時事解説「ディストピア」

ロシア、イラン、中国等の海外ニュースサイトの記事を紹介します。国内政治、メディア批判の記事もあります。

ひでーな・・・その1

2013-03-20 23:15:13 | 反共左翼
加藤哲郎が紹介した全共闘の社会史とやらが非道すぎる。
http://members.jcom.home.ne.jp/nokato/data8.htm
http://members.jcom.home.ne.jp/072286711/Living21.html(ここで紹介された)

コメントするのも面倒だが、この文章、
新左翼に対しての反省が微塵も感じられない。

戦後学生運動のなかで日本の政治・社会運動に光彩を放った
「全共闘」とは何だったのか。

私の結論は、全共闘は、いわば、新左翼と同じではない、だからこそ左翼であった。
もっといえば、(新)左翼よりも左翼的だった。
私の立場はこれで言いつくされる、とおもえた。

新左翼と呼ばれるとき、その存在のイメージは、すぐ党派と結びつく上、
その勢力には、必ず、スターリン主義など旧左翼の母斑がついてまわる。

新左翼とよばれるからには、旧左翼(ソ連派・中共派)のビジョン、
革命論の根底的な見直しをしなければならないにもかかわらず、
それは不可避である。

戦後の新・旧左翼は、どの党派であろうと、
その例外は考えられないとおもう。

スターリン主義の母斑をつけた左翼はすべて、
1989年のベルリンの壁崩壊と91年のソ連邦崩壊とともに、
歴史の記憶の影にうちすてられた、といってよい。

全共闘はもちろん、社会主義革命をめざしたものではなかった。
そして、ノンセクト・セクトでもなかった。

だから、当然のことながら新左翼でもない。
とかく全共闘運動は、新左翼運動と重ねて論じられることが多いが、
新左翼というセクト集団とは、厳密な一線を画するべきである。

また、微細に辿っていくと、全共闘運動も一様ではない。
日大全共闘と東大その他のそれとは明らかに闘いの質がちがっている。


この時代に若者が起こしたテロリズムを全く無視し、
それは新左翼であり全共闘ではないと言い張るこの論旨。

自分たちだけは正しいと言い張るこの論調。
さすが1947年全共闘世代の加藤哲郎が推薦するだけのものはある。

ひどすぎるよ、これは!

自分たちは徳田派をはじめとした冒険主義者たちを
旧左翼の標準とするくせに、全共闘は違うと?ふざけちゃいけないよ!

そもそもこいつらは旧左翼=日本共産党は
スターリン主義というレッテルの貼り付けがまだ消えていない。

まだこいつらの病気は治っていないのだ。
こういう奴らが学問や文壇で権力を握って
やりたい放題するほうがよっぽど私は怖い。
これなら極右化したほうがまだマシだろう。

全共闘世代の分裂主義と連帯主義は
ひとえに言って責任から回避するためのものだった。

好きな時に好きなように群れる。それがこいつらだった。
私の先生は大学生の頃、キャンパスでゲバ棒で
若者を殴打する連中を目撃している。

これが幻滅の理由でなくてどうするのだ。
自分たち全共闘が行った責任はどこへ行ったのだ。

まったくもってひどすぎる。
そのくせ、プロレタリア文学をはじめとして
平和的方法で反戦、反権力に立ち向かった人々は
無視して戦前の共産党の横暴さを強調する。

いずれ、このようなデマは暴露されるだろう。

追記
その後、もう一度読んでみたが
東大安田講堂の部分の美談的文体は
はっきり言って作る会の仕業かと
思うほどだった。これを歴史学に多少とも
接した加藤はなぜ自分のHPに掲載することを
許したのだろう。

学者としてはあるまじき行為だ。
この男は岩波などまともな出版では
まともな論文を書き、そうではない出版社や雑誌では
罵詈雑言に満ちた文章を書く卑劣漢だ。

名誉教授になったのだから、とっととご退場願いたい。
新左翼の夢とともに。

最新の画像もっと見る