時事解説「ディストピア」

ロシア、イラン、中国等の海外ニュースサイトの記事を紹介します。国内政治、メディア批判の記事もあります。

ひでーな・・・その2

2013-03-20 23:30:07 | 反共左翼
次々と文章が書ける。
加藤哲郎、さらに調べてみれば、
なんと安田講堂事件のリーダーの一人だった。
http://www.wasedajuku.com/wasemaga/good-professor/2005/09/post_81.html

そりゃー共産党が嫌いになるわー。
とすると、この人は自分たちが起こしたあの有名な
暴力事件を美化してそのままにしようとしているのだろうか。

戦後70年たってもなお、あの戦争で
敵味方を問わず民間人を殺した日本兵の中には
自分たちを美化する輩が存在した。

加藤もその中の一人だろう。
大川周明の生まれ変わりのような人だと思う。
あるいは福沢諭吉。よく頑張ってるよこの人(皮肉)

ところで、はっきりと在野の歴史研究者って書かれていますね。
歴史に関してはモグリだと認めたかと思った。

こいつの姑息な部分は戦後歴史学を否定しないことで
リベラルの仮面を被ることで歴史学研究会に入っていること。

どこまでも姑息だと思う。

追記
https://docs.google.com/viewer?a=v&q=cache:jlQ7D9EnB30J:members.
jcom.home.ne.jp/katote/marxatom.pdfid(略

「日本マルクス主義はなぜ『原子力』にあこがれたのか」と命題打って
ちゃっかり自分たち全共闘世代(得に安田講堂事件の東大生)は責任から
外しているところが実に加藤らしい。

また、1955年の原子力基本法でハッキリと共産党のみが反対している点や
1961年の原子力に関する決議における原発反対の部分をスルーし、
共産主義国における防衛手段のための核保有は許されるという部分を
誇大解釈して罵倒する。とても学者とは言えない。

まず、現行の原発は断固反対し、またその活動をずっとしてきた
ことは言わずもがなである。吉井議員の著書を読めば一発でわかる。

しかも吉井氏は一貫して現原発に反対し2006年、2010年と
福島原発の問題性を指摘すらしていた。

加えて加藤が猛然と原発に抗議しだしたのも震災後で、
それまでは一応触れているよといった程度にすぎなかった。

(差が激しいので面白い)
http://members.jcom.home.ne.jp/katote/Living.html
原発や不平等や戦争の「脅威」を、見逃すわけにはいきません
と大口叩いているが、ここまででかい態度を取ったのも
震災の後。見逃すわけにいかんのなら
どうしてもっと前から思い切り訴えなかったの?
北朝鮮の人権うんぬんと同じぐらい大事じゃないの?

こういう部分を無視する加藤氏は歴史を語る資格がないと思う。

氏の汚い部分はこのような部分に限らず、新日和見事件を
はじめとしてろくに検証もせず、ただ一方の言い分を受け止め
日本共産党を悪魔の党であるかのように決め付けた。
無論、それはオーラルヒストリーとしてあるまじき行為で、
後に党の言い分が正しいことが判明した。
http://ja.wikipedia.org/wiki/
%E6%96%B0%E6%97%A5%E5%92%8C%E8%A6%8
B%E4%B8%BB%E7%BE%A9%E4%BA%8B%E4%BB%B6

なお、この訂正を認めた本について、
川上氏の転向について氏は何もコメントを寄せていない。
http://members.jcom.home.ne.jp/katote/Living22.html

加藤こそ都合の悪い事実を隠ぺいする卑怯者ではないか。

党は絶対悪とする見解は党を絶対正義とする見解と一致する。
しかも彼は当時共産党をゲバ棒でぶっ叩いたあの事件を
美化してすらいる。この点は釈明しつくせないのではないか?
http://matinofuruhonya.blog.fc2.com/blog-entry-83.html

結局、氏は共産党は暴力的であると信じたいのだ。
だから民主的に決議がとられても、
「いつもの満場一致=シャンシャン大会で新規約を採択するでしょうが」
と不満をたらさずにはいられない。

http://members.jcom.home.ne.jp/072286711/Living9.html

彼は悪人は成敗してかまわんという断罪主義の幻想に
未だ囚われている。その証拠にリビア内戦を美化して賞賛しているし、
村上春樹の頓珍漢演説を評価すらしている。

チュニジアのジャスミン革命に始まり、
エジプトの若者たちに受け継がれ民衆革命を達成した
ソーシャル・ネットワークの波は、リビアのカダフィ独裁を
崩壊寸前まで追い込み、バーレーンやイエメンでもデモは続いています。

権力が揺らぎ崩壊して、独裁者たちの莫大な蓄財や海外資産が
明らかになりました。中国や北朝鮮の政府は、そうした情報を封じ込め、
言論の自由を暴力で抑えるのに必死で、
「権力は腐敗する、絶対的権力は絶対的に腐敗する」という
ジョン・アクトンのテーゼを、自らの行動で実証しています。


この言い分がおかしいことは重信メイの
「アラブの春」の正体で明らかになっている。
リビアは革命でなく内戦だったのだ。

そもそもあのカダフィのボロボロにリンチされた顔を見て
民衆革命と賛美する加藤はまさに共産的じゃないか。

独裁者は倒してもよい。悪い奴は殺されても仕方ない。
これが加藤の理屈だ。だから、仮に奴がいま熱中している反原発も
地元の人たちの反対にあった時にそこで何もかも終わるだろう。

反対者に対する共感が全くもって欠落しているのだから。
そもそも、加藤哲郎の恐怖哲学は相手を絶対悪に仕立て上げ、
自らを正当化する古典的なテクニックを用いている。

だが、将来彼らが対峙するはずの大衆は現在、右傾化しているのだから
彼らと衝突した際に必ず齟齬をきたす。その時に運動は分裂するだろう。

加藤御贔屓の山口二郎が橋下に惨敗したときも、
大衆をなめ過ぎていたと思う。現実は性悪論で考えなくてはいかんのだ。

ダム一つ潰すか潰さないかで50年もかけているのに
どうして直接行動で何もかも決められようか。

加藤が完全に無視しているのは議会の役割である。
議会によって立法しない限り、何も変わらない。

世論が変化しない限り変わらない。
加藤たち自称反原発が何も有効打を打ち出せなかったのは
地方自治体を中心とした地道な闘争もせず、デモやビラといった
遊びのようなもので満足しているからだろう。

決定的に廃路へ持っていくには、どこかで与党になるべき
前衛党が生まれなければならない。政党の重要性を無視しているのだ。
(典型的な行動主義者だから)

法による法の解決。それこそが求められている。

ひでーな・・・その1

2013-03-20 23:15:13 | 反共左翼
加藤哲郎が紹介した全共闘の社会史とやらが非道すぎる。
http://members.jcom.home.ne.jp/nokato/data8.htm
http://members.jcom.home.ne.jp/072286711/Living21.html(ここで紹介された)

コメントするのも面倒だが、この文章、
新左翼に対しての反省が微塵も感じられない。

戦後学生運動のなかで日本の政治・社会運動に光彩を放った
「全共闘」とは何だったのか。

私の結論は、全共闘は、いわば、新左翼と同じではない、だからこそ左翼であった。
もっといえば、(新)左翼よりも左翼的だった。
私の立場はこれで言いつくされる、とおもえた。

新左翼と呼ばれるとき、その存在のイメージは、すぐ党派と結びつく上、
その勢力には、必ず、スターリン主義など旧左翼の母斑がついてまわる。

新左翼とよばれるからには、旧左翼(ソ連派・中共派)のビジョン、
革命論の根底的な見直しをしなければならないにもかかわらず、
それは不可避である。

戦後の新・旧左翼は、どの党派であろうと、
その例外は考えられないとおもう。

スターリン主義の母斑をつけた左翼はすべて、
1989年のベルリンの壁崩壊と91年のソ連邦崩壊とともに、
歴史の記憶の影にうちすてられた、といってよい。

全共闘はもちろん、社会主義革命をめざしたものではなかった。
そして、ノンセクト・セクトでもなかった。

だから、当然のことながら新左翼でもない。
とかく全共闘運動は、新左翼運動と重ねて論じられることが多いが、
新左翼というセクト集団とは、厳密な一線を画するべきである。

また、微細に辿っていくと、全共闘運動も一様ではない。
日大全共闘と東大その他のそれとは明らかに闘いの質がちがっている。


この時代に若者が起こしたテロリズムを全く無視し、
それは新左翼であり全共闘ではないと言い張るこの論旨。

自分たちだけは正しいと言い張るこの論調。
さすが1947年全共闘世代の加藤哲郎が推薦するだけのものはある。

ひどすぎるよ、これは!

自分たちは徳田派をはじめとした冒険主義者たちを
旧左翼の標準とするくせに、全共闘は違うと?ふざけちゃいけないよ!

そもそもこいつらは旧左翼=日本共産党は
スターリン主義というレッテルの貼り付けがまだ消えていない。

まだこいつらの病気は治っていないのだ。
こういう奴らが学問や文壇で権力を握って
やりたい放題するほうがよっぽど私は怖い。
これなら極右化したほうがまだマシだろう。

全共闘世代の分裂主義と連帯主義は
ひとえに言って責任から回避するためのものだった。

好きな時に好きなように群れる。それがこいつらだった。
私の先生は大学生の頃、キャンパスでゲバ棒で
若者を殴打する連中を目撃している。

これが幻滅の理由でなくてどうするのだ。
自分たち全共闘が行った責任はどこへ行ったのだ。

まったくもってひどすぎる。
そのくせ、プロレタリア文学をはじめとして
平和的方法で反戦、反権力に立ち向かった人々は
無視して戦前の共産党の横暴さを強調する。

いずれ、このようなデマは暴露されるだろう。

追記
その後、もう一度読んでみたが
東大安田講堂の部分の美談的文体は
はっきり言って作る会の仕業かと
思うほどだった。これを歴史学に多少とも
接した加藤はなぜ自分のHPに掲載することを
許したのだろう。

学者としてはあるまじき行為だ。
この男は岩波などまともな出版では
まともな論文を書き、そうではない出版社や雑誌では
罵詈雑言に満ちた文章を書く卑劣漢だ。

名誉教授になったのだから、とっととご退場願いたい。
新左翼の夢とともに。

反共左翼のサークル主義

2013-03-20 17:14:50 | 反共左翼
休日だから書きまくるぜ。

手をつないで地球を囲む子供たちの絵ってあるじゃないですか。
あれを見るたびにつなぐことを拒まれた子はどうするのかなと思います。

私はあーいう古い言葉でいえばセクト主義をサークル主義と呼んでます。
本人たちの中でしか満足されていない空しい一体感。たまりませんね。

さて、反共左翼の説明ですが、次の記事を読めばすぐにわかるはず。
http://blog.livedoor.jp/fujouri_jcp/archives/65661078.html

上の記事では、社民党が手のひら返しをして反原発に回ったことを
述べた赤旗の記事をほじくり返して非難してますけど、実に香ばしい。

たとえば次の文。

筆者としては、原発問題で社民党の過去の言動にいろいろと問題があったとしても、
現在は脱原発の立場を明確にしているのであれば、過去の問題を
ほじくりだすような批判はすべきではないと考えます。

今は、過去における立場の違いなどをわきにおいてでも、
脱原発・反原発で多くの国民が大同団結すべき時だからです。



この記事を書いた人、過去にわざわざ国立国会図書館に手続きをとってまでして
1961年に決議が取られた「原子力問題の決議」にケチをつけてんだけど・・・

それは許されるの?
今、原発ゼロだって言ってるからいいんじゃないのぉ?

この御仁、共産党を嘘つき呼ばわりしたいために
わざわざ一次史料を借りてきたらしい。せっかくなので引用しよう。

わが国のエネルギー経済、技術発展の現状においては、
危険をともなう原子力発電所を今ただちに設置しなければならない条件は存在しない。

われわれは東海村の原子力発電所の建設工事の中止を要求する。

原子力発電所の設置は、わが国の総合的なエネルギー計画の民主的な確立、
原子力研究の基礎、応用全体の一層の発展、安全性と危険補償にたいする
民主的な法的技術的措置の完了をまってから考慮されるべきである。


あれ?思いっきり反対してんじゃん。
というわけで、本当に反対していたのですね。

そして、日本のエネルギー計画の民主的な確率、
原子力研究の基礎、安全性(略)と、原子力の設置自体は
否定していないことは上の文からも明白です。

共産党は、クリーン技術の開発と安全管理体制の確立の
保証の後は認めるという姿勢で、これは彼らの弁証法的思考にも一致します。

だがしかし、これでは格好悪いのでブログ主は次のようにコメント。

ただし、 東海発電所に反対していた事実は、
最近の「赤旗」記事(石川迪夫・日本原子力技術協会最高顧問のインタビュー)
によって半ば打ち消されました。(以前の当ブログ記事で確認ずみ)


いや、なんで?
インタビュー載せただけで駄目なの?
http://blog.livedoor.jp/fujouri_jcp/archives/65641354.html

私はいまもなお原子力発電を続けるべきだという立場ですが、
事態収束へ専門的知見を結集するという点で、
異なる立場の人とも
協力をおしみません。


これって共産党と俺とは立場が違うって明言してるじゃないですか。
しかも事故の収束へ向けて専門家の知識を集めろということですよね。
何がいかんの?意味わからん。

原発の反対は推進者のインタビュー記事で相殺されるそうです。
意味わからん!(大事なことなので)

普通に読めば推進者ですら福島原発の事故収束に
協力しようとしているって読めないの?馬鹿なの?

彼の言いがかりは続きます。

対米従属のもとで原子力が軍事目的で利用されようとしていることの
危険性についてもかなりの行数を割いて指摘していました。
そしてたしかにそれらはほぼ妥当なものだと考えられます。


悲しいかな、読めば読むほど負けを認めざるを得なくなる反共左翼。
そこで、とっておきの次の文章。

原子力の軍事的利用には反対しているものの、
そもそも平和的利用は積極的に進める立場であるということです。
将来的には原発を進めていこうという立場が、かなり明瞭にかつ牧歌的にのべられています。


「決議」冒頭にはこうあります。

原子力の発見と解放によって、
人類は一グラムの物質から二百五十億キロワット時という
巨大なエネルギーをとりだせる可能性をえたばかりでなく、
工業、農業のあらゆる生産分野から医療その他の日常生活の領域にいたるまで、
画期的な展望を見いだし、自然にたいする人類の英知のかがやかしい勝利を示した。



「科学的社会主義の世界観」にもとづいた考え方だと思われます。
つまり、科学の「発展」を無条件に肯定する立場です。
今日から見れば、「自然への勝利」云々の思考自体が誤りです。


はい、こじつけ来たー。
平和的利用は前の部分でも明確に書かれていました。
そもそも、なぜ科学の発展を肯定してはいけないのでしょう。
また、どこから「無条件に」というフレーズが来たのか?
今まで散々、現状の危うさを指摘しているでしょうに。

原子力の問題は、すでにのべたような軍事的利用と平和的利用という
たがいに対立する深刻な二面性をもっている。

原子力についての敵の宣伝は、原子力がもつ人類の福祉のための無限の可能性が、
帝国主義と独占体の支配する資本主義社会においてそのまま自動的に
実現できるかのように主張している。

しかし、帝国主義と独占体の支配のもとでは、
軍事的利用が中心におかれ、それへの努力が陰に陽に追求され、
平和的利用は大きく制限される。

したがって軍事的利用を阻止し、平和利用、安全性をかちとる道は、
帝国主義と独占体の支配の政策に反対する統一戦線の発展と勝利にむすびついている。

原子力のもつ人類のあるゆる技術的可能性を十分に福祉に奉仕させることは
人民が主権をもつ新しい民主主義の社会、さらに社会主義、
共産主義の社会においてのみ可能である。

ソ連における原子力の平和利用はこのことを示している。



これは「決議」の最後のほうの結論部分で書かれているものです。

日本共産党の政権が実現した「新しい民主主義の社会」においては、
原子力を「十分に福祉に奉仕させる」、つまり原発をどんどんつくろう
ということが書いてあるわけです。

時代の制約をうけた認識だと言わざるをえません。
今日の福島原発の事故が示したように、軍事目的だろうが、
平和目的だろうが、原発自体が危険なのです。

どのような政権のもとでもつくってはいけなかったのが
原発だったのに、当時の日本共産党はそうは考えていなかったということが分かります。


ここも誇張と言わざるを得ないでしょう。
何度も冒頭の部分で書いているように今の原発開発は軍事利用から
派生しているからダメなんだと書いているのであって、
平和的利用=原発とは解釈することができません。

また、ここでの平和利用は「原子力発電所の設置は、
わが国の総合的なエネルギー計画の民主的な確立、
原子力研究の基礎、応用全体の一層の発展、安全性と危険補償にたいする
民主的な法的技術的措置の完了をまってから考慮されるべき」とあるように
政権後にすぐ原発を作るということには文脈上つながりません。
ちゃんと読んでるんでしょうか?

この人は平和目的=原発と勘違いして今の福島を語ってますけど、
決議に沿って言えば未だに対米従属である現日本の原発は、この61年当時の
原発と変わりないのです。その点を勘違いしている。

ただし、ソ連礼賛の文章は、この時点でなおソ連の影響力から
脱却できなかった証拠となるしょう。ソ連へのお追従を批判されても
この点は確かに批判されても仕方ない。とはいえ、この直後、反ソへ転じる
のですから、この後の共産党と同一視してはいかんでしょう。また、時代の
制約がかかっても、原発に反対したことは事実ですから何ら問題もない。

そろそろ飽きてきたので次でおしまいにします。

以上、「決議」全文を読んでみると、
たしかに党が東海発電所に反対していた事実は分かります。


しかし、その事実以上に、深刻な問題を含むものだということも分かりました。
むしろプラス・マイナスを差し引きすれば、問題のほうが多い「決議」です。


結局、事実を覆せなかったもんだからソ連を礼賛した点を理由に
全否定です。これは、過去の国際連盟やフランス人権宣言を否定するもので、
確かに問題ある個所もあるが、その後の運動を考えれば意味のあるものと解釈すべき。

この点は東京裁判の粟屋憲太郎先生と同じです。
というか、この決議への難癖って東京裁判史観なるものを勝手に
作って文句をつけてる極右とおんなじですよ。

勝者の裁き!だから間違い!この理屈と同じですね。
部分点を誇張して全否定するこのやり口は。

結局、素直に読めば時代の制約があっても一貫して反戦と平和、
そして原発の反対を行ったことはその後の行動で証明されているんです。

それを穿った視点で見るから、最初は昔から反対だったという事実を
覆したくて無理だったものだから、共産主義化したら作るぞと強引に解釈をし
牽強付会に推進派に仕立て上げようとしているんですよね。

そのくせ、社民党は許される罠。
反共左翼って意味がないのに共産党を悪者に仕立て上げようとして
矛盾した行動をとっているんですよね。本当。

このブログ、どうやって知ったかというと加藤哲郎の平和サイト(!)に
リンクで張ってたから。まーお勧めのサイトに石原の手下の猪瀬のHPを
載せちゃうからね。http://www.ff.iij4u.or.jp/~katote/imagine.html

このリンクの中に吉井先生への礼賛記事が書かれたブログも
あった。やっぱ加藤って意味わからん。ここのコメントを読めば
共産党がちゃんと頑張ってたってわかるんですが。

意図的に無視するわりに、このページをリンクしたり、
その一方で広瀬の嘘温暖化説の動画を載せたりと方向性が全くつかめません。

かといえば、世界の平和運動団体にリンクを張ったり、
その一方で国内ではあからさまな挑戦差別を行ったり、
朝鮮新報をリンクしながら、相変わらず「人工衛星ミサイル」と
あくまでもミサイルと表現して危機感をあおるし。

かと思えば、直接の敵はアメリカと韓国だから日本が極右化する
のはいやだとか何をしたいのか全然わかりません。

左右の垣根うんぬんなら共産党とつるむべきだし、
信用できんと言うならば、極右の櫻井よし子達と一緒に
人権宣言など語らないほうが良いです(恥を知るだけ)。

本当にこの人が何をしたいのかよくわからん。
どう見ても反共左翼にしか見えないんだけど。
日本共産党と対立する葦火を良心的と評価してるしね。

っていうか、ここまでぼろ糞に謂れのない非難を受けて
いうことを聞けっていうほうがおかしい。頭おかしい。

読み直して

2013-03-20 15:26:36 | 反共左翼
前々回の今西の記事を読んで思ったが、やはり執筆時の時点で
「共産党も誤りを認めることがあるのだな」と書く人が
冷静な論文を書けるのだろうか?

かつて、20世紀初頭には優生学という学問が流行したが、
今の反共史観も歴史の渦の中に呑まれていくのではないだろうか?

その証拠に、これまで反共史を書いてきたのは
みんな日本共産党に個人的な恨みを持った連中だけだったし、
第3者の位置に立つ歴史家が日本共産党の歴史を研究することもなかった。

その一方で、こいつらは治安維持法で虐殺された人々を研究しなかった。
台湾の蒋介石による虐殺や南アジアのアパルトヘイト、同国への日本の追従等の
資本主義国家の体制を問わずに全ては共産主義体制が悪いのだと吹聴してきた。

そして、国家論と組織論とを混同して見当違いの意見を言っている間に
右派と左派の垣根を越えた()社会党は勝手に自滅した。実にくだらない。

彼らに藤原彰先生や林史博先生、吉見義明先生のような画期的な研究はできないだろう。
慰安婦や集団自決のような画期的な研究は今もされないし今後もないだろう。

今西の、いまさらな研究(社会的にも価値が全然ない)を読むと、
一回島に遊びに行っただけで慰安婦はなかったとほざく秦郁彦を思い出す。

ポスト秦と名付けよう(でも定年退職したジジイなんだよね)

佐藤優現象=加藤哲郎、反共左翼のアイドル

2013-03-20 13:37:33 | 反共左翼
話す相手によって、態度をコロコロ変えて右派にも左派にも良い格好しーをする輩が
なぜかもてはやされることを佐藤優現象と呼ぶそうです。


確かに小林多喜二の蟹工船を葉山嘉樹のパクリとしか解釈できない人、
叔父の工場で働きながら中学を卒業した多喜二をブルジョア出と勘違いしている輩が
正確な知識をもっているかと言えばすごく疑わしいよなー。

そもそも、この人は鈴木宗男の肩棒を担いで豚箱に送られた人なのに
なんで、冤罪をかけられたかわいそうな人扱いされているのか。謎だ。

今の世の中、右派にも左派にも気に入られる論調の人が受けるってことなんでしょう、きっと。

さて、佐藤はある意味どうでもいいのですが、今回取り上げるのは一橋大名誉教授の加藤哲郎。
大の共産党嫌いで、共産党の行いは全て悪事だと信じて生きている可哀そうなお方です。

私がこの人を初めて知ったのは拉致問題を調べている時ですが、この時は
勝谷誠彦や日垣隆などというあの右翼のアイドル文庫、WAC文庫に本を書いているような
極右陣営とつるんで拉致被害者解決の広告を載せていたので右翼なんだろうなーと思っていました。

ところがどっこい、こいつは9条の会にも登録しているリベラル()だったのです。
あのさー、お前は北朝鮮の脅威を煽って軍事化を進めている連中とつるんでたじゃないかよー。
めっちゃ矛盾してるじゃねーか。

しかも、自由主義史観には反対だったので、正直ものすごく驚きました。
この男、過去に「北朝鮮民衆のための人権宣言」なんて言うのに参加してますが、
この宣言者のメンバーなんて極右ばっかです。

荒木和博(現代コリア研究所)
有田芳生(ジャーナリスト)
稲盛和夫(京セラ名誉会長)
金美齢
櫻井よしこ(ジャーナリスト)
佐藤勝巳(現代コリア研究所所長)
椎名素夫(参議院議員)
鄭大均(都立大教授)

中西輝政(京都大学教授)
西岡力(東京都基督教大学助教授)
萩原遼(ジャーナリスト)

特に中西輝政と西岡力、桜井よしこ、鄭大均なんて極右のドンじゃないですか。
文春、正論の常連の連中だぜ?正気かこいつ!?

この宣言が組まれた時は1999年、北朝鮮が人工衛星を打ち上げた時に、
ミサイルだとばか騒ぎした頃ですね(あれ?今と変わらない・・・・・・)

広告を載せたのが2001年ですから、少なくともこの2年間はつーかーの仲だったわけですか。
慰安婦なんてなかったんだー、強制連行なんてなかったんだーなんて言ってる連中と一緒に
なって、それで本気で歴史問題を解決できると思っているんでしょうか。

少なくとも共産党は歴史問題に戦後まもなくからマジに取り組んでるぜ?
赤旗でもニューヨーク州の慰安婦決議を特集してたしね。ユー、つるんじゃいなYO!

この先生、平和サイトと称してイマジンというサイトを運営していますが、
そこの反原発の重要文献に西尾幹二や村上春樹の文章を載せている・・・

まー、村上春樹はイスラエルもパレスチナもどっちもどっちって言う人だけど
まだ百歩譲って許せるぜ!http://kyouhanshinbun.hp2.jp/book-murakami-haruki2009palestine.htm

だけどよー!

作る会のボスのコメント載せていいわけ?

マジで?

それなら共産党の吉井議員のオフィシャルサイトを入れちゃおうYO!
ずっと反原発問題に取り組んできた人だぜ?

つい壊れてしまいましたが、この扱いの差は一体何なのでしょうか?

加藤とその一味によると、日本共産党はかつては原発推進だったから信用おけん
と言っていますが、あんたがたの大好きな社会党(社民党)もそうだったような・・・

しかも、1955年の原子力基本法に唯一反対したのは共産党なんですが……
1961年の原子力にかんする決議でも、はっきりと原発反対を要求しているのだが……

少なくとも88年以降はずっと反対していたし、福島原発事故の警告まで
していた吉井議員のことは全無視ですか?あーそうですか。

一方で、社民党がつい最近まで推進側だった事実には目をつぶる始末。
こんな連中のどこについていけばいいと良いのでしょう。

本人たちは永続民主主義革命とかほざいてますけど、
これってただの反共左翼だと私は思います。

反共左翼というのは、反共イデオロギーをもとに連帯している左翼で、
イデオロギーがイデオロギーなだけに場合によっては簡単に右翼とつるむ連中のこと。

私が作った言葉です。

実際、今の反原連なんて日の丸掲げた右翼と一緒にやってますしね。
ただ、こいつらは目的のためなら手段を選ばないが、共産党は絶対に排除する。
そういう態度が右翼につけこまれて言いなりになっているように見えます。

佐藤優は評論家だから別にどうでもいいけど、
加藤は仮にも権威のある大学教授ですよ(確かに仕事はしている)。

政治学者って…あー、まぁ原発起こした連中も一流の学者だったけど、
学者が権力側についてどうするんでしょうねーと私は思う。

反共左翼の問題点はいくらでも思いつくけれど、とりあえずここまで。