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同性婚訴訟で原告を勝訴させても、生活保護訴訟は棄却する札幌地裁の不思議

2021年04月04日 | 社会・経済

ダイアモンドオンライン 2021.4.2

みわよしこ

「肉球の日」に裏切られた

縁起よい判決への期待

 2020年3月29日、札幌地裁において、2013年から実施された生活保護基準引き下げの取り消しなどを求める訴訟の判決が言い渡された。 結果は「棄却」であった。

 この訴訟は、約1000人の原告による30の原告団により、全国の29地裁で継続されている。 原告団の数が地裁の数よりも1つ多いのは、東京には2つの原告団があるからだ。 昨年6月の名古屋地裁判決は「自民党が引き下げたかったのだから、自民党所属の厚労大臣が裁量権によって引き下げたのは仕方ないでしょう」と言わんばかりの内容であった。

 今年2月22日の大阪地裁判決は、厚労省が引き下げの理由とした物価下落に根拠がないことを認め、「厚労大臣には確かに生活保護基準を決定する裁量権があるのだけれど、デタラメな根拠による引き下げはダメ」と明確な判断を行い、原告の勝訴とした。

 厚労省が引き下げの理由として用いた物価下落は、厚労省が独自に作成した物価指数「生活扶助相当CPI」によって導き出されたのだが、フリーライター・白井康彦氏(2013年当時は中日新聞社)の嗅覚と執念と巻き込み力によって、「物価偽装」としか言いようのない実態が、2014年末には明らかになっていた。

 2月22日の大阪地裁判決は、「大臣裁量だからといって、大臣は何をしても許されるわけではない」という当然のことを根拠とともに明確にした、画期的な判決であった。 愛猫家である筆者は、「猫の日」とされる2月22日にふさわしい判決に感じられた。  

 毎月29日は、愛猫家たちにとっては「肉球の日」である。 3月29日、筆者は「肉球の日」にふさわしい判決を期待した。 しかし棄却となり、原告である生活保護の当事者たちの切実な願いは叶えられなかった。 

 この判決を下した武部知子裁判長は、3月17日に同じ札幌地裁で、同性婚訴訟に対して「同性婚を認めないのは違憲」という画期的な判決を下した。 憲法24条にある「婚姻は,両性の合意のみに基いて成立」という文言を文字通りに解釈すれば、同性婚を認めないことは憲法違反にはならない。

 しかし性別や性的志向は、本人が選んだわけではない。 本人が選べないものによる差別は、憲法14条「すべて国民は、法の下に平等であって、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により(中略)差別されない」という規定に違反する可能性がある。

 法に基づく婚姻を選ぶかどうかは本人の自由だが、「結婚したい相手が同性である」というだけの理由により、法で強く保護されている「婚姻」という形態を選べないことは、同性カップルに多大な不利益を及ぼしている。 武部裁判長はこの点にフォーカスし、画期的な判決を下した。 しかし、生活保護基準引き下げに対する判決は、まるで「前例踏襲」のオンパレードのような内容だった。 同じ裁判長が、ほぼ同時期に下した判決とは思えない。 

同性婚と生活保護は

どこがどう違うのか

 同性婚訴訟と生活保護基準引き下げの取り下げを求める訴訟は、何がどう違ったのだろうか。 筆者が最初に思い当たったのは、「生活保護は国家財政に深く関係している」という理由であった。 現在、生活保護政策決定について研究する博士課程の大学院生でもある筆者は、政治力とカネについて考えないわけには行かない。

 1つの判決が社会に大きなインパクトを与える場合、インパクトの内容はさまざまだ。 同性婚を認める判決の場合は、主に社会的なインパクトである。 その影響は、日本国内だけにはとどまらない。 「まだ、日本は同性婚を認めていないのか」という先進諸国や国際機関からの冷ややかな眼差しに対して、文字どおり、日本という国を救う可能性がある。 そして判決は、「これで日本が変わった」という明確な節目となる。 

 現在のところ、同性婚訴訟判決に対する各政党の態度はさまざまだ。 憲法24条に基づいて「それでも同性婚は違憲なのでは」という政党もあれば、「憲法14条違反の同性婚禁止はすぐに是正を」という政党もある。 

 そうはいっても、国内外の潮流から考えて、同性婚はいずれ制度化される可能性が高いだろう。 その際には、「婚姻は男性と女性が行う」という前提で開発されているシステムの改修など、若干の財政支出も必要になるだろう。 それでも、各自治体に採用されているシステムや様式の改修や改定を含めて、必要な費用の総計は多めに見積もっても100億円の桁と思われる。

 さらに同性婚を制度として認めると、ポジティブな経済効果もある。 同性婚カップルの就労などの社会活動が容易になり、貧困状態となる可能性が減る。 同性婚カップルを対象としたビジネスも、法の裏付けのもとで生まれ、発展していくだろう。 結婚に対するイメージが「なんだか、ちょっと良さそう」というものに変わっていけば、異性カップルも結婚に踏み切りやすくなるだろう。 社会や経済に対する悪影響は、簡単には思い浮かべられそうにない。 唯一の問題は、「同性カップルなんて気持ち悪い」「同性婚なんて許せない」という感覚をどうしても捨てられない人々の居心地の悪さであるが、それも時間が解決するだろう。

 往年のテレビドラマ『家なき子』の決めゼリフ「同情するならカネをくれ! 」になぞらえるなら、同性婚への理解や同情にはカネは必要ない。 むしろ、理解や同情がカネを生む。 多くの場合、差別の解消や多様性の増加は、回り回って社会を経済的に豊かにする。

 もっとも、メリットが何もなくても、差別は解消されなくてはならない。 そのためには、多様性も増加させる必要がある。

注目されなかった

個別具体的な生活実態

 生活保護基準の引き下げは、「生活保護」という立場による経済的差別と見ることができる。 生活保護基準は、厚労大臣の裁量によって、実質的には厚労省社会・援護局保護課によって決定される。 厚労大臣が引き下げを告示すれば、生活保護で暮らす当事者たちの月々の生活費は減少する。

 もしも一家の稼ぎ手が、配偶者に渡す生活費を勝手に減らしたら、内容と程度によっては経済的DVである。 2013年の引き下げは、全国平均で6.5%という大幅な引き下げであった。 影響は、生活保護で暮らす当事者たちの日常に現れるはずである。

 原告団は裁判において、2013年の引き下げにおいてどのように非合理な判断が行われたかとともに、当事者たちの生活がどのように劣悪になったのかを訴えた。

2013年以後、寒冷地での生活保護の暮らしは、厳しさを増し続けている。 生活保護で暮らす人々は、壊れた電気製品や老朽化した暖房器具の買い換えが難しい中で工夫を重ね、厳冬期の身体と生命を守る努力を尽くしている。 人との付き合いには費用が必要なので、食を削ってその費用を捻出する。

 食を含めて削れる要素がなくなると、付き合いを控えることになる。 それは、「制度化された貧困がもたらす孤立」という人災である。 しかし判決要旨を見る限り、生活保護基準が各個人にもたらした負のインパクトの数々は、「全く」といってよいほど考慮されていない。

 政策や施策が個人に与える影響は、個人差が大きい。 このため、個人の損失に注目すると、「個人差があるのだから、全体では損失とは言えないかもしれない」という反論を招く可能性がある。 この可能性は、同じ裁判長による同性婚訴訟の判決でも考慮されたようであり、個別具体的な問題には踏み込まず、大枠の議論から画期的な結論を導いている。

 しかし生活保護の訴訟においては、「生活が苦しくて1日1食しか食べられない」という訴えは、「同じ金額で1日3食食べている人もいる」という論理によって退けられることが多い。 1日1食の人は野菜やタンパク質源を含む健康的な食事を摂っており、1日3食の人の1日の食事は3個98円の冷凍うどんなのかもしれないが、そういった差異はあえて無視される。

 また、「服が買えず人間らしい生活ができない」という訴えは、「日本の別の地域には裸族もいる」と反論されるかもしれない。 まるでギャグだが、これは過去の裁判での実話である。

 生活保護で暮らす人々1人1人の生活に踏み込まず、不毛な応酬を避ける判断は、裁判官のスタンスとしては「アリ」だ。 では、大枠の判断はどのようになっているだろうか。

結局は国にお金を

出させたくなかったための判決?

 判決は、厚労大臣の裁量権の逸脱と言えるかどうかを焦点化した。 このこと自体は、当然と言えば当然である。 しかし判断内容を見ると、ツッコミどころのオンパレードだ。 判決骨子から、1点だけ取り上げて解説したい。

 憲法25条の「健康で文化的な最低限度の生活」という文言は、制定過程から見れば「最低限度ではあるけれど、健康で文化的な生活」と解釈すべきである。 そのことは、憲法の公定英文訳を見れば明らかだ。 その「健康」や「文化」は、具体的なモノやコトやサービスを必ず伴う。 しかし判決の要旨によれば、最低限度の生活は「抽象的かつ相対的な概念」であり、「国の財政事情を無視できない」「専門的技術的な考察と政策的判断を必要とする」のである。 そして、厚労大臣が有している裁量権は、このようなものであるという。

 厚労大臣は、生活保護の「専門家」とはいえない。 厚労官僚には、大臣よりは豊富な知識と高い専門性があるかもしれないが、やはり「専門家」とは言えないことが多い。 だから、社保審・生活保護基準部会のような専門家会議が存在する。 専門家たちの見解と全く異なる結論を出すことは、厚労大臣といえども無理筋だ。 しかし判決文は、厚労大臣が専門家の意見を聞いて全く異なる判断をする「裁量」を、裁量権の範囲にあるものとして認めている。

ポジティブな経済的インパクトを

もたらすことができなかった

 視点を変え、判決がもたらし得るインパクトの内容を見てみよう。 まず、国を敗訴させると財政支出を強いることになる。 生活保護基準と連動する制度は多数あるため、生活保護基準を2013年度初めと同水準に戻すと、支出の総額は少なくとも5000億円程度になるであろう。 しかも増加した支出は、その後も毎年維持される。 財政への影響の大きさから、裁判長は「同性婚訴訟と同じように原告を勝訴させるわけにはいかない」と考えたのかもしれない。

 しかし、生活保護基準が2013年度初めと同水準に戻ると、生活保護世帯だけではなく、低所得層全体が何らかの経済的恩恵を受け、消費が活性化する。 低所得層の、小規模ながら確実に続く「内需」拡大は、日本経済にジワジワと好影響を与え続けるはずである。

 その経済的インパクトは、「人付き合いを増やして孤立を軽減する」という社会的インパクトにつながる。 「人権面から日本を見直そう」という国際的な動きにもつながるだろう。 間違いなく、日本にポジティブなインパクトがもたらされるはずである。 

なぜ、裁判長はこの機会を生かさなかったのか。 筆者は残念でならない。

(フリーランス・ライター みわよしこ)


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