昨日の新聞一面トップの見出し。
最高裁は教団元幹部の遠藤誠一被告の上告を棄却、死刑が確定した。
これで全公判は事実上終結したらしい。
社会面トップの記事は、それを受けた被害者の思いを取材したものだった。
「人生を狂わされた遺族や被害者の苦しみ、怒りを知るべきだ」
「裁判が終わっても息子が亡くなった事実は変わらない。死刑執行を見守っていく」
地下鉄サリン事件で重い障害が残った妹の世話をしている兄の言葉に胸が痛む。
「事件がなければ結婚もして子どもも産んで、全く別の人生を歩んでいたはず」の妹は、
今「3~5歳程度」の知能になってしまった。
「今後、私や妻に万一の事態が起きたらどうなるのか。
最低限でも一人で生きていける環境を整えてほしい」と訴える。
地下鉄サリン事件が起きたのは、今から16年も前のことだが、
あの朝のTVニュースは、今でも鮮明に覚えている。
地下鉄駅の地上出口付近にたくさんの人が倒れて、救急隊の看護を受けていた。
何が起こったのか皆目わからなかったけれど、
「霞が関」という駅名を聞いて、もしや政治関係のテロ?
毒物が「サリン」だと聞いて、自衛隊関係者のミスによる事故かも?松本サリン事件との関係は?
など、素人なりに考えたりしたっけ。
しばらくは、地下鉄に乗るのも怖かった。
特に、霞が関や築地などを通るときは。
それほど衝撃的な事件だった。
以後、毎日「サリン」「オウム」「ポア」「上九一色村」などの言葉が巷にあふれ、
約2ヶ月後、教祖麻原彰晃が逮捕され、事件の全容が少しずつ明らかになってきたが、
事実関係は明らかになっても、その事件を引き起こした集団の心理は、全く理解できないままだった。
当時友人たちともよく話題になり、私だけでなく誰もが現実のこととして受け止められない感じだった。
違ったのは、こんなに多くの被害者を出してしまった人殺し集団は死刑にすべきだと友人たちは言い、
死刑反対派の私は、それだけは賛同できなかった。
今も賛同できない。
遺族や被害者が死刑を望む気持ちは当然だと思う。
でも、彼らが死刑になっても、何も解明されないまま終わってしまうだけ。
それは困る。
彼らには一生、獄中で懸命に働いて、そのお金を被害者救済に充てるような償いをさせてほしい。
そして、自分がなぜオウムに魅せられたのか、なぜ倫理観も常識も失っていったのか、
その謎を一生かけて追求し、公表してほしい。
死刑囚一人ひとり違った分析がなされるかもしれないし、共通部分もあるかもしれない。
それらを集めれば、きっと何かが見えてくると思う。
麻原彰晃とオウム集団の大罪を招いた誘因の一部は、私たちの中にも有りそうな気がする。