時事解説「ディストピア」

ロシア、イラン、中国等の海外ニュースサイトの記事を紹介します。国内政治、メディア批判の記事もあります。

いよいよ今度の日曜に選挙ですが

2013-07-17 21:25:50 | 日本政治
共産党、比例の候補者が5名しかいないって、謙虚じゃありませんかね?
みんなや維新なんて馬鹿みたいに数そろえているんですからもう少し多くても…
と思うのですが、比例の候補者って数決められているのだろうか・・・

調べた限りでは、そんなことないと思うのですが・・・
あー、そういえば、社民党は3名でしたね。これも少なすぎ。

斜陽と言えばそれまでですが、普段、共産党を悪の巣窟だと
断定している輩にはもっと社民党を応援してほしいものかなと。

それと、さっきのニュースでキューバが自軍の兵器を
北朝鮮にこっそり移送していたのがバレたようですね。

西側からみれば、これは忌々しきこと!という話ですが、
さも当然かのように年々軍事費を増している不戦の国Jや
あれこれ理屈をつけては南米・中東・アジアに干渉している
自由の国およびEUをみると、うーんと思ってしまう。

スペイン人民戦線・補足

2013-07-10 19:57:18 | 歴史全般
スペイン内戦中のスペイン政府は決して共産党の独壇場ではなく、
社会党をはじめとした各政党の連合国家だったと前回説明しました。

で、中央政府の意見を無視して集団化をはじめ、土地を没収し
あまつさえ生産力を落としてしまったアナキストの行為が
1937年5月に起きたアナキスト暴動へ対する厳しい弾圧の
背景にあったこと、単純にスターリンの走狗として
スペイン共産党を語るのは解釈としては不適であることも述べました。

今回の記事はその補足ですが、どうも不破氏は連載を始める前に
ウォルター・ラカーのスターリン本を読んでいたようです。

ウォルター・ラカーの略歴は本によりますと、
テロリズム、ユダヤ人問題などについて20作以上の著作を発表し、
高い評価を得ている現代史家

ワシントンDCの戦略・国際問題研究センター
国際リサーチ・カウンシルの共同議長を務める

だそうです。

ピンと来ないかもしれませんが、これは凄まじいことです。
というのも、この研究センターとは、アメリカの保守派が
取り仕切っているシンクタンクで、ネオコンの牙城、
事実上の対日謀略の司令塔とも評されています。

要するに、世界各国へ対するアメリカの
干渉政策のプランをここで作っているわけです。

http://blog.goo.ne.jp/yampr7/e/36ff9392cc63d3631b4ee93750c21d8d
http://ameblo.jp/souldenight/entry-11477967975.html

つい最近では安倍首相がここで演説を行ったり
ここのメンバーが極右の安倍首相を警戒する風潮を
たしなめたりと、ヤバ気な雰囲気が漂っております。

で、そのネオコンの牙城に所属するラカーがユダヤ人で、
テロリストの研究家で、ユダヤ人問題のスペシャリスト
となっていると、この男、断定はできませんが、普段は
イスラエルやパレスチナの問題に関与している…というより
もろイスラエル支援政策に協力しているのではないでしょうか。

この男はイラク戦争が始まる2002年に
『大量殺戮兵器を持った狂信者たち』という本を書き、
誰もが核・化学・生物兵器を持てる今、テロリズムの脅威が
飛躍的に拡大したと危機を煽りました。

その直後に生物兵器を持っているとの疑いをかけられた
イラクが攻撃を受け、イラクの指導者サダム・フセインが
殺されるわけです。当然、イラクは生物兵器を持っていませんでした。

目次からしてすごいのですが、テロリストの動機として
「マルクス・ムハンマド・アルマゲドン」を掲げています。

要するに、コミュニストやムスリムは危険極まりないという
ことです。ラテン・アメリカをはじめとする弱国へ対する
侵略プランを練っているところで働いている方が書く
テロリズム論、各軍事関係者に支持されるテロリズム論
というのは、おおよそ凄まじく体制的とは言えないでしょうか?

私はレーガン政権の外交に関与したリチャード・パイプス
など、アメリカのソ連研究家は多分に自国の侵略・干渉行為に
加担しているので、どうも限界があるように感じてなりません。

全否定はしませんが、多分にアメリカに都合のよい
解釈がされてはいないかと思います。特にソ連崩壊後には
エリツィン派(崩壊支持者)の研究者とアメリカの研究者が
つるんで、ソ連史のスタンダードを書いていたりするのですが、
そういう従米研究家が書いたスタンダードって本当に大丈夫かな
と思うのです。

というわけで、そういう連中の一人が書いたスターリン論って
マジで大丈夫かっていう話です。日本共産党はソ連とは違う
という点を強調して今日まで活動してきましたが、その独自路線
の弱点がここに現われているのではないかと思います。

不破哲三氏の「スターリン秘史」に物申す

2013-07-09 23:11:55 | 歴史全般
共産党の元指導者である不破哲三氏が現在、スターリンの他国への
干渉政策を雑誌「前衛」で連載していることは前々から知っていました。

http://www.jcp.or.jp/akahata/aik12/2012-12-24/2012122405_01_0.html

インタビューも既に読んでいましたし、今年で83歳ですから
もうこのような学術研究に没頭するようになったのかなといった程度で
特に気にしてはいなかったのですが、今日その連載を本屋で読み、
「ちょっとこれはな・・・」とその問題点が目につき、
本記事を書いた次第です。


まず、連載の長所ですが、読みようによっては
スターリンが物凄くリアリズムに行動しているということが
よく伝わってくるというところはとても良かったと思います。

実際、スターリンは東京裁判にしてもアメリカと対立するのを
避けるため、基本的に欧米列強の言い分に賛同せよと命じていたり、
英仏がヒトラーを利用してソ連を攻撃させようとした際に、
これを逆手にとって独ソ不可侵条約をとり欧米を出し抜いたりと
共産イデオロギーに縛られない柔軟な策を打ち出しました。

私はこの手法は政治家としては200点満点だったと思います。
状況に応じてベストの策を打ち出す。

彼がもしイギリスかフランスの外相だったら
今日までの数々の罵声を浴びることもなかったでしょう。

(これは、スターリン外交をこれでもかと罵倒しながら
 同時代の欧米列強の帝国主義政策に関して何にも言及しない、あるいは
 これらと関連付けてソ連外交を語ろうとしない論者にむけての皮肉です。)

とはいえ、これはあくまで「政治家」としての評価であり、
コミュニストとしてはどうなのかと言えば話は別で、
私はスターリンは共産主義者というよりは
むしろ国家主義者だったと考えています。

そもそも社会主義という言葉は、国家と社会を対置すること
から生じています。古くはトマス・ペインですが、まず人間は
集団生活を送るに至って社会というものを結成する。

しかる後に、治安を維持するために国家が生まれるのだが
この国家がいつのまにか生みの親である社会を蹂躙するようになる。
そこで、国家ではなく社会の益を重んじる社会主義が登場するわけです。

ですから、社会主義の反対語は国家主義であり、
いわゆる国家社会主義という言葉は矛盾した言葉と言えましょう。

国家主義者というのは国家(体制)を維持・発展させることが
最大の目的ですから、場合によっては弾圧や搾取も平然と
行ってしまう所があり、スターリンも天才的な手腕を持って
ソ連を防衛した一方で、その代償として防衛に邪魔になる
であろう国内の分子の殺害や急速な近代化を推し進め、ソ連を
大国化させていきました。その詳細は日本の無数の「知識人」が
執拗に説明をしているので、ここでは深く問いません。

ともあれ、スターリンをソ連の防衛・発展を
第一に考えていたとするならば、一連の行動も
納得がいくのではないかなと思っています。

この点については不破氏と私の考えはほぼ一致しているので、
特に何か言うことはないのですが、このスターリン秘史、
スターリンとコミンテルンとの繋がりを指摘する性質上、
やはりここだけは譲れんぞという批判点もあるのです。

それは、簡潔にいえば「大国史観」になっているということです。

これは冷戦史で物凄く幅を利かせている考え方なのですが、
とにかくある物事を資本主義(アメリカ)対共産主義(ソ連)の
争いという構図で説明したがるもので、当事者たちの積極性を
無視しているものです。

例えば、岸信介ですが、こいつはCIAと繋がりのあった
元A級戦犯でしたけれど、繋がりを理由にして岸を単なる
アメリカの駒としてしか描かない論者がいて、私はそのような
考えは、岸自身の野心と責任を透明化させてしまうと考えています。

蒋介石とか李承晩とか戦後間もなくアメリカをバックに独裁体制を
開いた国がありましたけれど、アメリカの走狗として描くことで
彼らが行った弾圧を逆に矮小化してしまうのではないかと思うのです。

そうですから、コミンテルンの歴史にしても、
当時の各国共産党の自主性と言いますか、ソ連の息がかかっていても、
したたかにそれを利用していたという点を無視してしまうと、
実像がぼやけてしまうのではないかと思うわけです。

で、私が今日読んだ7回目の連載ですけれど、ここでは
スペイン内戦に言及していたのですが、これを読む限りでは
スペイン共産党が単なるスターリンの人形になっていて、
実のところ同党が当時のソ連とは全く異なるシステムを
狙っていたという事実はきれいさっぱり忘れ去られています。

たとえば、農業制度です。内戦において無政府主義者や
その追従者たちは「農地の集団化」を望んでいましたが、
スペイン共産党はこれに反対して、農民個人に対する土地の割当を
主張しました。これはソ連型のコルホーズに真っ向から逆らう動きであり
仮に彼らがスターリンの命令実行部隊であるならば説明のつかないことです。

で、実際にカタロニアではこの無政府主義者の政策の結果、
農業生産が低下し、大多数の農民が農地を放棄しました。

また、工業政策においても同様で、無政府主義者たちは
100人以上の労働者を抱えている企業で労働者の集団化が
義務付けられました。これは国家ではなく労働組合が権力を
掌握することを狙ったものでしたが、結果的に工業生産が
ガタ落ちになりました。

これが後のカタロニアでの暴動につながっていくのですが、
こういった経路を抜きにして不破氏は話を進めているので、
1937年5月以降のカタロニアにおける無政府主義者との
戦いも、いわゆるスターリン「お得意の」「でっちあげ」の
「虐殺」「恐怖政治」といった言葉で説明されるわけです。

確かにカタロニアにおいてアナーキストと追従者に対する
徹底的な弾圧がなされたことは事実です(今のところ。
というのも、信じがたい話ですが、わりと本気で研究者も
含め、ソ連に少しでも有利な事実はもみ消す暗黙の掟が
論者の中にありますから。ソ連タブーと私は読んでいます)。

しかし、それは何もスターリンが命令したからというわけではなく、
その原因はすでに一年前から起きていたスペイン一地方における
アナキスト達の権威化と、当時の人民戦線政府の指導者である
社会党のラバリョ・カバリェロがコミュニスト抜きの政治を
行おうとしたこと等々の事実があったのが大きな原因です。

なぜこう考えなければならないかと言うと、スペイン共産党は
1937年5月以降、社会党やカトリック教徒と協力をしているからです。

仮にスターリン方式を採っていたとするならば、
これら社会党やカトリック教徒に対しても同様の攻撃を
行い、人民戦線と言いながら、その実共産党一党支配の
体制へと改造したはずです。ソ連の防衛に邪魔な存在は
すべからく排除するのがスターリンのやり方なのですから。

どうもスペイン内戦に顕著なのが、このカタロニアの暴動をもって、
共産党とアナキストとの虐殺する側・される側としての構図を引きたがる
傾向で、この場合には、スペイン共産党と協力していた集団が完全に
無視されるんですよね。で、仮に言及していたとしても、なるほど
形式的にはそうだな!だが実際は・・・という表現をもって
強引に共産党一党独裁を主張したがるわけです。

その暴動の鎮圧の手段もまた、不破氏に言わせれば
スターリン虐殺と同じ手法だったと書いてあるのですが、
参考文献が載っていませんし、何と言いますか、かなーり
怪しいな~と思います。

スターリンの手先→弾圧が起きた→スターリン虐殺と同じ
という安直な発想が生まれているんじゃないかなと思います。

そもそも、スターリンの粛清では、少しでも嫌疑をかけられた
人間は、すべからく捕まっているのですが、当時のカタロニアでは
そこまで大々的な弾圧もなかったわけで、これを
「恐怖政治」とまで表現してしまう不破氏の論調は、
スペイン共産党が当時、人民政府に貢献した点を
ごっそり削除してしまうのではないかと思うのです。

不破氏によればスターリンはコミュニストとアナキストの
対立を見て、いっそのこと、この機に潰したら?と
言ったようですが、それ自体は事実としても、
具体的な方法は彼が行った粛清のそれとは異なります。

スターリン粛清の際には、そのシナリオを知る人間を
最後に殺して事件を闇に葬るのですが、当時のスペインで
同じことをやったかというとそれは違う。スターリンの
主導のもとで弾圧を行ったのかは非常に疑わしいです。

さて、その後、スペイン革命はナチスとイタリアの援助と
それに対する欧米の黙認によって敗北するのですが、
この点も社会主義国の批判を前提にした各書によると、
スペイン共産党が全責任を負うことになるようです。

しかし、スペイン革命は第二次世界大戦の前哨戦とも
言える戦いで、イギリスやフランスなどの当時バリバリ
植民地を持ち、同地での搾取と弾圧を行っていた国々の
動きも関連付けて総合的に判断しなければ、世界史として
スペイン革命を描くのは大変難しいのではと思います。

加えて、その後もフランコによる独裁政権は彼の死後
1975年まで継続し、その間、スペイン共産党は非合法の政党として
独裁に抗っていきます。最終的に議会制や多党制を重視する政党と
なり、他の左翼政党と組んで統一左翼を結成し現在も選挙に挑んでいます。

この統一左翼という考えは間違いなくスペイン革命時の
人民戦線をモデルとしたものです。スペイン共産党を
スターリンの走狗以上の何物でもないとする歴史観は、
革命後の共産党の動きを全く無視した暴論とも言えるものです。

以上から、私は不破氏のスターリン秘史は、まぁスターリンの
対外政策を語るという性質上そうならざるを得ないだろうなーと
思いながらも、なお各国共産党を単なる支部としかみず、彼らの
独自性や積極性を無視した(あるいは歪曲した)という問題を
孕んでいると考えています。

不破氏もこんなもん書く暇があったら当時の欧米の病的とも
言える反共政策を書いてほしいもんですが、やっぱ立場上
無理なんでしょうか?私はチャーチルやローズベルトが
善人扱いされる風潮にはどうも納得がいかないのですけどね。

そもそも、こういう歴史観は彼の・・・というより
一方的に不破氏につっかかっている加藤哲郎のそれなんですが、
まぁ・・・さすがに80歳を超えると現場で出張らせてくれない
のかなぁ・・・志位さんや市田さんが連日のように日本中を
駆け巡って選挙活動をしている中、ずいぶんとまぁ・・・ねぇ?

私は現在、ロシアで強権的な政治を行っているプーチン派と
対決しており、ソ連崩壊直後からのエリツィンによる新自由主義や
チェチェン紛争への反対を行っていたのが旧ソ連共産党だという
事実から、単純にソ連共産党=悪とする歴史観には非常に疑わしい
ものを感じるのです。そろそろ行き過ぎた反共ヒステリーに対して
コミュニストとして何か言ってほしいのですが、やっぱ反共が国策
となっているこの日本では政治的に無理なのかも・・・

新左翼っていったい・・・

2013-07-08 22:22:20 | 反共左翼
チリの詩人パブロ・ネルーダが書いた『2000年』という詩をご存知でしょうか?

この詩は2000年の近未来を舞台にしたものですが、
この中では、元は左翼だったけれど、今では資本家として
弱国を搾取してたんまり儲けている卑怯者のことが描かれています。


ネルーダがこの詩を書いたのは1960年代末でしたが、
どうも2013年の今、ネルーダの不安は的中しているようです。

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本書はドキュメンタリー・タッチで描き、「ロシア革命の真相」をあぶり出してゆく。
手段であったはずの「革命」と「権力奪取」が自己目的化した姿は、
日本における著者自身が関わった学生運動、ひいては
1970年代のセクト間の内ゲバを彷彿とさせる。
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上の文は、経済学者の高本茂が書いた『忘れられた革命』の紹介文ですが、
彼は1947年生まれのいわゆる全共闘世代、つまり新左翼と自称し、
既存の共産主義者を旧左翼と罵倒し、暴力主義に走った連中の一人です。

紹介文にも学生運動に関わったって書いてあるでしょう?

この年代の人たちの中には、転向……と言いますか、当時あれだけ自分は
スターリン主義者の共産党とは違うんだと大口を叩いておきながら、
いざ失敗したとたんに「俺たちは……悪しき思想に染まっていたんだ……」
と失敗の原因を共産主義そのものに求め、自分たちに問題が
まるでなかったかのように片付けようとする無責任な連中が結構な数でいます。

高木氏もその中の一人らしく、なんでも経歴を見たら
郵政省電機・通信産業審議会の「専門委員」だったらしいです。
ようするに、御用学者ですよね。よーやるわー。

で、その高木が御親切にもロシア革命そのものに初めから
問題があったんだーと真実を教えてくれるのが本書らしいです()

ロシア革命については聴濤弘氏の『レーニンの再検証』でも
読んでくれれば、世間の偏執的なソ連バッシングが如何に
間違っているかが十二分に理解できると思いますので、
こんな本を読む暇があるなら同書の購読を推薦します。


それにしても、この手の輩ってどうしてソ連や中国を中心に考えるんでしょうね?
どちらかというと、共産主義というのはアフリカや東南アジア、
中南米などの途上国でパワーを持っている考え方です。

実際、今もっとも左翼が頑張っているのはこれらの国々の人間です。

ですから、共産主義は衰えているどころか、
先進国が搾取をやめない限り、死ぬことなく存在し続けるわけです。

我々が共産主義が終わったつもりになっているのは、
単に大国中心(冷戦中心)に歴史を考えているからに他なりません。

こんな本をド素人が描く暇があったら、少しでも南米や
アフリカにおける欧米勢力の搾取っぷりを書いてほしいんですが、
定年退職後の趣味で売り出した奴なんでしょうね…無理そうです。

浅間山荘でつかまった犯人といい、こいつといい、
どうして全共闘って自分とボリシェビキとを同類にしたがるんでしょうか。
昔は、まさにこのボリシェビキと違うことを強調して得意がっていたのに。

で、反共左翼にありがちですけれど、やっぱりロシア革命
そのものを全否定するのはおかしいと言いながら、思いっきり
全否定する内容を書いてしまう(左翼を自称しながら
極右と大差ない言動に走る)んですよね。

こいつらの主張に従えば、搾取される民衆はそのまま黙って死ね
という話になる
んですが、反共左翼に限らず今の日本のほとんどの
知識人は大差ないレベルで、表では反対しながら裏ではゴーサインを
送っている信じられないモラルの人間がうじゃうじゃいます。

ネルーダの詩では、現状がどうであっても希望を持って生きていくことを
訴えていますが、老いて安定した収入と地位を得た文化人がどれだけ
若いころの反抗精神を保っていくかというのを、
さらに厳しく言えば戦後日本の文化人が行った過ちを
考えなくてはいけない時期が来ている
と思います。

新版・「位置づけ国家と革命」 その3

2013-07-05 19:42:04 | 反共左翼
前回、K・M氏の『国家と革命』論の致命的な問題点・・・というよりも
意図的なレーニン国家論の改ざんを暴露したが、
いま、改めて同氏の主張を読むと、言いがかりとしか思えない箇所が
散見して、レーニンどころかマルクスすら読んでいないんじゃと思う。


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1989年~91年、東欧・ソ連10カ国とその前衛党がいっせい崩壊した。

14カ国中、残存するするのは、
中国共産党・ベトナム共産党・キューバ共産党・朝鮮労働党の4つだけになった。

21世紀の20XX年において、残存する4つのレーニン型暴力依存・一党独裁・党治国家がすべて崩壊した暁には、
レーニンの『国家と革命』はユートピア小説のジャンルの中にも正当に位置づけられよう。


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わざわざ赤字でレーニン型暴力依存・一党独裁・統治国家と書いてあるが、
いくらなんでも、キューバとソ連を同一視するのは乱暴すぎるだろう。

キューバは、何だかんだで革命前の比較にならないほどの
社会福祉を実現し、またここは軍事政権も核ミサイルも存在しない。

同じく、ベトナムも第二次世界大戦後、30年かけてようやく
自国の主権を回復させた国であり、ここではスターリンが行った
大粛清のような現象は起きていない。内戦も生じてはいない。

また、ソ連や中国と異なり典型的な多民族国家というわけでもない。

北朝鮮もソ連と同一かといえば、今まで大々的な国民虐殺も
内戦も起こしていない。冷戦時代のいずれの戦争にも参加はしていない。


立憲君主制のイギリスと民主主義制のアメリカが
同じ資本主義国家であることを理由に全く同じだとは言えないように、
歩んだ歴史も政治体制も異なる社会主義諸国家を全て同じだとは言えるわけがない。


一党独裁=悪であるかのように語っているが、なら多党制が正しいかと
いえば、アメリカやイギリス、フランス、ドイツ、日本など先進諸国が
先進国陣営の利害に基づいて途上国を駆逐している現状を見る限り
とてもそうだとも思えない。

要するに、M氏は暴力依存だとか独裁だといった物騒な言葉をもってしか
批判(というより全否定)ができないのである。70半ばの老害の悲しき性だ。

しかし、これは何もM氏に限った話ではなく、ほとんどの共産主義論が
この手の論法(ソ連や中国は地獄!アメリカや日本は・・知らん!)
で語られている。彼らのほとんどは、実のところ程度の甚だしさは
資本主義国のほうが大きい(資本主義国は自国の暴力を締め出して
途上国へ輸出する)という事実を隠ぺいして話を進めているのだ。

結果的に、これは日米をはじめとした侵略国家の片棒を担ぐことになり、
当然の帰結だが、日本においては急速な右傾化が進んだ。

自分たちで右傾化に拍車をかけたくせに、慰安婦や沖縄問題に対しての
世間の態度に対して「けしからん!」と顔をしからめてほざく。

この手の権力者に対して拒否のポーズを部分的にとりながら
その実、裏側では自ら首輪をはめてしっぽを振っている犬ジジイどもが
本当に腹が立って仕方がない。とっとと鬼籍に入ってもらいたいものである。

追記・
このK・M氏、これでもリベラルを自称している。
極右の文章として紹介しても違和感を感じないのだが(汗)

新版・「位置づけ国家と革命」 その2

2013-07-01 20:18:03 | 反共左翼
まず、こちらの文章をお読みください。


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レーニンは、それらのロシア文学にたいし、『国家と革命』において、
少数派の職業革命家指導の下で国家権力という暴力装置を暴力革命で奪取し
旧国家機構を粉砕し、議会制度を廃止し少数者による暴力的独裁=プロレタリアート独裁で
権力を維持し、しかるのちに国家を死滅させることができるという、
高度に理論的装いをこらした革命ユートピア小説を執筆した。
ttp://www2s.biglobe.ne.jp/~mike/lenin2.htm
-----------------------------------------------------------------------------------


上の文章はウィキペディアの『国家と革命』の解説の参考サイトとして
紹介されているのですが、これほどまで同書の内容を無視したものはないでしょう。

突っ込み所が多すぎて困るのですが、一応列挙すると

①少数派の職業革命家指導の下で
 ↓
 『国家と革命』には書かれていない記述
  レーニンは逆に少数者(抑圧者)を多数者(被抑圧者)に従わせるという
  意味での民主主義を本書で主張している。

②国家権力という暴力装置を暴力革命で奪取し
 ↓
 正確には、『国家』という「階級支配の機関」を武力革命で廃絶し
 です。レーニンによれば国家とは支配階級が被支配階級を抑圧するための手段として
 国家を用いているという説明になっていますから、国家=権力です。国家権力ではない。

 また、レーニンは官僚制度などの国家の非暴力的側面も批判をしているので、
 暴力装置という表現も正しくありません。

 奪取という言葉も、やや不適切な表現です。
 この表現だけでは、国家を少数者の支配機関から
 多数者の少数者へ対する支配機関へ転化させるというレーニンの主張が表れません。

③少数者による暴力的独裁=プロレタリアート独裁で権力を維持し、
 ↓
 多数者による民主主義的独裁です。
 民主主義と独裁がイコールで結ばれることに違和感を覚えると思いますが、
 そもそも、レーニンは一時的に民衆に特権を与えることを想定して
 この言葉を用いており、正確には執権、あるいは大権とでも訳すべきものです。

④しかるのちに国家を死滅させることができる
 ↓
 「国家の廃絶ができる」の間違いです。
  ちなみに「国家の廃絶」とは、元来は被支配者を抑圧するための機関である国家が
  民主主義の徹底により、被支配者が支配者を監視・制限することによって、
  その性格が変化するという意味です。


このように、ざっと見ただけでも間違いだらけの説明ですが、
もっとも珍妙な説明が「高度に理論的装いをこらした革命ユートピア小説」という部分です。

レーニンの文章が「高度」かどうかは読者の頭脳によりますが、
レーニンは決して革命を行えばユートピアが訪れるといった楽観論を
唱えたわけではありません。むしろ、そのような政府さえ転覆させれば良いという
無政府主義に対して徹底批判したのが『国家と革命』です。


レーニンが再三、熱弁をふるっているのが「民主主義の徹底」であり、
そのことでよってしか、コミューン型社会には到達できないということです。

すなわち、官吏に対しての普通選挙・リコール、労働者並みの俸給、
全員の行政への参加、官僚の撤廃、軍隊の解散と人民の武装化です。

このことは空想ではなく実現可能であり、また実現させなければならない、
そしてコミューン型社会が実現したその時には、民衆による自治が完成し、
国家は元来の意味での支配的性質が消滅し、死滅すると述べているのです。


ですから、レーニンの主張が空想=ユートピアだと言うのならば、
民主主義が完全実現した社会が地獄に他ならないと主張することになります。

つまり、民主主義そのものの否定でしかレーニン国家論の否定はできないわけで、
当然、批判者は民主主義そのものへ対するラディカルな意見をよせてくるはずです。

ところが、『国家と革命』批判の論者は、なぜか
民主主義の完全実現⇒理想社会の実現
革命を起こす⇒理想社会の実現と曲解して話をしているのです。



上の引用文では、『国家と革命』の最大の論点である
民主主義の徹底を無視した評価であり、革命ユートピアという
誰も主張していないことをあたかもレーニンが書いたかのように話しています。

ここで、引用文の続きをご覧ください。

-------------------------------------------------------------------------
暴力依存型権力の管理・官僚制へのレーニン的オプティミズムは
20世紀最大の誤解といわれるほど、その後の社会主義国家の官僚制増殖に無力だった。

国家死滅どころか、どのように『奪われた権力』になっていったのかは、
ダンコースが分析している。

『国家と革命』全文を読めば、
そのユートピア性とレーニン的オプティミズムがよく分かる。

この全文をHPに掲載したTAMO2に敬意を表する。
-------------------------------------------------------------------------


ここでは、論者の曲解はますます暴走し、
民主主義に期待し、官僚制の撤廃を狙ったレーニンの国家論は
「暴力依存型の管理・官僚制へのレーニン的オプティミズム」という、
まったく別の内容にすり替えられています。

「国家と革命全文を読めば~」と書いていますが、論者が『国家と革命』を
 読んでいないか、あるいは意図的に歪曲していることは明らか
です。

 確かにレーニンはコミューン型社会を理想郷として描いていますが、
 革命後の社会は、このコミューン型社会への過渡期としています。

 しかも、革命後において民主主義を徹底「させなければいけない」と
 語っているのであり、決して革命万能論を唱えたわけではありません

『国家と革命』は全面的に民主主義を信頼した論調であり、
 これは民衆の武装化に大きく表れているところです。

 すなわち、支配者の武装解除と、被支配者の武装化をもって
 権力者の弾圧に対抗するための力が現れると考えており、
 仮にユートピア的だとすれば、この民衆の武装化への楽観的な態度こそ
 指摘する箇所でしょう。ところが、批判者はこの点を無視しているわけです。 



以上をもって結論付ければ、
ウィキペディアの参考サイトとして載っているページに書かれていた論調こそ、
無知と無理解によって構築されたレーニン国家論の改ざんに他ならない
と言えるでしょう。

しかも、論者は『国家と革命』を読んだことがあるのだそうですから、
わざと出鱈目を書き、読者を騙すという卑劣な詐欺行為と言えましょう。

この悪質な詐欺師どもは慰安婦を否定する極右に通じたものがあります。

実際、『国家と革命』批判論者の一人、加藤哲郎は慰安婦否定論者の桜井よし子らと
一緒に、北朝鮮の「人権侵害」を訴えていますし、本質は同じなのではないでしょうか?


こういった連中が大声で騒ぎたてているのが現代日本での『国家と革命』批判です。

私たちは、このような連中と同じになって保守派の犬となり、
コミューン主義の洗浄を行うべきではありません。

私たちが本当にすべきことは、『国家と革命』の歴史的地理的制限、
すなわち1910年代のロシアの状況に沿った国家論だという前提のもと、
現代の政治批判に役立つように、意義ある個所を選び抜き、
更に昇華させることにほかなりません。

そのためには、まず先入観を抜きにして、
『国家と革命』そのものを読んでみることが必要でしょう。

ペテン師たちは、なるべく本書を読ませまいとしているのが現状です。
彼らの意に逆らうことこそ、支配者へ対する抵抗の第一歩となると思います。