で、ロードショーでは、どうでしょう? 第2199回。
「なんか最近面白い映画観た?」
「ああ、観た観た。ここんトコで、面白かったのは・・・」
『エブリシング・
エブリウェア・
オール・アット・ワンス』
問題山積みの中華系移民の中年母が宇宙を救うため戦うSFアクション・コメディ・ドラマ。
監督は脚本は、『スイス・アーミー・マン』のダニエル・クワン&ダニエル・シャイナート(ことダニエルズ)。
主演は、『グリーン・デスティニー』、『SAYURI』、『クレイジー・リッチ』のミシェル・ヨー。
共演は、ステファニー・スー、キー・ホイ・クァン、ジェイミー・リー・カーティス。
物語。
現代アメリカ。
夫とコインランドリーを営む中国移民のエヴリン・ワンは、経営が厳しいのに国税局から勧告を受け、審査をされることになっており、領収書の山に埋もれていた。
娘ジョイは反抗期で家にあまりよりつかない。しかも、彼女の恋人ベッキーは女性なのを、中国から引き取った足の悪い英語のできない父に説明しない、といったことに腹を立てている。
しかも、今夜はお店で春節(中国旧正月)パーティがあり、その準備もある。
しかも、夫ウェイモンドは、なにか告げようとしているが、それを後回しにさせる。
どうにか国財局に夫と父と3人で乗り込んだエヴリンに、当然夫が「私は君の夫ではない“別の宇宙のウェイモンド”。君に危機が迫っている」と言い出す。
そして、奇妙な装置と指示を渡してくる。
なんなの一体? 壊れちゃったの彼? それとも私が?
脚本:ダニエル・クワン、ダニエル・シャイナート
出演。
ミシェル・ヨー (エヴリン・ワン/シュー・リン)
ステファニー・スー (ジョイ・ワン/ジョブ・トゥパキ/娘)
キー・ホイ・クァン (ウェイモンド・ワン/夫/アルファ・ウェイモンド)
ジェームズ・ホン (ゴンゴン/父/アルファ・ゴンゴン)
ジェイミー・リー・カーティス (ディアドラ・ボーベアドラ)
ジェニー・スレイト (デビー・ザ・ドッグマム/ビッグ・ノーズ)
ハリー・シャム Jr (チャド/鉄板料理人)
タリー・メデル (ベッキー・スリガー/ジョイの恋人)
ブライアン・リー (警備員/トロフィー)
アンディ・リー (ビガー・トロフィー)
リー・ジン (カンフーマスター)
西脇美智子 (映画の共演者)
ランディ・ニューマン (ラカクーニの声)
スタッフ。
製作:ジョー・ルッソ、アンソニー・ルッソ、マイク・ラロッカ、ダニエル・クワン、ダニエル・シャイナート、ジョナサン・ワン
製作総指揮:ティム・ヘディントン、テリーサ・スティール・ペイジ、トッド・マクラス、ジョシュ・ラドニック、ミシェル・ヨー
キャスティング:サラ・ハリー・フィン
撮影:ラーキン・サイプル
プロダクションデザイン:ジェイソン・キスヴァーデイ
衣装デザイン:シャーリー・クラタ
スタントコーディネーター:ティモシー・ユーリック
編集:ポール・ロジャーズ
音楽:サン・ラックス
音楽監修:ローレン・マリー・ミカス、ブルース・ギルバート
『エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス』を鑑賞。
現代アメリカ、問題山積みの中華系中年母が全宇宙を救うため戦うSFアクション・コメディ・ドラマ。
いわゆる可能性の嵐吹き荒れる多元宇宙(マルチバース)の膨大な数の自分とアクセスすることで、宇宙を喪失させようとしている悪と戦う、カンフーとおバカ映画とウェルメイドなサブカルパロディ・コメディ家族映画。新時代ミクスチャーで、評価では「新時代の『トレインスポッティング』や『マルコヴィッチの穴』や『エターナルサンシャイン』とも言われたり。おいらとしては、「新時代の『リトル・ミス・サンシャイン』」ても言いたい。
冒頭から恐ろしいほどの情報量で、多くのアメリカ娯楽映画ではぶいてきた、異文化、現代ゆえの多様性のズレ(同性愛は許容するふりをするのに見た目は非難する無意識の偏見)、本来「現実は複雑で手に負えないカオス」というのを映画のコンセプトとして丸ごと入れることで成立させ、それを、そのことを中心にしたドラマではなく、SFアクション(娯楽ジャンル映画)に省略してではなくまるのままとりこみ、若者や娯楽映画を楽しめる層にも楽しめるようにしたことが、この映画の新しいところの一つ。
まるのままには、アメリカ映画技法(映像も脚本も)も含まれる。ワンカット目の鏡のところからしっかりで、最後の最後まで詰まっている。(そこが賞獲りの理由の一つ)
でも、メインは、映画愛に溢れたパロディだったりする。
監督は脚本は、ダニエルズとも名乗る『スイス・アーミー・マン』のダニエル・クワン&ダニエル・シャイナート。
キャスティング(MCUの屋台骨の一人サラ・ハリー・フィン!)が効いていて、主演は、タランティーノが『キル・ビル』にファン過ぎて起用出来なかった(ユマが彼女を倒すのを誰が信じられると言って)、この役に他に誰が?と言える『グリーン・デスティニー』、『クレイジー・リッチ』、『ポリス・ストーリー3』のミシェル・ヨー。まるで彼女自身のようなシークエンスもある。その映画脳と映画技能の高さを発揮。芝居はもちろん、還暦であるとは思えないほどの肉体芸も披露。
まさに、現代の問題を体現するステファニー・スーの軽みと重み。話題にもなっているのはあの『グーニーズ』のキー・ホイ・クァンがトニー・レオンかジャッキー・チェンかと言いたくなるどカメレオンぶりを一作で見せている(武術指導などをやっていて、今作で大役復帰となる)。アメリカ映画がやってきた中国人の記号性からの脱却も表現する。そして、これまた元祖アクション女優といえばのクイーンはその芝居力の高さを見せるジェイミー・リー・カーティスは、「ミシェルに殴られるのが夢だった」というお茶目な64歳。
無意味、厭世、ニヒリズム(虚無主義)とどう戦うか、どう付き合うか、どう共存するかがテーマ。そのための最大の武器は何かが描かれる。
そして、ニヒリズムや厭世、自己否定、それにより生まれる心の動き、孤独と虚脱と諦めと怒りとどう向き合うか。
加えて、コントロールできない、膨大な現代の情報量=カオスにどう立ち向かうのか。現代のカオスを丸ごと取り込んだような映画になっていて、分かりやす答えのようで、新しい解決を加え、直火的な終結を果たす。だって、このスタイルまるごと、エヴリンのある事情と重ねているものだから。
物語の構造は、『クリスマス・キャロル』と『素晴らしき哉、人生』で、そこに『マトリックス』(『不思議の国のアリス』)なので、かなり分かりやすくて古典的(カート・ヴォネガットも入れてます)。古典をベースに新しい語りを提示というわけです。まぁ、ニーチェがすでに言ってることでもありますが。
オマージュと引用祭りで、見ている時は40ほどしか気づけませんでしたが、調べたりすると60以上あるみたいですね。(小ネタまで入れるとそれ以上かも)
引用と通じる陰陽も中国的にベースになっています。
実はこの手のアメリカ映画としては低予算の20億円以下でつくられています。ザ・エンターテインメントというよりは、娯楽寄りのB級映画的サブカルインディ映画のくくりでつくられた一本ということです。ブランド的に言うと、『エイスグレード』や『レディバード』のIAC(凝った青春もの)とルッソ兄弟のAGBO(インディ・アクション)の掛け算を感じます。(宣伝ではA24を押してますが配給のみ)
そうそう、『RRR』に続いて肩車アクションもありますよ。
下ネタの笑いに無意味だと思われがちですが、裏にきちんと映画的モチーフがあったりして。(モザイクになるとこもありますが、あそこにも意味があるような気がする)
そう、すべて無意味であり、意味があるのがこの映画の力強いところ。
セリフが多いので、説明的過ぎると思いがちだが、映画的に説明せずに映像や行動で見せる部分も多い。特に、エヴリンが抱える特質とかは中でも最重要ポイント。あと、ダニエルズの視点は娘という視点なども(映画見てればわかりますが、インタビューでもそう発言)。つまり、敵こそ主人公で、その敵(自分)を戦わせるために、母を配置したという目線で見ると、かなり見え方が変わります。(ここが今作の新しいところの一つ)
だから、ジャンルで言うなら、世界系ものだったりする。
そういえば、2000年代に新古典がハリウッドの主流になったが、それは今も続いていて、今作もその系譜にある。ただ、今作のメインのオマージュには、今敏への実写化というのも含まれているので、日本人の映画巧者・アニメ巧者にとっては、ようやくここかという思いは浮かぶかも。そして、それは『マトリックス』の時にもSF巧者は、ようやくここかと言ったのと似ている。
『ウェディング・バンケット』から30年、『グリーン・ディスティニー』から20年ようやく、ここまで来たと拍手で迎えたい。
面白いことに、『アラビアンナイト 三千年の願い』と『フェイブルマンズ』に共通すいるところ。そして、ある展開は『逆転のトライアングル』と『アラビアンナイト 三千年の願い』で同じ展開がある。いわゆる定番のメッセージではあるが、改めてということだろうし、そこの先にそれぞれの作品が新しい語りとメッセージを加えている。つまり、映画の新しい芽がここで一斉に出たとも言える。男性監督たちによる、現代的問題を受けての変容なのかもしれない。
新しいものはいつだって、賛否両論。その議論こそ、次へのエネルギーだ。
20年経って『マトリックス4』が己を破壊した。あの青と赤のカプセルの二択から、今あなたは無限の選択肢を選べるようになりかけている。
つまるところ、棒と輪による円作。
おまけ。
原題は、『EVERYTHING EVERYWHERE ALL AT ONCE』。
『なんでも、どこでも、すべて一つに』、『なんでも、どこでも、いっぺんに』。
エヴリン・ワンが、エブリワン(誰でも)に似せている響き。
『エヴリン・ワンズ・エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス』(『誰でも、なんでも、どこでも、いっぺんに』)になるようになっている。
2022年の作品。
製作国:アメリカ
上映時間:139分
映倫:G
配給:ギャガ
撮影は、『スイスアーミー・マン』でも組んでいるラーキン・サイプルで、様々なパロディをしっかりと撮り上げていていて、それ自体のスタイルを確立させて仕上げていて、いい仕事ぶりです。
ちゃんとしたSFに慣れてると、全く難しくないんですけどね……。
マルチバース説も1950年代のもので、アメコミでは1960年代に採用されてるくらいですし。
流して見ても40くらいは分かるくらいパロディ量が多い(さくっと調べると60以上ありました)ので、困惑する方もいるのかもしれませんが、大作の『キル・ビル』や『レディ・プレイヤー1』も経てますし……。
この手のジャンルとしては、製作費は低予算で、20億円くらい(『マリグナント』よりちょっと安いくらい)
ジェイミー・リー・カーティスは、撮影に入る前にミシェル・ヨーに「ダニエルズがろくでもないこと言い出したら、二人で手を取って逃げましょう」と言ったそう。
ややネタバレ。
娘ジョイに家で父の介護をさせて(下手だけど中国がちょっとしゃべれるので)、娘の恋人ベッキーを税務署に連れて行こうとしたら、エヴリンはあることでジョイの機嫌を損ねてしまい、彼女はベッキーと出ていってしまったので、仕方なく、夫と父を連れて税務署に行くはめになる。
しかも、エヴリンと父は広東語で、エヴリンと夫は北京語でしゃべっている。だから、ジョイは北京語はまだしゃべれるけど、広東語の方は上手くない。でも、英語は堪能で、ユダヤ人と付き合っていて、宗教的な複雑さもある、夜開くパーティは春節(旧正月)のお祝いで、アメリカ育ちだから、そういう中国文化が少し疎しい。
エヴリンの行動(物事を一つ一つ整理していくことが出来ない、話している最中に料理をする、整理整頓が出来ない、集中が短い、興味が分散する)からわかるのですが、ADHD傾向があり、多くの情報を整理できない、彼女の性質そのものが映画のスタイルに反映され、映画そのものが障害の写し絵にもなっている。
しかも、それは、彼女の劣等感になっていて、頑張らなきゃという強迫観念、娘にそうなって欲しくないという押し付け、そして、失望を生み出し、それが娘に伝播している。
だが、夫ウェイモンドは、それも彼女の気質だからとやさしさで、愛している。
だから、ジョイは混乱している。家族を好きなのに、なぜ私はそれを許容できず、母を憎いとさえ思うのか、と。
こういう、無意識の偏見を、アンコンシャス・バイアス(unconscious bias)というようですね。
SMプレイをされる上司役は、ダニエル・シャイナートのカメオ出演。(指ソーセージ類人猿も)
ベーグルに最初に吸い込まれる掃除夫は、ダニエル・クワンのカメオ出演。
メインの世界は、画面のアスペクト比を変えていて、どこかわかるようになっている。
過去はスタンダード、リアル時間軸はシネスコ(額物的処理)、バトルはビスタ。
その他、基本はビスタ。
これは『グランド・ブタペスト・ホテル』からの引用とも言える絵が、もはや一つの技法となりつつある。
BBCの連続ドラマ『Giri/Haji』(2019)でも時間軸で画面比と画質が変わる。
ちなみに、画質の変化はビデオ撮影が出てきた1990年代後半からよく見るようになっていた。
アスペクト比が変わるのは、Youtubeなどの動画集の寄せ集めからの発想だとそうですよ。
三賞立てになっている。
part1:『EVERYTHING』(あらゆるもの)
part2:『EVERYWHERE』(あらゆるところ)
part3:『ALL AT ONCE』(すべて、ひとつに)
アメリカでは低予算の1,430 万ドル(約20億円)で製作されたとのこと(プロデューサーが発言)。
メインの撮影日数は38日。だが、使っている映像には、ダニエル・クワンが一年間撮り続けた街の映像などもある。(すっ飛ぶエヴリンの背景映像に使用)
鏡の後で、家族のポートレイトの壁になる。
『ホーム・アローン』から引用したそうだが、アメリカ映画の定番御始まり方の一つ。
それは、マルチバースのようでもある。
ギレルモ・デル・トロは「新時代の『トレインスポッティング』」という評価をしているそうです。
エヴリン・ワン(エヴリワン)と同じように、バース・ジャンプもバンジージャンプとかけているのかも。
予告編の曲は、David Bowie『Time』(Remaster)
https://www.youtube.com/watch?v=GDP9jLwzh0g
ちなみに、『映画クレヨンしんちゃん アクション仮面VSハイグレ魔王』(1993)でもマルチバースが出てきます。
ネタバレ。
主に話に絡むマルチーバースの一覧。
①駆け落ち、移民してコインランドリー経営をするエヴリン(軸2)の現実寄り世界(リアル系家族映画、ポールトーマス・アンダーソン映画)
②①から分岐した戦いに巻き込まれたエヴリン(ここが軸1)の世界(ジャッキー的なカンフー映画)(※混乱するのは、ここのウェイモンドって二度死んでるはずなんだけど生きかえってるよね? そのたびに分岐した世界へ移動したように見える。そして、もう一つしかけがある気がすることは下記)
③バースジャンプを発明したエヴリンが死んだアルファの世界(『マトリックス』やMCU的SF映画)
④駆け落ちせずカンフーの達人で女優として成功した世界(ウォン・カーウァイのメロドラマ映画)
⑤④に近い、カンフーの達人のまま、しかも小指拳の使い手になった世界(『カンフーパンダ3』とチャウ・シンチー映画)
⑥④に近い歌手で成功した世界(チェン・カイコー的世界)
⑦ピザの看板回しの世界(『プリティ・ウーマン』と『ジョーカー』などアメリカ映画のルーザーや御伽噺映画、バースジャンプして『キャプテン・アメリカ』のパロディ)
⑧⑦の成功した世界で、鉄板料理人になった世界(『レミーのおいしいレストラン』のアライグマバージョンの世界)
⑨エヴリンが掃除人をしていて、上司がSFマニアの世界(『フィフティ・シェイズ・オブ・グレイ』)
⑩指ソーセージ類人猿が進化し、ディアドラと恋に落ちる世界(2001年と『キャロル』とおバカアメリカなアニメ映画)
⑪ジョブ・パトゥキが支配する黒ベーグルをつくった白い世界(『2001年宇宙の旅』とタルコフスキー映画)
⑫母子がピニャータ(メキシコの人形くす玉)になった世界
⑬ほぼ生命が生まれなかった岩の世界(アート映画、ゲームからのオマージュ)
⑭母子が落書きになった世界
⑮刑務所の世界
ほぼ出てこないけどバースジャンプだけで出てくる世界
⑯ディアドラがレスラーになった世界
⑰ジョブがマーシャルアーツマスターになっている世界
⑱緑のボンボン付きの服を着ている世界
⑲ジョイがゴルファーの世界
他多数
200近い設定を考えたそうで、一瞬だけ出てくる世界もあります。(パンフレットには、84のエヴリンの写真が掲載。たぶん120くらいつくったのではないか)
(エヴリンがすっ飛ぶところで変化し続けたり、武器だけが変わるシーンで何十も出てくる)
バース②のしかけについて、バース②は女優になるバース④で映画としてプレミア上映されているものでもある可能性もある(ただ『マルバース・オブ・マッドネス』がマルチバースは夢で見ると言っていたように、今作では映画やゲームになるということかも)。ゆえに、バース②でモザイクがかかるのかもしれない。
マルチバース映画はいまはMCUが有名だが、過去にもいくつかある。
有名なのは、『ザ・ワン』。
あと、これも入れてあげたい、『悪いことしましょ』『(2000)。でもこれも『悪いことしましョ!』(1967)のリメイクだけど。
そもそも、映画内という体ではあるが、『キートンの探偵学入門』(1924)がある意味でマルチバース的だったりする。
オマージュや引用を大きなくくり順に。
ジャンル→カンフー映画、MCU映画、アメリカの家族映画、SFタイムループ映画
国→アメリカ映画、香港映画、インド映画
作家(精神的な引用、直接的かつ複数作品の引用)→今敏、スタンリー・キューブリック、アンドレイ・タルコフスキー、ウォシャウスキー姉妹(兄弟)、チャーリー・カウフマン(ミシェル・ゴンドリーとスパイク・ジョーンズと込みで)、ウォン・カーウァイ、クリストファー・ドイルとリー・ピンビン(撮影のスタイル)、ジェームズ・キャメロン、ジョン・カーペンター、ツイ・ハーク、ジャッキー・チェン、チャウ・シンチー、クエンティン・タランティーノ、ポール・トーマス・アンダーソン、アン・リー、ルッソ兄弟、テッド・チャン(SF作家)、カート・ヴォネガット(愛は消えても親切は残る)、チャールズ・ディケンズ
作品→『マトリックス』シリーズ(アルファ)、『2001年宇宙の旅』(類人猿の勝利)、『レミーのおいしいレストラン』(ラカクーニ)、『千年女優』、『パブリカ』、『マインド・ゲーム』、『花様年華』、『グランドマスター』(構えとバックル)、『グリーン・ディスティニー』、『素晴らしき哉、人生』(if世界)、『キートンの探偵学入門』(世界が一瞬に変わる)、『フィフティ・シェイズ・オブ・グレイ』(SM上司の部屋)、『さらば、わが愛/覇王別姫』(芸能世界)、『ダイ・ハード』(台詞とオフィス)、『バック・トゥ・ザ・フューチャー』(車いすの後ろに同じもの)、『時計じかけのオレンジ』(メイクと白い世界)、『ハロウィン』(ディアドラと裁断刃)、『ゴースト・ハンターズ』(ロー・パン車いす)、『ジャッカス』シリーズ(おバカ行為と肛門)、『ゾンビ』(税務署の構造)、『キル・ビル』シリーズ(カンフーとキャラと多ジャンル映画をそのまま入れ込む)、『老人Z』(車いすロボ)、『ターミネーター』、『ターミネーター2』、『エイリアン2』(パワーローダー)、『プリティ・ウーマン』(看板回し)、『ジョーカー』(看板回しとカツラ)、『バットマン』(二人の関係)、『サタデー・ナイト・フィーバー』(ポーズ)、『コンタクト』(イスですっ飛び)、『ソーセージパーティ』(ソーセージ世界)、『クレイジー・リッチ』(ミシェル・ヨー出演)、『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー』(ロケット・ラクーン)、『グーニーズ』(ガジェット・ウェストポーチ)、『銀河ヒッチハイク・ガイド』(42)、『カンフーハッスル』(真上すっ飛びと開眼)、『ザ・ワン』(マルチバース・カンフーもの)、『ブレードランナー』(瞳孔のアップ)、『ブレインストーム』(意識をダウンロード)、『銀河ヒッチハイク・ガイド』、『アイスストーム』(アメコミで家族ものを語る)、『カンフーパンダ3』(小指技)、『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・チャイナ』シリーズ(カンフーのスタイル)、『マグノリア』、『ジュラシック・パーク』(影で追いかけてくるディアドラはラプトル風)、『キャプテン・アメリカ』(盾バトル)、『メッセージ』(パーティで大事なことが起きる、言語と時間軸)、『グランド・ブタペスト・ホテル』(画面比の変更)、『スローターハウス5』、『エターナル・サンサヒン』、『マルコヴィッチの穴』、『三人のゴースト』(『クリスマス・キャロル』)
アクション:ジャッキー・チェン、ブルース・リー、ジェット・リー
(カンフー映画でもくくれるけど、今作のアクションスタイルの幹なので)
ちょっとだけ→富士山、招き猫などで日本映画(というか西洋映画に出てくる日本)。
実は、ゲームもけっこう入ってるみたいです。
効果音が『大乱闘スマッシュブラザーズ』だったり。
岩になって世界を見るだけの『ROCK SIMULATER』(2019)という奇天烈なゲームもあった。
ですが、岩の世界の元ネタは、絵本『ロバのシルベスターとまほうの小石』とビデオ ゲーム 『Everything』 (2017) だそう。(デヴィッド・オライリーのゲーム『Everything』はゲームで初めて、アカデミー賞の短編アニメ部門候補になっており、プレイヤーは万物に変化し世界を見ていくが、ナレーションで世界のガイドがされるので、インタラクティブなアニメとも言える。オライリーは映画『her』の劇中のコンピューター画面も手掛けている)
勝手においらが見て浮かんだけで、実際はそうでもないものもあるでしょうが、それこそ、この映画が色んな映画の記憶を入れ込んで、マルチバース化してるから、脳の映画記憶が刺激されるってことで。
一応、ほとんどは根拠があるを書いてはいます。
気づかなかったが、『ホーリー・モーターズ』、『パンチドランク・ラブ』(リアルな時間軸)、『キャロル』(指ソーセージの世界のロマンス)、『恋はデジャ・ブ』、『もののけ姫』、『ビルとテッドの大冒険』も参考にしてるようです。(あと、『バカルー・バンザイの8次元ギャラクシー』や『レポマン』のパロディもある)
あと、ジョブの後頭部顔は、何かのホラー映画。(あえて書かない)
ダニエルズはインタビューで、「僕たちなりの『マトリックス』への答え」「母を『マトリックス』世界に入れたらどうなるか」「『マトリックス』で始まり、『マグノリア』で終わるような映画をつくりたかった」と言っている。
ダニエルズは、『リック&モーティ』に似たアイディアがガンガン出てくるので、見ないようにしたそう。
『スパイダーバース』にを見たときもやばいと思ったそうだが、どちらもアニメよね。
今敏作品からも影響受けてるから、ダニエルズの作家性はアニメを実写にしようという方向性があると言える。
ダニエルズが手掛けてきたMVからも自己引用している。
同時代的シンクロもある。
『スパイダーバース』、『リック&モーティ』、『ドクター・ストレンジ:マルチバース・オブ・マッドネス』、『シン・エヴァンゲリオン:||』など。
内容的には、『私ときどきレッサーパンダ』にも似ている。
多元宇宙と分岐世界での可能性の世界ネタは、意外と多い。
可能性を虚構的に見せるものは定番。『キートンの探偵学入門』、『素晴らしき哉、人生』『ターンレフト・ターンライト』、『メリンダとメリンダ』、『スライディング・ドア』、『複製された男』、『ザ・ドア 交差する世界』とか、けっこうあります。
方向性としては、『ブラッディ・スクール』や『ファイナル・ガール』にも似ている。
それにチャーリー・カウフマン、ミシェル・ゴンドリー、スパイク・ジョーンズを掛け算という感じ。
輪がライトモチーフ。(丸ではなく穴のある輪)
まんま、黒ベーグルがそうで、実際に食べるところもあります。
洗濯機と乾燥機の輪、鍋も〇、ディアドラが領収書に書く黒丸、傘の柄もベーグル柄、ステイプラー(ホッチキス)の痕も〇。のぞかせる手も、つけるイヤーガジェットにも輪がついており、スイッチも輪。ジョブの髪型にも〇、瞳孔もアップでも輪が表現される。車いすは輪が二つ。ラカクーニを隠す帽子も〇、税務署のバトルフロアは丸で囲まれている。
マルチバースを示すマップ上でそれぞれの世界は〇で表現される。
目玉おもちゃは黒ベーグル反転の色で、二つが重なれば、陰陽の輪になる。
ジョブに洗脳されると額に黒丸がつくのを、開眼とジョブは言っている。
それに対抗して、エヴリンは額に目玉のおもちゃ(Googly eye(s)というらしい。劇中ではそう言っている。日本語では動眼(ドウガン)と訳す。ドール・アイで検索すると似たのが出てくる)
ウェモンドの傘もクッキーも真ん中に穴がない●であることも象徴的。(しかも彼はベーグル食べてしまう)(ちなみにクッキーにも顔がある)
アルファ・ウェイモンドはメガネを外す(バース・ジャンプ装置のグラスガジェットはつけている)が、夫のウェイモンド(成功した実業家のウェイモンドも)はメガネをしている。(フレームは〇だが、レンズは透明な●と言える。穴ではない。四角いのメガネも出てくるけど)
そして、どれも、機能があることが彼の本質を表現している。
あの、枝真おもちゃも彼の物も寂しいだろうと、あれがあるとちょっと楽しいよねという親切心を機能させるためにつけられる。
実は、ウェイモンドは、四角でも表現されていたりする。
最初の、バース・ジャンプ後の彼が動くのは、監視カメラのモニター、
離婚届、エレベーター、用具室、ウエストポーチ、アルファバースでのバン、メガネ、装置を入れているケース。
そして、丸に何かを突っ込む、またはくっつけることが変化をもたらす。
ジョブは黒ベーグルに母を入れ、自分も入ろうとする。
エヴリンの最初のバースジャンプのアクションは、靴を左右逆に履く。ウェイモンドはリップスティックを口に入れて食べる。一番は、アナルにトロフィーを入れる。
(男女の性交もそうだが)
ハグするとき、腕は輪をつくっているともいえる。(エヴリンとジョイはハグで仲直りをする)
キスするとき、唇は輪になり、重ねられる。(トイレに行くというウェイモンドにエヴリンがキスをする)
穴の前にいる岩は球であり、穴に落ちていく。
クリーニングされた袋は岩と同じ球だ。
冒頭の鏡もそう。
そこに映っているのが、仲良い頃の家族3人が歌っている姿(ジョイが大学に行く前の5年前頃っぽい)で、その後、バンと消えて、何もない部屋が映る。
これは、ジョブが世界を消したからか、時間経過か。
そこは、まさに、この映画のテーマを伝えている。
なにしろ、自分を映して見る、という鏡の機能的な使われ方はしない。
ただ、このモチーフは表現で繋がり、映像表現として、エヴリンがマルチバースの外の自分と繋がったときに、ガラスが割れるような表現がされる。
エヴリンは、コインランドリーのガラスを割る。マルチバースを終わりにするように。
ドーナツではなく、ベーグルなのは、ユダヤ文化へのにらみですね。
ユダヤ的金の世界。
ドーナツだと労働階級の白人やカンボジアなどアジア系の隠喩となる。
ベーグルとドーナツの関係も、よく似たものなのに、まるで違うということにも見える。
ベーグルやドーナツのような構造は、トーラスという。
トーラス(torus) ドーナツの表面のような曲面。 空間内の一平面上に互いに交わらない円と直線とを考え、その直線を軸として平面を一回転させれば、円は一つの曲面を描く。
ハロルド作石の『RiN』とリンクしてるように感じたり。
娘は黒ベーグルをつくり世界を消滅させようとするが、それを母は止めようとする。その時、額につけるのは、夫が物にさえ寂しくないように(優しいだけといわれたが、その優しさが最大の武器となる)とつけていた目玉のおもちゃ。
母に夫(ジョブには父)の愛が加わる。
だが、娘は黒ベーグルの中に入って行ってしまう。
愛だけでは救えない。
でも、娘は、その行為に寂しくなり、今来た方へ手を伸ばしてしまう。
母はその手をつかむ。
少し難しいと感じる人がいるのは、バース・ジャンプの表現が4つあることかも。
今作での軸になるエヴリン(エヴ1とする)がいる。
彼女がバース・ジャンプでは2つの状況が起きる。成功と失敗。
①成功すると別のバースのエヴリンのスキルをもらえ、意識が通じ意識が移動可能になる。ただし、相手側は自分を認識しない。(戦うときはスキルだけで意識は自分の世界。逃げる時は意識を別世界に行かせる。スキルは繋がり続けるか、相手側に行かないと消える)
②成功すると相手の記憶が流れ込んでくるので、回想が入る。
③失敗すると、何も起きないか、エヴ1の意識が求めた先の世界のエブリンに入り込み、相手の意識に飲み込まれることがある。(アルファの呼びかけや気づくと戻ってこれる)
で、この2つを最初はアルファ世界で装置を介して行っていた。
④エヴ1の妄想として、別世界にいる時も元の世界のイメージを見てしまう。(用具室内で、元の軸であるデスク前のエヴリンがディアドラから声をかけられると用具室内のエヴ1は妄想で、ディアドラを用具室に見てしまう)
で、途中から、エヴ1は開眼(ジョブと同じ)して、装置を介さなくても、好きにできるようになる。
これにより、結びつき始めていた、他の世界のエヴリンも、エヴ1の意識の流れに近い方向に引きづられるようになる(エヴ1が落ち込むと他も落ち込む、やる気があるとやる気を出す)。肉体もシンクロするようになる’(気絶したり、衝撃を受けたりするが、エヴ1を認識はしていない)。
そして、エヴ1は、バトルをしなかった前述のバースリストの①の世界の意識の中に入る。
なので、バースリスト②のエヴ1Aはマルチバースの情報を状況を理解していると思われる。
(描かれないだけで、途中にも山ほど分岐したい状況が分かってるエヴリンはいることになる)
これは、ディアドラにも起こっており、バース②のディアドラが癒されたことで、バース①のディアドラあも寛容を獲得する。(離婚届を突きつけられたら混乱するという自分の記憶を理解に向け、期限を延ばすことにする)
当然、バース②のジョブの変化は、バース①のジョイにも起こる。
だが、どちらも相手の自主的ではなく、誰か(ウェイモンドやエヴリン)が行動し、死直に告白したことにより、相手が動くのよね。
そもそも、バース②のジョブの心変わりは、エヴ1の行動によって起こった。
いわゆる、主人公や誰かの妄想世界での出来事かもしれないし、現実的かもと曖昧にするパターンはよくある(『オズの魔法使』など)が、今作は、あれも現実、これも現実なら、最も現実寄りの世界へ行き、力は捨てる、という判断をするので、曖昧にはしていないので、一歩踏み込んだ高度なSFであろうしているところが嬉しい。
これは、『メッセージ』と『エンドゲーム』のラストでのステーブ・ロジャースの選択に近い。
ダニエルズはインタビューで、テッド・チャンの短編小説『理解』を引き合いに、SFの設定をただの表面で扱うのではなく、内容的に一歩進める作劇を重視したと話している。
これは、SF屋として、本当に嬉しい。おいらも、自作『されど吉祥とする』でその作劇を心掛けたので、もし、よろしければ。
中国では、豚は家族の象徴だそうで、ウェイモンドのウェストポーチの人形は豚。
見えづらいが、ジョイのタトゥーも豚だそう。
離婚届けも離婚したいのではなく、離婚について話し合うことで関係を修復させようという意図であることが話される。
劇中映画のタイトルは、『天馬行空』。
実は言葉も多元的になっている。
エヴリンは、父とは広東語で、夫とは北京語で、娘ジョイとは北京語と英語で話す。
ジョイは、英語と下手な中国語で話す。
『フェイブルマンズ』でも今作と似たテーマも扱い、似たセリフが出てくる。
実は、googly eyesという言葉も出てくる。(チャドが言う)
ベーグル、世界の意味、分裂する世界、監督自身がモデル、と実はかなり近い方向性だったりします。
げに同時代のシンクロニシティとは恐ろしき。
それが時代をつかまえるクリエイターの資質なのかもしれぬ。
他のバースの肉体もダウンロードできるのは、ディアドラで見せているから、小指拳の技も使えるのよね。
139分中120分は音楽鳴っているという。
エンディングテーマはSon Lux, Mitski, David Byrneによる『This Is A Life』。
映画の内容に合わせた、「ベーグルに吸い込まれたり」などが歌詞に盛り込まれている。
ランディ・ニューマンは声だけでなく、サウンドトラックの歌も歌っている。
アウトキャストのアンドレ2000(アンドレ・ベンジャミン)がラップではなく、独学で奏法を身に着けたという15本のフルートで演奏に参加。
マルチバースは、ダニエル・クワンの性質の反映であったが、診断したらADHDだったそう。なので、エヴリンも未診断のADHDの設定になっている。なので、どんどん物事の途中でやろうとしてしまうし、最後も集中できていない。それに夫は翻弄されてもいるが、彼女の特性だと理解している感じ)
そして、インターネットの例えでもある。
エヴリンの中国名は、シュー・リンで『グリーン・ディスティニー』のミシェル・ヨーの役名。で、ダニエルズは、ミシェル・ヨー自身を役柄に反映させるために、役名をエヴリンからミシェルに変えようとしたが、ミシェル・ヨーがやめさせたそう。
岩の世界も構想ではオーバーボイスになる予定だったが、ミシェル・ヨーの提案で字幕になったそう。
ミシェル・ヨーは、この映画内で一番好きなユニバースは岩の世界だと言っている。
最初、エヴリン役をジャッキー・チェンにオファーをしてもいたそうだが、断念。
最終的には母親役にし、ミシェル・ヨーにオファーしたそう。
もしかしたら、初期案では、母娘ではなく、父息子だったのかも。
それ自体が『エブリシング エブリンウェア オールアットワンス』の別の可能性。
ミシェル・ヨーはサモハンに見いだされ、ジャッキーに紹介されて『ポリストーリー3』でデビューしている。
キー・ホイ・クァンはオーディションで役を勝ち取ったそう。
ちなみに、キー・ホイ・クァンは俳優を休んでいる頃、スタッフをやっていた。助監督や武術指導など。『2046』でも助監督を務めている。『X-MEN』シリーズでは武術指導、『ザ・ワン』では武術指導助手も担当。
20年ぶりの復帰作と言われるが、実際には、2021年に『オハナ』に出演している。その前が、202年の『無限復活』。
今年は、ドラマシリーズ『ロキ』のシーズン2にレギュラー出演している。
ウェストポーチバトルは、いくつかのショット以外は彼自身が演じている。(スタントマンによるショットはCGで首をスゲ変えている)
2016年から脚本を書き始めたとのこと。
しかも、ジョブ・トゥパキ(ジョイ)の方の視点で、虚無主義、世界のすべては無意味で自分には損じ価値がないという思いがネットの隆盛によって感じ、そこを反映させたとのこと。
ダニエル・クワンは中華系移民の二世で、ダニエル・シャイナートはユダヤ系白人。
中華系家族はD・クワンの世界で、ディアドラやジョイが目指すベーグル(ユダヤ人がつくったといわれる)の世界が、D・シャイナートの世界で、二つの世界の融合がこの映画の耕三になっているとも言える。
この映画のVFXはすべて、監督2人を含む 9 人だけで行われ、大部分はメインの5人で行われた。その誰もVFXの学校に通ったことはなく、オンラインの無料のチュートリアルで独学で身につけたものだそう。
ほとんどのシーンをハイスピードで撮影したそう。編集でどこでもスローの演出が出来るようにだそう。
パンフレットによると、アメコミでマルチバース設定が出てきたのは、コミック『フラッシュ・ゴードン』(1961)だそう。
自分の記録用に、編集のソフトの画面を見られるので。
Editing 'Everything Everywhere All At Once' with Adobe Premiere Pro | Behind the Scenes
https://www.youtube.com/watch?v=23TfH_xBNyY
メイキングやインタビューがたくさんネット上にあります。
ヴォネガットは、著書『ローズウォーターさん、あなたに神の御恵みを』は億万長者のローズウォーターが富をばらまく。
「ローズウォーター財団です。なにかお力になれることはないですか?」と。
そして、「親愛なるいとこよ、もしくは、だれだろうと、この手紙をうけとるあなたへ。けちけちしなさんな、親切であれ。芸術と科学は無視してもいい。どちらもだれのためにもならないから。それより、貧しい人びとの真剣な親身な友人になりたまえ」と書き、地球のたった一つのルールとして、こう語りかける。
「ぼくの知ってる規則はたった一つだけ。いいかい。親切でなきゃあいけない」
そうそう、あの名言には、「愛は負けても、親切は勝つ」という訳もあるようです。
ニーチェは、ニヒリズム(虚無主義)への対抗として、積極的ニヒリズムとして、永遠回帰(何度同じ人生を繰り返しても、これでいいと言える精神)を唱えた。
指がソーセージでも、足が起用。
どんなことにもいい面はある。
(でも、指ソーセージ世界なのに、そうでない世界と同じ臣下をしてるのよね。足で弾きやすいピアノと蚊になりそうなのに。あの類人猿が進化したとは思えないのね。でも、まぁ、それも可能性の嵐)
好みのセリフ。
「領収書は、すべて物語なの」
「NOTHINMATTER(何もかもどうでもでいい)」
「楽観的なのはもの知らずだからじゃない。そうあろうとしているからだ」
「ほかにどんな選択肢があっても、僕は君ちとの人生を選ぶ」
「この人生で、本当に意味のある時間なんて、ほんの少ししかない」「なら、そのほんの少しの時間を大切にしましょう」
「いつも、あなたが親切に、そばにいてくれた」
「それでも、私はあんたといたい」
「人生には、意味はない。だから、何をしても大丈夫」
エヴリンは、すべて失敗したからこそ、最強ということがいいよね。
エヴリンは父を引き取っていても、失敗作と言われ、成功したかったが失敗した。でも、父に認められたいところがある。
ジョイ(ジョブ)は、母が自分を認めてほしい、というか自分を認めるために母を圧倒したい。
エヴリンは、ジョイが同性愛者であることを受け入れているとはいうが、もっと痩せなさいと、彼女自身を受け入れてない、ということを口に出す。
ベッキーも男と間違えると無神経なことを言う。
表面上を取り造っている。
功夫の治療やコミュニケーションとしての面が最後に発揮されていく。
それは、相手の悩みや問題を解決し、癒す。
(『アラビアンナイト 三千年の願い』も近いことを描く)
最後、エヴリンは、カンフーの型が相手を受け入れる形になる。
それでも、ジョイは黒ベーグルに飛び込んでしまう。
でも、気づく。
もしかして、黒ベーグルに飛び込むのも、母の胸に飛び込むのも、そう変わらないかもしれない。黒ベーグルにはいつでも飛び込めるけど、一度飛び込んだら、もう二度と母の胸に飛び込めないじゃないか。(バース②的には)だから、ジョブの虚無主義は残り続ける。
意味不明な名前ジョブ・トゥパキを捨てて、ジョイ(喜び)が戻ってくる。
ラストの部屋には、目玉おもちゃのついた洗濯袋がいくつも見える。
それは、まるで家族のように。
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(追記)
ベーグルは、ベッキーとも言える。ベッキーはユダヤ人だし、同じ頭文字。
人種差別、女性問題、同性愛問題、文化の断絶、宗教の断絶(仏教とユダヤ教)という生きづらさの全部乗せみたいな状況に二人はいる。
あの白いカーテンは、産婦人科的にも見える。黒ベーグルも女性の穴にも見える。ジョブ・トゥパキは子宮に戻るようなイメージでいるのかもしれない。
それを母と祖父が止める。
それは、若きエヴリンが求めていたこと、父に止めても欲しかったのだろう。
親に見限られること、見捨てられることの苦しさを描いてもいる。(優しさが必要だった)
エヴリンは娘ではあるが、親(ゴンゴン)と同じ親の立場として、行動する。
その時、父親ウェイモンドは優しさを発揮する。
エヴリンは、この優しさを求めていたからこそ、彼と生きる道を選らんだのだ。
エヴリンは求めていたものを求めて、生きてきたが、あのエヴリンはウェイモンドとジョイとゴンゴンを手に入れる。
だが、そうならなかった、バースのエヴリンのきっといるんだよなぁ。
ダニエル・クワンは、ラインア・ジョンソンの『ブリック』を見て、映画監督を目指したそうですよ。
最初、エヴリンがばかばかしいこととしてバースジャンプに使った「ディアドラへ愛の告白をする」は、キリスト教的な慈愛の言葉である。
そして、後半はそれが当然のように行うエヴリンの世界が行われる。
これは、エヴリンが娘に行えていなかったことでもある。
それは当たり前すべき行為なのに、出来てないことにエヴリンは気づく。
実は、キリスト教的な説教譚なのよね。
今回は紹介で、ミクスチャーという言葉を使わなかったのは、もはやミクスチャーは当たり前のジャンルであるという気もしてきたから。
編集はバースごとに担当者10名以上でやって、総合編集がまとめたそう。
NOTHINGvsEVRYTHINGという構図。
この映画を褒める人は貶す人に、貶す人は褒める人に、優しくてあげてください。
菱沼 康介
エヴリン•ワンズ 『エブリシング・エブリウェア・オールアットワンス』で、『誰もが。なんでもどこでも、いっぺんに』になるようになっていて、馬鹿げたこととして、エヴリンがジャンプに失敗した「敵に愛を告白しろ」がまんまキリスト教の教えで、ベーグルがユダヤ教、目玉とカンフーは仏教の陰陽で、マルチバースは多神教、加えて機械(科学)で、虚無に対抗するが、全部、優しさで受け止めるしかないと腕を広げる。(多神教の国はかなり少ないし、日本はまさにその国なので、その点でも受け止め方が変わるだろうね)
映画自体が、何もかも全部乗せベーグルになっているので、まさにミクスチャーの究極系で、ミクスチャーに意外にも寛容が薄い日本では、賛否強めになるのもむべなるかな。
今作は、『シン・エヴァ』劇場版が4作で9時間かけてやったこと(その前に、すでにTVシリーズや劇場版がある)を2時間半でやっているしね。
ジョイは見方を変えて、成長を遂げるが、エヴリンは元々の事に気づいただけで成長はしない。成長神話は以前はそこまで出なかったのだが、20世紀後半で強い力を持った。今作は21世紀の物語の古典回帰(新古典主義)を体現してもいる。
bagelとgoogly(eye)はつづりも似ているので、英語圏の人はすぐにモチーフに気づく。
『くれよんワンさん』とも言える。
ちょうど話題作に挟まれてるってのもあるんですかねぇ。
あと、早さに困惑する人が多いみたいようで。
日本だとこの手の作品てまぁまぁあるので、速度的には『シン・ゴジラ』、『シン・仮面ライダー』くらいだと思うのですが。