菱沼康介の、丸い卵も切りよで四角。

日々の悶々を、はらはらほろほろ。

降り注ぐ高温の雹を見たかい?   『ハート・ロッカー』

2010年03月12日 00時00分57秒 | 映画(公開映画)
 
で、ロードショーでは、どうでしょう? 第114回。



「なんか最近面白い映画観た?」
「ああ、観た観た。ここんトコで、面白かったのは・・・」







『ハート・ロッカー』
 



『プライベート・ライアン』の最初の30分の緊張が2時間続く。
観てるだけで、息が詰まる。
戦場に連れて行かれるタイプの映画。

中米戦争というジャンルを完全に確立し、戦争を描きながら、現代の日常の空気まで描き出す、ある種、戦争映画の新たな境地に踏み込んだ傑作。
軍の爆発物処理班を、テクノロジーも含めて、きっちり描いたのも新しい。


実際に、戦争がいいとか悪いではなく、現代の戦争が皮膚間から離れ、遠方から、ただボタンや視線でのみ関わる。
爆弾は、仕掛けられた時点で倒さなければいけない敵である。
感情のない、ただの機械だ。
しかも、イラク戦争におけるそれは、非常に簡単で大量にある。
いや、それは戦場だけなのか?
日常にも、同じように爆弾があり、それは人間の皮膚感を持たない。
簡易なシステムをはさんで、関わりあう。
それは間接的であり、情の余地をことごとく奪う。
ゆえに、解体する側もシステマチックになり、人間性は剥奪されていく。
そこに、あえてアドレナリン、刺激や適当さによって、主人公ジェームスは抗おうとする。
だが、人間は、生き残るためにその思考を機械的にしていく過程で、心は処理できなくなっていく。
動かない心は、たとえば、宗教家の極みのような感じもするんだけど、たぶん違う脳の働きが起こるのだろう。
心の複雑さ。
そりゃあ、厳しい修行がいるわけだ。



“HURT・LOCKER”には、、過大な精神的苦痛、負荷を強いる相手や物、行きたくない場所、または棺おけの意味があり、兵隊の言い方で「ハートロッカーへお前を送る」と、前線へ向かわせたり、危険な任務につかせるという意味で使われるそうだ。




無名のキャストで、思い入れも排除していく。
ジェレミー・レナー演じるジェームズは、英雄ではあるが、トラブルメイカーでもある。
主人公の理解不能な行動が共感を排除し、護衛に当たる同僚の気持ちに共感させえていく。
余計なことをしてくれるな、と願う。
それは、物語の共感としては、真逆な感情を引き出す。


スターも数名出ているのだが、その扱いにもそれは徹底されている。
戦争アクションでも、あからさまな戦争批判でなく、戦場の虚言のプレッシャーの中で、それでも人間性を保つ、個のありようを描いている。
戦争批判がそのまま現代社会のありようになっている。
これは、戦争と日常が地続きになっている、その恐ろしさ。
なぜなら、爆弾に付随するのは、普段使う車であり、ただの地面であり見慣れた携帯電話による起爆、宣伝のためのビデオカメラという特別なモノではないものが恐怖を増大させていくから。


なにより、映画そのものも語りもその情が配された構成になっていて、相乗的にこちらの人間性も剥奪されていく。

戦争をアトラクションにしているという向きもいるかもしれん。
それは、この現代のシステムそのものを映画で丸ごと表現しようとしているから。
悪ではないがゆえに、それが許容されてしまう恐ろしさ。
それはラストの受け止め方を変える要素だ。


音の素晴らしさが、キャラクターの隣に自分を行かせる。
米アカデミー賞でも音響調整と音響効果の両方を制している。
ほとんどの効果音を実際のイラクでの録音から、つくりだしたそうだ。



ただ、米アカデミー賞6冠受賞は、ある意味では、この映画の鑑賞としては、その無名性をはいでしまったので、不幸だったともいえる。
米アカデミー賞受賞前に観れた人は、そうでない人より、この映画を少し楽しめたかもしれない。
まぁ、そんなことでは、揺るがない透徹があるんだけどさ。



観るだけで、砂が口に入って、じゃりじゃりするのを感じる。
誰かの視線を感じる。
50度を超す砂漠で、あの防爆服を着たときの暑さを想像してほしい。
いつもの映画鑑賞のときよりも、多くの水分を欲するかもしれない。
だが、『マスター・キートン』に書かれていた話によると、熱いときほどあまり水分を取りすぎるとすぐに尿意をもよおすらしいので、注意が必要だ。
緊張感による冷や汗で、暑さなんか忘れてしまうかもしれんけどね。


説明を省きまくっているので、バクダンの雑な扱いや、なぜビデオカメラに反応するかなどは、対応だけが描かれるので、邦画の説明過剰に慣れているとついていけない方もいるかも。
でも、それは、あなたが戦場に放り込まれた右往左往を体験させると思いねぇ。
そういう意味でも、これは体験する映画なのだ。
コレこそ、でかい画面とよい音響で見て欲しい。
ただ、シェイキーなカメラスタイルなので、三半規管が弱い方は注意がいるかも。





さて、観賞後、あなたは、あのラストを、どう観るだろうか?
ここに、現代の問題が内包されている。
 
ぜひ、映画館で体験して欲しいのだ。





 


 



おまけ。

おいらは、公開初日にみゆき座で観た。
初回へ向かうと、9時には、劇場に100人ほどの列が出来てた。
いやぁ、ああいうの観ると嬉しいよね。
で、2回目を予約していい席で観賞。
でも、みゆき座はあまり大きくない劇場なので、アカデミー賞の発表のあとで日劇3の限定公開で観直す。
TOHOのマイルを利用しての再観賞。
やはり満足度が違う。
大きめのスクリーンで、でかい音に身をゆだねてみる映画だった。
で、気づいたら、3/10からはTOHOスカラ座に劇場移ってやんの。
賞を取ったら、こういう反応があるというのは、いいことだ。
でも、おいらだって、スカラ座のでかくていい音響で観たかったよ。
3度目は、逆にじっくりDVDで分析しながら観たいしなぁ。

なにしろ、2度観て、すでに映画の観るポイントが変わってしまう。
3人の誰に注目してみるかで、だいぶ違うよね。
物語全体に映画が染みこんでいるという感じ。


 

 
 

おまけ。その2
キャスリン・ビグロー監督の作品は、『ニア・ダーク』、『ハート・ブルー』、『ストレンジ・デイ』とかなり好きで、次の作品で好きなことやれるだろうから、それが楽しみでしかたないです。
ぜひ、大作で、アドレナリン・ジャンキーを見せてもらいたい。
 
そうそう、『月光条例』8巻で、ヒロインのエンゲキブが『ニア・ダーク』のTシャツ着てるのよね。



 


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