一週間前の朝日新聞「声」の欄に掲載されていた投稿文を紹介します。
19歳の男性の「声」というより、静かなる「雄叫び」に聞こえました。
安保法案の阻止が私の民主主義
アルバイト 塔嶌 麦太(東京都 19)
私は安全保障関連法案の成立を止めるため、国会前の抗議行動に参加する。デモにも行
く。友達にも呼びかける。こうやって投書も書く。できることは全てやる。
「デモに行っても無駄」と多くの人は言うだろう。でも、私は法案成立を止められるか
らデモに行くのではない。止めなければならないからデモに行く。無駄かどうかは結果
論だ。
私は間もなく選挙権を手にする。この国の主催者の一人として、また「不断の努力」に
よって自由と権利を保持していく誇り高き責務を負った立憲主義国家の一員として、こ
の法案に反対し、この法案を止める。
声を上げるのは簡単だ。むしろ声を上げないことの方が私にとって難しい。なぜなら、
私はこの国の自由と民主主義の当事者だからだ。戦争が起きてこの国が民主主義でなく
なり、この国が自由を失ったとき、やはり私はその当事者だからだ。
何度でも言う。私は当事者の責任において、この法案を止める。それが私の民主主義だ
。この投書を読んだあなたが、もしも声を上げてくれたならば、それは「私たち」の民
主主義になる。
そうだ!その通りだ!と思う。
私たちは当事者。この国の主権者。この国のあり方を決めるべき当事者。
憲法が捻じ曲げられて、戦争のできる国になった時、そういう国にしたのは私たち。
愚かな為政者の暴走を止め、戦争のできる国にさせなかった時、そうしたのは私たち。
どちらになっても、そういう国にするのは私たち。
私たちが未来への責任を負わねばならない。
若者の率直な指摘が、心地よく胸に響きました。
「私たち」の民主主義になるように、まずはこの「声」をあなたに届けます。