アレルヤは自分と同類の子供たちを殺すことを躊躇い、保護するすべはないかと考えたものの、人間兵器として育てられた彼らに未来などない、保護など不可能だとハレルヤに一蹴され、「この悪夢のような連鎖を、ぼくが断ち切る。今度こそ、ぼくの意志で」と気持ちを固めてスメラギに施設の攻撃プランを提出する。
だが実際に作戦を行う段になると、施設の建物を前に中の子供たちの声を脳量子波で感知、彼らを殺さず保護することはできないかとこの期に及んで悩み始める。そして再び保護など不可能、彼らに未来などないと前回と同じような台詞でハレルヤに否定される。
そしてハレルヤの言葉に煽られたかのように、施設の建物をずたずたに破壊、死にたくないと悲鳴をあげていた子供たちを建物ごと葬り去った。一度決意したはずなのに、いざ施設を目の前にし子供たちの声を聞くと決意がぐらつき、ハレルヤとまた同じような問答をしたあげく半狂乱になりながら施設を攻撃し、建物が消滅する瞬間は見届けないまま踵を返す――このあたりの言動は優柔不断と見なされても仕方ないだろう。
この件からのアレルヤの立ち直りは意外と早く、スメラギのもとに赴き、「ひどくそういう気分なんです」と酒を所望している。
部屋で鬱々としていた姿、「そういう気分」だという台詞がこの作戦で彼の負った心の傷を示しているには違いないが、態度はごく穏やかで微かに笑顔を見せてすらいる。
使命のためとはいえこれまでも多くの人を直接間接手にかけて来ているのだし、すでに殺してしまったものをいつまでも嘆いていても仕方がない、切り替えて先に行かなければならないのは確かだが、今回は〈同胞殺し〉だけに切り替え早いな!と思ってしまったりもするのだ。
ちなみにアレルヤが訪ねた時スメラギは一人で飲んでいて、「どうしたのアレルヤ、新しい作戦でも立案した?」と背を向けたまま問いかけている。
このやや棘のある態度は多くの子供、それも非人道的実験の被害者を大量虐殺する作戦を承認・指揮したことにスメラギ自身も傷ついていたことの現れだろう。人革連の非道は人道的にも政治的にも明るみに出すべきだし、ヴェーダもこの作戦を推奨した。それでも罪もない不幸な子供たちを救える方法はなかったのかと、こんな計画を持ち込んだアレルヤに恨み言の一つも言いたい気分があったのではないか。
実際子供たちを殺さず済ますやり方はなかったのだろうか。ハレルヤは〈ない〉と(施設を脱走しても今なお戦う人生しか選べていない自分たちを根拠として)決めつけていたが、施設破壊後にやったように〈超人機関の存在をマスコミにリークして全世界的な批判の的にする〉だけではいけなかったのか。
子供たちは悪事の生き証人として人革連内の警察なり国連なりに保護され、取り調べが終わった後も世界の目もある中、いくらなんでも殺されはすまい。おそらく児童福祉施設かトラウマ治療のための精神科病棟に送られる事になったのではないか。自由とは言い難いが、施設ごと殺されるよりはよほどましな未来があったと思うのだ。
アレルヤは人革連の低軌道ステーションの重力ブロックが漂流し地球に落ちかけた事故のさいに、本来の任務を放棄して重力ブロックを救っているが、この時命令違反を咎めたエージェントの王留美に「あなたにはわからないさ。宇宙を漂流する者の気持ちなんて」と(通信を切ってから)返している。
これと同様に処分=抹殺されるのが嫌で施設から脱走したアレルヤは、施設を破壊しようとした時に〈死にたくない、助けて〉と叫んでいた子供たちの気持ちが誰よりわかるはずだ。傍目にはどんなに不幸な境遇でも、施設を出た後の未来が不確定でも、それでも生きたいと願い生きるためにあがく気持ちがアレルヤには実感を持って理解できたはずなのに。
重力ブロックの事故の時にはハレルヤから主導権を取り戻して人命救助に動いたアレルヤが、この時は「撃ちたくないんだ!」と心で叫びながらもハレルヤの言葉に従ってしまった。もしマリーが未だ生きて施設内にいたとしたら、アレルヤは自分の手でマリーを殺すことになっていたというのに。
そう、ここで不思議なのはアレルヤがマリーが施設にいる可能性を全く考えていないことだ。
ハレルヤの方はわりと早い段階からピーリスがマリーだと気づいていた=マリーが施設にいないことを知っていたが、ピーリスの正体をアレルヤには伏せていた。だからマリーがいる可能性を案じてもいいはずなのだが、それがないのは何故か。
自分たちが処分されようとしたくらいだから、脳量子波は強くても五感を失ってしまい身動き一つできないマリーが処分されないはずはないと確信していたのか。それとも身体の動かないマリーを連れて逃げる手段がなく、見捨てて行かざるを得なかった時点で、マリーの事はもういないものと割り切って意識から締め出してしまっていたか。おそらくはこの両者が入り混じった感じだったのではないか。
(しかし失敗作と見做した被検体を容赦なく処分する超人機関が、全く身体が動かない、脳量子波の使えない相手(施設を運営管理している超人機関のスタッフたち自身は脳量子波を使えなかったろう)と意思の疎通を取ることができないマリーをよく生かしておいたものだと思う。
それだけマリーの脳量子波の強さが際立っていたということだろうか)
ともあれマリーは施設にはいなかったし、おかげでアレルヤは生涯の伴侶を知らないうちに殺してしまわずに済んだ。
ただマリーはどうかわからないがピーリスの方は施設の襲撃を〈兄弟たちを殺した〉と怒っていた。超兵であることに誇りを持つピーリスは超人機関を基本的には肯定していたので(敬愛するスミルノフ大佐が超人機関を非人道的な組織と見なしているのは気づいていたろうから全肯定ではなかったかも)、超兵の卵である機関の子供たちは可愛い後輩であったろう。
マリーは記憶と人格を取り戻しアレルヤと行動を共にするようになった後、超人機関襲撃の件でアレルヤを責めた様子はないが、マリーとしては同族たちの死をどう捉えていたのだろう。
おそらくはアレルヤから脱走した後の過酷な体験(わずかな食料と空気を求めて仲間と殺しあった)を聞き、昔と変わらぬアレルヤの優しい性格に触れて、超人機関が失くなった後に子供たちが味わうだろう地獄も思い合わせた上で機関ごと彼らも殺す選択をしたアレルヤの気持ちに、怒りの感情もありつつ共感もしたのではないだろうか。
そしてマリーと記憶・感情を共有するピーリスも、マリーがアレルヤを受け入れたことで、表面では反発しつつも心の底ではアレルヤを認めるようになっていったのではないか。セカンドシーズンの終盤、ヴェーダ奪還作戦に臨む際に、「ぼくやソーマ・ピーリスのような存在が、二度と現れない世界にするために」と戦う理由を表明したアレルヤにピーリスは複雑な視線を向けているが、超人機関の子供たちへのアレルヤの対応への反感と共感という相反する感情がそうさせたように思えるのである。
とはいえ、セカンドシーズン中盤以降のアレルヤだったら、施設は破壊しても子供たちは保護する作戦を考えたのではないかという気がする。
土壇場で何とか子供らの命を救えないかと迷ったアレルヤに最終的に引き鉄を引かせたのは、彼らに未来などないというハレルヤの言葉だった。未来などない、自分たちがいい証拠だと言われて納得してしまう程には、この頃のアレルヤは自分を不幸だと思っていたのだろう。
しかし彼はマリーを取り戻し、プトレマイオスの中で共に生活することも許された。非人道的な実験の犠牲者であっても、生き延びるために仲間を殺し今なお使命のためとはいえ戦い続け人を殺し続けている身であっても、幸せになれることをアレルヤ自身が証明したのだ。マリーと結ばれた後のアレルヤなら、ハレルヤの言葉に〈そんなことはない〉と言い返せたのではないか。
この件に限らず、マリーが記憶を取り戻し彼女の心を得てからのアレルヤは、かつてのような弱々しい態度は見せなくなってゆく(ファーストシーズン最後の決戦で自分から積極的に戦う意志を示した際にも兆候はあったのだが。この時は戦う意味もわからないままでは死ねないとの思いが彼の心を強くした。戦闘相手がピーリスだったというのは何とも皮肉だが)。
行方不明になったマリー=ピーリスを探しにきたスミルノフ大佐との死も辞さない堂々たるやりとりに顕著だが、マリーという生き甲斐を得たことでアレルヤは逞しく成長したのだ。
余談だが上で触れたファーストシーズンの最終決戦で、アレルヤとハレルヤ、二つの人格が同時に表出した時その戦闘能力―反射と思考の融合―において彼らは唯一超兵の成功例とされたピーリスを上回った。
その後の4年間囚人として監禁・拘束されていたにもかかわらず、刹那に救出されると間もなく自分の足で走って逃げている。そして劇場版の前半では生身でELSに追われた際に(どちらかというとハレルヤが)壁を駆け上がるなどとんでもない身体能力を見せている。
これらを見るにつけ、なぜ彼が失敗作と見なされ処分されそうになったのか不思議になってくる。アレルヤ(たち)が処分されると勘違いしただけでは?と思いたくなってしまうが、超人機関の担当官?がアレルヤの資料を調べたさいに「DISPOSAL」(処分)となっていたので処分対象だったのは間違いないのだろう。狂暴なもう一つの人格=ハレルヤの存在のせい?
超兵第一号がピーリスということは十年以上研究してて成功例が一人しかないわけで、要は基準が厳しすぎたのでは?とアレルヤ・ハレルヤの戦闘・身体能力の優秀さを見るにつけ思ってしまうのだった。
追記―前回・前々回更新分のタイトルが間違ってたので、修正しました(汗)。すみません。