 そんな自民党と統一教会にもっとも共通するのは、「家族が大事とか言いながらその家族をブチ壊してきた」ところだろう。

 長年、貧困問題に関わってきて最も腹立たしいのもこの点だった。

 なぜ、「家族」をことさらに強調する自民党が、あえて結婚できない人々を増やし、少子化を促進するような政策ばかりを進めるのか。合理的、論理的な理由がなくてずっと混乱していた。

 だけど、答えは簡単。

 なーんだ、カルトだったんだ、ということだ。

 しかし、それがこの国の政権与党だと思うと背筋がスッと寒くなる。

 ここから、何をどうしてどうやって立て直せるのだろう。そしてそれは可能なのだろうか? 考えるほどに、明るい展望はない。しかし、それぞれがそれぞれの立場から声をあげていくしかないのだと思う。

*     *     *     *     *

明確に反対の論陣を

JCJ(日本ジャーナリスト会議) 「国葬」でメディアに要求

「しんぶん赤旗」2022年8月10日

 日本ジャーナリスト会議(JCJ)は8日、岸田文雄首相が安倍晋三元首相の「国葬」実施を閣議決定したことについて、主要メディアに対し、国民主権、民主主義とは相いれないという立場を明確にして、反対の論陣を張るよう求める声明を発表しました。

 声明は、「国葬」実施の閣議決定に批判が強まっているが、「主要メディアの『国葬』に対する姿勢はあいまいだ」と指摘。主要メディアの批判は、国会で説明していないことなどに重点が置かれているが、旧統一協会とのつながりも重要な問題として追及すべきだと強調しています。

 また、「国葬」への抗議行動が監視や取り締まりの対象になる恐れがあることや、「国葬」に類する政治的行事が今後乱発される危険に懸念を示しています。

 そのうえで「『国葬』強行は、戦前回帰、異論封殺、国民総動員につながりかねないという危機感を持って、報道機関は取材にあたってほしい。戦後ジャーナリズムの原点に立ち返って『国葬』にきっぱり反対の論陣を張る」よう呼びかけています。

 


長崎原爆の日 過去最多83カ国大使が参列 長崎市長平和宣言

2022年08月09日 | 社会・経済

■長崎市長平和宣言(全文)

核兵器廃絶を目指す原水爆禁止世界大会が初めて長崎で開かれたのは1956年。このまちに15万人もの死傷者を出した原子爆弾の投下から11年後のことです。

被爆者の渡辺千恵子さんが会場に入ると、カメラマンたちが一斉にフラッシュを焚(た)きました。学徒動員先の工場で16歳の時に被爆し、崩れ落ちた鉄骨の下敷きになって以来、下半身不随の渡辺さんがお母さんに抱きかかえられて入ってきたからです。すると、会場から「写真に撮るのはやめろ!」「見世物(みせもの)じゃないぞ!」という声が発せられ、その場は騒然となりました。

その後、演壇に上がった渡辺さんは、澄んだ声でこう言いました。

「世界の皆さん、どうぞ私を写してください。そして、二度と私をつくらないでください」

核保有国のリーダーの皆さん。この言葉に込められた魂の叫びが聴こえますか。「どんなことがあっても、核兵器を使ってはならない!」と全身全霊で訴える叫びが。

今年1月、アメリカ、ロシア、イギリス、フランス、中国の核保有5カ国首脳は「核戦争に勝者はいない。決して戦ってはならない」という共同声明を世界に発信しました。しかし、その翌月にはロシアがウクライナに侵攻。核兵器による威嚇を行い、世界に戦慄(せんりつ)を走らせました。

この出来事は、核兵器の使用が“杞憂(きゆう)”ではなく“今ここにある危機”であることを世界に示しました。世界に核兵器がある限り、人間の誤った判断や、機械の誤作動、テロ行為などによって核兵器が使われてしまうリスクに、私たち人類は常に直面しているという現実を突き付けたのです。

核兵器によって国を守ろうという考え方の下で、核兵器に依存する国が増え、世界はますます危険になっています。持っていても使われることはないだろうというのは、幻想であり期待に過ぎません。「存在する限りは使われる」。核兵器をなくすことが、地球と人類の未来を守るための唯一の現実的な道だということを、今こそ私たちは認識しなければなりません。

今年、核兵器をなくすための2つの重要な会議が続きます。

6月にウィーンで開かれた核兵器禁止条約の第1回締約国会議では、条約に反対の立場のオブザーバー国も含めた率直で冷静な議論が行われ、核兵器のない世界実現への強い意志を示すウィーン宣言と具体的な行動計画が採択されました。また、核兵器禁止条約と核不拡散条約(NPT)は互いに補完するものと明確に再確認されました。

そして今、ニューヨークの国連本部では、NPT再検討会議が開かれています。この50年余り、NPTは、核兵器を持つ国が増えることを防ぎ、核軍縮を進める条約として、大きな期待と役割を担ってきました。しかし条約や会議で決めたことが実行されず、NPT体制そのものへの信頼が大きく揺らいでいます。

核保有国はこの条約によって特別な責任を負っています。ウクライナを巡る対立を乗り越えて、NPTの中で約束してきたことを再確認し、核軍縮の具体的プロセスを示すことを求めます。

日本政府と国会議員に訴えます。

「戦争をしない」と決意した憲法を持つ国として、国際社会の中で、平時からの平和外交を展開するリーダーシップを発揮してください。

非核三原則を持つ国として、「核共有」など核への依存を強める方向ではなく、「北東アジア非核兵器地帯」構想のように核に頼らない方向へ進む議論をこそ、先導してください。

そして唯一の戦争被爆国として、核兵器禁止条約に署名、批准し、核兵器のない世界を実現する推進力となることを求めます。

世界の皆さん。戦争の現実がテレビやソーシャルメディアを通じて、毎日、目に耳に入ってきます。戦火の下で、多くの人の日常が、いのちが奪われています。広島で、長崎で原子爆弾が使われたのも、戦争があったからでした。戦争はいつも私たち市民社会に暮らす人間を苦しめます。だからこそ、私たち自らが「戦争はダメだ」と声を上げることが大事です。

私たちの市民社会は、戦争の温床にも、平和の礎にもなり得ます。不信感を広め、恐怖心をあおり、暴力で解決しようとする“戦争の文化”ではなく、信頼を広め、他者を尊重し、話し合いで解決しようとする“平和の文化”を、市民社会の中にたゆむことなく根づかせていきましょう。高校生平和大使たちの合言葉「微力だけど無力じゃない」を、平和を求める私たち一人ひとりの合言葉にしていきましょう。

長崎は、若い世代とも力を合わせて、“平和の文化”を育む活動に挑戦していきます。

被爆者の平均年齢は84歳を超えました。日本政府には、被爆者援護のさらなる充実と被爆体験者の救済を急ぐよう求めます。

原子爆弾により亡くなられた方々に心から哀悼の意を表します。

長崎は広島、沖縄、そして放射能の被害を受けた福島とつながり、平和を築く力になろうとする世界の人々との連帯を広げながら、「長崎を最後の被爆地に」の思いのもと、核兵器廃絶と世界恒久平和の実現に力を尽くし続けることをここに宣言します。

2022年(令和4年)8月9日

長崎市長 田上富久

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「東京新聞」より

長崎は9日、被爆77年の原爆の日を迎える。長崎市の自宅で被爆した松本正さん(91)=川崎市=は、焼け焦げた人たちの中を逃げまどった生き地獄のような記憶を、5行でつづる「五行歌」に託す。胸にするのは、犠牲者の無念、生き延びた罪悪感…。この夏も「命ある限り核廃絶を訴えていく」と誓う。(阿部博行)

語らないと

知らないになり

やがて

歴史の流れの中で

無かったことになる


東北地方に甚大な被害をもたらしている大雨、これ以上被害が拡大しませんように祈るばかりです。被害に合われた皆さんには心よりお見舞い申しあげます。

園のようす。
この暑いさなか、もうシイタケが出てきました。

ミズヒキ

後継者募集中(使い方は色々)


地域エコノミスト・藻谷浩介が語る“一極集中の弊害”

2022年08月08日 | 生活

 また長い記事になってしまいました。わたしが興味を持つだけで、皆さんに押し付ける気持ちはございません。どうぞスルーしていただいて結構です。リアクションも結構です。ランキングにも参加しておりませんので気になさらずに・・・

 今日は午前中から雨になりました。つい先程は道路が川のようになっておりました。これから夜中にかなりの雨量になるようです。

園のようす。
水代わりに

足が出た。ここらに普通にいるアマガエルでした。

後継者募集中です。


『トカイナカに生きる』インタビュー#1

世界的に見て、東京都市圏は何番目に大きな街だと思いますか」地域エコノミスト・藻谷浩介が語る“一極集中の弊害”

文春オンライン2022.8.1

神山 典士

 コロナの影響でリモートワークが当たり前になった現在、大都市東京から離れ2拠点生活や移住をする人が増えている。ノンフィクション作家の神山典士氏はこうした状況を「東京一極集中を解消する千載一遇のチャンス」と捉え、各地で新しい生き方を実践している人々と接してきた。自らも埼玉県ときがわ町に7LDKのシェアハウスを構え、2拠点生活を送っている。そうした取材や実体験をもとにまとめ上げたのが『トカイナカに生きる』(文春新書)である。

 一方、日本総合研究所主席研究員で、『デフレの正体 経済は「人口の波」で動く』(角川新書)の著書がある地域エコノミストの藻谷浩介氏は、以前から「里山資本主義」を提唱してきた。

「大都市一極集中の弊害」や「分散型社会のあり方」について、神山氏が藻谷氏に話を聞いた。

◆◆◆

都心から1.5時間の「トカイナカ

『トカイナカに生きる』は、都心から1.5時間エリアを「トカイナカ」と呼び、そこで様々なスタイルで生活する人、働く人の姿を描いた作品だ。「トカイナカで生き方働き方を変える」「起業する」「古民家で暮らす」「ローカルプレイヤーになる」「パラレルワーク(複業)する」「地域を6次化する」「よそ者力を発揮する」といったテーマで取材してきた。訪ねた地域は長野県軽井沢町(追分)、神奈川県鎌倉市、千葉県いすみ市、富津市、匝瑳市、埼玉県小川町、ときがわ町等々。

 いうまでもなく、コロナを機に、それまで東京へ東京へと「一極集中」してきた日本人の流れが変わった。東京から地方へと流出する人口が増え、しかも「転職なき移住」が可能な首都圏近隣(トカイナカエリア)への移住・2拠点生活希望者が圧倒的に増えた。

 このことは、一極集中解消のチャンスであり、この流れの先に「下り列車に乗った幸せ探し」ができる国づくりがある。そう考えて、私はこのテーマで取材を進めてきた。 すると上記のようなテーマですでに生き生きと生きている、働いている人たちとの出会いがあったのだ。藻谷は、その登場人物の中に既知の名前を幾つも見つけて、それを喜んでくれた。藻谷はこう語った。

「本書に書かれている中で、ぼくが前から特に尊敬している大先輩は小川町の有機農業の実践者金子夫妻です。その夫妻のことを、本書では70年代の有吉佐和子さんの『複合汚染』まで遡って書いている。同時に金子さんのことが、若者たちのネット社会の産物である『田舎でフリーランス講座』とか移住者である関根さんが始めた『起業塾』とかと違和感なく並べて書かれている。ぼくは『天の時、地の利、人の輪』の中では『地の利』を重視するんだけど、若者も関根さんも金子さんも、同じ『地』の上で一つの物語として繋がっている。トカイナカの大先輩が金子さんであると書かれているのは、『トカイナカ』の本質を突いた素晴らしい炯眼だと思いました。

 軽井沢の事例が出てきたときには、『あれっ』と思ったんです。軽井沢はトカイナカというよりは、東京の港区が直接引っ越してきたようなところです。都会の人が都会風なスタイルのまま勝手に降臨して、宇宙人の基地みたいに別荘をつくって群れているような面もある。最近は熱海にもそういう感じがありますね。

 けれど本書で『軽井沢』と紹介されているのは、実は西隣の『追分』が舞台の話なんですね。東京からアクセスする際の駅も『軽井沢』ではなくて『佐久平』(笑)。軽井沢は六本木だけど、追分はまさに埼玉県のような場所。軽井沢に仕事をもって通勤する地元民が、田舎の良さを求めた移住者と一緒に住んでいる。この場所の選択が絶妙にいいですね」

 このあたりの指摘が、地域の細かい事情にやたらに詳しい藻谷ならではだ。私にとっては藻谷浩介こそが、「地域創生」をテーマにするときのロールモデルだ。一般的には藻谷は、2010年に著した『デフレの正体 経済は「人口の波」で動く』で経済変動を人口問題から喝破し、世間の認知を得た。

 「雨」の違いを問われて…

 けれど遡ること約30年前、小学生のころから社会科の地図帳で全国の自治体を観察し、「人口は変わるんだ」と毎年変動する人口を暗記する早熟な少年だった。大学時代は自転車部に入り、全国約3000(当時)の自治体の半分近くを走破してもいる。いまから3、4年前、一緒に福島県の小村を取材した折り、藻谷は目の前の山脈を指さしながらこう言った。

「あの山の右側に降った雨と左側に降った雨の違いがわかりますか?」

 すぐに相手に質問調で尋ねるのが藻谷の癖だ。わからないからどきまぎしていると、こう解説してくれた。

「右側に降った雨は太平洋に、左側に降った雨は日本海に流れます。つまりここは日本列島の背骨なんです」

 人口問題も地域問題も、机上の知識として記憶するのではなく、現場の胎動と共に常に生きたデータとして扱う。藻谷はそういう姿勢を、すでに約半世紀も取り続けている。

 ところで、本書のテーマである、「コロナ禍を機に一極集中から分散社会へ」について、藻谷はどう考えているのだろう。あえてここで藻谷に「一極集中の弊害」を語ってもらうとすれば、どこに力点があるのだろうか?

 そのことを問うと、藻谷はどこか焦れったそうにこう口を切った。

子どもが生まれない場所に若者を集め続ける日本

「一極集中の問題点なんて20や30すぐに挙げられるのですが、ニューヨークしかみたことなくてニューヨークが世界一だといっている人に、それは勘違いだと理解してもらうのが大変なのと同様、『東京教』に入信してしまっているような人に一極集中の問題を説明するのも面倒なことなんです。

 ですが、この話を逆方向からいうならば、東京一極集中にメリットなんて一つもない。例えば東京という町は婚姻率は日本一ですが、出生率は全国最低です。若者がたくさん集まる町なのに次世代がつながらない。人間も生き物でして、都市はその主要な生息地なのですが、東京という生息地では生態系が完全に崩壊してしまっている。子どもが生まれない場所に若者を集め続ける日本で、人口が減るのは当たり前です。

『そんなことを言っても、東京は若者を集めて栄えている』なんて、皆さん思ったりするわけです。少子化の恐ろしさがぜんぜんわかっていない。

 仮に『若者』を、『15歳から44歳』としましょう。まだコロナの始まる前の話ですが、2015年元日から2020年元日までの5年間に、東京には59万人の『若者』が転入超過しました。上京した『若者』の方が帰京した若者より59万人多かったのです。では同じ5年間に、都内に住む『若者』は何人増えたでしょう? 『えっ? 59万人増えたんじゃないんですか』、と思う人は、繰り返しますが少子化問題が理解できていないのです。

 答えは、8万人の減少なんです。これはまだコロナ前の、一極集中の極みのころの話ですよ。59万人流れ込んだはずが、トータルすると8万人減っている。同じ5年間に45歳を超えた東京在住者は118万人なのに対して、15歳を超えた在住者は51万人しかいなかった。都内で生まれた子どもが、30年間で、半分以下に減ってしまった結果です。これだけ少子化してしまうと、都内の『若者』は118-51で67万人減るところだったのですが、東京はパラダイスだと勘違いした田舎の若者59万人の上京のおかげで、67-59=8万人の減少で済んだのです。

 しかも東京に59万人流入しているということは、地方ではその分減っている。出生率の高い地方にいれば、もう少し子孫も増えたかもしれないのに。『一極集中が効率的だ』と言う人は、『東京は生産性が高い』とか言うんですが、それはお金の話。人の生産性は最低です。人間の本質は、金の計算にあるのではなくて、生き物であることなんですけれどね」

「東京都市圏は、世界で何番目に大きな街でしょうか?」

 さらに藻谷はこうも言う。

「ちなみに都市圏としての『東京』という街は、世界で見て何番目に大きな街でしょうか?」

 これまた一筋縄では答えられない問題だ。「東京」をどこまで「東京」と呼ぶのか? 国が決めた自治体の境界線ではなく、「生活実感として所沢も東京の一部とします」と藻谷は言う。となると――。

「これもあまり正解する人はいないのですが、世界的に見て東京都市圏の規模は圧倒的に1位です。ニューヨークより重慶より上海よりソウルより遥かに大きい。そういうことを知らない人が、東京にもっと人を集積させろと言っていたりする。ティラノザウルスはもっと大きいほうが生き残れるんだと言っているようなものです。

 世界的に見ると東京だけが圧倒的に世界最大で、次のクラスがソウル、大阪、ニューヨーク、上海。ということは、世界最大の東京と二番手の大阪をもっている日本がこの30年間経済が全く成長していないんです。つまり大都市をつくることは、人を減らすどころか金も増やさないことの証明です」

 なるほど。そう言われればわかりやすい。藻谷がデータを出してくるたびに、私たちは現実の薄皮を剥がしリアルと対面させられることになる。

世界標準の国づくりをするために

「例えばアジアで経済力が強いといえばシンガポールです。あそこは福岡程度。名古屋よりも小さい。ヨーロッパでうまくいっているのはスイス。スイスの最大都市はチューリッヒだけど、所沢程度の大きさです。ジュネーブは越谷程度。スイスは埼玉県より少々大きい程度です。

 でも一人あたりのGDPは日本の倍以上ある。ドイツの経済の中心はフランクフルト。あそこは福岡くらいです。スペインの中心バルセロナも福岡程度。つまり世界のいけてる町はみな福岡程度なのです。

 そう言う町が世界的に競っているときに、東京をもっと大きくすれば勝てるという人はどんな認識で言っているのか? 現場を見ていないし、数字も見ていない、世界的認識のアップデートができていない人が言っているだけです。これをガラパゴスといわずになんというのか。

 私は空気認識と呼んでいます。事実を全く認識せずに、空気だけ読んでいる人です。ですが空気は、昭和の成功体験の産物。これからは人を分散させて、トカイナカに人を送り込んで、世界標準の国づくりをしないといけないのです」

『トカイナカに生きる』インタビュー#2

「応仁の乱は、経済的な一極集中の崩壊」「私も東京を脱出します」地域エコノミスト・藻谷浩介が描く“日本の未来”

神山 典士

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「田舎には何もない、東京にいけ」

 もう一つ、日本が東京一極集中から抜け出せない理由がある。それは、親世代が子供に対して「田舎には何もない、東京にいけ」といい続けてきたことだ。藻谷は「それが明治時代から3世代約100年続いてきた」と言う。

「私は山口県生まれで高校卒業後上京してきた人間だからわかるんですが、以前は広島に行かないとマクドナルドがなかった(笑)。本屋もなかった。大学も地方にまともなものはなかった。だから私たちの世代までは上京したのですが、いまは変わりました。マクドナルドなんてあってもなくてもいいし、書店がなくてもアマゾンがある。大学もオンラインで授業が受けられる。全国どこにいってもコンビニはあるし、地方には東京にはないホームセンターがあってとても便利です。

 逆にうちの子は東京に住んでいるのに『パソコンのアダプターがなくなって』というとすぐにアマゾンでオーダーします。秋葉原に買いにいこうともしない。ポチッと押せば翌日に届くんだから、その方が便利だ。つまり東京にいる理由がまったくないんです。

 マスコミに出たいという子がいても、ユーチューブやるのに東京に出る必要ないし、ついには島根県の離島にある海士町に出版社ができてしまいました。いままでなら出版社は知能集約型のビジネスだったから絶対に都会でないと成立しないと思われていました。でもいまは完全にネット商売だから、どこでも成立する。海士町にあるからといって地方をテーマにした出版社じゃなくて、全く普通の出版社です。トヨタを辞めて移住した人が始めたのですが、海士町の方が地価が安いし、その方がブランドが立つ。海士町で生まれた本として、販路も広がったりする。本ですら地方で生まれる時代になったんです」

いま「トカイナカ」が注目されるわけ

 おりしも本書『トカイナカに生きる』の出版の前後に、NTTは「社員3万人を原則テレワークとする。日本全国どこに住んでもいい。出社は出張扱いで飛行機代も出張費で出す」と発表した。ヤフーもまた、昨年度までは社員の居住地は「翌日の午前11時までに出社できること」という条件があったが、今年になって撤廃した。東芝も、リモートワーク社員を増やすと宣言している。

 そうした大企業がこの方針の理由で共通して語るのは、「人材確保のため」。つまりオンラインで働けるとわかったいま、毎日出社を強制する会社には、若者たちは魅力を感じない、入社しないということだ。

 そのことを、藻谷は独自のいい方でこう言い表した。

「いまこの時代にトカイナカが注目されるのは、歴史的に表現すると二つのいい方があります。いまが幕末だという見方と、応仁の乱だという見方の二つです。

 幕末は、勝海舟が『仕付け糸をしゅっと抜いたら、幕府という服はさっと布に戻っちゃった』と形容した、明治維新の直前でした。幕末まで日本人をぎゅうぎゅうに縛っていた身分差別は、そのままでは19世紀の世界にまったく通用しないものだったので、明治維新で一気に撤廃されます。令和の日本でも、男女差別に始まって、学歴差別、大企業と中小企業の差別、政治家や経営者の世襲、それに東京が優秀で地方はダメというような固定観念と、実力を反映しない序列が固まってしまっている。ですがこれらも、21世紀の世界にはまったく通用しない。日本が生き残りたければ、昭和の序列意識はこれからどんどん解体して行かざるを得ない。その意味でいまはまさに幕末なんです。

応仁の乱は「経済的な一極集中の崩壊」

 一方、応仁の乱というのは、経済的な一極集中の崩壊でした。それ以前は全国の一番商品価値があるものは京都に集まっていた。鎌倉幕府ができて武士の時代が来た後も、布などの手工業品や各地の特産品は、荘園の年貢として京都に集められて、そこで換金され全国に再流通していたのです。

 ところが応仁の乱で荘園からの年貢上納が消滅する。各地方にサブ京都のような町ができて、特産品はそこで換金できるようになった。だから歴史学者によっては『応仁の乱が日本の大転換点だ』と言います。もちろん承久の乱も明治維新も大きな意味があるのですが、経済の一極集中が壊れたエポックといえば応仁の乱になる。

 私はこれに似た状況がいまから来ると思っています。人の流れがトカイナカに向かうだけではなくて、お金も東京を通さずに回るようになっていく。応仁の乱の後は、山口や博多など遠隔地にも栄える町が増えますが、京都の近くでも、伏見に坂本、長浜、堺なんていう当時の『トカイナカエリア』が力をつけた。信長は安土、秀頼は大阪という、これまた当時のトカイナカを選んだのです。幕末にも、関東では横浜、関西では神戸という漁村が、当時のトカイナカに勃興する。

京都の公家が堺で儲けるみたいなもの

 幕末の後でも、大阪に首都を移そうと思っていた大久保利通を前島密が説得することで、江戸が東京となって首都が置かれ続けたわけですが、応仁の乱の後には、江戸というまったく新たな中心地が、ド田舎の沼地に建設される時代が来ました。江戸と京都・大阪の経済力が拮抗するには長い時間がかかって、逆転したのは戦後になってからですけど。歴史は繰り返しますから、いずれは東京をしのぐ経済の中心地が、京都・大阪に対する江戸のようにできて来てもおかしくはありません。

 京都の近くに大阪ができたように、トカイナカは経済的に活性化する筋があります。なぜなら、東京というマーケットのうまみも取り込みつつ田舎の良さも味わえる。人材も集積しやすい。東京が嫌になった奴がトカイナカのリーダーになればいい。京都の公家がいきなり博多や山口にいかないで堺で儲けるみたいなものです。

 当時、京都の商人は『堺ふぜいがなにができる』と田舎ものをばかにしたことでしょう。でも応仁の乱の100年後に外国商人がやってくるようになると、堺の経済力は急伸しました。歴史は繰り返すもので、東京を削りつつ世界とつながるトカイナカが脚光を浴びる時代が来る。私は最近、そんなことを思い描いています」

「私も東京を脱出します」と語る理由

 藻谷は最近、渋谷区の一戸建てから近くのマンションに引っ越した。二人の息子が独立したので、夫婦二人の生活にダウンサイジングしたのだ。今後はもう少し仕事が整理されたら、「私も東京を脱出します」とも言う。「車はなるべく運転したくないので、住むのは地方都市の市街地かな。でも鉄道やバスのあるトカイナカもいいかもしれません」。

 つまりデータで物事を考える藻谷は、既成の成功概念にとらわれない。大きな家に住むなどという愚を犯さずに、その時の身の丈でその時に一番質実剛健の生き方を選択する。

 その視線の先に「トカイナカ」がある。この動きの先に、この国の未来が見えてくるか。その答えがでるのは、もう少し先のことになる。


広島市長の「平和宣言」 こども代表「平和への誓い」 

2022年08月07日 | 社会・経済

広島市長の「平和宣言」

 母は私の憧れで、優しく大切に育ててくれました。そう語る、当時、16歳の女性は、母の心尽くしのお弁当を持って家を出たあの日の朝が、最後の別れになるとは、思いもしませんでした。77年前の夏、何の前触れもなく、人類に向けて初めての核兵器が投下され、さく裂したのがあの日の朝です。広島駅付近にいた女性は、すさままじい光とともにドーンという爆風に背中から吹き飛ばされ意識を失いました。意識が戻り、まだ火がくすぶる市内を母を捜してさまよい歩く中で目にしたのは、真っ黒に焦げたおびただしい数の遺体。その中には、立ったままで牛の首にしがみついて黒焦げになった遺体や、潮の満ち引きでぷかぷか移動しながら浮いている遺体もあり、あの日の朝に日常が一変した光景を地獄絵図だったと振り返ります。

 ロシアによるウクライナ侵攻では、国民の生命と財産を守る為政者が国民を戦争の道具として使い、他国の罪のない市民の命や日常を奪っています。そして、世界中で、核兵器による抑止力なくして平和は維持できないという考えが勢いを増しています。これらは、これまでの戦争体験から、核兵器のない平和な世界の実現を目指すこととした人類の決意に背くことではないでしょうか。武力によらずに平和を維持する理想を追求することを放棄し、現状やむなしとすることは、人類の存続を危うくすることにほかなりません。過ちをこれ以上繰り返してはなりません。とりわけ、為政者に核のボタンを預けるということは、1945年8月6日の地獄絵図の再現を許すことであり、人類を核の脅威にさらし続けるものです。一刻も早く全ての核のボタンを無用のものにしなくてはなりません。

 また、他者を威嚇し、その存在をも否定するという行動をしてまで自分中心の考えを貫くことが許されてよいのでしょうか。私たちは、今改めて、『戦争と平和』で知られるロシアの文豪トルストイが残した「他人の不幸の上に自分の幸福を築いてはならない。他人の幸福の中にこそ、自分の幸福もあるのだ」という言葉をかみ締めるべきです。

 今年初めに、核兵器保有5カ国は「核戦争に勝者はなく、決してたたかってはならない」「NPT(核不拡散条約)の義務を果たしていく」という声明を発表しました。それにもかかわらず、それを着実に履行しようとしないばかりか、核兵器を使う可能性を示唆した国があります。なぜなのでしょうか。今、核保有国がとるべき行動は、核兵器のない世界を夢物語にすることなく、その実現に向け、国家間に信頼の橋を架け、一歩を踏み出すことであるはずです。核保有国の為政者は、こうした行動を決意するためにも、ぜひとも被爆地を訪れ、核兵器を使用した際の結末を直視すべきです。そして、国民の生命と財産を守るためには、核兵器を無くすこと以外に根本的な解決策は見いだせないことを確信していただきたい。とりわけ、来年、ここ広島で開催されるG7サミットに出席する為政者には、このことを強く期待します。

 広島は、被爆者の平和への願いを原点に、また、核兵器廃絶に生涯をささげられた坪井直(つぼい・すなお)氏の「ネバーギブアップ」の精神を受け継ぎ、核兵器廃絶の道のりがどんなに険しいとしても、その実現を目指し続けます。

 世界で8200の平和都市のネットワークへと発展した平和首長会議は、今年、第10回総会を広島で開催します。総会では、市民一人一人が「幸せに暮らすためには、戦争や武力紛争がなく、また、生命を危険にさらす社会的な差別がないことが大切である」という思いを共有する市民社会の実現を目指します。その上で、平和を願う加盟都市との連携を強化し、あらゆる暴力を否定する「平和文化」を振興します。平和首長会議は、為政者が核抑止力に依存することなく、対話を通じた外交政策を目指すことを後押しします。

 今年6月に開催された核兵器禁止条約の第1回締約国会議では、ロシアの侵攻がある中、核兵器の脅威を断固として拒否する宣言が行われました。また、核兵器に依存している国がオブザーバー参加する中で、核兵器禁止条約がNPTに貢献し、補完するものであることも強調されました。日本政府には、こうしたことを踏まえ、まずはNPT再検討会議での橋渡し役を果たすとともに、次回の締約国会議にぜひとも参加し、一刻も早く締約国となり、核兵器廃絶に向けた動きを後押しすることを強く求めます。

 また、平均年齢が84歳を超え、心身に悪影響を及ぼす放射線により、生活面でさまざまな苦しみを抱える多くの被爆者の苦悩に寄り添い、被爆者支援策を充実することを強く求めます。

 本日、被爆77周年の平和記念式典に当たり、原爆犠牲者のみ霊に心から哀悼の誠をささげるとともに、核兵器廃絶とその先にある世界恒久平和の実現に向け、被爆地長崎、そして思いを同じくする世界の人々とともに力を尽くすことを誓います。

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平和への誓い

あなたにとって、大切な人は誰ですか。
家族、友だち、先生。
私たちには、大切な人がたくさんいます。
大切な人と一緒に過ごす。笑い合う。
そんな当たり前の日常はとても幸せです。

昭和20年(1 9 4 5年) 8月6日 午前8時1 5分。
道に転がる死体。
死体で埋め尽くされた川。
「水をくれ。」「水をください。」という声。
大切な人を一瞬で亡くし、当たり前の日常や未来が突然奪われました。

あれから7 7年経ちました。
今この瞬間も、日常を奪われている人たちが世界にはいます。
戦争は、昔のことではないのです。

自分が優位に立ち、自分の考えを押し通すこと、それは、強さとは言えません。
本当の強さとは、違いを認め、相手を受け入れること、思いやりの心をもち、相手を理解しようとすることです。
本当の強さをもてば、戦争は起こらないはずです。

過去に起こったことを変えることはできません。
しかし、未来は創ることができます。
悲しみを受け止め、立ち上がった被爆者は、私たちのために、平和な広島を創ってくれました。

今度は私たちの番です。
被爆者の声を聞き、思いを想像すること。
その思いをたくさんの人に伝えること。
そして、自分も周りの人も大切にし、互いに助け合うこと。

世界中の人の目に、平和な景色が映し出される未来を創るため、私たちは、行動していくことを誓います。

令和4年(2022年)8月6日

こども代表
広島市立織町小学校6年 バルバラ・アレックス
広島市立中島小学校6年 山崎やまさき りん

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きょうの潮流8/6より

 竹本さんは、未来を生きる子どもたちに語りかけます。「やさしい人になってください」。それが戦争をなくす礎になることを願って。


 竹本さんは今年始めて被爆者であることを告白し、語り部の運動を始めたそうです。
優しさこそ本当の強さだと、わたしも思うのです。

園のようす。
規格外ばかり、自分で食べます。味はgoo! 甘いです。


 


広島原爆投下77年。「向こう側に渡ろうとしない日本に橋を架けることはできない」

2022年08月06日 | 社会・経済

日本政府は二つの大問題正せ

核兵器廃絶 志位委員長が提起

「しんぶん赤旗」2022年8月6日

 広島への原爆投下から77年を前にした5日、「核兵器のない世界に向けた日本の役割」をテーマに、被爆者や与野党代表、有識者らが参加する討論会が広島市で開かれました。日本共産党からは志位和夫委員長が発言しました。主催は核兵器廃絶NGO連絡会。

広島 NGO討論会

 志位氏は、1日に開かれた核不拡散条約(NPT)再検討会議での岸田文雄首相の演説を聞いて、「核兵器問題に対する日本政府の二つの問題点が現れた」と指摘。それを根本からただすよう求めました。

岸田首相の演説 核禁条約触れず

 第1は、核兵器禁止条約に一言も触れなかった点です。ドイツやノルウェー、ベルギーなどの米国の同盟国が禁止条約締約国会議にオブザーバー参加したことは、「禁止条約が無視しえない現実になっていることを示した」と指摘。「この重要な会議に唯一の戦争被爆国の政府が参加せず、NPT再検討会議の演説でも禁止条約に一言も言及しないのでは『橋渡し』を名乗る資格はない」と批判し、「日本政府は『核抑止力』論の呪縛から抜け出し、禁止条約に署名・批准することを強く求める」と強調しました。

NPT6条にも

 第2は、核保有国に核軍縮・撤廃の交渉を義務付けるNPT第6条に一言も触れなかった点です。同会議では、「核兵器の完全廃絶の明確な約束」(2000年)、「核兵器のない世界を達成し維持するために必要な枠組みを確立」(10年)することを全会一致で確認してきたと指摘。「日本政府は、自らも賛成したNPT再検討会議での一連の合意を再確認し、具体化・実行を国際社会、とりわけ核保有国に求めるべきだ」と主張しました。

 「核政策を知りたい広島若者有権者の会」(カクワカ広島)共同代表の田中美穂さんから「核兵器のない世界をどうやって実現するのか」と問われた志位氏は、「『核抑止力』論を乗り越えることがどうしても必要です」と発言。「核抑止力」論は、いざとなったら核兵器の使用を前提にしており、広島・長崎のような非人道的惨禍を引き起こすことをためらわない議論であり、核の非人道性を批判するのなら、「核抑止」と両立しないと訴えました。

 どうやって「核抑止力」論を乗り越えるのか。志位氏は、「草の根の力だ」と指摘。長年の被爆者を先頭とした草の根の運動が核兵器禁止条約として実を結んだことをあげ、「これを世界中に広げていくための運動をいっしょにやっていきましょう」と呼びかけました。

 被爆者を代表して、胎内で被爆し、脳や体に障害を負った原爆小頭症患者や家族らでつくる「きのこ会」の長岡義夫会長は「胎児を傷つけることは人類の未来を否定することだ。二度と原爆小頭症患者を生み出してはならない」と述べ、核兵器廃絶を強く求めました。

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ICAN事務局長 核軍縮へ「日本は架け橋になれない」 核兵器禁止条約に言及しない岸田首相を批判

「東京新聞」2022年8月6日

 【ニューヨーク=杉藤貴浩】核拡散防止条約(NPT)再検討会議が開幕したのを受け、2017年のノーベル平和賞を受賞した核兵器廃絶国際キャンペーン(ICAN)のベアトリス・フィン事務局長(39)が本紙取材に応じた。フィン氏は岸田文雄首相が演説で核兵器禁止条約に言及しなかったことを「被爆者に無礼」と批判。現状では「日本は保有国と非保有国の架け橋になれない」と断じた。

 フィン氏は、首相が核廃絶への行動計画に「ヒロシマ・アクション・プラン」と名付けたことを疑問視。「被爆者が望む条約批准を含まない計画に広島の名を使った」とし、「演説は日本人の核軍縮への強い意志をもっと反映させるべきだった」と述べた。カナダ在住の広島被爆者サーロー節子さん(90)も演説直後「大切なことが含まれていなかった」と失望感を示した。

 日本は核保有国の米英仏中ロも加盟するNPTが核軍縮の原点として、非保有国のみが参加する核禁条約には6月の締約国会議にオブザーバー参加もしなかった。フィン氏は「ドイツやノルウェーは日本と同様に米国の核の傘下にあるが、(オブザーバーとして)建設的に関与した」と指摘。「向こう側に渡ろうとしない日本に橋を架けることはできない」と述べた。

 一方、首相が若者教育を唱えたことを評価。日本の若い世代へ「民主主義を通じ、政治家が再選したいなら核廃絶に向けて何かしなければならないと要求してほしい」と訴えた。

 ベアトリス・フィン スウェーデン南西部イエーテボリ出身。非政府組織(NGO)「婦人国際平和自由連盟」の軍縮問題担当を経て、2014年から現職。ロンドン大大学院で法学修士。ICANは平和や人権問題などに取り組む100カ国以上の団体から構成されるNGO。本部はスイス・ジュネーブ。日本からは「ピースボート」などが参加し、川崎哲あきら共同代表が国際運営委員を務める。


「向こう側に渡ろうとしない日本に橋を架けることはできない」

いい言葉ですねえ!

園のようす。
挿し木で増やしたバラ

ブルーベリー

ハタンキョウ色づき始め

なんか、秋の気配、キリギリス


原水爆禁止世界大会が開幕 臨時国会はわずか3日で閉幕

2022年08月05日 | 社会・経済

核威嚇許さず今こそ廃絶を

 ウクライナ・ロシア両国市民も訴え

「しんぶん赤旗」2022年8月5日

 

 被爆77周年を迎えた広島市内で4日、原水爆禁止2022年世界大会が始まりました。被爆者、国連、各国政府、市民社会などが共同し、開催中の核不拡散条約(NPT)再検討会議に向けて、核兵器の使用・威嚇を許さず、廃絶を求める大会として注目されます。新型コロナの影響で3年ぶりとなった広島・長崎での開催に、若者や家族連れの姿も目立ちました。

 大会実行委員会の野口邦和運営委員会共同代表は主催者報告で、ウクライナ危機に乗じた核使用や抑止力論を批判し、「人類が惨禍から免れる唯一の保証は核兵器の禁止・廃絶しかない」と述べました。

 ロシアのウクライナ侵略の中止、国連憲章に基づく平和の秩序の回復、新型コロナウイルスの早期収束、軍事費ではなく人々の幸福のために税金を振り向けることなど「平和で公正で持続可能な世界を実現するため、全地球規模の連帯と共同を大きく発展させましょう」と呼びかけました。

 広島の被爆者、日本被団協の箕牧智之(みまきとしゆき)代表委員は「戦争は残酷であり、悲惨であり、怒りそのもの。得るものは何もありません」と述べ、核兵器保有国や日本などが核兵器禁止条約に参加していないことを指摘。「人類のためにという思いを強くもって核兵器廃絶を訴え続けましょう」と述べました。

 核兵器禁止条約第1回締約国会議議長のオーストリアのアレクサンダー・クメント大使は、6月にウィーンで行われた同会議が大成功したことを紹介。同条約が核兵器をなくすための「法的、論理的な基礎」であると改めて強調し、「より広範な社会的階層を動員すること」が、核廃絶運動でますます大事になっていると語りました。

 同志社大学大学院教授の浜矩子氏は「国の内外のひどい状況を見逃さない力強い声が、世界大会」とエールを送りました。

 開会総会後に続く国際会議では、オンライン参加のウクライナ平和主義運動・ユーリイ・シェリアゼンコ事務局長が「核兵器の横暴に屈してはなりません。それは人類の恥であり、被爆者の苦しみを侮辱すること」と述べ、「全ての戦争をとめて」と訴えました。

 ロシアの代表、フィンランド湾南岸平和評議会のオレグ・ボドロフ氏(映画監督)も、ウクライナの惨状に対するつらい思いを語り、「皆、地球に住む隣人なのです。手を取り合って行動しましょう」と訴えました。


 3日召集された臨時国会は5日午後、わずか3日間の会期を終え閉幕した。安倍晋三元首相の「国葬」問題、物価高、新型コロナウイルス対策、旧統一教会と政治の問題等、議論すべき事柄は山積み状態だ。しかも国民の命と暮らしに直結した重大事項ばかりである。安倍政治の負の遺産を継承し「国民の声を聞かない」政治姿勢に墓穴を掘るばかりである。

園のようす。
ミニトマトの発送がピークに



この箱は3kg用。

直売所。


雨宮処凛がゆく! 第7波、統一教会と自民党の関係、そして死刑執行などで「脳のキャパ超え」してませんか?

2022年08月04日 | 生活

マガジン9 2022年8月3日

第603回:第7波、統一教会と自民党の関係、そして死刑執行などで「脳のキャパ超え」してませんか?(雨宮処凛) | マガジン9 (maga9.jp)

 

 猛暑の中、第7波の勢いが止まらない。

 とうとう東京の1日あたりの感染者は4万人を超え、自宅療養者は60万人を突破。過去最多を更新し続けている。

 そんな中、いろんなことが脳のキャパを超えた気がする。

 コロナ感染拡大への不安と恐怖。2月のロシアによるウクライナ侵攻から始まり、終わりが見えない戦争。選挙中に起きた、安倍元首相の銃撃事件。そこからパンドラの箱が開いたように続々と明らかになる、自民党と旧統一教会の関係。そうして7月26日に迎えた、相模原事件から6年という節目。その日に執行された、秋葉原無差別殺傷事件の加藤智大の死刑。そして、ミャンマーで執行された活動家4人の死刑。

 また、7月下旬には、大阪で栄養失調や脱水症状で二人家族がどちらも亡くなる悲劇が二件続いた。23日に遺体で発見されたのは、85歳の娘と55歳の娘。5月頃に栄養失調で死亡したとみられるという。24日には、90歳の母親の遺体が発見され、玄関先で倒れていた65歳の長女が死体遺棄容疑で逮捕されるものの、容体が急変し、死亡。脱水症による急性腎不全とみられ、母親は衰弱死だという。なぜ、逮捕された長女は入院とならなかったのか。ちゃんと治療を受けられていたらと思うと無念でならない。

 それぞれがひとつずつでも大事件なのに、それらが連続で次々と起き、考える暇もないうちにまたトンデモないことが報じられる。

 そしてそれが、ほとんど「映画なの?」というくらい現実離れしたことばかりなのだ。

 そのダントツはやはり自民党と統一教会の関係で、自民党議員の名前が次々と暴露されたかと思ったら、安倍元首相の弟で防衛大臣の岸信夫氏が、統一教会と「付き合いもあり、選挙の際もお手伝いをいだたいている」などと発言。一方、国家公安委員長の二之湯智氏が統一教会の関連団体のイベントの実行委員会委員長をつとめていたり、呼びかけ人になっていたり、果てはイベントでスピートしていたりといったことも報じられていて、何か時空が歪むような感覚に襲われる。

 ちなみに「国家公安委員会」のサイトによると、国家公安委員会は、「国民の良識を代表する者が警察を管理することにより、警察行政の民主的管理と政治的中立性の確保を図ろうとするものです」とあるのだから、やっぱりすべてがブラックジョークではないのか。何か悪い夢を見ているのだろうか私は。

 そうしてブラックジョークの極め付けは、そんな事態を受けての自民党・福田達夫氏の「何が問題かわからない」発言。なんかもう、膝から崩れ落ちそうになり、その瞬間、私の頭には突然陽気な音楽が鳴り出した。

 「パッとさいでりあ〜、パッとさいでりあ〜♩」

 小林亜星の伸びやかな歌声が頭の中に鳴り響く。私に搭載されている自己防衛システムが発動したのだ。

 このシステムに気づいたのは3年前、飼い猫・つくしが病気になり、「余命1カ月」を告げられた時だ。「ああもう全部無理……」と思う間もなく、頭の中では亜星が陽気に歌い出したのだった。……人っていろんな方法で自分を守ろうとするもんなんだな。亜星の歌声を脳内で聞きながら、思った。「パッとさいでりあ」の意味がわからない人は周りの中高年に聞こう。(わたしは老年?わからない。)

 あれから、3年。つくしの死をなんとか乗り越えた今、久々に、現実からフライアウェイな感じになっている。

 そんな状況の中、人と話して頭の中を整理したくても、第7波、人と会うことのリスクは猛烈に高くなっていて、周りから次々と陽性者が出ていることを思うと誰かと会うこともできない。

 かといって、テレビなんかを見るともっと辛くなるので、時々情報を遮断するようにしている。

 コロナ禍が始まった頃もそうだった。政府の後手後手の対応があまりにひどくてニュースを見るのも苦痛になった。第5波の時もそうだった。医療崩壊で自宅での死者が増え続け、野外の相談会にも発熱した人が来るなど本当に「野戦病院」の状態だった。そんな中、開催されていたオリンピック。「脳のキャパ超え」を感じるたびに、外界の情報をシャットアウトして耐えてきた。

 その状況に、今回、元首相が撃たれる大事件と、カルトが政権に深く食い込んでいたという驚愕すべきことが重なったのだ。そうしてすぐに「国葬」という話が出てきて、世論は二分されている。

 いろんなことの情報量が多すぎて、ついていけない。分断された世論の中で、SNSでは攻撃的な言葉ばかり飛び交っていてほとほと疲れる。何かを発信した途端、何かに分類されレッテル貼りされ罵倒される空間で、多くの人が傷ついている。コロナ禍以降、攻撃性を増してきたSNSが、今、もっとも危険な領域に達しているように思えて怖くて仕方ない。

 こんな状態だからこそ、とにかく今は、一つひとつの出来事を噛みしめたい。

 まず、安倍元首相の事件はとても現実感がなくて、私はまだ受け止められていない。

 加藤智大の死刑執行についても、頭の中がごちゃごちゃだ。

 何度か傍聴に行った裁判で、傍聴席に向かって深々と頭を下げた時の彼の目がずっと焼き付いている。マジックで描いたような、漫画「ねこぢる」のような、まったく感情の読めない目。

 そしてミャンマーの活動家たちの死刑執行。

 秋葉原事件で、突然日常を断たれた人たち。

 相模原事件で命を奪われた人たち。6年になる日を前に、7月はじめ、建て替えられたやまゆり園に行ってきた。殺害された19人を悼むモニュメントが、園のあちこちにあった。

 そして忘れてはならない、ロシアによるウクライナ侵攻で命を奪われた大勢の人たち。

 一つひとつの出来事を自分なりに受け止め、そしてその死を悼みたい。だけど怒涛の勢いで起きるさまざまなことは、その隙も与えてくれない。

 だからこそ、この国に生きる人々は、「異常事態の中にいる」という自覚を今一度、持った方がいいと思う。

 7月後半時点で、世界最多の感染者数を出している国に住んでいるということ。その中でのストレスは相当大きなものであるということ。

 また、安倍元首相をどう評価していた人であれ、今回の事件に深く深く傷ついているということ。

 そこから明らかになった統一教会の問題は、国の根幹を揺るがすことであり、不安に駆られて当然であるということ。

 SNSで異様に攻撃的になっている人の中には、いろいろなストレスや不安に耐えられない人もいるだろう。だからといって、侮辱などが正当化される訳では決してないとも付け加えておきたい。

 考えてみれば、日常を奪われて、もう2年半。

 辛くなったら、全情報を遮断するのも身を守るひとつの手だ。

 そんな時、私は猫を抱きしめて思い切り匂いを嗅ぐ。猫がいてくれて、本当によかったとつくづく思う。


 今、これらの問題を一つ一つ考えてみると大変重大な事柄である。それらが一気に押し寄せている。こんな大変な時代に生かされているということだ。

園のようす。


追い詰められる自民党…旧統一教会の名称変更問題で「下村議員許すまじ」と文科省反乱か

2022年08月03日 | 社会・経済

日刊ゲンダイデジタル 2022/08/03

「党との組織的な関係はない」──。旧統一教会(現・世界平和統一家庭連合)との関わりについて、自民党の茂木幹事長は2日の記者会見でもこれまでの見解を繰り返した。だが、100人近い所属国会議員がイベント出席などで関係しているうえ、旧統一教会の丸抱え選挙で支援を得て当選した議員までいる。“個人の責任”で逃げるのはとうてい無理があり、早晩、追い詰められるのは必至だ。

  ◇  ◇  ◇

 3日召集の臨時国会は3日間で閉じるが、野党は閉会中審査を要求。「国葬」について説明が尽くされていない問題もあり、自民党はいやでも閉会中審査を開かざるを得ない。

 これに野党側は手ぐすね引いている。立憲民主党はもちろんのこと、いつもは“ゆ党”の日本維新の会も強硬姿勢だ。2日早々と、教団側と接点のあった所属議員13人の氏名を公表。松井一郎代表が「自民党が何の問題もないというのは大問題だ」と迫り、内部調査を実施していない自民党の対応を批判した。

 独自調査を最も進めているのが共産党だ。旧統一教会と自民党の癒着疑惑の“核心”となっている2015年の統一教会の名称変更問題で、宮本徹衆院議員の求めに応じて文化庁が「決裁文書」を開示したことは既に日刊ゲンダイでも報じた。実は、この「決裁文書」にズサンな誤りが複数見つかったうえ、それを文化庁がスルーしていたことが分かったのだ。

■「決裁文書」は間違いだらけのデタラメ

 教団側が提出した書類には、名称変更後の新法人の「新規則」全文が添付されている。規則の新旧対照表には、「名称変更(統一教会→家庭連合)」と「宗教法人の認証者(東京都知事→文部科学大臣)」の2カ所の条文の変更が明示されているのだが、「新規則」全文を見ると、なぜか名称は、古いままの「統一教会」と表記されているうえ、認証者として新旧ともにあり得ない「文化庁」と書かれてあるのだ。よくぞ、こんなデタラメな書類を文化庁は平気で受領し、名称変更を認めたものだ。“書式主義”の霞が関では、通常あり得ないことだ。

 文化庁宗務課の担当者はこう言った。

「新規則の全文は参考として添付されたもので、変更手続きの必要書類ではありません。誤記があっても認証の判断には影響していない。当時、誤記と分かったうえで受領したのかどうかは分かりません。当時の経緯を精査しているところです」

 宮本議員は「初めから(名称変更を認める)結論ありきで手続きが進んだのではないか」という疑念を強めていて、さらに追及を続けるとしている。

なぜ文化庁が間違いだらけの文書を開示したのか

 それにしても興味深いのは、なぜ文化庁が間違いだらけの文書を野党議員に開示したのか、だ。自分たちの対応が、いかにデタラメだったのか、自ら公表するようなものだからだ。名称変更当時の文科相・下村博文衆院議員に対する“反乱”が文科省内で起きているという見方がある。

「下村氏は当初、ツイッターで『文化庁によれば、通常、名称変更については大臣に伺いを立てることはしない。今回の事例も最終決裁は、当時の文化部長』と弁解した。全責任を役人に押し付けようとした。しかしその後、有田芳生前参院議員が保有していた文書で、文化庁が大臣に事前報告していたことが明らかになり、下村氏は説明を変えた。文科省内では『下村氏は文化部長に全責任を押し付けるつもりなのか』と怒りが渦巻いています」(文科省関係者)

 今後について、元文科次官の前川喜平氏が発売中の「サンデー毎日」で、「(認証の経緯は)リークで出る可能性はある、加計学園の時は散々出た。文科省はそういう意味で情報管理が甘いですから」と話している。

 官僚リークはあるのか。野党に加え、霞が関を敵に回したら、いよいよ自民党は逃げ切れないんじゃないか。


 次から次へと大問題が日本国民に襲い掛かっている。今の政権にこれらを解決できる算段はない。より深刻な状態へと導くだけだ。

園の花。


雨宮処凛 生きづらい女子たちへ 「赤ん坊を殺す」ことを命じられ、日本に逃げてきたあるアフリカ女性

2022年08月02日 | 社会・経済

imidas連載コラム2022/08/02

 

 突然、変なことを尋ねるが、親から「人を殺すこと」を命じられたらどうするだろうか。

 無差別に殺すわけではない。自分たちの住む村や集落が繁栄するための儀式として、「犠牲祭」をしなければならないというのだ。集落の長の家に生まれた者として、それは絶対に避けられないミッションだという。儀式をしなければ村には災いが訪れ、多くの村人が命を落とすかもしれない。代々伝統を守って儀式を続けることで村は存続し、繁栄を続けてきたのだと親は言う。が、その儀式であなたが命を奪わねばならないのは、生まれたばかりの赤ん坊。果たして、あなたはなんの罪もない赤ちゃんに手をかけることができるだろうか?

 突然そんなことを書いたのは、10代でこのような事態に直面し、日本に逃れてきた女性と出会ったからだ。その人は、Aさん(35歳)。アフリカの某国で、集落の長の一人っ子として生まれた。

 15歳くらいまでは、なんの問題もなく過ごしていたという。しかし、彼女の人生が変わったのは、「村を祝福するための犠牲祭」について父から聞かされた日。

 15〜17歳の間に、祭壇に赤ん坊の命を捧げなければならないというのだ。それが「王女」となるAさんの役割であると父は強調した。儀式をしなければ、村の作物は育たず、多くの災いが続くことになる。そのための犠牲祭を担うことが、代々続いてきた村の伝統なのだと。ちなみに「犠牲」となるのは、村の誰かが身ごもったものの育てられないなどの事情がある赤ん坊らしい。

 それを聞いたAさんは、大きな衝撃を受けたという。なぜなら、父は伝統主義者だったものの、母は違ったからだ。幼い頃から母はAさんを、自立した女性になるように教育し、また教会にも連れていってくれた。教会で「人を殺してはいけない」という教えを受けていたAさんにとって、命を奪う儀式はありえないものだった。

「絶対にできないと、父に伝えました」

 しかし、もちろん「そうですか」で済むはずがない。

 儀式を迫ったのは父だけではなかった。犠牲祭を渋るAさんに、村人たちが「儀式をしないなら殺す」と言うようになるまで、そう時間はかからなかった。

 助け舟を出してくれたのは母親。村から街に連れ出してくれたのだ。この時点でAさんは16〜17歳。街の高校を出たあとは、日本で言えば「東大」レベルの大学に進学。専攻は生化学。進学とともに首都に移り、大学生活が始まった。

 しかし、村人は儀式から逃げた彼女を許さなかった。

 Aさんが村を出たあと、作物の不作が続き、また何人かが亡くなった。村人たちはそれを「Aが儀式をしなかったせい」と決めつけ、彼女が住む首都まで来て探し回ったという。

「怖かったです。私の国では、そのことを警察に言っても、伝統的な儀式に警察が介入してくれることは絶対にありません」

 娘の命の危険を感じた母親は、Aさんをタイに逃がした。3年生だった大学はやむなく退学。24歳で単身、タイに渡った。

「タイに行けば、難民申請できると思いました。でも、できなかったんです」

 理由は、タイは難民条約に批准していないから。そもそも難民申請自体ができないのだという。

 タイには3〜4年ほどいた。英語教師の職を得たことで自立して生活することができた。が、タイにいる間に母親が死亡。死因は今もわからない。家族が父だけになったこともあり、村人たちの怒りが沈静化しているなら故郷に帰りたいという思いが芽生えた。

 しかし、久々に父に連絡すると、村人の怒りは収まっておらず、今も村に連れ戻して儀式をさせようとしていることが判明。村で死者が相次いだこともあり、父までもが村人に「Aを連れ戻せないならお前を殺す」と言われるようになっていた。

 同時期、故郷の人間だという知らない人からAさんに電話が来るようになる。内容は「戻って来ないと父を殺す、家も焼き払う」というもの。脅してくる人間は、Aさんがタイにいることを知っていた。

 このままでは、タイに来られて連れ戻されてしまう。

「怖くて怖くて仕方なかった」という彼女は、「タイから一番近くて、かつ難民申請ができる国」をネットで探した。それが日本だったというわけだ。

 そうして2015年、たった一人、知り合いが一人もいない日本へ。

 来た当初は、「これで安心」と思ったという。難民申請もできるし、治安もいい国。

また、難民申請したAさんには6カ月の在留資格が与えられ、それを更新しながら仕事もできるようになった。始めたのは、老人ホームでの介護の仕事。それによって健康保険に入ることもできた。日本での暮らしも介護の仕事も何もかも初めてづくしだったが頑張った。

 しかし、日本に来た頃から、父と連絡がとれなくなる。いとこに連絡して知らされたのは、父の死だった。何者かに殺害され、畑に埋められたという。家も焼き払われていた。

 不運は続き、来日から5年後の20年、難民申請は却下されてしまう。「出身国に帰れ」ということだが、この数年前、Aさんの出身国では内戦が始まっていた。あれほどAさんが儀式をすることにこだわった村は集落そのものが焼き払われ、村人たちも大勢死んだ。いとこの一人は射殺された。戦争の混乱の中、誘拐や強盗などが相次ぎ、国外に逃れる人が相次いだ。19年には2万人以上が世界各地で難民認定されている。今も毎日人が殺されている状態だ。その悲劇は欧米では報じられているものの、日本ではまったくと言っていいほど知られていない。

 そんな場所に「帰れ」とばかりに日本政府は彼女の申請を却下したのだ。

 却下されたあと、彼女は再び難民申請。しかし、一度申請が却下され「仮放免」という立場になってしまったので、今に至るまで働くことができない。

 ちなみに仮放免とは、入管施設への収容を一時的に解かれているという状態だ。難民申請中は6カ月の在留資格があったのでそれを更新しながら仕事ができたが、却下されて「仮放免」となると働くことが禁じられる。それなのに、原則、日本の公的福祉の対象にはならない。働いちゃいけないのに、福祉の対象外。また、健康保険にも入れないので病院に行けば全額自己負担になってしまう。移動も制限される。例えば東京都内に住む彼女は、隣の埼玉県に行くにしてもわざわざ許可をとらなければならない。外出時、許可証を持たずに警察に職質されたりしたら、そのまま入管施設に収容されてしまう。スリランカ人のウィシュマ・サンダマリさんが命を落とした、あの施設だ。

 このように、仮放免とは生活に著しい制限が生まれてしまうのだ。

 が、なんといっても厳しいのは、「働けないからお金がない」ことと仮放免者は口を揃える。仮放免の人々の厳しい生活状況については、北関東医療相談会の調査結果に詳しい。7割が年収ゼロ円、経済的問題により医療機関を受診できない人が84%、借金ありが66%と厳しい数字が続く。

 私もコロナ禍の困窮者支援の現場で仮放免の人の相談を受けたことがあるが、ひどい虫歯で激痛なのに保険証もお金もないから歯医者に行けない、さまざまなことを相談したくても日本語がわからないのでどうしたらいいかわからないなどの声を耳にしてきた。それでも、コロナ以前は同じ出身国の人々のコミュニティがあり、働ける人が働けない人を支える仕組みができていたという。が、コロナ禍で、働ける人の仕事もなくなった。この2年強で、実際に路上生活となった外国人もいる。その多くが仮放免者だ。

 さて、そんな仮放免という制度はAさんの人生にも暗い影を落としている。

「介護の仕事をしてるときは、家賃も払って自分で生活していました。税金も払っていました。そのあと、仕事をしちゃいけないことになって生活に困った時、何かサポートがあると思って役所に行きました。そうしたら、『在留資格がなければ何もできません』と言われました。在留資格がなくなった途端に何もできない、助けられないと言われたことに、本当に驚きました」

 そんなAさんが今どうやって暮らしているかと言えば、支援団体の助けによってである。コロナ禍でたまたま訪れた「大人食堂」がきっかけだった。ここで支援者と出会い、住まいや食料の提供などを受けられるようになったのだ。

 が、感謝しつつもそんな日々は彼女を蝕んでもいる。

「一番辛いのは、私は健康でなんでも自分のことはできるのに、人に『ください』ってお願いして、誰かが何かをしてくれるのを待たなきゃならないことです。このことは、自分の心を深いところで傷つけています。母からずっと、自立して生きていけるように教育を受けてきて、自立して生活してきたのに、人に助けてもらわないといけないのが辛い。支援団体の人には本当に感謝していますが、仮放免の生活は、尊厳を傷つけられているような気持ちになります」

 現在2度目の難民申請中だが、申請から2年以上経っているというのに、まだ「聞き取り」のためのインタビューさえ行われていない状態だ。入管に「もう2年もインタビューを待っているけどいつですか」と聞いても「待ってろ」の一点張り。

「待ってろと言うなら、その間、働けるようにしてくれればいいのに」とAさんは声に力を込める。本当にその通りだ。しかもAさんは東大レベルの大学で生化学を学んでいた人である。その知識を活かしてできることは山ほどあるのではないだろうか。そんな稀有な人材が日本にいながら何もできないままなんて、単純にもったいなさすぎると思うのだ。そして日本で難民申請をしている人の中には、驚くほど高学歴だったり多彩な技術を持つ人がいる。このような才能の「宝庫」を、なぜみすみす放置しているのか。

 ちなみに諸外国の場合、難民申請中、働くことができる上、就労が認められない期間は生活が保障される。生きるためにはさまざまなものが必要なのだから当たり前のことだ。なぜ、他の国でできて日本ではできないのか。

 さて、これが昨今注目を集めている入管や難民申請を巡る状況だ。

 日本の難民認定率は0.5%と世界的に見ても最低水準。一方で、ドイツは42%、カナダ55%だ(2020年)。

 ウィシュマさんの事件以降、注目が集まっている入管問題だが、この国ではいまだ難民問題などに理解が得られているとは言い難い。が、Aさんのように、それぞれがのっぴきならない事情を抱えて日本に逃げてきたのである。自分の命を守るために。

 日本に来て、これほど苦労されると思いましたか? 取材終盤にそう問うと、Aさんは苦笑いしながら言った。

「難民認定されないなんてまったく思ってなかったです。来て初めて、(難民認定率が低いことを)知りました」

 Aさんにとって、日本は「絶対安全な国。とにかく、日本に行けば安全だと考えていました」とのこと。認定されず働くこともできず、福祉の対象にもならずこれほど宙ぶらりんな状態が長く続くなんて、まったくの想定外だったのだ。

 もし、自分がAさんの立場だったら。取材にあたり、何度も考えた。私だって赤ん坊を殺す儀式なんて嫌だ。だけどそれを拒否したことで起きることを考えたら……。

 あなたはどうだろう。おそらく、こうして「自分ごと」として考えるところから始まるのだと思う。

 さて、最後にAさんに、日本政府に望むことを聞いてみた。

「難民認定をもっと柔軟にしてほしい」

 まずそう言ってから、続けた。

「仮放免で生きることは大変すぎます。自分はたまたま支援団体のサポートを受けられたけれど、それがなかったら不法とわかっていても働くしかない。だけど働いたら入管に収容されて、強制送還になる可能性もある。日本は人手不足って言うなら、とにかく働かせてほしい。そうすれば税金も払えるから政府にも得になるはずです。明日からでも介護の仕事をしたい。2年間、何もできないで、人生を浪費していると思います」

 彼女が来日して、もう7年。人を殺すことを拒否し、命を狙われた彼女は、いつになったら「普通に」生きていくことができるのだろう?

取材協力 : 移住者と連帯する全国ネットワーク 稲葉奈々子さん


ここにも「カルト」の力を感じるのだが・・・・

園のようす。
昨日から70mmほどの雨になった。この暑さで土も乾いていたので恵みの雨となった。

スイレン

山ブドウ