いまだ12月らしい冷え込みが訪れず、
ぐずぐずしている間に半ば過ぎ。
ようやく年賀状も完了したので、
重い腰を上げて“蘭”や“月下美人”など
霜や寒さに弱い鉢を館内に取り込みました。
大小合わせれば100鉢も超える数、
肩と腰がとたんに悲鳴を上げます。
頭痛腰痛肩こり・・・さっそく筋肉のほぐしを兼ねて
夜の散歩に出かけました。
ひさしぶりに見る近所の夜景、
観覧車や沿線を飾るイルミが
消えない花火のようにきれいです。(R)
いまだ12月らしい冷え込みが訪れず、
ぐずぐずしている間に半ば過ぎ。
ようやく年賀状も完了したので、
重い腰を上げて“蘭”や“月下美人”など
霜や寒さに弱い鉢を館内に取り込みました。
大小合わせれば100鉢も超える数、
肩と腰がとたんに悲鳴を上げます。
頭痛腰痛肩こり・・・さっそく筋肉のほぐしを兼ねて
夜の散歩に出かけました。
ひさしぶりに見る近所の夜景、
観覧車や沿線を飾るイルミが
消えない花火のようにきれいです。(R)
雨上がりの空に2本の虹が架かっていました。
虹を見つけると、まずほとんどの方が微笑み、
大抵の人が“幸せ”や“希望”を感じると思います。
滅多に見ることができない“稀さ”にその期待度は高まり、
流れ星の如く祈り、願いさえもしてしまうという神秘的な現象。
2重にかかる虹を“副虹”とか“福虹”ともよぶそうですが
プリズムやら光彩やら、
そこに科学的説明が加わると醒めてしまいそう。
虹の元には財宝が埋まるという迷信や、
天界につながり神との契約や
証をあらわすとも伝わる光のアーチ。
出現のその偶然性を、
吉祥の“兆し”に見立てたくもなります。
夜空にかかる
“月の虹”というのもあるのだそうです。(R)
「これ、景品に自分で描いたのね」と
見せて頂いたバッグとサンバイザー。
自宅に工房をしつらえ、暇さえあればデザインされているそうです。
古い家具の、
リサイクルを目的として始まったといわれるトールペイント。
布製品やガラス、陶器などに
意匠を凝らした“化粧”がほどこされ、
『ひとつだけのもの』として、
さまざま形で復活しています。
陶芸教室を開いている知人夫婦主催
「dokidoki工房展」を見に行ってまいりました。
30余名の生徒さんの作品とともに、
一年間に焼き上げた陶磁器の展示です。
織部、志野、備前など土と釉のおりなす数々の器や置き物のうち、
得意と伺った、呉須の手描きの作品が際立っておりました。
たとえ消耗品といえども、
身の回りのひとつひとつに思いを込める。
手を加え“手に成る”と、
得難くそして捨て難いものになります。(R)
我が家に各種の“みかん”が揃い踏み。
横綱:蒲郡ブランドみかん『箱入娘』、
大関:同わけあり『おてんば娘』、
そして“祖父が育てました”という頂き物、
関脇:『不良娘』?。
失礼ながらこれは見た目からツレアイが命名、
柑橘界の序列ではございません。
産地はすべて中部地区で、甘味勝り酸味ほどほどの美味。
『不良娘』は、片手間とはいえ趣味の域を超えた代物で、
「これだけのものが出来るなら手入れも楽しいだろうね~」と
毎年の便を心待ちにしています。
「日本の果物は美味しいです」と、よく在住の留学生に言われますが、
“美味追求”は飽くことを知らず、知恵も技術も天井抜け、
そういえば、渋皮が簡単にむける新品種の栗ができたと聞きました。
美味しさにこだわり、贅沢に過ぎてしまうと、
フツーのモノが口に合わなくなりそうで困ります。
昨年から実をつけ始めた庭先の柿の木、
“渋柿”をむいて干しました。(R)
船の動きを、ヨーイング(首振り)
ピッチング(上下)ローリング(左右)
縦横回転の複合的振動の繰り返しを
“ダッチロール”(蛇行)などと言い
この揺れをゆりかごの如く心地よく思う方、
反して不快に感じる“船酔い”
不規則な動きに対する酔いを
“加速度病”や“動揺病”と呼ぶそうで
漁師や船乗りも、
陸に上がってしまうと弱くなると伺いますし
フィギアスケートの選手でも
普段の逆方向にスピンすれば目が回るという話し
慣れや経験などの後天的、
年齢的なものも関係するようですが
結構周りには、揺れや回転を
生まれたときから克服している人がいます
シーソーやブランコで遊ばなくなった昨今
海に浮かぶ船上の
大小さまざまな“揺れ”という刺激に
とっさに足を踏ん張ったりつかまったり
優雅といえなくても反応し
鈍くなりがちな反射運動とやらを、
少しでも維持出来ればと思っているのです(R)
スピンセールを揚げてのセーリング時、
マストトップの風見を気にしすぎて
目が回りました
4年前、突然襲った
重度のめまいでツレアイが入退院
当時大学病院で1週間検査治療を受けましたが
未だ原因不明、現在に至ります。
“めまい”にもタテぐるぐるヨコぐるぐる、
うずまきふわふわ眼前真っ暗と色々あり
眼球の振れ、いわゆる“眼振”をみると
傍目にもその加減が分かると知りました。
やれ耳石や三半規管、心労、血流、脳疾患
はては自律神経失調症などと騒ぎ
しばらくおとなしくしていたのみで、
最近は思い出すことも無いほど。
目を瞑っていても回る感覚は、
まさにツカミ所のない恐怖感があります。
中学生時代、体育の授業中
“砲丸”を後頭部で受け止めてしまった愚かな自分、
意識はありましたが目眩で頭を持ち上げることも
地面に立つこともできず1週間入院、
その後もしばらく平衡感覚が機能しにくく、
よく立ちくらみを起こしました。
目に映るものがくるくる廻ったり
揺れ動くその感覚は、
体の変調や危険信号に思えても
熱や痛みのように頓服薬も一般的ではなく、
自身で理解や処理できない“不快”なもの
とりあえず命そのものに支障はないようで、
我慢や辛抱に尽きる“耐振”です。(R)