映画作品をこれだけ見てきて、ずっと不思議なのは、状況から判断したら、この行動はしておくだろう、ということを登場人物は、まあまあの確率でやってくれない。
いい物語はこの段取りの描き方が上手い。
ジャンルモノでは特にこの段取りを流しがち。
(お仕事ものや料理ものはこの段取りが命とも言える)
もちろん、段取りはただの説明になりがちなので、すっ飛ばしたいのもわかる。
飛ばした理由が、最後まで見たら、納得できる理由がある場合もある。
ところが、実際に台本を書いて、俳優にやらせたり、スタッフによませたりしても、そこに
気づかないことはけっこうあるので、人間がいかに見ないとわからない生き物なのかと思い知る。
段取りは確かに飛躍しないからなぁ。
だから、そこにある美しさや歓びを上手く紡げるのと、それをわかる人を増やすモノづくりと主張はいるね。
ただ省略による飛躍はフィクションの醍醐味だし、味わいな分、せめぎ合いがあるのだと思うのです。
『七人の侍』はまさにそこをやる傑作だったりする。
『マッドマックス:フュリオサ』はそれをけっこうちゃんとやるのだが、そこがテンポが悪いとか言われてもいるので、この段取りをみせるとのいうのは匙加減ややり方が難しいのだろう。