詩と写真 *ミオ*

歩きながらちょっとした考えごとをするのが好きです。
日々に空いたポケットのような。そんな記録。

ぼんやりでいいこと。の前の ぼんやりでいいこと。

2017年02月16日 | 雑記
以前、「ぼんやりでいいこと」という記事をアップしましたが、最初はこんなこと↓を考えていたのでした。いつのまにかぜんぜん違う話になっていましたが。メモを整理していたら最初の「ぼんやり〜」が出てきたのでこちらもアップすることにしました。ところでまもなく0時。いまどういう状況だと思いますか?眠くて眠くて85%くらい意識を失っている状態です。このままレッツゴーー(かなり寝ぼけてます)。

☆☆☆
ぼんやりでいいこと。

ぼんやりしているのがいいよ、と思うことがある。そこもっと、ぼんやりでいいんじゃない?と思うことがある。

たとえばどういうことよ?と尋ねられたら、そこもちょっと、ぼんやりしてるんですけどね、なんて。

たとえば、すごくきちんとしている人の説明。
私は耳で言葉を聞いて理解するのが苦手なようで、みんながうんうん、とよくわかった顔をしているのに、ひとり、「え、いまなんの話?」と思うことがよくある。話し言葉はあっという間に目の前を通り過ぎていってしまうから。そんな私に、すごくきちんとしていて説明上手な人がすごく論理的に説明してくれる。これがこうでああだからこうなってああなって……。最初は一生懸命聞いてるけれど、途中で置いてきぼりになる。置いてきぼり?置いてけぼり?どっちだっけ?

思考回路が違うんだなぁと思う。その人の頭の中の回路には隅々まで水が行き渡っているのでしょう。隅にぼやぼやっとした黒いところなんてないのです。私の回路はぼやぼやばっかり。隅どころかど真ん中にまで。

それで私はいつもその人のことを称賛しているのです、心の中で。資料なんかもすごくきれいだし。説明もすごく上手。頭の整理が上手なのですね。私のノートはかなり複雑な迷路になっております。どんどん忘れてしまうから、とにかくなんでもかんでもメモしないといけない。先を考えずに書き始めるから、書ききれなくなって※印やら☆印やらでページのいろんなところ、もしくはページをまたいでメモがつながっていく。アリの巣みたい。と言ったらアリに怒られるな。

そういう人が身近にいるのはとても勉強になる。同じようにはもちろんできないのだけど、盗み見てやり方を真似できるし、自分の癖にも気付きやすくなる。気付いて、はぁー私ぐちゃぐちゃ、と思う。でも、まれに、いやそこまできっちり、しなくていいんじゃないか、と思うときがある。ふと自分に帰って、ああ、ぼんやり、も、いいな、なんて、ふたたび甘〜い蜜を舐め始める。

細かいところをきっちりしすぎると、木を見て森を見ない、なんてことにならないかな、と心配なのです。いつも、他はどうかな、と考えたくなるのです。それで余計に混乱してしまうのですが。何かひとつ、学んでいるときに、なんとなく全体像がわかってきたような気がすると、やっぱり自分の捉え方がやりやすいのです。

そうなのです。人には人の乳酸菌、じゃなくて、人には人のやり方があって、できるところは盗めばいいし、その人のやり方がすべていいんだ、みたいに思うことも、ないんですよね〜たぶん。そこを無理しても、もともとの回路が違うから、違う機械のマニュアルを見るみたいなことになってしまう。

ところで最近、人工知能があらゆる分野で人間を打ち負かしてくれますが、人間だって、こんな平凡な人間の脳だって、ものすごいんですよ!すごい能力を使っているんですよね。認知能力とか、状況判断とか。何がすごいって、ぼんやりできるんですよ。力を抜けるんですよ。間違えられるんですよ。いろいろ迷えて、余計なことをたくさんしちゃうんですよ。他の動物と比べて、とかでなく、人間てすごい。それを忘れちゃいけないと思います、現代社会は(なんて偉そう)。

……なんて、なんの話をしていたのだっけ?
そうそう、ぼんやりの話。最近、我ながらもう少し、いやもうかなり、しっかりしなくちゃ!もっと神経張らなきゃ、覚えなきゃ、と思っているのですが、つい、ぼんやりも大事だよね〜とふにゃふにゃ〜と思ってしまって、ぬるくなってしまうのでした。

ぼんやりにも、きっと熟練の技が必要とされるのだと思うのです。私の中でのたとえばの理想(たとえばの理想ってなんだよー!)。よく、間違い探し、ありますよね。上下にそっくりな絵があって、違いを7つ見つけなさいとか。あれって、ぼんやりと上下の絵を重ねる感じに見ると、違うところが光って見えるんですよね。そんな感じ!ぼんやりすることで見えることが、あるような気がするんです。でも、なんでもかんでもぼんやりしていては、仕事でいらない人になってしまうし、かといって、まわりの人がよく気が付くことに自分も神経を張ることは、あんまり意味がない気もする。

なんというか、活動的でありながら(ぼんやりの時間が長過ぎて、時間がもったいないかもと最近思うようになった)、ここぞっと大事なところでぼんやりできる、ぼんやりの達人になりたい。

もっと書きたいことがあった気がするのですが、長くなりすぎるので続きはまた。そのうち。
☆☆☆

↓もう夢を帯びはじめている、ねぼけなまこ。
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