ちなみに。私が、「貯金しなくても、暮らしていける、国家作りを」目指す、理由についての、根拠について。
「純粋貯蓄は不可能である」ということについて。
例えば、閉鎖系経済(外国との取引がない経済)において。ある、企業が100億円の人件費を払って、製品を作ったとします。そして、そこに雇われている従業員の人が、10万円分の賃金をその商品を買わずに、貯金したとします。
そうすると。その企業は、10万円分の商品が売れずに、赤字になってしまいます。
すなわち、従業員が10万円貯蓄すると、企業には、10万円分の赤字が発生する、ということになります。
ゆえに。政府が、「国民の個人貯蓄」の多さを自慢するのは、無意味な行為です。なぜならば、それは、”政府赤字”もしくは、”企業赤字”が、それと同じ分だけ、あることを意味するから、です。
故に、「”純粋貯蓄”(どこの借金増加にもならない、貯蓄増加)は不可能である」ということです。
ゆえに。政府目標としては、「”個人の金融資産の増加”を目指すべきではなく」、「”個人の金融資産の減少”と、”政府赤字の減少”を、目指すべきである」
ということになるのです。
これが、私が、「個人が貯金しなくても、済むような、国家作りを」目指す、理由です。
大体、”消費性向”、裏返しの、”貯蓄性向”が、いくらであれ、政府赤字発生による、「国民全体の貯蓄量は一定」なのだから。(海外貿易がない場合には)
うーん。もっと、政府もそこの所を良く考えて欲しいと思います。
(しかし、こういうことを言う、経済学者があまりいないのは、なぜなのでしょうね。変な話だと思います)