時事解説「ディストピア」

ロシア、イラン、中国等の海外ニュースサイトの記事を紹介します。国内政治、メディア批判の記事もあります。

小感想・エマニュエル=トッド『シャルリとは誰か?』(文春新書、2016年)

2016-01-22 23:41:23 | 読書
色々な意味で衝撃的な本だった。

欧米社会を理解するには、同社会で
歴史的に継続してきたイスラム差別から避けて通ることは出来ない。

特に近年はNATO加盟国による中東・アフリカ・中央アジア諸国への軍事干渉、
イスラム過激派への支援と衝突が同国におけるムスリムへの差別とリンクするようになった。

シリアやリビアにおけるイスラム過激派への支援やフランス軍による空爆が内乱を激化させ、
移民を流出させる一方で、EU地域内の排外主義的な気運が過激派を産み、中東へと向かわせている。

フランスの新聞ル・フィガロは、ダーイシュ(IS、イスラム国)のテロリストの
少なくとも3分の1がヨーロッパの出身者だと報じている。別のメディアでは、
ダーイシュに加盟するヨーロッパ人は3000人、多くて数万人と見積もっている。

シャルリエブド襲撃事件にせよ、先日のパリ同時多発テロにせよ、
その背景にはフランス社会のイスラモフォビア(イスラム嫌悪症)と
旧フランス領植民地シリアに対する軍事干渉が存在することは言うまでもない。

このことについて私は過去、再三、繰り返して主張してきた。
改めて以下に記事をリンクしよう。

フランス・テロ事件の背景(マスコミが伝えないヨーロッパのムスリム差別について)
フランステロ事件について2(各紙の社説を比較する)

シャルリーを自称した人々はどこへ行ったのか?(フランス・テロ事件のその後)


イランでの反仏・反シャルリー運動について
世界中で焼かれるフランス国旗とシャルリエブド
オランド、各地のシャルリー抗議デモを非難する
ローマ法王、反シャルリーデモに理解を示す

イラン最高指導者からの欧米のイスラム差別に対する抗議メッセージその1
日本の上映の自由について

シャルリーエブド事件再考
酒井教授批判その1(シャルリエブドとは何か)

シャルリエブド紙のルソフォビア(ロシア嫌悪)
米のイスラモフォビア・憎悪犯罪を是認する欧米メディア

パリ同時多発テロ事件の背景
パリ同時多発テロ事件の背景2
パリ同時多発テロ事件の背景3(サウジの影)


よくこんなに書いたなと我ながらあきれる。

欧米のイスラモフォビアに関する資料は、その気になれば、いくらでも入手できる。
(例えばこことかこことか。私の記事を読んでも良いよ)

決してトッドの専売特許ではない。私が思うにイスラモフォビアについて本格的に論じたものは、
エドワード・サイードの『オリエンタリズム』および『イスラム報道』
である。

特に『イスラム報道』はメディアや知識人によるイスラムへの偏見が
いかに展開されていったのかについて詳しく論じており、必読の書とも言える。


クドクドと前置きが長かったが、要するに私は
欧米社会のイスラム差別は決して無視されてきたトピックではなかったはずなのに、
よりによって日本でシャルリエブド事件とイスラモフォビアを関連付けて論じた初の本が
あのトッドの著作だったことに驚きを隠せない
のである。

よりによってトッドかという気分だ。

評論集の形なら『現代思想 2015年3月臨時増刊号』ですでに出版されているが、
岩波書店や藤原書店などの左派系出版社は何をやっていたんだという話だ。

まぁ、藤原書店や大月書店、新評論などの中小出版社は予算の都合上、
出版できないのは仕方ないような気がするが、岩波書店と平凡社は本当に意味不明。

「本来ならお前の所で売らなきゃいけないような内容の本が
 文芸春秋で売られるのかよ」という憤り。伝わってくるだろうか?


日本の左派系論壇は総じてシャルリエブド事件を言論の自由に挑戦するテロだとみなしてきた。
そのため、むしろシャルリエブドこそが差別の実行者であり、ヘイト・アートを継続して掲載してきた
同社の編集方針を追求せず、逆に英雄であるかのように称えるのはおかしいという発想が浮かばなかった。

単純に「テロとの戦い」、「言論の自由との戦い」という文脈で語り、
この問題の裏側に潜むフランス社会の移民・ムスリムなどのマイノリティへの差別問題に踏み込まなかった。

結果的にそれはフランス社会を無批判に称揚するという如何ともしがたい
ヨーロッパ幻想を生み出したとすら思える。それほどこの事件に対する左翼の態度は妙だった。

本来なら、ヨーロッパにおける民主主義の病理は
左翼にこそ指摘されるべきであり、左翼にこそ指摘して欲しかった。

それがトッドか、文春かという悔しさ。


例えるならば、ヘイト・スピーチに反対する本が岩波や新日本出版社ではなく、
真っ先に文芸春秋や新潮社、WACなどの日常的に差別を助長する出版社から出てしまったようなものなのだ。



ヘイト・スピーチは良くないという発想が平和や平等を掲げる左翼からではなく
日ごろから差別やデマに興じる右翼が所有し、発信してきたようなものなのだ。


この本の出版ほど日本の主流左翼の情けなさを痛感したことはない。


本書は、シャルリエブド事件、特にその後のフランス社会の同事件の反応を批判的に扱ったもので、
類書と比べると統計や地図を駆使して科学的に説明している点が特徴的である。

但し、先述したようにシャルリエブド事件後の「私はシャルリー」運動が欺瞞的だという考えは
多くの人間が抱いていたもので、トッドが言うように彼一人が孤立していたわけではない。

本書の担当編集者は、同書を「仏国内のメディアをすべて敵に回わす危険を顧みずに書かれた」と
評価しているが、それは誇張である。詳しくは前述の現代思想の特別号を読めばわかると思う。


フランスの移民差別は歴史的に継続して行われてきたもので、
それを知るにはフランソワーズ=ギャスパール『外国人労働者のフランス』を推薦する。

また、移民に対する差別は根本の部分ではフランスの民主主義システム(国会・メディアなど)が
機能不全に陥り、本来の役目を果たせていないことに起因するが、これを知るには、哲学書だが
アラン=バディウ『サルコジとは誰か?』が有益な情報を与えてくれるだろう。


本書を一言で表現すれば、不味くはないが美味くもないラーメンといったところ。
激戦区に立地していないために「ここの飯は美味い」ともてはやされそうなラーメン屋といったところ。

何せエマニュエル・トッドという人物は本人は中道左派を自称しているが、
その主張内容を拾えば、中国をけん制するために日本に核武装を薦めたり、
過去の歴史に対する反省行為を修正(つまり安倍的な姿勢に)しろと主張したり、
リビアに対するNATOの空爆を「認めざるを得ない」と黙認してしまったり随分と右的なのである。

本書も企画に読売と日経が関わっているようで、出版元が文春と
見事に保守系新聞社、出版社からプロデュースされたものである。


まぁ、改憲や非核に固執する割には北朝鮮に対しては与党とつるんで攻撃的になる左翼は
腐るほど日本にもいるわけだから、そういう輩の一人と見ることも可能だが、
正直言って、「あんたがイスラモフォビアを語るか」と突っ込みを入れたくなってくる。

日本で言えば、散々北朝鮮をバッシングして同国に対するイメージを貶めておきながら、
いざ国内で朝鮮学校が無償化対象から除外されると途端に反差別の旗を振り始め
あたかも自分に責任がないかのように演出した有田芳生参院議員のような・・・
(有田議員は救う会の講演会にも参加していた)

嘘出鱈目を語っているわけではないが、あんたの口からは聞きたくないというような……
逆を言えば、その点が気にならなければ良書だと思う(まぁ手放しには誉めたくないが)


売られたばかりだが、恐らくランキングでも上位に食い込むのではないだろうか?
着眼点の勝利と言おうか、文春はやっぱり商売がうまいなと感心する。

ところで、同じ文春新書から、また朝日新聞が著した本が売られていた。(『ルポ 老人地獄』)

朝日にはプライドというものがないのだろうか?まぁ、ないのだろうけれど。
去年の吉田証言に対する騒動はやはり朝日が「俺たちはもう左じゃない」と宣言するための
降参セレモニーだったのではないだろうか?そう思うほど朝日と文春の最近の協力は気持ち悪い。


同書は新聞連載の内容をまとめたものらしいが、逆を言えば、
今の朝日の記事のレベルは文春から出版しても違和感がないほど右だということだろう。
右翼にとって痛くもかゆくもない、むしろ共有できる主張と姿勢。そういう気がする。

[新刊]『シリア 戦場からの声』小感想

2016-01-15 18:05:58 | 読書
紹介文より。
「5 度にわたりシリア内戦の現場に入り、自らも死の恐怖と闘いながら、
 必死で生きる人々の姿をペンと写真で描いた貴重な記録。」

感想。
一通り読んだらブックオフか古本市場に売ろう。

本人曰く
「私は2012 年から2015 年まで計5 度に渡り、シリアに足を運んだ。
 そこで暮らしている人々の声に耳を傾け、彼らと一緒に時を刻んだ。

 現場に足を運ばなくとも、ネットから流れ出る情報をかき集めれば、
 シリア情勢はある程度は把握できる。しかし、情報からでは内戦下で暮らす人々の心境は
 直に伝わってこない。それが私には悔しかった。もっと彼らの生の声を
 多くの日本人に知ってもらいたい。その思いが私を原稿に向かわせた。」らしい。

記者やジャーナリストの中には現場主義という神話を頑なに信じたがる人間がいる。
簡単に言えば、「現場に行けば現実が見えてくる」という考えだが、それはどうだろう?


---------------------------------------------------------
経験の浅い記者が送稿したのであろうか、4月はじめに朝日新聞に大きく掲載された
「従軍取材自問の日々」という記事を読んで絶句した。

疑いもなくこの記者は率直で正直で良心的である。それは裏を返せば、
言葉のもっとも悪い意味でナイーブにすぎ、哀しいほど不勉強でもあるということだ。

記事によると、彼は同行した米海兵隊とは別の米軍部隊が
イラク軍陣地を追撃砲で攻撃し、それが命中したのを見て、
まわりの米兵らとともに思わず「歓声を上げ」たと告白している。

一方で、
「私は中立であるべきジャーナリストであり、攻撃の成功を喜ぶべきではない」
「しかし、『やった』という感情は無意識のうちにわき上がった」と悩む。

しまいには
「今回の戦争をどう考えるか、という結論を私は出せずにいる。
 米国にもイラクにも問題がある、ということまでしか言えない」と
まことに素朴に述懐するのである。年季が浅いということだけで、これは済む話ではない。

記者が「ストックホルム症候群」に陥っているのではシャレにもならないのではないか。
私もかつてソマリアで米軍側から戦闘を取材したことがある。

だが、「武力による平和の執行」と称して人を殺す米軍の作戦行動には
激しい怒りを覚えるのみで一瞬たりとも共感したことはない。

「中立であるべきジャーナリスト」とは果たしてだれが教えたのか。
「中立」とは狡猾な政治的概念なのであり、
 記者が戦争や人道を表現するときの普通概念ではありえない。

まして、圧倒的な兵力が一切の国際法を無視して侵略を強行し、
無辜の人々を殺しつづけているとき、記者にいかなる「中立」がありえるのか。

(辺見庸『いま、抗暴のときに』(講談社、2005年)、75‐76頁)
-------------------------------------------------------------------------

このように、現場を見たから何かがわかるということはない。
記者の視点や思想が必要になってくるのである。


想像力や洞察力のない人間が現地に行って取材をしても、
それは近視の人間がメガネを外してあたりを見渡すようなものだ。


実際には、ほとんどの人間は中立ではなく、どちらかの側に立って物事を見ている。
重要なのは、それを自覚しているかどうかで、中立に立つこと自体に意味はさしてない。

一番問題があるのは「どちらも悪い」という姿勢であり、
それは「どちらかのほうが、より悪い」という考えを捨てるものである。
それは、相対的に見てどちらにより責任があるかを調べようとしないことを意味する。



---------------------------------------------
「スプートニク」が「ダーイシュ(IS)」戦闘員に独占インタビュー:
「トルコは我々を評価し、支援していた」


「ダーイシュ(IS,イスラム国)」の武装戦闘員は
シリア北部でのクルド人との戦いでクルド人の人民防衛隊(YPG)に捕虜にとられ、
現在、YPGのいわゆる刑務所に収監されている。

ラジオ「スプートニク」トルコの記者にこうした刑務所を訪れることが特別に許可され、
「ダーイシュ」の戦闘員捕虜らの話を聞くことができた。

そのうちの1人、チュニジア出身のケリム・アマラ(31)は
「ダーイシュ」の一部隊の司令官。アマラが「ダーイシュ」に加わったのは2013年。
2015年にはYPGに捕虜に捕られた。


「スプートニク」トルコの記者が話を聞いた「ダーイシュ」の他のメンバーと同様、
 ケリム・アマラも「ダーイシュ」とトルコの結びつきについて語り、
「ダーイシュ」の戦闘員の召集がいかに行なわれているか、そのプロセスの詳細を明らかにした。


「チュニジア革命の後、多くの若者がイスラム主義組織に加わり、
 そこで急進的イスラムとジハードの行い方の基礎を学ぶコースを終了した。
 私もそうしたコースを受けた。私は友人の勧めで『ダーイシュ』とのコンタクトをしいた。
 チュニジアから私はリビアに廃止、そこから飛行機でトルコに飛んだ。
 その後、ハタイのレイハンラ国境検問所の付近で違法に国境を越え、シリア領へと入った。」

「2013年、私は15日間にわたってアレッポの郊外のあるキャンプで戦闘訓練を受けた。
 2015年、シリア人女性と結婚。『ダーイシュ』の構成体の中では私はグループの司令官だった。
 しばらくして組織に入隊すると、私はイラクと戦うために送られた。
 1年間、イラクの町ラマディで過ごし、イラク軍を相手に戦った。

 イラクの後は北のアレッポに送られ、そこで2ヵ月半を過ごし、
 自由シリア軍との衝突に参加した。それから、コバニにYGPと戦うために派遣された。」

アマラの話では彼は20人の兵士の部隊の司令官だった。
ところがコバニにはたった400人の「ダーイシュ」戦闘員しか送られていない。

「コバニに到着して1週間たったとき、クルド人部隊は我々の陣地に大規模な夜襲をかけた。
 私はうまく逃げたが、ある瞬間、道から離れてしまった。
 トルコの国境に近づいたとき、地元民が私に向かって声をかけた。
 この人物は私を自宅に呼びいれ、食べさせてくれた。
 それからこの男の家にクルド人民防衛隊の兵士らがやってきた。
 この兵士らは私が自分たちの防衛隊のメンバーではないと悟り、私を逮捕した。

 私がコバニにいたのはわずか1週間だ。私のいた地区には『ダーイシュ』のメンバーは8人いた。
 そのうち6人がトルコ出身者だ。彼らは我々の高地の防衛を担当していた。
 我々のグループにいた2人のトルコ人は
 ジェラブルスの『ダーイシュ』の司令官らとよい関係にあった。」

「トルコは我々を手厚く援助している」

アマラはトルコが「ダーイシュ」に行なっている支援について語った。

「トルコは『ダーイシュ』を助け、我々が新たなメンバーを探す作業を軽減していた。
 私が『ダーイシュ』の一員だった間は、トルコ人軍人が我々の組織に
 新たなメンバーが加わるのを阻止したという話は一度も聞いていない。
 その反対に『ダーイシュ』内では、逆にトルコは『ダーイシュ』を評価し、
 積極的に助けているといわれていた。」

トルコとの捕虜交換

ケリム・アマラはモスルにある
トルコ総領事館の職員49人の解放について、重要な情報を明かしてくれた。
これらの職員は101日間にわたって「ダーイシュ」の捕虜となっていた。

2015年夏、モスルのトルコ総領事館で危機が起きたとき、
トルコのマスコミは総領事館の49人の人質と、当時、トルコの刑務所に入れられていた
「ダーイシュ」のメンバー180人の交換が行なわれたと報じた。
トルコ指導部はこのとき、報道内容の信憑性を公式的に裏付ける声明は表していなかった。

ケリム・アマラはこのときイラクにいたため、
トルコ人外交官49人の人質交換のプロセスに自ら参加したことを明らかにした。

「我々はトルコ側にモスルの総領事館の職員を引き渡し、
 トルコも我々の人間を渡した。作戦は特務部隊によって組織された。」

「コバニでの衝突の際、我々はトルコから食糧を受け取った。」

アマラの話では「ダーイシュ」はトルコとイラクに重油を売り、
トルコとサウジアラビアからは食糧を受け取っている。

「コバニでの衝突の際、我々の司令官はよくトルコに滞在した。
 トルコから司令官は食べ物や他の必需品を持ち帰ってきた。
『ダーイシュ』にはトルコ出身の司令官らがいた。」

続きを読む http://jp.sputniknews.com/middle_east/20151230/1387412.html#ixzz3xIUo80sU
---------------------------------------------------------------------

トルコやサウジアラビアがダーイシュと実際にはそれほど敵対していないことは、
「現地」にいる記者たちの報道ですでに明らかになっていることであり、
ダーイシュが元々はアメリカやフランス、イギリスがアサド政権打倒のために
支援していた武装組織だったことは、多くの人間が指摘していることだと思われる。

そうしたことを「現地ではアメリカやヨーロッパがダーイシュを支援しているという
『陰謀論』も耳にした」とさらっと流してしまうのは、大いに問題があると思わざるを得ない。

ウクライナには、キエフ政府の空爆が実際に行われている現地に向かい、
自身も空爆の被害者となることで、ウクライナ政変のリアルを伝えようとする人間がいた。

それと比較すると本書は「命がけの取材」という割にはあまりにも……微妙である。
「5回の取材」と銘打っているが、5回は一般的に少ないほうなのだが……う~む。

もっと簡単に言えば、私たち日本人は少なくとも数年間は日本で暮らしていて、
ここ最近の安倍政権の政治も体験しているはずだが、それにも関わらず、
安倍を支持する人間とそうでない人間とが存在する。現場でさえ意見が分かれるのだ。

とすると、優秀な記者なら、なぜ意見が分かれるのか、その背景は何かを探らなければなるまい。
どちらの意見のほうがより正しいのかを提示しなければなるまい。
単に、現地の人間の言葉をそのまま伝えて満足するようではいけないだろう。

この著者は一体どういった立場の人間に評価されているのかなと軽く調べてみたところ、
案の定、アメリカの軍事干渉を支持し、アサド政権の崩壊を望む人間に広く好かれていた。

本当は「穏健派」の反体制派が使用したのに政府軍が化学兵器を使用したと説く人とか
アメリカのプロパガンダ機関、ラジオフリーシリアの放送を情報源とするジャーナリスト()とか。

ついでに説明すると、ラジオフリーシリアというのはアメリカのCIAが支援して
2004年に設立したラジオ局で、アメリカのロビイスト集団が母体となるシリア政党、
Reform Party of Syriaが所有者となっている。ちなみにRPSのリーダーはアメリカ人だ。

その目的は
"in order to 'educate the Syrian public on issues of democracy,
 freedom and the cessation of violence',"
(シリア国民に民主主義や自由の論点、暴力の中断を教育させる)であり、
ラジオ・フリーヨーロッパの
「事実の情報と思想を広めることにより、民主的な価値と制度を促進するや
ラジオ・フリーアジアの
「海外の聴取者に正確・客観・公正的な、アメリカと
 世界のニュース及びにその関連情報を放送し、以て自由民主化事業を促進・強化させる」
と似たり寄ったりだ。

フリーヨーロッパは元々、冷戦時にCIAが資金を提供していたプロパガンダ機関であり、
フリーアジアもまた、中国や北朝鮮などの社会主義国家の崩壊を目的に作られたものである。

当然、フリーシリアもシリアの政党のメディアのはずなのに、
局自体はトルコにあったり、イランとアメリカとの関係改善を非難したり、
サウジアラビアを擁護したりとまぁわかりやすいほど向こうのタカ派に喜ばれる記事を書いている。

こういうメディアを信用するようなジャーナリスト()に絶賛される記者および作品が
本書であるわけで、わざわざ金を出して買うぐらいならRFSのフェイスブックを読んだほうが良かろう。

もっとも、本書は無茶苦茶悪い本というわけではない。
しかし、その中途半端さがかえって問題があると私は思う。

つまり、なまじ「中立」に書いているために、右翼だけでなく左翼にも
自分が勉強したという錯覚を与えてしまうのではないか
と危惧している。

そういう意味で本書は薬にはなりそうにないが、読みようによっては
毒になりそうなものであり、読まないにこしたことはないのではと感じる次第である。

古市憲寿氏、安倍晋三主導の歴史改竄プロジェクトのメンバーに

2016-01-06 23:50:47 | 読書
当サイトで以前から批判していた古市氏が、
とうとう安倍晋三が直々に設立した歴史改竄運動団体のメンバーに抜擢された。

御年31歳、そろそろ「若者」の看板で商売するのも苦しいのではないかと心配していた
筆者としては、彼にふさわしい働き口が見つかり、非常に安堵した次第である。


-----------------------------------------------------------------------
先日も本サイトで取り上げたが、
この「歴史を学び未来を考える本部」は安倍首相が肝いりでつくらせた総裁直属の組織。

しかも、実質的な仕切り役はあの稲田朋美政調会長だ。稲田は弁護士時代、
戦時中の南京大虐殺で「百人斬り」で処刑された元少尉2人の名誉毀損訴訟を担当。

初当選翌年の06年に議員連盟「伝統と創造の会」 を結成すると、みずから会長に就任する。
野党時代のいまから5年前には、竹島に近い韓国領の「鬱陵島」を視察しようとして入国拒否された。
安倍の肝いりで閣僚に就任したのちも、毎年靖国参拝を欠かさない。

そんな人物が本部長代理として仕切っているのだから、この組織が狙っているものは明らかだ。
事実、「歴史を学び未来を考える本部」発足に先立つ11月28日、安倍首相は
「憲法改正をはじめ占領時代につくられた仕組みを変えることが(自民党)立党の原点だ」
との演説をぶち、同本部長である谷垣禎一幹事長は、先の大戦後のGHQによる占領政策や
現行憲法の制定過程、慰安婦問題や南京事件を検証するという方針を明かした。

しかし、だとしたら不可解なのは、偏向した議論がおこなわれるのが
明らかなこんな会のなかに、古市のような若手学者が入っている理由、だろう。
古市は前述のように、無自覚な差別意識がだだ漏れすることはあっても、
頭の悪い歴史修正主義に与するという印象はなかったはずだが……。

http://lite-ra.com/2016/01/post-1867.html
---------------------------------------------------------------

ハーフ差別で炎上の社会学者・古市憲寿が自民党の「歴史修正主義」運動に参加!
背後に稲田朋美との近すぎる関係


詳細は、ライターの小杉みすず氏が書いた記事を読んで頂くとして、私としては、
むしろ「なぜ古市が抜擢されたことにそこまで驚くのか」という点のほうが気になる。

古市氏は研究者という肩書きを使っているが、正確には大学院生であり、
しかも博士課程においては、これといった論文を執筆してもいない。

要するに学者と呼ぶには片腹痛い実績の持ち主なのだが、
修士論文が高く評価されたことをきっかけに田原総一朗の「朝まで生テレビ!」に出演、
そこからテレビのコメンテーターや雑誌のコラム執筆などに勤しむことになる。

田原総一朗本人は、やしきたかじんの捏造ノンフィクションで顰蹙を買った
極右作家の百田尚樹と仲良く対談本を出したり、山野車輪や小林よしのりなどの
ネット以前の言わば「元祖・ネトウヨ」をテレビに呼び活躍の機会を与えてきた人物。

そして、古市氏がコラムを執筆する雑誌は保守系雑誌の『新潮45』、
そもそも新潮社自体が保守系の出版社で、古市も著者の一人になっている新潮社新書からは
藤原正彦の『国家の品格』や百田の『大方言』、室谷克実の『日韓がタブーにする半島の歴史』
など、数々のトンデモ本が生まれており、これらを見れば、古市が右翼だと思われても
左翼あるいは中道と思われる要素など、ひとかけらもないことは誰でもわかることである。

実際、古市氏本人も右翼よりのスタンスであることを述べているし、
『文芸春秋』に収められた対談では百田の『永遠のゼロ』を絶賛している。

唯一の功績である論文にしたところで、皇族が直々に設立したという
極めて政治色の強い賞を受賞しているわけで、その内容は権力者に煙たがれるようなものではない。

むしろ、「格差社会でも若者はそれなりに幸せを享受できる」という主張は、
「格差社会で若者の幸せが失われつつある」という左翼の主張に対するカウンターとして
このうえなく効くものであり、筆者は彼のことを知った当初から、その問題性を気にしていた。


とはいえ、書き手が固定化・高齢化し、若手の人材に不足している保守系論壇において
彼は佐藤優以来の期待のニュー・フェイスだったのかな程度の認識で、それ以上でもなかったが。

むしろ、古市本人がどう生きようと本人の勝手なわけで、私としては、
古市よりも彼を持ち上げる左翼連中のほうに危機感を抱いていた。

上野千鶴子とか加藤典洋とか。

あまり言いたくはないが、古市が台頭できたのも、彼を応援する後ろ盾があってこそであり、
対談本を出したり、推薦文を書いたり、何かと面倒を見てきた上野らのほうが問題があると思う。

特に上野は岩波系文化人の一人でフェミニズム研究の権威にして、
つい最近も右翼とつるんでパク・ユハのトンデモ本を擁護・絶賛する愚行に走った人物で、
ある意味、こういう人物だからこそということもあるが、彼女が教え子でもある古市に対して
「お前のような右翼とは絶交だ!」とするどころか彼の宣伝役の一人になったことは、
こういう人物がもてはやされる現在の左派系論壇やフェミ界のヤバさを如実に示してはいないか?


もちろん、上野も加藤も保守を自称し活動しているのならば、私もそこまで気にしないが、
彼らは一応、左翼のつもりで評論を書くなり運動に参加するなりしているわけで、
しかも「仰るとおり、あなたたちは左翼でございます!」と左翼連中が認めているわけだ。

「一部の」とは信じたいが、私が個人的に知る左翼の方々も、なぜか古市を自分たちの
味方であるかのように評価しているわけで、「おいおい大丈夫か?」と不安に思ったものである。


高市早苗氏や稲田朋美氏、ネオナチ団体代表とのツーショット写真で波紋


今回の安倍が立ち上げ、稲田が実質的にとりまとめる歴史改竄プロジェクトに
稲田とのコネクションで古市が抜擢されたのは、当然かつ必然の結果である。


繰り返すが、私は古市氏本人がどのように活動しようと本人の自由であり、
そのことを「やめろ」という権利は誰にもないと思う。思う存分働いて欲しい。

むしろ、私が「いい加減にしろ」と怒りたいのは、
かような以前から大変、保守的な思想と活動をしていた人物を高評価し、
彼に評論家としての活動の機会を与えた左派系知識人の無思慮さと無責任さである。


改憲や歴史改竄を望む右翼がそれをやるならわかるが、仮にも
反戦やジェンダー平等、日本の戦争責任を追及する立場の人間がやるかという話である。

とはいえ、上野も元々、左翼でありながら吉見義彦氏などの慰安婦研究者と対立し、
過去にはあの宮台真司とつるんで売春を肯定しようとしていたし、
加藤も既存の右翼からも左翼からも批判される戦争責任論を展開したりしていた。

そういう意味では「右でもなく左でもなく」といいながら、
限りなく保守的な方向へ動こうとする最近の左翼の元祖とも言うべき方々で、
私がここまで目くじらを立てるのも過剰な反応なのかもしれない。


最後に、加藤典洋と個人的に仲の良い人物の中に、
最近、SEALDsのパトロンとして有名になっている高橋源一郎氏がいるが、
彼はイスラム差別につながると多くのムスリムに非難されている
ミシェル・ウェルベックの『服従』を絶賛していたりする人物
で、
先のパク・ユハの『帝国の慰安婦』にも擁護する立場を取っており
こういう人間が主張する民主主義や平和っていったい何なのかなと思わざるを得ない。

最近の左翼運動を見て思うのは
あまりにもカーニヴァル化、ビジネス化しており、
運動内容の検討が疎かになってはいないかということである。


本来なら高橋など「お前などあっちに行け」とそっぽをむかれそうな人物だ。
それが「平和の使者、高橋!よっ!」と騒がれているわけで、
逆を言えば、彼らの平和運動というのは思想的に底が浅いのではと不安になるのである。

歴史的に見ると、イデオロギーが甘い左翼志向の人物は高確率で保守化する。
いわゆる転向というヤツである。去年の反戦運動は、それなりに意義があったはずだが、
長期的に見れば、どう見ても失敗しているわけで、もう少し反省というか見直しが必要なはずだ。

それを彼らが自分からできるかという話だが、
正直、それは無理ではないかと思うし、実際に今のところ、そのような兆候は見られない。

そういう意味では古市憲寿氏の「予想外」(笑)の転向よりも、
彼をアイドル化させた平和主義者のほうに大きな問題があると私は思うのである。

津村一史『中東特派員はシリアで何を見たか』小感想

2015-12-28 00:42:45 | 読書
今の新聞記者のレベルの低さを知るにはうってつけの一冊。

これは理系・文系どちらの学者・ジャーナリストにも言える事だが、
あるテーマを研究する際には、とりあえず先行研究の読み込みから始めるのが定石である。

つまり、いきなり実験や現地調査を始めるのではなく、
ある程度、下調べをして基本知識を得てから、既存の研究の検討をするのである。
(その作業の中で自分の研究のオリジナリティを確立させていく)

国際問題の場合には、例えば、朝日や読売等の国内の新聞は言うまでもなく、
スクープトニクや人民網、イランラジオ、他にもル・モンドやアルジャジーラなど、
他のメディアでシリアがどのように伝えられているかをチェックしてから取材に当たる。

それが常識だと思っていたのだが、どうもこの本を読むと、そうでもないらしいことがわかってきた。
津村記者は実際にシリアに来て取材を行う中で、初めから悪と決め付けた自分の態度を反省する。

言い換えれば、彼はそれまで少しもイランやロシアのメディアに触れようともせず、
イギリス・フランス等の反アサド国側から発信する情報を鵜呑みにしていたわけだ。


実際、彼は英米仏等の西側国家がシリア国内の「反体制派」に武器を支援した結果、
その武器がダーイシュ(IS、イスラム国)に使われていることを知り愕然とするのだが、
そんなことはロシアやイランがずっと前から言っていたことである。

何しにシリアに言ったんだよと悪態をつきたくなる。

日本国内、それも海外メディアから取得できる情報を再掲されても困る。
イランやロシアの言い分には正しいものもあると言うのであればまだわかるが……

同じ本ではシリアを支援するロシアに理解を示す一方で、ロシアがウクライナで
「親ロシア派」に武器を支援していることを非難する頓珍漢なことが書かれている。

客観的に観て、ウクライナに、より露骨に干渉しているのは欧米列強であり、
彼らはシリア同様、自国に都合の良い集団に武器を支援し、軍事訓練を施した。

彼ら「反対派」(多くがネオナチ)がマイダンで暴動を起こし、
IMFの条件を呑むことを拒絶したヤコヌヴィチ大統領が追放された。


イギリスやドイツの石炭産業を活性化させるために自国の炭坑を閉山させること、
国営企業を民営化させること、公共料金を引き上げること、年金の額を引き下げること、
いわゆる新自由主義の受け入れがなされ、アメリカ人が政府の要職に就いたりさえした。

結果、緊縮策を受け入れられない地方の州(特に炭坑が多く存在する南東部)が反発し、
住民投票が実施され、極めて民主的な手段でドネツク・ルガンスク州の独立が決定された。


------------------------------------------------------------
ドンバス炭鉱の労働者達は、
ドネツク州からのウクライナ軍部隊撤退を要求し、無期限ストライキに入ると発表した。

タス通信記者に、ウクライナからの離脱を求め独立を宣言した
ドネツク人民共和国石炭産業省のコンスタンチン・クズィミン第一副大臣が伝えた。

現時点では、ドネツク上空をウクライナ軍の戦闘機が飛行している。
市の中心部は比較的平穏だが、多くの商店、銀行、カフェなどは営業していない。
公共交通機関は、状況により運行したりしなかったりの状態だ。

手元にある情報によれば、ドネツク市民に対し、3時間以内に
希望者はすべて町を離れるよう警告が出された。しかし現在のところ、
市民が積極的に町を離れる様子はない。ドネツク人民共和国スポークスマンは、
近くウクライナ軍によるドネツク急襲作戦が開始されると見ている。
------------------------------------------------------------

日本の記者は「親ロシア派」と称するが、元々は地方議会と連携して発生したものである。
ルガンスク州の州議会幹部会は、住民投票の支持を表明していた。

その表明は、次のように書かれている。

「ウクライナでは現キエフ政権とその保護者たちが扇動した内戦が起こっている。
 数十人の人々が命を落とし、数百の家庭が喪に服し、
 数百万人の人々の心に憎悪が生まれたのは彼らの責任だ。
 ウクライナ国民の半分が、犯罪者やテロリストとみなされた。

 それは、彼らが考えるウクライナの未来と、
 キエフで政権に就いた政治家たちが考えるウクライナの未来が異なっているからだ。

 キエフ政権は彼らと対話するかわりに、数百万人の市民に対して、
 対テロではなく、まさにテロ作戦を展開した。

 これは欧州現代史における自国民に対する最初の軍事作戦であり、
 市民に対する公のテロだ




こうして、病院や教会、学校、家屋が独立を認めない政府軍によって爆撃された。
重要なのは、キエフはドネツク・ルガンスクのインフラを破壊し市民を殺害したが、
「親ロシア派」はキエフまで行って、同様の破壊行為は行っていないということである。


これはシリア全土を手中に収めようとするシリアの「反体制派」と大分違う。
彼らは単に、自分たちの経済と生活を守りたいだけで、ウクライナ全土をロシア化する意図はない。
(逆にマイダンで暴動を起こした連中は文字通りウクライナをアメリカ化させているわけだが。
 アメリカに亡命中のグルジア元大統領がなぜかウクライナの州知事に任命されたのはその好例だ)

こういうことは、ちょっと調べればすぐにわかることなのに、
その程度の努力も怠る記者が一丁前にウクライナ問題について語るのは如何なものか?

これに限らず、ウクライナしかり、シリアしかり、
いかに周囲の言葉を鵜呑みにしていたかがよくわかる本になっており、
本人は「そんなオレだが現地に飛んで生まれ変わった!」と強調したいようだが、
私に言わせれば「こんなのでも体力と話術があれば記者になれるんだな」とあきれた次第である。

橋下徹に最後まで転がされ、尻尾をふり続けた大阪の新聞とテレビ局
…退任会見の醜態をあらためて振り返る!



国内でもこのザマだ。
どうも駄目な記者ほど現地に行けば何かわかるという信仰を持っているような気がするが、
実際は、現地に行っても理解できない人間は山ほどいるのである。大阪のそれは好例だろう。

記者に必要なのは現場に行くことではなく、いかに柔軟な考えができるかということ。
正確に言えば、日本政府の公式見解に対して一度は疑うことができるかということだ。

ウクライナにせよ、シリアにせよ、日本政府と全く同じ歩調を取るようではいけないだろう。