演技は、稽古では感情を出すようにしたり、掘るようにしたりもして、本番で湧いてくるようにするのが肝要。
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映画だと、日本は前説明か同時説明での編集が基本(もちろんジャンルによる)。これは日本人の前提好みのでもあり、漫画というか絵解き本を同時に味わってきた文化の影響が強いのではないか。世界的には後説明編集も多い。
昔の『仮面ライダー』に代表される説明係による説明やTV番組におけるテロップの多さもそれを継続させている。 . . . 本文を読む
日本では映画の公開と観賞は祝祭的な対象と受け止めている層がかなりの数いる。それゆえに、悲劇や芸術やオープンエンドは好まないという層がいるのかもしれない。飲食物が少し高めなのも屋台的な感覚であり、今もまだ日本では多くの人から映画館は見世物小屋としての立ち位置だと思われているのだろう。 . . . 本文を読む
日本では、ホラーとはお化け屋敷のように怖がらせるものだと思われている。怪談というジャンルの伝統があるから、それが当然だろう。世界でも、まずはお化け屋敷のようなものが主流ではあるが、多くのサブジャンルがある。中でも、スリラーやサスペンスはある意味ホラーの一ジャンルだったが、それ自他がメインジャンルになった。サブジャンルでは、オカルト、スプラッター、スラッシャー、モンスター(アニマル)、ディザスター( . . . 本文を読む
映画で最初と最後が似たシーンになっているものがある。円環式とかいっていたのだけど、ブックエンド方式ともいうらしい。でも、ブックエンドは物語を挟むから、何とか居心地が悪いし、最初と最後は似ていても違うことが多いので、基本同じであるブックエンドだと、なんかしっくりこない。ブックエンドはどっちが始まりとかないし、始まりが終わりと全く同じでも、なんか違う気がする。挟んでいるという点では、同じだけど違うもの . . . 本文を読む
「補完する」、「間を埋める」という脳の仕組みを人は生まれながらに持っている。いうなれば、つながりをつくるように人は考える。ある種の物の中で、離れたものや欠けている何かに絶妙なつながりをつくれたり、発見できたりする、と人は快感を得られるようになる。ここでいうつながりとは、離れているものをつなげる=接続(ジョイント)するということになる。つまり、接続させることに人は快感を覚える。それで人は増えてきたの . . . 本文を読む
今年のアカデミー賞でストーリーに関する賞(作品・脚本・脚色・長編アニメ・国際長編)でノミネートされた20本の内、見ることができた10本からの推測だが、アメリカは、トラウマと家による作劇から次に進もうとしているようだ。(主としてのテーマ。便宜上、簡略したが、それ以外にもある)トラウマや家族に縛られている作品が6本、それではない、または対比や脱却を図った作品が4本だったから。 『ANORA アノーラ』 . . . 本文を読む
私は、その映画で描いているテーマを、まるでミステリーの犯人捜しのように楽しんでいるところがあります。言ってしまえば、映画の面白さとテーマの味わいはまた別の楽しみ方をしているというか。映画の出来は悪くても、テーマの扱い方は良かったりとかありますしね。最近だと、『ザ・ウォッチャーズ』はそこそこの出来ながらルールや見ることについてのテーマを劇中の2つの入れ子構造で描いていて、楽しみました。複合芸術(総合 . . . 本文を読む
英語で小説を意味する「novel」は、もう一つの意味は、「新しい」や「斬新な」。自論ですが、これ映画に通じるものでしょう。映画を意味する<cinema><movie>は「活動」という言葉を由来にもち、活動は動き続ける、つまり<新しい>に通じるものだと思っています。新しいものを見せ続けることが、映画の特性の一つなのだと。技術、世界の観方、ジャンル、新技法、新しいものを持ち込むことこそ、映画を映画たら . . . 本文を読む
映画や舞台がもっとも気にしなくてはいけないのに、意外とないがしろにされているのが、観客を<待たせる>技術。これは、待たせているのだから、その分、早くとはやる気持ちにさせつつ、その待たせる間をどうもてなすか(=エンターテインメント)ということにつきる。つまり、「待ってました!」と言わせる技術。そして、それは観客の待てる度合とも関わる。現代は、この観客の待てる度合が低くなってきているのだろう。そもそも . . . 本文を読む
日本でいう「ダメ出し」は、西洋では「リクエスト(要望)」という。
演出家(監督)は、プロとして、きちんとした要望(注文・依頼)を出せるか。俳優は、プロとして、きちんと要望(注文・依頼)をこなせるか。そういう仕事の仕方をしあいたいなぁ、と励んでいます。 . . . 本文を読む
映像の語りには、客観で映す語りと主観で映す語りがある。客観語りは、現実を地盤とした現実的非装飾(ただしカメラ的な美はありえる)で語るので、フィクション濃度が低くなる。主観語りは、劇中人物または語り部、あるいは作家の目を通した現実を地盤としつつも虚構的装飾で語るので、フィクション濃度が高くなる。これは、「リアリティラインの設定」という言葉でも説明される。前者を上に置く方が少なくない。それは仕方ないこ . . . 本文を読む
映像物語の語り口は、滑らかさが重要。だが、滑らかすぎると、さらっと流れて行ってしまう。(流すことで、無理を通すという技もある)だから、ざらつきやひっかかりの入れ方がとても大事。引っかかることで、脳が動き出すから。人は過去の経験から物事を判断する。過去のものにあてはめて考えるトップダウン思考というのが強い。それにより、逆に過去のものに当てはめすぎて、目の前のものを勘違いすることが起きるほど。
およ . . . 本文を読む
ジャンルの区分って意外とあいまいですよね。ラブコメディなのかロマンスコメディなのか、とか。特に、サスペンスとスリラーの違いは、みなさんどう考えていま すか。調べると……。
サスペンスは、未解決・不安・気がかりの意で、読者や観客に不安感や緊張感を与えるもの。この未解決の部分からミステリーものにもサスペンスとも使いますね。ミステリーとサスペンスの違いなんてのも合間になりま . . . 本文を読む