時事解説「ディストピア」

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永続民主主義革命・リビアを例に

2013-03-24 20:06:47 | リビア・ウクライナ・南米・中東
加藤批判の際にリビアを例に挙げた。
メディアは伝えようとしていないが、
カダフィが治めていた時代のリビアは、
医療費・教育費・電気代・水道代は全部タダだった。

おまけに家や車のローンも半額払ってくれるという
やたら気前のよい国家だったのである。

これは石油が採れるお金持ちの国だったということ、
元々イスラム教には富を分け合い助け合おうという
考えがあり、社会主義が浸透しやすかったことが挙げられる。

リビアは世界有数のリッチな社会主義国だったのである。

政治制度に「国会」はなかったが、代わりに
直接民主主義を行っていた。この点はキューバに通じる。
(キューバには議会も存在するけど。そして貧乏国家だけど)

もちろん、政治腐敗もあったし、カダフィ個人にも問題があった。
だとしても皆さんが想像するような独裁国家ではなかった。

加えてリビアは多民族国家であり、それぞれが自分の自治を
要求していつ分裂してもおかしくない状態だった。
こういう中で長年統一国家を展開したのがカダフィだったのである。

要するに、あの時のリビアは革命なんかじゃなくて
内戦のはじまりであって、現在も各部族が自治政府を
作ったり、独立を宣言したり、それぞれが武器を所有したり
といつ虐殺が始まってもおかしくない緊張状態である。

さて、こういった事情なのだが、この件に関して
同じく独裁国家の社会主義政権の指導者だったカストロ元議長は
次のようなコメントを述べた。

★「遺体をさらしものにした」 カストロ・キューバ前議長が批判

キューバのフィデル・カストロ前国家評議会議長は
政府系サイトに掲載された24日付のコラムで、
リビアのカダフィ大佐の死亡に関連し、同国で軍事作戦を展開した
北大西洋条約機構(NATO)を「野蛮な軍事同盟」と呼び、
「人類がこれまで経験したことがないほどの弾圧の手先に成り果てた」と激しく非難した。

特に大佐の遺体の扱いについて
「(NATOの支援を受けた反カダフィ派が)戦利品のように
さらしものにし、イスラム教や他の宗教の最も基本的な教えを冒涜した
」と批判した。

キューバは反米の立場からカダフィ政権とつながりが深かった。
9月には反カダフィ派「国民評議会」を政権として認めないと表明、
外交団をリビアから出国させた。



悪の親玉であるはずのカストロが
「死体を冒とくしたあげくさらすなんて」と非難したのである。


で、一方でトロツキーの永続革命論を模して
「永続民主主義革命」を提唱している加藤哲郎のコメント。

チュニジアのジャスミン革命に始まり、エジプトの若者たちに受け継がれ
民衆革命を達成したソーシャル・ネットワークの波は、
リビアのカダフィ独裁を崩壊寸前まで追い込み

バーレーンやイエメンでもデモは続いています。

権力が揺らぎ崩壊して、独裁者たちの莫大な蓄財や海外資産が明らかになりました。
中国や北朝鮮の政府は、そうした情報を封じ込め、言論の自由を
暴力で抑えるのに必死で、
「権力は腐敗する、絶対的権力は絶対的に腐敗する」という
ジョン・アクトンのテーゼを、自らの行動で実証しています。


内戦を民衆革命と美化する加藤哲郎、
東大安田講堂事件の中心人物だった加藤哲郎は、
一連の暴力を民衆革命と称賛しているのである。

ついでに言うと、エジプトの場合は、働いても
暮らしが楽にならないという貧困が原因となっていたし、
ムバラクは倒されたが軍事政権自体は変化がない。

加藤は本当に実情を調べた上で情報を発信しているのか?
仮にも彼は一橋大学の名誉教授、それも政治学者である。

どうしてこんなに分析が甘いのかと驚いてしまう。

結局、加藤は政府=悪、民衆=善というとらえ方で
物事を見てはいないだろうか?

そのせいで、物事の背景にある複雑な事情を無視していないか?

同時に、自由ばかり強調して福祉については語ろうとすらしない。
加藤は原発史でも意図的に共産党を敵対者に位置付けた男なので、
ひょっとしてリビアも社会主義政権=悪として片付けようとはしてないか?

実のところ、かつての共産主義国家である東欧においても、
完全雇用と富の分配、無償の福祉サービスなどが実施されており、
言論をはじめとした政治体制へ対する批判の「自由」こそ制限されたが、
少なくとも今の日本のように失業者に厳しい国ではなかったのである。

東欧は崩壊後、まさに経済がズタズタになり貧困と犯罪が激増した。
そういうわけなので、政権末期には8万人の国民を虐殺し、
最期は銃殺されたチャウシスク政権時のルーマニアですら、
最近は国民の44%が共産主義体制のほうが良かったと述懐している有様だ。

その影は2013年の今もひきずっているが、日本では基本的に黙視されている。

これは、共産主義が正しいのだという話ではなくて、
要するに「民主化」や「自由」を絶対視する思想は、
「資本主義」や「ブルジョア」を絶対悪とする単純な共産主義と
たいして変わらないばかりか、ある意味それ以上にひどいと言いたいのだ。

共産主義国家ではすべての責任を党や指導者に求められる。

だが、我々民主主義国家では責任というものが分散するように
できているので、誰に責任があるのかいまいちわかりづらい。
そのせいで、特定の人間や団体がスケープ・ゴートにされたり、
あるいは責任を負うべき人間がまんまと逃れていたりする。

こういう民主主義(正確にはヨーロッパ式の民主主義)のやばい部分は
無視されて、民主化や自由こそ至上の価値であり、これを他国に
押し付け、結果的に国がボロボロになろうとも知らんふりを決め込もうと
するのであれば、そんなものは永続民主主義革命などではない。

そもそも、加藤は永続民主主義革命などと言ってはいるが、
理論化しているわけではない。具体的な理論も未来社会へのビジョンも
ない社会運動、右派も左派も一緒になって行う運動が本当に社会を
革新させるのだろうかと筆者は疑わずにはいられないのである。

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