時事解説「ディストピア」

ロシア、イラン、中国等の海外ニュースサイトの記事を紹介します。国内政治、メディア批判の記事もあります。

リビアその2

2013-03-24 21:23:14 | リビア・ウクライナ・南米・中東
日本でのリビアの捉え方がどれだけ隔たっているかを
前回の記事で書いたのだが、こんな運動をサイトで見つけた。

http://civilesociety.jugem.jp/?eid=7047

転載が許可されているので、お言葉に甘える。

核とミサイル防衛にNO!キャンペーン

2月26日(土)午後、在日のリビア人、リビア人2世の方が中心となって、
東京で「虐殺反対、反政府」を掲げたデモ行進(代々木公園出発)が行われます。

可能な方はぜひご参加ください。
また、引き続き大使館や日本政府への要請もお願いします。



市民社会フォーラムというサイトでの告知だが、
ここでも、まさか内戦だという認識を持たず、単に反カダフィ派の
言い分を鵜呑みにして正義の運動を行っていることがよくわかる。

そもそも、日本は難民を基本的には受け入れない国家だから、
この在日リビア人は留学生あるいは多国籍企業に就職している
かなりインテリな人間だということが想像できる。

そういう部分を抜きにしても、どうしてこの数名のリビア人が
数100万のリビア人の一般的な考えをもつ市民とできようか。

この団体は多分、今も国内の内戦状態を知らないし、
自分たちでは良いことをしたなーと思っているんだろう。

結果的にNATOの空爆を後押ししたのだが、
民衆革命だとご満悦に浸っているのかもしれない。

そして注目すべきなのが、この人たちの団体名が
「核とミサイル防衛にNO!キャンペーン」という部分である。

確かに核もミサイル防衛も必要ないし、
日本の軍事化は喜ばしいことではない。

だが、この人たちの言うNOは、
自分たちのことしか考えていない気がする。

軍事化すれば日本国民の自由が失われる。だからノー!
そんな考えだから、こうもあっさり戦争屋に利用されるのである。

げに恐ろしきは、中途半端な正義感である。。

おそらく彼らは北朝鮮でNATOによる侵略がはじまり、
国家消滅後の混乱を目の当たりにしても、
民主化の始まりとして称えるような気がしてならないのである。

永続民主主義革命・リビアを例に

2013-03-24 20:06:47 | リビア・ウクライナ・南米・中東
加藤批判の際にリビアを例に挙げた。
メディアは伝えようとしていないが、
カダフィが治めていた時代のリビアは、
医療費・教育費・電気代・水道代は全部タダだった。

おまけに家や車のローンも半額払ってくれるという
やたら気前のよい国家だったのである。

これは石油が採れるお金持ちの国だったということ、
元々イスラム教には富を分け合い助け合おうという
考えがあり、社会主義が浸透しやすかったことが挙げられる。

リビアは世界有数のリッチな社会主義国だったのである。

政治制度に「国会」はなかったが、代わりに
直接民主主義を行っていた。この点はキューバに通じる。
(キューバには議会も存在するけど。そして貧乏国家だけど)

もちろん、政治腐敗もあったし、カダフィ個人にも問題があった。
だとしても皆さんが想像するような独裁国家ではなかった。

加えてリビアは多民族国家であり、それぞれが自分の自治を
要求していつ分裂してもおかしくない状態だった。
こういう中で長年統一国家を展開したのがカダフィだったのである。

要するに、あの時のリビアは革命なんかじゃなくて
内戦のはじまりであって、現在も各部族が自治政府を
作ったり、独立を宣言したり、それぞれが武器を所有したり
といつ虐殺が始まってもおかしくない緊張状態である。

さて、こういった事情なのだが、この件に関して
同じく独裁国家の社会主義政権の指導者だったカストロ元議長は
次のようなコメントを述べた。

★「遺体をさらしものにした」 カストロ・キューバ前議長が批判

キューバのフィデル・カストロ前国家評議会議長は
政府系サイトに掲載された24日付のコラムで、
リビアのカダフィ大佐の死亡に関連し、同国で軍事作戦を展開した
北大西洋条約機構(NATO)を「野蛮な軍事同盟」と呼び、
「人類がこれまで経験したことがないほどの弾圧の手先に成り果てた」と激しく非難した。

特に大佐の遺体の扱いについて
「(NATOの支援を受けた反カダフィ派が)戦利品のように
さらしものにし、イスラム教や他の宗教の最も基本的な教えを冒涜した
」と批判した。

キューバは反米の立場からカダフィ政権とつながりが深かった。
9月には反カダフィ派「国民評議会」を政権として認めないと表明、
外交団をリビアから出国させた。



悪の親玉であるはずのカストロが
「死体を冒とくしたあげくさらすなんて」と非難したのである。


で、一方でトロツキーの永続革命論を模して
「永続民主主義革命」を提唱している加藤哲郎のコメント。

チュニジアのジャスミン革命に始まり、エジプトの若者たちに受け継がれ
民衆革命を達成したソーシャル・ネットワークの波は、
リビアのカダフィ独裁を崩壊寸前まで追い込み

バーレーンやイエメンでもデモは続いています。

権力が揺らぎ崩壊して、独裁者たちの莫大な蓄財や海外資産が明らかになりました。
中国や北朝鮮の政府は、そうした情報を封じ込め、言論の自由を
暴力で抑えるのに必死で、
「権力は腐敗する、絶対的権力は絶対的に腐敗する」という
ジョン・アクトンのテーゼを、自らの行動で実証しています。


内戦を民衆革命と美化する加藤哲郎、
東大安田講堂事件の中心人物だった加藤哲郎は、
一連の暴力を民衆革命と称賛しているのである。

ついでに言うと、エジプトの場合は、働いても
暮らしが楽にならないという貧困が原因となっていたし、
ムバラクは倒されたが軍事政権自体は変化がない。

加藤は本当に実情を調べた上で情報を発信しているのか?
仮にも彼は一橋大学の名誉教授、それも政治学者である。

どうしてこんなに分析が甘いのかと驚いてしまう。

結局、加藤は政府=悪、民衆=善というとらえ方で
物事を見てはいないだろうか?

そのせいで、物事の背景にある複雑な事情を無視していないか?

同時に、自由ばかり強調して福祉については語ろうとすらしない。
加藤は原発史でも意図的に共産党を敵対者に位置付けた男なので、
ひょっとしてリビアも社会主義政権=悪として片付けようとはしてないか?

実のところ、かつての共産主義国家である東欧においても、
完全雇用と富の分配、無償の福祉サービスなどが実施されており、
言論をはじめとした政治体制へ対する批判の「自由」こそ制限されたが、
少なくとも今の日本のように失業者に厳しい国ではなかったのである。

東欧は崩壊後、まさに経済がズタズタになり貧困と犯罪が激増した。
そういうわけなので、政権末期には8万人の国民を虐殺し、
最期は銃殺されたチャウシスク政権時のルーマニアですら、
最近は国民の44%が共産主義体制のほうが良かったと述懐している有様だ。

その影は2013年の今もひきずっているが、日本では基本的に黙視されている。

これは、共産主義が正しいのだという話ではなくて、
要するに「民主化」や「自由」を絶対視する思想は、
「資本主義」や「ブルジョア」を絶対悪とする単純な共産主義と
たいして変わらないばかりか、ある意味それ以上にひどいと言いたいのだ。

共産主義国家ではすべての責任を党や指導者に求められる。

だが、我々民主主義国家では責任というものが分散するように
できているので、誰に責任があるのかいまいちわかりづらい。
そのせいで、特定の人間や団体がスケープ・ゴートにされたり、
あるいは責任を負うべき人間がまんまと逃れていたりする。

こういう民主主義(正確にはヨーロッパ式の民主主義)のやばい部分は
無視されて、民主化や自由こそ至上の価値であり、これを他国に
押し付け、結果的に国がボロボロになろうとも知らんふりを決め込もうと
するのであれば、そんなものは永続民主主義革命などではない。

そもそも、加藤は永続民主主義革命などと言ってはいるが、
理論化しているわけではない。具体的な理論も未来社会へのビジョンも
ない社会運動、右派も左派も一緒になって行う運動が本当に社会を
革新させるのだろうかと筆者は疑わずにはいられないのである。

私は反共左翼がなぜ嫌いなのか

2013-03-22 19:00:06 | 反共左翼
私は、基本イデオロギーが「反共」だから、場合によっては
簡単に右翼(特に極右)とつるんで行動してしまう連中を
反共左翼と呼んでいる。本記事では、反共左翼の代表格である
加藤哲郎氏を例にして、なぜ私が彼らを好まないのかを書こうと思う。


http://www.mindan.org/shinbun/991117/topic/topic_a.htm

この前も言ったけれど、この人権宣言()の中には
慰安婦や集団自決、強制連行、南京事件等々の戦前日本の行った蛮行を
「なかった」と言い切る輩が相当数含まれている。というかそんな奴ばっか。

よく「昔のことだから」で済ませようとする人がいるけれど、
被害者の人たちは現在進行形で、反日の嘘つきと罵倒されて
二重にも三重にも傷つけられている。

そういう目下、被害者を傷つけている連中が
語る人権っていったいなに?
と思うわけ。


大体、この人たちの頭の中には、
民衆=反キム体制という単純な構図しか描かれていない。

戦前の日本にも親玉の天皇を崇拝している奴が結構いたように、
キム体制を支持してる国民も結構いるのだ。

それは何故か?ということをこの連中は理解していない。
現在、北朝鮮はアメリカや韓国の軍隊と「休戦中」であり、
朝鮮戦争以来の緊張状態が継続しているのである。

しかも、毎年、近海で米韓連合軍が軍事演習を行っているのである。
この演習は、北朝鮮を占領するシミュレーションと文書に明記されている。

おまけに、疑わしいという理由だけでイラク戦争に踏み込んだり、
それ以前にもキューバやチリ、アフガニスタンで反政府テロに
軍事訓練を施し攻撃させたりと影でコソコソえげつないことを
やっている世界最強の軍事国家を前にして、ビビらないほうがおかしい。
(だから本気で人権を考えているならまず緊張を解くよう働きかけるはずだ)

こういう少しでも気を抜いたら国家が消滅しかねない状況で
不自由であっても団結しようとする愛国心が芽生える人が
出てくるのは当然だ(もちろん、そうでないのもいるけど)

そういうキム体制のシンパの民衆に対して
「お前たちは洗脳されているから俺たちが救ってやる」とでも
言うつもりなのか?あまりにも単純すぎやしないだろうか?

救う会が講演した時に、総連の関係者が来て、
「あなた達が騒ぐと私たちが差別されるのでやめて下さい」と
嘆願してきたそうだ。実際、彼らは北朝鮮が何かをしでかす度に
悪人よばわりされている。それどころか、朝鮮学校に通う生徒たち
までイジメられている。無償高校も除外されている。
(アメリカン・スクールや中国の学校は認められている)

人権宣言をした連中は、そういう人たちを守っているのか?
実際、この宣言の中にいる萩原遼(加藤の戦友)などは
つくる会のメンバーとグルになって朝鮮学校を悪の学校に
仕立て、無償対象から除外せよと主張までしている。
(萩原の戦友、宮地も賛同している)

他国には人権がどうのと説教して
自国のそれにはむしろ侵害をするリーダーとなっている。


こういう人たちの人権をどうして受け取られよう?

右派左派の垣根を越えてと言えば聞こえはいいが、
国内の人権弾圧を主導する連中とつるむ必要があろう?

なぜわざわざ彼らと一緒に叫ぶ必要があろうか?

そもそも、この宣言で本当に得をするのは、
北朝鮮を悪の国家というイメージに仕立てて喜ぶのは
ほかならぬ軍事化を企む他国の人間ではないか?
(主に日本、韓国、アメリカ)

加藤は宣言から14年経った2013年の今頃になって、
本気で北朝鮮が戦争しかねないポーズを見せて、
安倍政権が改憲と軍事化にハンドルを切り始めたのを見て、
今さら「極右化はいけない、北朝鮮の関心はアメリカだ」と叫んでいる。

さんざん、煽いでいたのはあなただろう。
よくもまぁ、他人面でいられるものだ。


本気で9条を守ろうとする連中が
本気で9条を壊そうとする連中と協力できるわけがない。

ちょっと考えてみてほしい。
社会全体が右傾化している今、左と右が同等の権力を持っている
と思うだろうか?圧倒的に右が力を持っているのだから、どうして
左にこびようか?結局、左の警戒を解くために知識人を懐柔し、
道具にしているにすぎないのである(実際、拉致事件以降、急速に
右傾化したのを記憶している)

右翼の走狗が、本当の意味で在日朝鮮人と理解できる日は来ないだろう。

※在日韓国人と在日朝鮮人は、政治的な問題で双方
コリアンでありながら反目しあっている。上の宣言も
在日韓国人の団体である民団と組んでいる。


こうすることで、在日コリアンの人権にも理解してるよと
いうポーズを送っているわけである。卑劣だなーと思う。

なぜ風前の灯に

2013-03-22 16:53:32 | 反共左翼
日本共産党は風前の灯だ!と反共左翼が言い張ってはや20年、
いつまで経っても消えそうで消えず、代わりに分裂・縮小して
とうとう2012年の選挙ではたったの5議席になってしまった社民党。

この点を全無視して話を続けている限り、
左派政権の誕生は無理なんじゃないかなーと思う。

で、なぜ1993年までは第1野党だったはずの社会党がここまで
落ちぶれたか(今の公明党より断然多い議席数だった)というと、
やっぱ右と妥協した結果だったんじゃないかなーと思う。

もともと、戦後まもなくから社会党は
中道右派と左派が混ざってできたような政党で、
憲法案にしても、主権は国家に在りと天皇制を
ぎりぎり引き継いだ形で民衆にも権利を付け足したという
妥協を重ねた内容だった。

その性質は、中立派に訴えて票を獲得するには良かったが、
その時の派閥の権力関係に応じて主張がブレるという愚挙も犯した。

で、1990年代前半は、ついに連立政権をとって与党に転じたのだが、
ここでも右派との妥協を連立政権の形で取ってしまったために、
沖縄基地問題で積極的な解決をすることができなかった。
他方で、村山談話など左翼にとっては画期的な功績も残した。

結果的に、あっちにフラフラ、こっちにフラフラしたために
両方から愛想を尽かされ、1996年の選挙では15議席と共産党の26議席を
下回ってしまった。1993年の時点では70議席、1990年は136議席あったのにだ。

ちなみに、共産党は1993年で15議席、1990年は16議席と今と似たり寄ったり
の雑魚政党だった。そんな話にならないレベルの弱小政党なのに1996年以降、
少なくとも議席の上では共産党が上回っている。


歴史的に見れば、ソ連崩壊で大敗北したのは
社民党のほうだったのである。


共産党は1986年の選挙では26議席、1990年で16議席あったから、
東欧の崩壊を通じて大幅に議席を減らしたと言えるだろう。
それでも1996年で再び26議席を取り戻したのだから御の字だ。


反共主義は、共産主義があってこそ輝く。
左翼だけど共産主義は嫌いという人のためにこの党は在った。
バッシングの対象を失ったために存在意義が消えたのだ。


これが村山政権への失望と同時にこの党が分裂崩壊した
根本的致命的な原因ではあるまいか?

中国や北朝鮮がまだいるから何とか消えずにいるが、
アジア地域で本当に民主化(という名の市場化)が進んだら
この党は本当に消えて亡くなってしまう気がする。

社会党をみると、他にも反共左翼の致命的な弱点があることを考えさせられる。
というのは、いざ実権を握っても、その時点で派閥抗争が始まり
思うように改革が進まないのだ。民主党もそうだった。

民主党は結局、鳩山・菅といった左派陣営を駆逐し
野田が率いた右派陣営の所有物に転じてしまった。

村山政権時も右派陣営との対立がもとで、
沖縄米軍基地問題を容認してしまった。

ついでに言えば、民主党政権の時も
基地問題で成果を挙げずに勝手に連立から脱退してしまった。

このような姿から無能政党に写った人間も少なくあるまい。
筆者はこの時を思い出すと、完全に社民党の発言権がないと
感じていた。亀井静香率いる国民新党が目立っており、
彼と民主党との相談の上で決まっていったような気がする。

結局、社民党はねじれ国会をふせぐための議席数としか
思われていなかったのではないだろうか?上手く利用されたように思う。

結局、右と左の垣根を越えてと言っても、
右が主流の現在日本では、右が納得できる範囲での
活動しか出来ないと私は思う。それが社会党の歴史を
振り返って感じることだ。

この党は60年代にも共産党と対立する新左翼を応援したために、
新左翼の暴力行為が顰蹙を買って以降、それが原因で大幅に
議席を減らした。イデオロギー云々でいえば、明らかに反共左翼
のほうが、愚挙を犯しているではないか。

共産党と社民党は政策自体は非常に似ている。
そうだからこそ、協力もできると思うのだが、社民党は
場合に応じて右にブレたために、結局、筋を通す党にはならなかった。

正確には通してはいるのだが、右が許せる範囲での通し方だった。
こういう弱点を直さない限り、いずれ民主党や加藤哲郎と同様の
右か左なのかよーわからん存在に陥ってしまうのではないか?
(まだ何とか大丈夫だとは思うが)

支部の問題について

2013-03-21 23:42:08 | 反共左翼
筆者はこんだけ文句をつけておいて実は党員でも何でもない。
完全に一般ピープルで、ただ政策面から支持しているだけに過ぎない。

同時に、北朝鮮をつぶすためなら嘘でも何でも書く萩原遼とかいう
糞ジジイと、創る会メンバーの井沢元彦をさん付けで評価する
加藤哲郎(堂々と歴史修正主義に危機感を持つと発言している)をみて
反共左翼の偽物性に反発を覚えたからというのもある。

よって、内部事情については無知なのだが、
共産党の党員が管理するブログを読んでいて
この党の問題性について気がついたことがある。

支部にやる気のない奴が多すぎる。

やる気のある党員も確かに存在するし、
そういう人のブログを読むのは楽しいのだが、
内部の話をグチグチ言って自分を正当化する連中も多い。

特に元党員が多いのだが自分が被害者なんだという雰囲気たっぷりに
難癖をつけて自分では何一つ提案もせず、たそがれている。

私が反共左翼の言い分を聞いているときに常に感じるのが
支部の責任を全く無視していることだ。

現場は正しい、中央が間違いといった思い込みが
末端の連中にある限り、共産党も苦戦するかもしれない。

追記~民主集中制批判について

民主集中制を批判する人間は決まって
共産党の派閥を認めない方針を批判する。


市民団体なら、各員が好き勝手な意見を吐いてもいいと思うが、政党で
それでは、結局のところ何がしたいのかよくわからない烏合の衆になってしまう。
党内の派閥抗争に明け暮れる珍団体で終わってしまうではないか。

民衆がある政党を支持するのは、党の運営が
クリーンかどうかではなく、政策が納得できるかどうか、
与党と日ごろから論戦し、結果を出しているかどうかだ。

一般人は党内がどうだろうと確かな実行力と政策が
あれば支持してくれるのだから、その辺を理解してほしいなと思う。



ちなみに、私が共産党を支持したのは、
政策や主張に共感できる部分が多々あるからである。

逆に反共左翼に違和感を感じるのは、簡単に右翼と連携し、
はっきりいって極右と違いが感じられないからである。
(萩原遼とか有田とか藤岡とか変なのばっかりだよ)

民主集中制批判の問題について(メモ)

2013-03-21 21:43:07 | 反共左翼
反共左翼の中には共産党は民主集中制だからいかんのだ
というあまりにも物事を単純化した議論が目立ちます。

民主集中制というのは、民主主義と中央集権とをミックスした
組織論で、幾度・幾重もの議論を通して決定した事項は
すべての党員が順守するというものです。

ですから、理論上は大勢の人間によって共有されるので、
中央の人間も自由が制限されるようになっています。
(この点への言及は皆無に近い)


ところで、この民主集中制は社会主義国家の政治体制を指す言葉でもあり、
独裁体制と同一視して語る論調が学者の中にもかなりいるのですが、
それらは民主集中制が天皇制やファシズムとどこが同じでどこが違うのか
という検討が不十分なものであり、同制度を罵倒するだけに終わっています。


前述したように、民主集中制は民主主義と中央集権の混合形態ですが、
批判者の多くは、後者の中央集権の点にのみ言及し、
民主主義の問題性については議論がされません。


衆愚政治への堕落というデモクラシーが持つ問題への批判が
この件に関して欠落しているように感じます。

私としては、沖縄集団自決や慰安婦、強制連行が天皇制だけで
説明できないように、ソ連史においては、もっと多角的な解析が
必要だと思います。その点において、体制を破壊すれば万事解決
という楽観論には賛成できかねません。

追加するならば、国家論と政党論とを混同していると思います。
政党とは、理論上、考えを同じくした人間が政策実現のため結成した組織で
この点においては、民主集中制は実に政党らしい政党を築くと思います。

現に、社会党は右派も左派も交えた混ぜこぜ御飯で、
日本の右傾化および自衛隊の容認を行ったために、右派左派両者から
見限られて、分裂、解体。今は議席を取る気があるのかと疑う状態になっています。

他方、あれほど共産主義がバッシングされながらその直後の選挙では
議席を伸ばしており、2003年後の大敗後も一定数の議席(9)を維持しています。
社民党はちなみに2012年度で5。過去最低です。

単純に民主集中制自体に問題があるとすれば、この議席の増減や
天皇制批判や反原発、歴史問題など社民党と共通する見解について
説明ができません。自民党のような分派主義の政党が戦後一貫して
保守派であった理由も説明がつきません。

いい加減、イデオロギーに基づく見解は控えたほうが良いと思います。

反原発と加藤恐怖哲学

2013-03-21 01:44:02 | 反共左翼
隕石とか大本営発表とか、物騒な言葉を羅列することでしか
自身の意見を正当化できない加藤哲郎。

こいつの恐怖哲学に基づく直接行動論が
どれだけ間違っているかは福島原発を考えればすぐにわかる。

福島第2原発を受け入れた双葉町は町自体が推進派で、
あの事故は加害者が被害者になっていたのだ。

その点を全く無視して東電や政府といった
権力者ばかりを攻撃し、地方自治体、それも
加害者でもある被害者に対しては無視されている。

いざ地元の市民に対してお前たちは
間違っているからやめろなんて言えるだろうか?


恐怖哲学では、極端な見解をとり恐怖を煽ることで
自分を正当化する。だが、それはあくまでも第3者に
訴えるためのテクニックで、相手が賛成・反対を決める当人
だった場合に、この手法は逆効果になる。

実際、60年代の全共闘はこれで自滅したのである。

議会が存在する以上、議会を通して法案を可決し、
意見を通すのがあるべき姿である。議会無視の直接行動論は
必ずどこかで挫折する。

政治学者と言っても、彼は議会や組織論の専門家ではない。
武田邦彦が工業学者でありながら温暖化嘘論を言っているのと
同様に、彼もまた社会運動家(ましてや思想家ならなおさら)としては
終わっていると断言できよう。

とはいえ、20日にアメリカから帰ってきたとか
ほざいているから、結局のところ彼は学者であって
運動家にはなれないのだろう。

そこが彼の限界であり、彼がペテンである証拠である。

本人もその辺がわかっているから、
温暖化反対と言いながら温暖化否定論の男の動画を
貼ったり、猪瀬「さん」のホームページを
紹介しながら、歴史教科書改変反対が叫べるのだろう。

そもそも朝鮮新報を読めば
如何に自分が在日朝鮮人に非道いことを
しているかがわかるはずだが、無頓着だ。

こういう自覚しない悪こそ最も厄介で最も残忍だと私は思う。

ひでーな・・・その2

2013-03-20 23:30:07 | 反共左翼
次々と文章が書ける。
加藤哲郎、さらに調べてみれば、
なんと安田講堂事件のリーダーの一人だった。
http://www.wasedajuku.com/wasemaga/good-professor/2005/09/post_81.html

そりゃー共産党が嫌いになるわー。
とすると、この人は自分たちが起こしたあの有名な
暴力事件を美化してそのままにしようとしているのだろうか。

戦後70年たってもなお、あの戦争で
敵味方を問わず民間人を殺した日本兵の中には
自分たちを美化する輩が存在した。

加藤もその中の一人だろう。
大川周明の生まれ変わりのような人だと思う。
あるいは福沢諭吉。よく頑張ってるよこの人(皮肉)

ところで、はっきりと在野の歴史研究者って書かれていますね。
歴史に関してはモグリだと認めたかと思った。

こいつの姑息な部分は戦後歴史学を否定しないことで
リベラルの仮面を被ることで歴史学研究会に入っていること。

どこまでも姑息だと思う。

追記
https://docs.google.com/viewer?a=v&q=cache:jlQ7D9EnB30J:members.
jcom.home.ne.jp/katote/marxatom.pdfid(略

「日本マルクス主義はなぜ『原子力』にあこがれたのか」と命題打って
ちゃっかり自分たち全共闘世代(得に安田講堂事件の東大生)は責任から
外しているところが実に加藤らしい。

また、1955年の原子力基本法でハッキリと共産党のみが反対している点や
1961年の原子力に関する決議における原発反対の部分をスルーし、
共産主義国における防衛手段のための核保有は許されるという部分を
誇大解釈して罵倒する。とても学者とは言えない。

まず、現行の原発は断固反対し、またその活動をずっとしてきた
ことは言わずもがなである。吉井議員の著書を読めば一発でわかる。

しかも吉井氏は一貫して現原発に反対し2006年、2010年と
福島原発の問題性を指摘すらしていた。

加えて加藤が猛然と原発に抗議しだしたのも震災後で、
それまでは一応触れているよといった程度にすぎなかった。

(差が激しいので面白い)
http://members.jcom.home.ne.jp/katote/Living.html
原発や不平等や戦争の「脅威」を、見逃すわけにはいきません
と大口叩いているが、ここまででかい態度を取ったのも
震災の後。見逃すわけにいかんのなら
どうしてもっと前から思い切り訴えなかったの?
北朝鮮の人権うんぬんと同じぐらい大事じゃないの?

こういう部分を無視する加藤氏は歴史を語る資格がないと思う。

氏の汚い部分はこのような部分に限らず、新日和見事件を
はじめとしてろくに検証もせず、ただ一方の言い分を受け止め
日本共産党を悪魔の党であるかのように決め付けた。
無論、それはオーラルヒストリーとしてあるまじき行為で、
後に党の言い分が正しいことが判明した。
http://ja.wikipedia.org/wiki/
%E6%96%B0%E6%97%A5%E5%92%8C%E8%A6%8
B%E4%B8%BB%E7%BE%A9%E4%BA%8B%E4%BB%B6

なお、この訂正を認めた本について、
川上氏の転向について氏は何もコメントを寄せていない。
http://members.jcom.home.ne.jp/katote/Living22.html

加藤こそ都合の悪い事実を隠ぺいする卑怯者ではないか。

党は絶対悪とする見解は党を絶対正義とする見解と一致する。
しかも彼は当時共産党をゲバ棒でぶっ叩いたあの事件を
美化してすらいる。この点は釈明しつくせないのではないか?
http://matinofuruhonya.blog.fc2.com/blog-entry-83.html

結局、氏は共産党は暴力的であると信じたいのだ。
だから民主的に決議がとられても、
「いつもの満場一致=シャンシャン大会で新規約を採択するでしょうが」
と不満をたらさずにはいられない。

http://members.jcom.home.ne.jp/072286711/Living9.html

彼は悪人は成敗してかまわんという断罪主義の幻想に
未だ囚われている。その証拠にリビア内戦を美化して賞賛しているし、
村上春樹の頓珍漢演説を評価すらしている。

チュニジアのジャスミン革命に始まり、
エジプトの若者たちに受け継がれ民衆革命を達成した
ソーシャル・ネットワークの波は、リビアのカダフィ独裁を
崩壊寸前まで追い込み、バーレーンやイエメンでもデモは続いています。

権力が揺らぎ崩壊して、独裁者たちの莫大な蓄財や海外資産が
明らかになりました。中国や北朝鮮の政府は、そうした情報を封じ込め、
言論の自由を暴力で抑えるのに必死で、
「権力は腐敗する、絶対的権力は絶対的に腐敗する」という
ジョン・アクトンのテーゼを、自らの行動で実証しています。


この言い分がおかしいことは重信メイの
「アラブの春」の正体で明らかになっている。
リビアは革命でなく内戦だったのだ。

そもそもあのカダフィのボロボロにリンチされた顔を見て
民衆革命と賛美する加藤はまさに共産的じゃないか。

独裁者は倒してもよい。悪い奴は殺されても仕方ない。
これが加藤の理屈だ。だから、仮に奴がいま熱中している反原発も
地元の人たちの反対にあった時にそこで何もかも終わるだろう。

反対者に対する共感が全くもって欠落しているのだから。
そもそも、加藤哲郎の恐怖哲学は相手を絶対悪に仕立て上げ、
自らを正当化する古典的なテクニックを用いている。

だが、将来彼らが対峙するはずの大衆は現在、右傾化しているのだから
彼らと衝突した際に必ず齟齬をきたす。その時に運動は分裂するだろう。

加藤御贔屓の山口二郎が橋下に惨敗したときも、
大衆をなめ過ぎていたと思う。現実は性悪論で考えなくてはいかんのだ。

ダム一つ潰すか潰さないかで50年もかけているのに
どうして直接行動で何もかも決められようか。

加藤が完全に無視しているのは議会の役割である。
議会によって立法しない限り、何も変わらない。

世論が変化しない限り変わらない。
加藤たち自称反原発が何も有効打を打ち出せなかったのは
地方自治体を中心とした地道な闘争もせず、デモやビラといった
遊びのようなもので満足しているからだろう。

決定的に廃路へ持っていくには、どこかで与党になるべき
前衛党が生まれなければならない。政党の重要性を無視しているのだ。
(典型的な行動主義者だから)

法による法の解決。それこそが求められている。

ひでーな・・・その1

2013-03-20 23:15:13 | 反共左翼
加藤哲郎が紹介した全共闘の社会史とやらが非道すぎる。
http://members.jcom.home.ne.jp/nokato/data8.htm
http://members.jcom.home.ne.jp/072286711/Living21.html(ここで紹介された)

コメントするのも面倒だが、この文章、
新左翼に対しての反省が微塵も感じられない。

戦後学生運動のなかで日本の政治・社会運動に光彩を放った
「全共闘」とは何だったのか。

私の結論は、全共闘は、いわば、新左翼と同じではない、だからこそ左翼であった。
もっといえば、(新)左翼よりも左翼的だった。
私の立場はこれで言いつくされる、とおもえた。

新左翼と呼ばれるとき、その存在のイメージは、すぐ党派と結びつく上、
その勢力には、必ず、スターリン主義など旧左翼の母斑がついてまわる。

新左翼とよばれるからには、旧左翼(ソ連派・中共派)のビジョン、
革命論の根底的な見直しをしなければならないにもかかわらず、
それは不可避である。

戦後の新・旧左翼は、どの党派であろうと、
その例外は考えられないとおもう。

スターリン主義の母斑をつけた左翼はすべて、
1989年のベルリンの壁崩壊と91年のソ連邦崩壊とともに、
歴史の記憶の影にうちすてられた、といってよい。

全共闘はもちろん、社会主義革命をめざしたものではなかった。
そして、ノンセクト・セクトでもなかった。

だから、当然のことながら新左翼でもない。
とかく全共闘運動は、新左翼運動と重ねて論じられることが多いが、
新左翼というセクト集団とは、厳密な一線を画するべきである。

また、微細に辿っていくと、全共闘運動も一様ではない。
日大全共闘と東大その他のそれとは明らかに闘いの質がちがっている。


この時代に若者が起こしたテロリズムを全く無視し、
それは新左翼であり全共闘ではないと言い張るこの論旨。

自分たちだけは正しいと言い張るこの論調。
さすが1947年全共闘世代の加藤哲郎が推薦するだけのものはある。

ひどすぎるよ、これは!

自分たちは徳田派をはじめとした冒険主義者たちを
旧左翼の標準とするくせに、全共闘は違うと?ふざけちゃいけないよ!

そもそもこいつらは旧左翼=日本共産党は
スターリン主義というレッテルの貼り付けがまだ消えていない。

まだこいつらの病気は治っていないのだ。
こういう奴らが学問や文壇で権力を握って
やりたい放題するほうがよっぽど私は怖い。
これなら極右化したほうがまだマシだろう。

全共闘世代の分裂主義と連帯主義は
ひとえに言って責任から回避するためのものだった。

好きな時に好きなように群れる。それがこいつらだった。
私の先生は大学生の頃、キャンパスでゲバ棒で
若者を殴打する連中を目撃している。

これが幻滅の理由でなくてどうするのだ。
自分たち全共闘が行った責任はどこへ行ったのだ。

まったくもってひどすぎる。
そのくせ、プロレタリア文学をはじめとして
平和的方法で反戦、反権力に立ち向かった人々は
無視して戦前の共産党の横暴さを強調する。

いずれ、このようなデマは暴露されるだろう。

追記
その後、もう一度読んでみたが
東大安田講堂の部分の美談的文体は
はっきり言って作る会の仕業かと
思うほどだった。これを歴史学に多少とも
接した加藤はなぜ自分のHPに掲載することを
許したのだろう。

学者としてはあるまじき行為だ。
この男は岩波などまともな出版では
まともな論文を書き、そうではない出版社や雑誌では
罵詈雑言に満ちた文章を書く卑劣漢だ。

名誉教授になったのだから、とっととご退場願いたい。
新左翼の夢とともに。

反共左翼のサークル主義

2013-03-20 17:14:50 | 反共左翼
休日だから書きまくるぜ。

手をつないで地球を囲む子供たちの絵ってあるじゃないですか。
あれを見るたびにつなぐことを拒まれた子はどうするのかなと思います。

私はあーいう古い言葉でいえばセクト主義をサークル主義と呼んでます。
本人たちの中でしか満足されていない空しい一体感。たまりませんね。

さて、反共左翼の説明ですが、次の記事を読めばすぐにわかるはず。
http://blog.livedoor.jp/fujouri_jcp/archives/65661078.html

上の記事では、社民党が手のひら返しをして反原発に回ったことを
述べた赤旗の記事をほじくり返して非難してますけど、実に香ばしい。

たとえば次の文。

筆者としては、原発問題で社民党の過去の言動にいろいろと問題があったとしても、
現在は脱原発の立場を明確にしているのであれば、過去の問題を
ほじくりだすような批判はすべきではないと考えます。

今は、過去における立場の違いなどをわきにおいてでも、
脱原発・反原発で多くの国民が大同団結すべき時だからです。



この記事を書いた人、過去にわざわざ国立国会図書館に手続きをとってまでして
1961年に決議が取られた「原子力問題の決議」にケチをつけてんだけど・・・

それは許されるの?
今、原発ゼロだって言ってるからいいんじゃないのぉ?

この御仁、共産党を嘘つき呼ばわりしたいために
わざわざ一次史料を借りてきたらしい。せっかくなので引用しよう。

わが国のエネルギー経済、技術発展の現状においては、
危険をともなう原子力発電所を今ただちに設置しなければならない条件は存在しない。

われわれは東海村の原子力発電所の建設工事の中止を要求する。

原子力発電所の設置は、わが国の総合的なエネルギー計画の民主的な確立、
原子力研究の基礎、応用全体の一層の発展、安全性と危険補償にたいする
民主的な法的技術的措置の完了をまってから考慮されるべきである。


あれ?思いっきり反対してんじゃん。
というわけで、本当に反対していたのですね。

そして、日本のエネルギー計画の民主的な確率、
原子力研究の基礎、安全性(略)と、原子力の設置自体は
否定していないことは上の文からも明白です。

共産党は、クリーン技術の開発と安全管理体制の確立の
保証の後は認めるという姿勢で、これは彼らの弁証法的思考にも一致します。

だがしかし、これでは格好悪いのでブログ主は次のようにコメント。

ただし、 東海発電所に反対していた事実は、
最近の「赤旗」記事(石川迪夫・日本原子力技術協会最高顧問のインタビュー)
によって半ば打ち消されました。(以前の当ブログ記事で確認ずみ)


いや、なんで?
インタビュー載せただけで駄目なの?
http://blog.livedoor.jp/fujouri_jcp/archives/65641354.html

私はいまもなお原子力発電を続けるべきだという立場ですが、
事態収束へ専門的知見を結集するという点で、
異なる立場の人とも
協力をおしみません。


これって共産党と俺とは立場が違うって明言してるじゃないですか。
しかも事故の収束へ向けて専門家の知識を集めろということですよね。
何がいかんの?意味わからん。

原発の反対は推進者のインタビュー記事で相殺されるそうです。
意味わからん!(大事なことなので)

普通に読めば推進者ですら福島原発の事故収束に
協力しようとしているって読めないの?馬鹿なの?

彼の言いがかりは続きます。

対米従属のもとで原子力が軍事目的で利用されようとしていることの
危険性についてもかなりの行数を割いて指摘していました。
そしてたしかにそれらはほぼ妥当なものだと考えられます。


悲しいかな、読めば読むほど負けを認めざるを得なくなる反共左翼。
そこで、とっておきの次の文章。

原子力の軍事的利用には反対しているものの、
そもそも平和的利用は積極的に進める立場であるということです。
将来的には原発を進めていこうという立場が、かなり明瞭にかつ牧歌的にのべられています。


「決議」冒頭にはこうあります。

原子力の発見と解放によって、
人類は一グラムの物質から二百五十億キロワット時という
巨大なエネルギーをとりだせる可能性をえたばかりでなく、
工業、農業のあらゆる生産分野から医療その他の日常生活の領域にいたるまで、
画期的な展望を見いだし、自然にたいする人類の英知のかがやかしい勝利を示した。



「科学的社会主義の世界観」にもとづいた考え方だと思われます。
つまり、科学の「発展」を無条件に肯定する立場です。
今日から見れば、「自然への勝利」云々の思考自体が誤りです。


はい、こじつけ来たー。
平和的利用は前の部分でも明確に書かれていました。
そもそも、なぜ科学の発展を肯定してはいけないのでしょう。
また、どこから「無条件に」というフレーズが来たのか?
今まで散々、現状の危うさを指摘しているでしょうに。

原子力の問題は、すでにのべたような軍事的利用と平和的利用という
たがいに対立する深刻な二面性をもっている。

原子力についての敵の宣伝は、原子力がもつ人類の福祉のための無限の可能性が、
帝国主義と独占体の支配する資本主義社会においてそのまま自動的に
実現できるかのように主張している。

しかし、帝国主義と独占体の支配のもとでは、
軍事的利用が中心におかれ、それへの努力が陰に陽に追求され、
平和的利用は大きく制限される。

したがって軍事的利用を阻止し、平和利用、安全性をかちとる道は、
帝国主義と独占体の支配の政策に反対する統一戦線の発展と勝利にむすびついている。

原子力のもつ人類のあるゆる技術的可能性を十分に福祉に奉仕させることは
人民が主権をもつ新しい民主主義の社会、さらに社会主義、
共産主義の社会においてのみ可能である。

ソ連における原子力の平和利用はこのことを示している。



これは「決議」の最後のほうの結論部分で書かれているものです。

日本共産党の政権が実現した「新しい民主主義の社会」においては、
原子力を「十分に福祉に奉仕させる」、つまり原発をどんどんつくろう
ということが書いてあるわけです。

時代の制約をうけた認識だと言わざるをえません。
今日の福島原発の事故が示したように、軍事目的だろうが、
平和目的だろうが、原発自体が危険なのです。

どのような政権のもとでもつくってはいけなかったのが
原発だったのに、当時の日本共産党はそうは考えていなかったということが分かります。


ここも誇張と言わざるを得ないでしょう。
何度も冒頭の部分で書いているように今の原発開発は軍事利用から
派生しているからダメなんだと書いているのであって、
平和的利用=原発とは解釈することができません。

また、ここでの平和利用は「原子力発電所の設置は、
わが国の総合的なエネルギー計画の民主的な確立、
原子力研究の基礎、応用全体の一層の発展、安全性と危険補償にたいする
民主的な法的技術的措置の完了をまってから考慮されるべき」とあるように
政権後にすぐ原発を作るということには文脈上つながりません。
ちゃんと読んでるんでしょうか?

この人は平和目的=原発と勘違いして今の福島を語ってますけど、
決議に沿って言えば未だに対米従属である現日本の原発は、この61年当時の
原発と変わりないのです。その点を勘違いしている。

ただし、ソ連礼賛の文章は、この時点でなおソ連の影響力から
脱却できなかった証拠となるしょう。ソ連へのお追従を批判されても
この点は確かに批判されても仕方ない。とはいえ、この直後、反ソへ転じる
のですから、この後の共産党と同一視してはいかんでしょう。また、時代の
制約がかかっても、原発に反対したことは事実ですから何ら問題もない。

そろそろ飽きてきたので次でおしまいにします。

以上、「決議」全文を読んでみると、
たしかに党が東海発電所に反対していた事実は分かります。


しかし、その事実以上に、深刻な問題を含むものだということも分かりました。
むしろプラス・マイナスを差し引きすれば、問題のほうが多い「決議」です。


結局、事実を覆せなかったもんだからソ連を礼賛した点を理由に
全否定です。これは、過去の国際連盟やフランス人権宣言を否定するもので、
確かに問題ある個所もあるが、その後の運動を考えれば意味のあるものと解釈すべき。

この点は東京裁判の粟屋憲太郎先生と同じです。
というか、この決議への難癖って東京裁判史観なるものを勝手に
作って文句をつけてる極右とおんなじですよ。

勝者の裁き!だから間違い!この理屈と同じですね。
部分点を誇張して全否定するこのやり口は。

結局、素直に読めば時代の制約があっても一貫して反戦と平和、
そして原発の反対を行ったことはその後の行動で証明されているんです。

それを穿った視点で見るから、最初は昔から反対だったという事実を
覆したくて無理だったものだから、共産主義化したら作るぞと強引に解釈をし
牽強付会に推進派に仕立て上げようとしているんですよね。

そのくせ、社民党は許される罠。
反共左翼って意味がないのに共産党を悪者に仕立て上げようとして
矛盾した行動をとっているんですよね。本当。

このブログ、どうやって知ったかというと加藤哲郎の平和サイト(!)に
リンクで張ってたから。まーお勧めのサイトに石原の手下の猪瀬のHPを
載せちゃうからね。http://www.ff.iij4u.or.jp/~katote/imagine.html

このリンクの中に吉井先生への礼賛記事が書かれたブログも
あった。やっぱ加藤って意味わからん。ここのコメントを読めば
共産党がちゃんと頑張ってたってわかるんですが。

意図的に無視するわりに、このページをリンクしたり、
その一方で広瀬の嘘温暖化説の動画を載せたりと方向性が全くつかめません。

かといえば、世界の平和運動団体にリンクを張ったり、
その一方で国内ではあからさまな挑戦差別を行ったり、
朝鮮新報をリンクしながら、相変わらず「人工衛星ミサイル」と
あくまでもミサイルと表現して危機感をあおるし。

かと思えば、直接の敵はアメリカと韓国だから日本が極右化する
のはいやだとか何をしたいのか全然わかりません。

左右の垣根うんぬんなら共産党とつるむべきだし、
信用できんと言うならば、極右の櫻井よし子達と一緒に
人権宣言など語らないほうが良いです(恥を知るだけ)。

本当にこの人が何をしたいのかよくわからん。
どう見ても反共左翼にしか見えないんだけど。
日本共産党と対立する葦火を良心的と評価してるしね。

っていうか、ここまでぼろ糞に謂れのない非難を受けて
いうことを聞けっていうほうがおかしい。頭おかしい。