時事解説「ディストピア」

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なぜ風前の灯に

2013-03-22 16:53:32 | 反共左翼
日本共産党は風前の灯だ!と反共左翼が言い張ってはや20年、
いつまで経っても消えそうで消えず、代わりに分裂・縮小して
とうとう2012年の選挙ではたったの5議席になってしまった社民党。

この点を全無視して話を続けている限り、
左派政権の誕生は無理なんじゃないかなーと思う。

で、なぜ1993年までは第1野党だったはずの社会党がここまで
落ちぶれたか(今の公明党より断然多い議席数だった)というと、
やっぱ右と妥協した結果だったんじゃないかなーと思う。

もともと、戦後まもなくから社会党は
中道右派と左派が混ざってできたような政党で、
憲法案にしても、主権は国家に在りと天皇制を
ぎりぎり引き継いだ形で民衆にも権利を付け足したという
妥協を重ねた内容だった。

その性質は、中立派に訴えて票を獲得するには良かったが、
その時の派閥の権力関係に応じて主張がブレるという愚挙も犯した。

で、1990年代前半は、ついに連立政権をとって与党に転じたのだが、
ここでも右派との妥協を連立政権の形で取ってしまったために、
沖縄基地問題で積極的な解決をすることができなかった。
他方で、村山談話など左翼にとっては画期的な功績も残した。

結果的に、あっちにフラフラ、こっちにフラフラしたために
両方から愛想を尽かされ、1996年の選挙では15議席と共産党の26議席を
下回ってしまった。1993年の時点では70議席、1990年は136議席あったのにだ。

ちなみに、共産党は1993年で15議席、1990年は16議席と今と似たり寄ったり
の雑魚政党だった。そんな話にならないレベルの弱小政党なのに1996年以降、
少なくとも議席の上では共産党が上回っている。


歴史的に見れば、ソ連崩壊で大敗北したのは
社民党のほうだったのである。


共産党は1986年の選挙では26議席、1990年で16議席あったから、
東欧の崩壊を通じて大幅に議席を減らしたと言えるだろう。
それでも1996年で再び26議席を取り戻したのだから御の字だ。


反共主義は、共産主義があってこそ輝く。
左翼だけど共産主義は嫌いという人のためにこの党は在った。
バッシングの対象を失ったために存在意義が消えたのだ。


これが村山政権への失望と同時にこの党が分裂崩壊した
根本的致命的な原因ではあるまいか?

中国や北朝鮮がまだいるから何とか消えずにいるが、
アジア地域で本当に民主化(という名の市場化)が進んだら
この党は本当に消えて亡くなってしまう気がする。

社会党をみると、他にも反共左翼の致命的な弱点があることを考えさせられる。
というのは、いざ実権を握っても、その時点で派閥抗争が始まり
思うように改革が進まないのだ。民主党もそうだった。

民主党は結局、鳩山・菅といった左派陣営を駆逐し
野田が率いた右派陣営の所有物に転じてしまった。

村山政権時も右派陣営との対立がもとで、
沖縄米軍基地問題を容認してしまった。

ついでに言えば、民主党政権の時も
基地問題で成果を挙げずに勝手に連立から脱退してしまった。

このような姿から無能政党に写った人間も少なくあるまい。
筆者はこの時を思い出すと、完全に社民党の発言権がないと
感じていた。亀井静香率いる国民新党が目立っており、
彼と民主党との相談の上で決まっていったような気がする。

結局、社民党はねじれ国会をふせぐための議席数としか
思われていなかったのではないだろうか?上手く利用されたように思う。

結局、右と左の垣根を越えてと言っても、
右が主流の現在日本では、右が納得できる範囲での
活動しか出来ないと私は思う。それが社会党の歴史を
振り返って感じることだ。

この党は60年代にも共産党と対立する新左翼を応援したために、
新左翼の暴力行為が顰蹙を買って以降、それが原因で大幅に
議席を減らした。イデオロギー云々でいえば、明らかに反共左翼
のほうが、愚挙を犯しているではないか。

共産党と社民党は政策自体は非常に似ている。
そうだからこそ、協力もできると思うのだが、社民党は
場合に応じて右にブレたために、結局、筋を通す党にはならなかった。

正確には通してはいるのだが、右が許せる範囲での通し方だった。
こういう弱点を直さない限り、いずれ民主党や加藤哲郎と同様の
右か左なのかよーわからん存在に陥ってしまうのではないか?
(まだ何とか大丈夫だとは思うが)


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