時事解説「ディストピア」

ロシア、イラン、中国等の海外ニュースサイトの記事を紹介します。国内政治、メディア批判の記事もあります。

清末愛砂氏とオリエンタリズム(植民地主義とジェンダー)

2022-06-24 22:18:36 | 国際政治

2021年8月15日、20年に及んだ
アメリカの支配からアフガニスタンは解放された。

そもそも
アフガンを統治していたのはタリバンなのに、
彼らを「反政府組織」と呼んでしまう。

そういう侵攻国であるアメリカを善とみなす
報道スタイルに私は辟易していたが、

日本メディアは早速、解放直後から
急に思い出したかのごとく
女性の「人権」問題について語りだした。

 



一夫多妻制の容認など、とかく
イスラム教は西洋的家族モデルと
相容れない面がある。

そのため、オリエント世界はしばしば、
ジェンダーを理由にヨーロッパ世界と差異化され、
前者を東洋(野蛮・独裁)、
後者を西洋(文明・民主)として表現されてきた。

 

その目的は植民地支配の正当化である。

 

植民地主義(コロニアリズム)というものを
端的に説明すると以下のようになる。


①植民地支配には
 良い植民地支配と悪い植民地支配がある

②現地の住民を虐げる圧政は悪い植民地支配であり、
 これは断じて受け入れることは出来ない。

③だが、独裁的な政府によって民衆が弾圧されているならば
 政権を打倒し、傀儡政権を樹立し、権利を保障すること、
 すなわち「民主化」を目的とした支配は悪ではない。

④むしろ「民主化」のための支配は「保護」であり、
 国際秩序の維持のためにも必要だ。

⑤よって、野蛮国を正しい方向へと導いていくことは、
 文明国の義務であり、使命である。

 

つまり、政治的(議会制民主主義の導入)
経済的(自由経済の導入)文化的(キリスト教的モラル)
改造を原理主義的に妄執・追求するものであり、

その主体は近代ヨーロッパ人を想定している。
(オリエントの住人はあくまで客体)


その行為を正当化させるために
ジェンダーが悪用されてきた歴史があるのだが、
問題は、その歴史が現在でも進行中であるということだ。

 

さて、先日、アフガニスタン研究および報道で
名を馳せてきた清末愛砂氏、須賀川拓氏両名は
アフガンで起きた地震災害について
悲しみを込めたようなポエムを書き綴った。

これに対して私は
「地震は天災だが、制裁は人災、もっと触れるべきことが
 あるはず」という意味を込めた引用リツイートをしたのだが
経済制裁およびアメリカの戦争犯罪に対して
両名が無反応と呼んでも良い姿勢を取っていると指摘したのが
許容できなかったらしく、Twitter上で抗議を受けた。

よって、本記事では
2022年3月はアフガン現代史にとって
どのような位置づけが出来るのかを検討しながら
この時期の両名のリアクションについて言及したいと思う。

https://www.presstv.co.uk/Detail/2022/02/11/676648/Taliban-Afghanistan-frozen-assets-US-banks

 

まず、前史を紹介すると、
去年の秋頃からすでにアフガニスタンでは
世界銀行やIMF、アメリカ等の欧米諸国により制裁を受け、
深刻な経済危機に陥っていた。

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ガーディアン紙は昨年8月の米英軍のアフガニスタン撤退に触れ、

敵に利用可能な資源を残さない焦土作戦が、世界でもっとも貧しい国のひとつである

アフガニスタンに最大限の経済圧力を加えることを目的としてアメリカにより

立案されたと報じました。

同紙は続けて、この作戦における米政府の手段には、

米ニューヨークにあるアフガニスタン資産の凍結や

世界銀行のアフガン復興基金の支払い阻止などがあるとしています。

2020年にアフガニスタンのGDPのおよそ半分を占めていた

海外からの支援停止が悲劇的な結果をもたらすことは当時から明らかでした。

ガーディアン紙は、

アフガン国内企業は平均して従業員のおよそ6割を解雇し、

食料品価格は4割上昇しており、

国民の半数は人道支援を必要としている状況で、

貧困率は9割にのぼると記しています。

https://parstoday.com/ja/news/asia-i93018

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この状況に対して
国内外から猛烈な批判が連日のように
展開されたのが2022年3月という時期だったのである。

筆者が知る限りでは
まず3月4日にタリバン政権は制裁緩和を要求し、

 

3月8日にはカルザイ元大統領が
アメリカの制裁を非難、
アフガン人の金を返すよう要求した。

 

3月15日には、国連が
350万人のアフガンの子供たちが
栄養支援を必要としていると表明した。

 

その声明の中には
食料がなく乳児に栄養を与えることが
出来ないと嘆く母親たちの言葉も紹介されていた。

 

 

 

 

ウイグル族への迫害の証拠が見つからなかったと述べたばかりに
辞任に追い込まれたミシェル・バチェレ国連人権高等弁務官は

3月13日の時点で
「制裁が解除されなければ、悲劇的な結末として
 多くのアフガン市民が命を落とすことになる」
と警告した。

このように3月初旬〜中旬は
タリバンだけでなく国連も巻き込んだ制裁に対する抗議と
今後も続くであろうカタストロフについて警鐘が鳴らされていたのである。

では、問題の清末氏は
この時、Twitterで何を叫んでいたのだろうか。

 

 

自分への誕生日プレゼントとして
ニジマス定食を思う存分、平らげたと報告していたのである。

350万人のアフガン児童が食料支援を必要とすると
訴えられていた丁度その時、好物を好きなだけ食べれたとご満悦。

申し訳ないが、これは台風で関東地方が大災害に遭っていた時に
赤坂で議員たちと宴会をしていた安倍晋三と同レベルの人権意識だと
言わざるを得ない。

空腹で飢えている子供たちの前で
食事をべろべろと平らげるような浅ましい行為だ。

 

他にはウクライナ内戦の拡大に対して
ロシアをバッシングする記事をリツイートしていたが、

3月15日に彼女が述べたことは
これで全てだった。

飢えた子供の中には当然、女児もいるわけで
先述の母親の訴えも考慮すれば、この件については
女性の権利を守るというイメージで名前を売っている立場上、
多少なりとも言及するべきだと感じるが、何も書かなかった。

(なお、この時期にドネツク市街で
 ウクライナ軍による砲撃があり、市民が死傷した
 事件が起きたのだが、この件についても清末氏は触れていない)

 

同時期に清末氏が強く訴えたのが
アフガニスタンの女性の権利向上だった。

 

ここで読者に考慮してほしいのが、
なぜ清末氏は、人間にとって最も重要な権利であるはずの
生きる権利が侵害されていることに対して沈黙しているのだろう
という点である。

タリバンもカルザイもバチェレも
制裁解除を求めて熱弁を振るっていたその時、
同氏は他の自称フェミニストらと共に「女性の権利!女性の権利!」
と全く別の言葉を述べていたのだ。

 

さて、約一週間後の3月21日、
露スプートニク紙はタリバンへの制裁によって
1万3000人の新生児が死亡したこと、ならびに
95%の児童が十分な食料を得ていないことを報じた。

 

この記事は3月15日のニュースに触れながら、
貧困と医療危機が乳児死亡率を高めることに言及したものだった。

アメリカの経済制裁が原因で1万3000人の新生児が死んだ。

制裁は戦後に行われる戦争行為だ。ミサイルを使わずに人を殺す。

ロシア軍の「蛮行」には過敏に反応する清末氏や須賀川記者は
当然、このジェノサイドには反応しても良さそうではあるが、
現実では、この時も両名は無言リツイートすらしなかったのである。

 

代わりに彼らが注目したのは
タリバンの女子生徒の通学停止だった。

 

この時の清末氏は
目覚めたかのように読者の感情に訴える言葉を
絶叫するように並び立て

 

怒りと涙を露わにして激昂していた。

1万3000人の新生児が制裁によって殺され、
95%の児童が満足に食べるものがないニュースには
一言も触れなかったのに対して、

女子生徒に対するタリバンの政策には烈火の如く吠え猛ったのである。

 

しかし、冷静になって考えてほしいが、
そもそも学校に行く・行かない以前に生きる・死ぬの問題にアフガンの
児童たちは直面しているのである。通学できるのは裕福な子供しかいない。

 

 

 

イギリスの映像メディア、
ファイブ・ピラーズはカブール市を散策しながら
児童労働者の状況について解説を試みた。

この子たちは本来なら通学するべき年齢に達しているが、
家計を支えるために働かざるを得ない。

靴を磨いたり車を洗ったりといった
簡単な仕事をしながら日銭を稼いでいるのである。

 

路上より学校にいるほうが好きだ

学校に行きたいけど、その余裕がない

 

こういう「男子」児童が多く存在するのである。
この児童らは清末氏の救済の対象には入っていない。何故なら女子ではないから。

 

アメリカ研究者の兼子歩氏などが思い浮かばれるが、
かなり前からジェンダー研究は男性性について注目されている。

「女は働くべからず」という理念は裏を返せば「男は働くべし」となる。

ジェンダーに留意して考えると、児童労働者が中々減らないのは、
労働によって生活を支えることで「男」として認められるからである。

家族を助けているという誇りがアイデンティティ形成につながる。


よって、20世紀のソーシャル・リフォーマーは職業教育の実践と
その間に家庭に対する補助金の給付を主張したのだが、
児童労働と非行が結び付けられる側面があったのも確かである。

いずれにせよ、通学できる権利はあっても
行使する余裕がないために、事実上、侵害されたと言っても差し支えはない。

 

だが、女性の権利にばかり関心を持っていると
その対象外である人々は透明化してしまう。

語りの中から消えてしまう。
女性、女性、女性と連呼する影で彼ら男児労働者の姿は見えなくなる。

 

こうした子どもたちを助けるには
共同体ごと支援する必要がある。

上の映像は同じくファイブ・ピラーズのものだが、
6分ほど経過したタイミングで井戸の話が出てくる。

長老らしき人物の話によると、
井戸が出来る前は水汲みをするために
子どもたちが学校へ行く余裕がなかったが、

他のイスラム教国家に住むムスリム達の支援の結果、
井戸が完成され、問題が解決されたらしい。

これはまさに故・中村哲氏が実行していたことに他ならない。
改めてペシャワール会の現実に即した活動に敬意を表する。

 

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現地で困っているのは、お金の問題。米国による資産凍結などの影響で預金の引き出しが制限されている。機材や燃料を買うにも資金が足りない。インフレも進んでいる。干ばつも続き、このままでは多くの人が食い詰め、社会不安が増大する。国際社会はそうした状態を待っているのでしょうか。

 タリバンの人権意識を批判する声があります。確かに時代錯誤の面もある。けれども外からの物差しで、西洋の近代的な世界観が全て正しいという前提で論じているように思えます。米国は20年かけて莫大(ばくだい)な資金と軍事力を投じ、米国の物差しを広めようとしたが、うまくいかなかった。

https://www.asahi.com/articles/ASPBD2VQ6PBBUPQJ11D.html
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ペシャワール会はアメリカの経済制裁にも確かに批判していた。
村上優会長は、タリバンの人権意識に対して、
確かに時代錯誤の面もある、けれども、外からの物差しで、
西洋の近代的な価値観が正しいことを前提に語ってはいないかという風に語り、
相手の論理を理解することの大切さを説いた。

こういう意識が清末氏を初めとした識者には無いのである。

 


 

4月19日、ユネスコの国際関係責任者はTwitter上で
アフガンの児童は生計のために労働するか、物乞いをせざるを得なくなり、
就学が不可能になっているという主張をした。

無論、この児童には女児も含まれるため、
本当にアフガンの人権に関心があるのならば、すぐに応えるはずである。

 

では、清末氏はこの時、何を発したかというと

 

「アフガンの女の子達に学ばせてあげて」

というタグ付きの絵のリツイートと

須賀川記者のロシアの「蛮行」を訴えるTweetへのリツイート、

 

そして洞爺湖近くのレストランで
「支援」の打ち合わせをしながら食べた夕食の紹介だった。

問題のユネスコのTweetに対する反応は無かった。

 

 

こうして1ヶ月以上に渡る同氏のインターネット上の発信を見てみると
女性の権利侵害につながりそうな部分だけを抽出して
ヒステリックに騒ぎ立てる一方で、

女性や女児にも関係があるだろう制裁に関連する人的被害には
全く反応しない態度を指摘することが出来る。

これはタリバン政権下の女性や女児に対する
ジェンダーバイアスがかかった暴力の存在を認めながらも、
それらがアメリカの制裁によって悪化していると語った
国連の専門家達とは対極的なものだ。

 

アメリカ合衆国に対する非難の言葉が一切ないのである。

 

 

清末氏と対極的な姿勢を見せるグループが
国連の他にもう1つ存在する。

日本の平和主義者たちが悪の独裁国家、人権侵害大国と酷評する中国である。

中国外務省は8月にはすでにアメリカへの非難を始めていたが、
今年の二月には資産凍結に対してアフガンの資産を「盗んだ」と強い語気でなじり

 

3月末には王殻外相も、繰り返し
「アフガンから窃取した資産・資源を返還すべきである」
と述べた上で、

「中国はアフガン暫定政権を支持する」との意思を表明した。

 

そして4月にはバイデン政権に対して
アフガン国民への謝罪を要求した。

 

これらの言葉を私は
清末・須賀川両氏から聞いたことが無い。

須賀川氏はタリバンとの対談を経験して
他の記者と比べると幾分、彼らを人間扱いしているのだが、
そこで思考はストップし、清末氏と同様、女性の人権侵害のニュースにだけ反応し、
資産凍結の件について少なくとも3〜4月の時点で語ることは無かった。

取材で多忙だったからと言えばそれまでだが、
その割には通学のニュースには反応していたわけで、
先述したとおり、制裁に関するいくつものニュースが当時流れていたにも関わらず、
全てに無反応だったというのは、常識的に考えて不自然である。

単に関心が無かったから言及しなかったと理解するのが妥当だ。

 

 

アフガニスタンのジェンダー問題と複合差別~人道危機問題に着目して | ヒューライツ大阪(一般財団法人アジア・太平洋人権情報センター)

 

清末氏は筆者に講演会や原稿等で
制裁に対する発言は行ってきたと答えるのだが、
実際のレターを読んでみると、かなり微妙と言わざるを得ない。

確かに同氏は制裁による生活危機に対しては言及しているのだが、
それは上記リンクからページに飛んで読めばわかるように、この文章は
あくまで「人道危機がこれほど深刻であるときに、女性の人権問題を
強調して語るのはいかがなものか」といった批判に対するレスポンスなのである。

つまり、資産凍結に対する言及は人道危機を説明するためのものであり、
国連や中国政府のようにアメリカ政府を非難するためのものではない。

むしろ、それらよりジェンダー問題を優先する意義を説いた文であり、
ある意味では清末氏の透徹したスタンスを感じざるを得ない。

だが、文章中、アフガンで最も注目すべきはシングルマザーと子供たちと
定義する割には、彼女らが苦しむ原因となった制裁への言及は
すでに述べたように皆無と言っても過言ではなく、

学校に通う・通わない、就労する・しない、
ブルカを着る・着ないといったレベルに終始し、他の人権団体と歩調を
同じくしているようには感じない。

 

 

本当に心配しているのだろうか?

タリバンへの非難につながる話題でのみ暴れているように
筆者は感じてならないのである。

だが、全く関心がないわけではなく、
地震に対しては即座に悲しみの詩をぶちまけるわけで、
そういうアメリカの植民地支配を責めない範囲での平和主義というのは
吹けば飛ぶ塵のようだと考える。

こうしたスタンスは連続していて、須賀川氏も清末氏も
ウクライナ軍による市民への爆撃には触れない一方で、
ロシア軍の介入によって起きた「とされる」蛮行には反応を示している。

このような人道主義はアフガニスタンの資産を私的流用したり、
ウクライナ軍に武器を貸し付けることで富を得ようとする国にとって
大変、有り難い存在になるだろう。

なぜならば、他方の罪は感情的にドラマチックに語る一方で、
もう他方の罪は語らないことで存在を隠してしまうからである。

 

ウクライナ東部の親ロシア派市民や
アフガニスタンの親タリバン市民の存在を語らないことで
彼らは殺されても関心を持たないレベルにまで命の価値を下げられている。

それはレイシズム以上にレイシズムなのである。