日本中に流れた水害ニュースを聞いて見舞い電話が続々。
『水に浸かったの?』だとか『流されてない?』と遠方からの声。
ご心配頂きありがとうございます。<(_ _)>
間の悪いことに只中、片やご馳走ほうばって水害ならぬアルコールに浸り、
笑い声にかき消されて雷鳴も知らず、
夜中に長靴で身を固めた献身的相棒に迎えに来てもらっていたオキラク妻です。
死者も出てしまった娘の所在地岡崎から、
「ボートを積んだ自衛隊トラックがいっぱい!冠水道路で車がプカプカしてるっ!」
との知らせ。
高台にある市民病院で平常通り勤務中の報を受けひとまずホッとしました。
当時カヌー一家であった我が家は、
奈良在住の同好の仲間が自分の船を車に積んでボランティアに駆けつけるという言葉に触発され
主人と長男が新川町へ。そのあと北区の伯母の家にも家族総出で後片付けの手伝いに行きました。
地震火事など災害ごとにその難は異なり、汚水濁流が退いた後の生活の場は、
とことん腐臭と汚物にまみれた手の付け難いつめ跡でした。
呆然と立ち尽くす姿。
諦めたまま座り込むお年寄り。
復興の時の流れとともにゴミとして積み重ねられていく家具電化製品。
洗い流した仏壇に手を合わせている人・・・
どれほど心を尽くして手伝っても、掛ける言葉も見つからず、
体も気持ちもいつまでも重かった記憶です。
生命の源である水。
水流水圧を利用することはできても、水に勝てることはないと思うのです。
淡水海水と親しみつつ、その力を知る必然性も大いにありそうです。(R)