大段智亮・石川左門・土橋洋一『死と向かい合う看護』(川島書店)
真壁伍郎『看護しつつ生きるとは、なに』(日本看護協会出版会)
「君のやっていることは医者の仕事じゃない」とぼくは周囲からよく批判される。なぜか。
若いとき、つまり医学生・研修医の時代に看護について学ぶ機会が多かったからである。
それは医学部最終学年に近い頃、友人に連れられて真壁伍郎先生のお宅を訪問したときに始まる。真壁先生は長岡高専の教員から、後に新潟医療技術短期大学のドイツ語の教授を務められた。
真壁先生は毎年夏に妙高高原で看護の学習会を開いていた。1973年の夏のテキストが、大段智亮先生の『「死と向かいあう看護」と取り組む』という小冊子だった。この冊子はまもなく石川左門氏、土橋洋一氏の文章と合わせて『死と向かいあう看護』と題する単行本になった。
不治の病をもつ患者に対して医療者の側のあるべき姿勢、態度についてこの本から多くを学んだ。
石川左門氏は難病患者の親として闘っていた。
「すべての人間は本来病める存在だ。それ自身病める存在である人間が、相互に支援と援助の関係を結び、そこに連帯をつくり出してゆく。それが真実の人間関係だとすれば、それはそのまま看護の関係である。われわれが患者同士、障害者同士の団体をつくる意味は、社会的活動の効用という意味だけではない。人間同士の真のふれあいを成就したいからである」
筋ジス病棟の看護の本質は患者の《自己受容》に向かって助力すること。ここにはビクトールEフランクルの「創造価値」「体験価値」「存在価値」の中の「存在価値」や「人生の意味」が問われる。そして「~にもかかわらず」の自己肯定、パウル・ティリッヒの「存在への勇気」の重要性が説かれる。
この本に引用されているカールロジャーズの助力的関係の原理は今でも役立っている。
不適応状況にある患者が状況を克服して建設的な人格の変容が起こるための情況は何か。
それは行為や知識の伝達でなく、あるタイプの人間関係、名づけて助力的関係という。それには①受容と尊重の態度②共感的理解の態度③自己一致(透明性・真実)の3条件が必須である。この条件が守れれば苦手な患者ともコミュニケーションがとれる。
真壁伍郎先生の著書は1986年に『看護しつつ生きるとは、なに』が出版された。ナイチンゲール、ヘンダーソンなどの看護論を通して、健康とは何か、医療とは、いのちの流れを個別的に深く看ることのたいせつさを教えてくれる。