東京新聞2019.1.1 社説
この年頭に思うのは、分断ではなく対話の時代であれ、ということです。世界は、そして私たちは歴史的試練に立たされているのではないでしょうか。
思い出してみてください。
平成の始まるころ、世界では東西ベルリンの壁が壊れ、ソ連が崩壊し、日本ではバブル景気がはじけ、政治は流動化し非自民政権が生まれた。
米ソ冷戦という重しがはずれ、世界も日本もあらたな歴史を歩み始めたのです。
◆自由と競争を手中に
アメリカ一強といわれました。
政治は自由の広がりを感じ、経済は資本主義が世界を覆って市場経済のグローバリゼーションが本格化した。
世界は自由と競争を手に入れたかのようでした。
欧州では共通通貨ユーロが発行され、中東ではパレスチナ、イスラエルの和平合意。日本では二大政党時代をめざす政治改革。時代は勢いをえていました。
しかし、その後どうなったか。
政治の自由は寛容さを失って自ら窒息しつつあるようです。
経済の競争は、労働力の安い国への資本と工場の移転で、開発国の経済を引き上げる一方、先進国に構造的経済格差を生んだ。リーマン・ショックは中間層を縮め失職さえもたらした。
その根本には人間がいます。
悩み苦しみ、未来に希望をもてない人がでてきた。
憲法や法律には不公正も不平等もないはずなのに、それらが実在するというゆがんだ国家像です。
アメリカでは貧しい白人労働者たちを「忘れられた人々」と称したトランプ氏が勝ち、欧州では移民を嫌う右派政党が躍進。人権宣言の国フランスでは黄色いベスト運動が起きた。
格差が、不平等が、政治に逆襲したのです。
◆友と敵に分ける政治
日本は「非正規」という不公平な存在を生みました。貧困という言葉がニュースでひんぱんに語られるようになりました。
それらに対し、政治はあまりにも無力、無関心だったのではないでしょうか。
欧米でも日本でも目下最大のテーマは民主主義、デモクラシーの危機です。
思い出されるのは、戦前ドイツで注目の政治学者カール・シュミットの政治論です。
政治学者三谷太一郎氏の簡明な説明を借りれば、国民を友と敵に分断する政治です。敵をつくることで民衆に不安と憎悪を募らせ、自己への求心力を高める。
敵をつくるだけで対話も議論もありません。その結果、多数派が少数派を抑圧し圧殺してしまう。独裁の理論化といわれます。
ナショナリズムもポピュリズムも同種です。
排外主義は国民を熱狂させやすい。ポピュリズムは目的遂行のため事実を隠すことがあります。
ヒトラー政権が用い、戦前戦中の日本も同じようなものでした。英米はきらったそうです。
今、シュミット流の分断政治が内外で進んでいるかのようです。 多数派の独走。議会手続きを踏んだふりをして数の力で圧倒してしまう。実際には国民の権利が奪われているのです。
では健全な民主主義を取り戻すにはどうしたらいいか。
分かり切ったことですが、まずうそをつかないことです。
情報公開がもっと進まねばなりません。役人が政治家のため、また自分たちのために情報を隠すのなら、主権者たる国民への裏切りにほかならない。これでは民主主義が成立しません。
もう一つは、多数派は少数派の声に耳を傾けねばならないということです。多数の利得が少数の損失のうえに築かれるのなら、それは国民全体の幸福とはいえません。国民の総意とはいえない。
自由と競争は必ず不平等を生じさせますが、それを正すのが政治の役割というものです。
事実にもとづく議論、適正な議会手続き、議員各人の責任感。
それにより少数派は声が小さくとも守られ、多数派は多数専横の汚名から救われるのです。
◆民主主義は死なない
むかしシュメールの王様はときどき神官にほおを平手打ちしてもらったといいます。増長をいましめ、謙虚を思い出すためです。どこかこっけいなようですが、逆にいうなら権力保持には大いに役立ったことでしょう。今なら国政の安定ということです。
民主主義は死んだりしません。
民主主義とは私たち自身だからです。生かすのは私たちです。危機を乗り越えて民主主義は強くなるのです。その先に経済も外交も社会保障もあるのです。
分断を超え対話を取り戻さねばなりません。
「主権在民」が「主権アベサマ」になっていませんか?
「ぬるま湯」につかっていて、いつのまにか「熱い湯」になっていたということのないよう、気を配らなければなりません。
さて、新年朝の光景。
午前中はいい天気に恵まれました。