詩と写真 *ミオ*

歩きながらちょっとした考えごとをするのが好きです。
日々に空いたポケットのような。そんな記録。

ブラームス 3つの間奏曲 Op.117-2

2022年10月14日 | ピアノ
いつまでも同じ曲にこだわるので、ピアノの先生に、「いいかげん次の曲に進んだら?人生であと何曲弾けると思うの?」と聞かれてハッとしたのに、やっぱり延々同じ曲を練習してしまう。

そんなに弾いているなら、どれほど上手くなっているか、と思われるかもしれませんが、ちょっとずつをダラダラ続けているので、なかなか上手にならない→延々と練習し続ける、という悪循環。いや、好循環?

そのようなわけで、もしかしてもう、3年も経つ!?2019年に発表会で弾いたブラームスのインテルメッツォOp.117-2を延々練習しているのでした。

この曲は本当に味わい深い美しい曲で、いつかピティナのステップで弾いて、いったん卒業しようと思いました。ピティナのステップは、誰でも申し込めば、ピアノの先生数名に演奏を聴いてもらって講評を頂くことができます。でも、いきなりこの曲を弾いてしまうのはもったいない。その前に練習として、人生初めて挑戦するステップでは、同じくブラームスの6つの小品のうちの一曲Op.118-2にすることにした、という、私らしい遠回りでもったいぶるくらい、好きなのでした。もちろん、Op.118-2も本当に素敵な曲で、もともとはこちらのほうをピアノの先生に薦められて弾き始めて、こんな美しい曲があるんだ!?と驚き、グレン・グールドのCDを購入して、さらに虜になって、同じアルバムに収められていたOp.117にも恋した、という経緯があります。

グレン・グールドの演奏は、音楽が終わった後に、ふと、誰かが話しているのを聴いていたような気持ちになっているのが不思議です。音も、間さえも、その役割の意味をひとつとして疎かにすることなく慈しんで弾いているのが感じられます。ひとつひとつの音が生きている!そしてなお、いや、だからこそ、一曲としてこんなにも自然に聞える。

そして、私はひとつ、ピアノの弾き方のヒントを得ました。語りかけるように弾いてはどうだろうかと。よく、歌うように弾くように言われるけれど、なかなか難しい。語りかけるように弾く、とイメージするほうが手が自然に動く気がする。

そんなふうに考えていて、素晴らしい作品は他のジャンルに例えられると気がつきました。絵が語ってきたり、音楽を感じる言葉だったり、詩のような一曲だったり。それはつまり、手段よりももっと先の、表現したいイメージがしっかりと捉えられている、ということなのではないでしょうか。

そう考えてくると、人生さえももしかしたら手段で、その先のイメージを持つことができるのだ、とも言えます。もしかしたら、そういったイメージをしっかりと掴めた人こそが、年齢や境遇なども超えて、永遠のように若い心を持つことができるのかもしれません。

美しい音楽は、個々の人生という具体を超えたイメージを伝えてくれます。
私の演奏では、なかなかそれを伝えられませんが
( ; ; )(^∇^) (^^;) (^_-) ʅ(◞‿◟)ʃ
(↑ここにふさわしい顔文字はどれでしょうか?)




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