時事解説「ディストピア」

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メタヒストリーについての補足説明

2023-06-09 23:24:40 | ロシア・ウクライナ

 

反転攻勢とは何か①(ウクライナ言説におけるメタ・ヒストリー) - 時事解説「ディストピア」

反転攻勢とは何か①(ウクライナ言説におけるメタ・ヒストリー) - 時事解説「ディストピア」

(社説)巨大ダム決壊国際法無視は許されぬ:朝日新聞デジタル水煙を上げて渦巻く濁流、流されていく家――。目を疑う映像だ。ウクライナ南部の巨大ダムが決壊し、下流に大量...

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前回の記事で私はヘイドン・ホワイトの著作を念頭に置きながら
ウクライナ言説におけるメタ・ヒストリーについて語った。

その際、どうもメタ・ヒストリー概念についての説明が
雑であるように感じてしまい、改めて補足を試みようとした次第である。

 

①クロニクルとストーリー

 

ホワイトの説を理解するには、
まず彼が「クロニクル」と「ストーリー」を対置しながら
考察している点に気づく必要がある。

 

 

首相動静(6月9日):時事ドットコム

午前7時49分、公邸発。同51分、官邸着。 午前7時57分から同8時9分まで、外国人材の受け入れ・共生に関する関係閣僚会議。 午前8時15分から同27分まで、閣...

時事ドットコム

 

 

クロニクルというのは、出来事を
ただ機械的に記述したものである。

イメージとしては首相動静が最も近い。

こうした記述には起承転結がないのが特徴的で、
誰がどう書いても同じ文面になる。

もっとわかりやすく言えば、こういう文のことを言う。

 

qうぇrちゅいおp

 

これはキーボードのQからPまでを左から右に一列に打ったものだが、
時系列順に出来事を記述していくというのはこれに似たものがある。

そこに書く側の主観は介在できないが、
かわりに何かしらの意味を読み取ることは不可能である。

 

 

平家物語 - Wikipedia

 

 

では、ストーリーとは何か。それは起承転結があるものである。
平家物語は好例になるだろう。

「奢る平家が一時的な栄華をほこり、滅んでいく」
というプロットが仏教の無常観に即して琵琶法師が脚色していく。

平家が源氏と戦い、滅亡するという大まかな歴史さえ
あっていれば、あとは無常観というイデオロギーの具体例として
それぞれの法師が、その観念を説明するのに最適だと感じたエピソードを
好きに肉付けしていける。これが「物語」である。

 

分類学- Google 検索

 

ウラジーミル・プロップ - Wikipedia

 

 

②プロット、論証、イデオロギー、喩法

 

始まりがあり、結末がある。
ホワイトは人間が歴史の起点と終点を結びつける所作に
何かしらのパターンがあるのではないかと考えた。

 

いわゆるフォルマリズムという考え方である。

 

犬や馬を生物学的に分類していくように
童話や小説といった物語も分析、類型化することで
ストーリー・テリングの文法を発見していくというものなのだが、

要するに、物語はいくつかのパターンを組み合わせて
創作出来るという主義だと理解すれば良いと思う。

 

ホワイトは、クロニクルからストーリーに変わる際に
4つのプロット形式、4つの論証形式、4つの思想、4つの喩法を
組み合わせて歴史が語られると論じた。

 

このプロット、論証、思想、喩法の総体こそが
メタ・ヒストリーなのである。よって、私が前の記事で述べた
メタ・ヒストリーとは正確に言えば、メタヒストリーの一部ということになる。

 

 

「地獄どころの騒ぎじゃない」貧困のなか…橋の下に“薬物地獄”があった タリバン制圧1年のアフガンを緊急取材|TBS NEWS DIG

 

アフガニスタンを例に説明してみる。

 

ホワイトによれば、あらゆる歴史は
ロマンス劇・悲劇・喜劇・風刺劇のいずれかのプロットを取る。

 

それぞれの説明は長くなるので割愛するが、
いずれの劇も「結末が決まっている」という点では共通している。

この結末にむけて、予定調和的にエピソードが配列されるのを
念頭において、アフガン報道に目を向ければ

これはホワイトの言うところの「悲劇」を描いたものになる。

 

悪の秘密結社タリバンに正義のヨーロッパが負けた歴史として
叙述されるので、その筋書きに合わないエピソードは
はじめから挿入されないし、報道のされ方も「地獄」という
否定的な「比喩」をふんだんに使用したものになる。

 

 

 

他方、これをアメリカに反感を抱く現地民から
伝えると、これは悪の帝国アメリカから母国を守った喜劇になるので、
その映像(大きく言えば、これは「比喩」に相当する)も
喜びに満ちた人々の姿が大きく映りこむことになる。

言葉もまた「解放」「独立」といったものが選ばれ、
そこにはTBSが用いる「制圧」とは真逆の意味が与えられるわけだ。

 

 

当然、悲劇というプロットを借りた報道からは
多くのエピソードがこぼれ落ちることになり、

そこでは私達と同じ人間の心を持ったタリバンの姿は
完全に歴史上から消滅する。

代わりに在るのはフェミ団体に威嚇射撃する
悪の人権抑圧集団、獣(けだもの)と化したタリバンである。

「タリバンと一緒にお茶を」というタイトルの映像が作られることは
 決して無い。

 

(私は、しばしば須賀川TBS記者が現地のアフガン人、
 特にタリバンを人間として描こうとしないことを非難しているが、

 それはタリバン政権の否定的な部分だけを抽出して語る論法が
 結果としてタリバンの持つ人間性を無視することにつながっている
 からである。

 しかも、同記者の場合、タリバンの中で女性教育にも理解がある
 人間を穏健派と表現し、厳しく禁じようとする強硬派と対置して
 語る傾向がある。

 それは黒人奴隷を「良い黒人」と「悪い黒人」に分けて
 前者を称え後者をけなす奴隷主と何ら変わるものがない。

 エゴイズムに立脚した二元論なのである。)

 

Afghanistan, China, Pakistan urge release of overseas Afghan frozen assets

Afghanistan, China, Pakistan urge release of overseas Afghan frozen assets

No country has yet recognized the Taliban government and their rule over Afghanistan.

PressTV

 

 

アフガニスタンで貧困拡大も、国連支援は減額

アフガニスタンで貧困拡大も、国連支援は減額

世界銀行が年次報告の中で、アフガニスタンにおいて貧困が拡大しているとしました。

Pars Today

 

問題はタリバンの動物化に伴って、
市民の生きる権利すら蔑ろにされている点にある。

アメリカやEU諸国による制裁や支援打ち切りによって
アフガニスタンでは飢餓と貧困が拡大するばかりだ。

それらを正当化しているのは
タリバンによる「女性の迫害」である。

当然、飢餓や貧困の被害者の中にも女性はいるのだが、
これは須賀川記者を始めとした西洋人の目には映らない。

タリバンと同様か、それ以上に女性を迫害している
西洋人の姿は、彼ら自体が撮り手になることで、
映像から完璧にカモフラージュされている。

 

比喩とは2つ以上の対象の間に共通点を見つけ、
結びつける行為を指すが、

「人権抑圧」という言葉も大変抽象的なものであり、
 それはAとBとを結びつけるものだ。

 

これはホワイト的に言えば「提喩」に該当される。

 

本来、女性の迫害というものはどの国もやっているものだが、
人権抑圧という比喩を用いることで、その行為は
タリバンという一つの対象と強く結びつけられ、
その他の集団と切り離される。

こうした一つの結末にむけて誘導する叙述が
比喩の用い方のレベルからして存在しており、
その制約から抜けることは困難である。

ホワイトが論じていることは
概ねそういうものだと捉えておけば、
とりあえずはOKかと思われる。

(実際には、もっと深い話をしているし、
 だからこそ半世紀を経ても古典として評価されているのだが、
 深く踏み込んだ話をすると逆に混乱を招く可能性があるので
 興味がある方には翻訳書を購入し、読破することを勧めたい)

 

もちろん、こうした制約からは
いわゆる親ロシア的な人物からも抜けられることはないのだが、
先のアフガンの映像のように、西洋的視点が持つ植民地主義的側面を
暴くものも多く存在する。

制約を受けている事自体に問題があるのではなく、
何のために誰を描こうとしているのかを知ることが重要なのである。

次回、ベルゴロド州の攻防を事例に
反転攻勢なるものについて論じるつもりであるが、
もしかするとその前に「世界観」についての説明を加えるかもしれない。

メタ・ヒストリー同様、こちらの説明も不十分だったからである。

ただ、なんとなくのレベルで伝わっているような気もするので
論文でもあるまいし、省略して話を進めるかもしれない。

 

その辺はフォロワーの反応を見て考えることにする。


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