旅芸い者放浪記

前沢政次 ブログ

飛行機に落雷!

2013-12-20 23:51:20 | 日記
東京から島根への移動中、乗っていた飛行機が爆音とともに激しく赤く染まりました。

しばらくしてからアナウンスで飛行機への落雷があったことを知りました。

50万回感謝

2013-12-18 23:50:15 | 日記
読者の皆さま

ありがとうございます。皆様が閲覧してくださった回数が50万回を突破いたしました。

職場、および周辺の人からはすこぶる評判が悪いブログではあります。

遠くの人からはいつも励ましをいただく。そのような思い込み爺の一人語りであります。

たまにでもいいから気の利いたことが書けるとよいのですが。

これからもお時間のある時に、ちょこっと、立ち寄っていただけるとありがたく存じます。

苦しい準備

2013-12-15 23:38:59 | 日記
今年最後の講演は今週土曜日に島根で行います。

きょうも準備に明け暮れました。

ダブルヘッタ―です。医学部・看護学部学生向けと医療行政一般向けです。

どのように話を分割するか。同じ日ですから、悩ましいところです。

昔、感銘を受けた本

2013-12-14 22:46:58 | 読書
昨日、一昨日と書きましたのは、ある出版社から「座右の医書」という原稿を2本依頼されたからです。

まだ推敲されておりませんが、昔を思い出して書きました。

ぼくの医療観の基本はこれらの本によって形成されました。

今、手元にない本もあり、厳密に「座右」とは言えませんが、編集者の方が引用のため国会図書館まで出向いて原本を手にしてくれました。感激でありました。

大段智亮先生と真壁伍郎先生

2013-12-13 07:29:13 | 読書
大段智亮・石川左門・土橋洋一『死と向かい合う看護』(川島書店)
真壁伍郎『看護しつつ生きるとは、なに』(日本看護協会出版会)


 「君のやっていることは医者の仕事じゃない」とぼくは周囲からよく批判される。なぜか。
 若いとき、つまり医学生・研修医の時代に看護について学ぶ機会が多かったからである。
 それは医学部最終学年に近い頃、友人に連れられて真壁伍郎先生のお宅を訪問したときに始まる。真壁先生は長岡高専の教員から、後に新潟医療技術短期大学のドイツ語の教授を務められた。
 真壁先生は毎年夏に妙高高原で看護の学習会を開いていた。1973年の夏のテキストが、大段智亮先生の『「死と向かいあう看護」と取り組む』という小冊子だった。この冊子はまもなく石川左門氏、土橋洋一氏の文章と合わせて『死と向かいあう看護』と題する単行本になった。
 不治の病をもつ患者に対して医療者の側のあるべき姿勢、態度についてこの本から多くを学んだ。
 石川左門氏は難病患者の親として闘っていた。
 「すべての人間は本来病める存在だ。それ自身病める存在である人間が、相互に支援と援助の関係を結び、そこに連帯をつくり出してゆく。それが真実の人間関係だとすれば、それはそのまま看護の関係である。われわれが患者同士、障害者同士の団体をつくる意味は、社会的活動の効用という意味だけではない。人間同士の真のふれあいを成就したいからである」
 筋ジス病棟の看護の本質は患者の《自己受容》に向かって助力すること。ここにはビクトールEフランクルの「創造価値」「体験価値」「存在価値」の中の「存在価値」や「人生の意味」が問われる。そして「~にもかかわらず」の自己肯定、パウル・ティリッヒの「存在への勇気」の重要性が説かれる。
 この本に引用されているカールロジャーズの助力的関係の原理は今でも役立っている。
 不適応状況にある患者が状況を克服して建設的な人格の変容が起こるための情況は何か。
それは行為や知識の伝達でなく、あるタイプの人間関係、名づけて助力的関係という。それには①受容と尊重の態度②共感的理解の態度③自己一致(透明性・真実)の3条件が必須である。この条件が守れれば苦手な患者ともコミュニケーションがとれる。
 真壁伍郎先生の著書は1986年に『看護しつつ生きるとは、なに』が出版された。ナイチンゲール、ヘンダーソンなどの看護論を通して、健康とは何か、医療とは、いのちの流れを個別的に深く看ることのたいせつさを教えてくれる。