佐世保便り

2008年7月に佐世保に移住。
海あり山あり基地あり。そしてダム問題あり。
感動や素朴な疑問など誰かに伝えたくて…

国際民主法律家協会(IADL)、共謀罪廃止を訴える

2017-06-18 | 平和

友人からのメールを貼付します。

 

6月16日、NGOの国際民主法律家協会(IADL、発言者ミコル・サビア)
は、ジュネーヴで開催中の国連人権理事会35会期において、日本の共謀罪につ
いて発言しました。

*****************************

  国際民主法律家協会(IADL)は、人権理事会に対して、2017年6月15日に日本
の国会で採択された、いわゆる「共謀罪法案」が人権保障にとって否定的影響を
持つことについて注目するよう呼びかける。

 法案は広汎な抗議がある中で、通常は本会義の投票の前になされる委員会での
承認を省略するという異例な方法で成立した。これは、争いのあるテーマについ
ての議会での十分な討論の促進という点からも問題である。

  政府は、この法案を採択することは、国内法を国連国際組織犯罪条約に適用す
る上で、そして2020年の東京オリンピックを迎えるにあたってのテロの危険に対
応するために、必要だと言った。法案の中では、テロリストグループや他の組織
犯罪グループは、放火や著作権違反までの277の犯罪に関する計画と準備行為
に関し罰せられることになっている。

  法律専門家は、このような法律を追加して創設することの適切性と必要性につ
いて疑問を投げかけている。さらに、プライバシー権に関する国連特別報告者、
ジョセフ・カナタッチ氏が2017年5月18日に日本政府宛にあてた書簡では、法案
はプライバシー権と表現の自由に対する不当な制限になる可能性がある、と指摘
されている。「組織犯罪集団」の定義のあいまいさは、安全保障のセンシティブ
な領域におけるNGOの活動に対する監視を合法化する機会を与えることになる。

  日本政府は、特別報告者の正当な懸念に正面から答えずに、「明らかに不適切」
と言って受け付けなかった。安倍晋三首相は、カナタッチ氏の評価を「極端にバ
ランスを欠いている」と言って公然と非難し、特別報告者の言動を「客観的な専
門家のものではない」とした。このような攻撃的な言動は、日本政府の国連特別
報告者制度に対する重大な侮辱である。特に日本は、他のすべての国連加盟国の
人権尊重を推進すべき人権理事会の理事国の一つなのであるから、許されるべき
ものではない。

  IADLは、テロリズムに対抗する上では国際人権法の義務を遵守することが
何よりも優先しなくてはならないと強調するともに、日本の国会に対してはいわ
ゆる共謀罪法案を廃止するとともに、人権理事会に対しては、日本政府に対して、
仮に特別報告者に好まない評価をされた場合や実際にされた場合でも、特別報告
者の権限と権威を尊重するように呼びかけることを要望する。

2017年6月15日 国際民主法律家協会(IADL BUREAU)


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共謀罪が成立した日

2017-06-15 | 雑感

ついに今朝、共謀罪が成立してしまいました。

「テロ等準備罪」と名前を変えて内容をカムフラージュし、衆議院でも参議院でも強行採決。しかも、参院法務委員会での採決を省略する「中間報告」という異例の手続きを導入しての、まさに強引なやり方。

国連の特別報告者、ジョセフ・ケナタッチ氏は共謀罪が「プライバシーや表現の自由を不当に制約する恐れがある」と警告していたし、

世界100以上の国・地域から2万6000人を超す作家らが参加する国際組織「国際ペン」は、共謀罪法案に反対し、〈日本国民の基本的な自由を深く侵害することとなる立法に反対するよう、国会に対し強く求める〉とする声明を発表するなど、

国際的な批判を多く受けていたにも拘わらず、議会は廃案に出来なかった。

野党の弱さ、だらしなさを追及する声もたくさん聞こえてくるけれど、それは同時に、私たち国民の弱さ、だらしなさに他ならない。

夕方のニュースを見ていたら、「決め方はよくなかったと思うけど、やはり必要な法律だとは思う」とか「テロは怖いし、オリンピックもあるし、決まって良かった」などのコメントもけっこう有り、びっくり!

私たち日本人はあの頃と何も変わっていない。何も学んでいない。全く進歩していない。

85年前、国際連盟のリットン調査団の報告を否定し、忠告には耳を貸さず、ただ自己主張するばかりの政府を良しとしていた頃と。

あの頃と違って、こんなに情報は得やすくなったのに。

なぜだろう?なぜ、私たちの人権が侵されそうな法案の強行採決を許してしまって平気なんだろう?

不思議でならない。脱力感と不安感でいっぱい。

 

そんなとき、こんなメールをいただきました。

発信者は「あすわか」。
「あすわか」とは「明日の自由を守る若手弁護士の会」のことです。
http://www.asuno-jiyuu.com/

 

 共謀罪(テロ等準備罪)が作られた今、「これからどうすればいいの」
 と震えるすべての方へ。

 どうか、けっして、萎縮しないで下さい。
 その震え、その不安こそが権力の狙いなのですから。
 私たちには自由にものを考え、表現する自由があります。
 心の中を誰にも覗かれない自由があります。
 憲法に違反する共謀罪のせいで、皆さんが自発的に自由を手放したら、
 永遠にこの国の民主主義は帰ってきません。
 一人ひとりが考え、表現し続けることは、「共謀罪」を運用させずに
 死文化させる大きな圧力になります。

 それから、万が一、おかしな政治に声を上げる市民が共謀罪で捜索
 されたり逮捕されたりしても、けっして「犯罪者」扱いしないでください。
 テロ等準備罪というまがまがしい名称で、「もの言う市民」を反社会的な
 存在かのようにレッテル貼りする手口に乗せられたら、排除を恐れて
 みんな考えることを止めてしまいます。
 自由に政治を批判してなにが悪い、という風を吹かせ続けましょう。


 国民の心を侵すことになんのためらいもなく、同法案に賛成した
   政府・与党、すべての国会議員を、私たちは忘れません。
 全身の血が沸くほどの怒りをもって、あなたたちを許しません。

 いくらでも濫用できる条文で「物言う市民」を恫喝する現政権に、
 民主主義国家の舵を取る資格はありません。


 落胆、やりきれない思い、徒労感。すべての重い気持ちで押しつぶされ
 そうになっているすべての人へ。
 それでも希望はあるのです。あなたがその怒りを前向きなエネルギーに
 変えてくれる限り!
 私たちはいまある自由と、自由でいられる社会を手放したくありません。
 子どもたちの尊厳と自由も、穏やかな民主主義の社会も、手放すつもりは
 ありません。
 自由を行使し続けることでしか、自由は守り抜けない――憲法が問いか
 ける「不断の努力」の覚悟を、「彼ら」に見せつけましょう。

 私たちあすわか570名は法律家として、主権者として、「不断の努力」で
 共謀罪を廃止させることを誓います。

 

そして、田中優さんのメルマガにも同様のメッセージがありました。

 

共謀罪成立
 
今日は共謀罪の成立した日だ。戦後の焼け野原から新しい社会を求めてきた時
代の終わる日だ。もちろんこれは悲劇だが、一方で再建の日の始まりでもある。
本当に自由と民主主義を求める勢力が、新たな時代を作り始める日でもある。
 

昨日までの、ただ数とカネと権力に寄り掛かった考えることをしない人たちの
時代から、誰もがきちんと自分の考えを持つための始まりの日でもある。法は廃
止できる。それを目指すことも大切だが、死文化させることも重要だ。すなわち
適用できない状況を作ってしまうことだ。立法機関(国会)は法を作ろうとする
が、実際には使うことのできなかった法文もたくさんある。本来廃止すべき法が
放置されたままになっている事例もたくさんあるのだ。つまり立法は万能ではな
いのだ。
 

憲法は生き続けている。憲法は、憲法に反する法の制定を禁止している。
だから共謀法が違憲となれば、法の側が効力を失う。それが違憲立法審査権の趣
旨だ。ただしそれは個別の事件によって審査されるので、まず法によって罰せら
れる事件が先になければならない。しかしそれが明瞭に違憲であるとすれば、
行政側もその法を使うことに消極的になる。つまり死文化するのだ。

 
共謀法の成立によってそれを「忖度」し、自己規制することが最も危険な変化
となる。抵抗は特別なことをすることではない。今まで通りに暮らすことだ。
大切なのは自己規制せずに今まで通りに在ることだ。そうすることが最大の共謀
法適用に対する規制になる。特別な事情がなければ「違憲立法」となる可能性が
高まる以上、法を使うことができないからだ。

 
抵抗は特別なことではない。法が存在しなかったときと同じように暮らすこと
だ。そして、もしそれが共謀罪の適用対象になったならば、違憲立法だと主張し
よう。なんだか大きな段差を乗り越えてしまったように感じるかもしれないが、
実は事態はあまり変わっていない。それが浸透するならば、次に法を廃止させよ
う。

危険なのは委縮すること、自己規制することだ。メディアがダメになったと聞
くことも多いが、実はテレビ視聴率、新聞購買数ともに減り続けている。今や最
大のメディアがSNSやブログなど、インターネットに移行しつつあるのだ。
そう、自らがメディアになればいい。
 

違う状況になってはいても、私たちには別な次元の自由がある。
そこに次の時代の萌芽がある。
 

2017.6.15 記  

 

そうですよね。 

今のままで、今までのままでいましょう。

共謀罪に忖度することなく、

憲法で保障された人権を行使していきましょう。

憲法こそが最高法規なのですから

 

 

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国会が死にかけている

2017-06-10 | 雑感

国会が死にかけている

http://worldpeace7.jp/?p=1009


アピール WP7 No.125J
2017年6月10日
世界平和アピール七人委員会
武者小路公秀 土山秀夫 大石芳野 小沼通二 池内了 池辺晋一郎 高村薫


かつてここまで国民と国会が軽んじられた時代があっただろうか。

戦後の日本社会を一変させる「共謀罪」法案が上程されている国会では、法案をほとんど理解できていない法務大臣が答弁を二転三転させ、まともな審議にならない。安倍首相も、もっぱら質問をはぐらかすばかりで、真摯に審議に向き合う姿勢はない。聞くに耐えない軽口と強弁と脱線がくりかえされるなかで野党の追及は空回りし、それもこれもすべて審議時間にカウントされて、最後は数に勝る与党が採決を強行する。これは、特定秘密保護法や安全保障関連法でも繰り返された光景である。

いまや首相も国会議員も官僚も、国会での自身の発言の一言一句が記録されて公の歴史史料になることを歯牙にもかけない。政府も官庁も、都合の悪い資料は公文書であっても平気で破棄し、公開しても多くは黒塗りで、黒を白と言い、有るものを無いと言い、批判や異論を封じ、問題を追及するメディアを恫喝する。


こんな民主主義国家がどこにあるだろうか。これでは「共謀罪」法案について国内だけでなく、国連関係者や国際ペンクラブから深刻な懸念が表明されるのも無理はない。そして、それらに対しても政府はヒステリックな反応をするだけである。

しかも、国際組織犯罪防止条約の批准に「共謀罪」法が不可欠とする政府の主張は正しくない上に、そもそも同条約はテロ対策とは関係がない。政府は国会で、あえて不正確な説明をして国民を欺いているのである。

政府と政権与党のこの現状は、もはや一般国民が許容できる範囲を超えている。安倍政権によって私物化されたこの国の政治状況はファシズムそのものであり、こんな政権が現行憲法の改変をもくろむのは、国民にとって悪夢以外の何ものでもない。

「共謀罪」法案についての政府の説明が、まさしく嘘と不正確さで固められている事実を通して、この政権が「共謀罪」法で何をしようとしているのかが見えてくる。この政権はまさしく国会を殺し、自由と多様性を殺し、メディアを殺し、民主主義を殺そうとしているのである。

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どこまで落ちるのか、この国のメディア

2017-01-28 | 雑感

「のりこえねっと」(ヘイトスピーチとレイシズムを乗り越える国際ネットワーク)共同代表の辛淑玉(シンスゴ)さんが27日、東京MXテレビの番組「ニュース女子」の1月2日の放送に対し、悪質なデマであり人権を深く傷つけたとして、放送倫理・番組向上機構(BPO)の放送人権委員会へ申し立てました。

辛さんの見解は次の通り。

 

 1月2日に放送されたTOKYO MX「ニュース女子」は、とにかくひどかった。

 見ていて、こみ上げる怒りを抑えるのがこれほど難しかった経験はかつてなかった。胃液があがってきて、何度も吐いた。その後も、何げない会話の中で突然涙が出てきたり、幾日も眠れぬ夜を過ごし、やっと眠れたと思えば悪夢にうなされた。

 私が、この番組の放つ悪意に冷静に向き合えるようになるまでには、時間が必要だった。友人や報道陣からの問い合わせに簡単な返信すらできなかったことを、この場を借りておわびしたい。

 いま、可能な限り、私の思いを言葉にしてつづりたいと思う。

 「ニュース女子」の手口は、基地反対運動について、徹底的にニセの情報を流すというものだ。

 現場にも行かず、当事者にも取材をしない一方で、反基地運動によって迷惑をこうむっているというニセの「被害者」を登場させる。そして、「沖縄の反基地運動はシンスゴという親北派の韓国人が操っている。参加者はカネで雇われたバイトで、その過激な行動で地元の沖縄人は迷惑している」というデマを流して視聴者の意識を操作する。

 これは、沖縄の人々の思いを無視し、踏みにじる差別であり、許しがたい歪曲(わいきょく)報道である。また、権力になびく一部のウチナンチュを差別扇動の道具に利用して恥じない「植民者の手法」でもある。

 多くの報道で、「ニュース女子」が取材もせずに番組を作ったことが指摘されていたが、彼らは取材能力がないためにネトウヨ情報を検証もせずに垂れ流してしまったのではない。この番組は、「まつろわぬ者ども」を社会から抹殺するために、悪意をもって作られ、確信犯的に放送されたのだ。

 だから、間違いを指摘されても制作会社はコメントを拒否し、MXテレビは「議論の一環として」放送したと開き直っただけだった。公共の電波を使った放送を担う企業としての体をなしていない。

 為政者にとって、自分になびかない者の存在は、自らの優越性を否定されるため最も憎い存在であり、だから国家体制を批判する者には「非国民」のレッテルを貼り、他の国民が寄ってたかって攻撃するよう仕向ける。その手先としてメディアを使う。そこにあるのは「愚かな国民など、この程度のことを吹聴しておけば簡単にだませる」という国民蔑視だ。

 国家権力の素顔を見抜き、闘いを挑んでくる「生意気な非国民ども」に対しては、ただつぶすだけでは飽き足らず、嘲笑して力の差を見せつけた上で、屈辱感を味わわせようとする。「ニュース女子」が、年始特番の、しかも冒頭で私を名指しして嘲笑したのは、私が怒って抗議してくると想定した上でのことだろう。感情的になって抗議してくればそれを笑い飛ばす、抗議してこなければ、「抗議してこないのは、報道内容が正しかったからだ」と宣伝材料に利用できる。どっちにころんでもおいしいというわけだ。

 私も、沖縄の人々も、平和を希求する者は、一方的に攻撃されているのに、それが被害であること、ヘイト・スピーチであることを、被害者の側が実証しなければならないという理不尽な立場に立たされる。私は、毎日仕事をしながら、家族の介護をしながら、シェルターを運営しながら、怒りを抑えて問題を冷静に見つめ、膨大な時間を費やしてBPOに提出する文書を書かねばならない。

 その必要がなければできたはずの、睡眠時間や、家族・友人との大切な時間、幸せ、楽しみといった人生本来の意味をも、一方的に奪われている。相手を嫌でも闘わざるを得ない立場に追い込み、休息する権利、声を上げる権利を奪うのは、それ自体が人権侵害なのだ。そしてこれは私だけのことではなく、沖縄の人々が置かれている状況も同じだ。

 私はなぜ、在日への差別だけでなく、さまざまな差別に声を上げるのだろうか…。

 時に、自分でも不思議に感じる時がある。お金も、時間も、体力も、あらゆるものを犠牲にして、どうしてここまでやるのかと。もっと楽な生き方ができたはずなのにと言われたことも、一度や二度ではない。

 確かなのは、被差別の歴史に共感する胸の痛みがあるということだ。

 歴史や文化は異なっているが、ウチナンチュも在日朝鮮人も、日本の国家体制によって植民地支配を受け、人間としての権利を保障されず、排除・差別されてきた。

 ウチナンチュは日本国籍を付与された一方で島ごと奪われ、沖縄戦では「国体」や本土の日本人を守るための捨て石にされた。敗戦後は膨大な米軍基地を押し付けられ、いまも命・生活・人間の尊厳など多くを奪われ、抑圧されている。

 朝鮮人は、頼んでもいないのに帝国臣民にされ、日本兵の下請け・弾よけとして最も危険できつい労役につかされた揚げ句、敗戦後は日本国籍を一方的に剥奪され、国籍がないことを理由に戦後補償の対象から外され、「外国人」として排除、差別を受けてきた。

 経緯に違いはあっても、植民地支配の対象とされてきた点では同じ位置に立たされている。

 そして、私は「殺せ」と言われ、沖縄の友人たちは「ゴキブリ」「ドブネズミ」「売国奴」「土人」と言われ、まとめて「反日・非国民」とくくられている。沖縄で起きていることは、私にとって他人事ではないのだ。

 彼らの痛みは私の痛みでもある。在日としてこの国に生を受けた以上、見て見ぬふりは許されないと私は思っている。

 「どんな発言にも表現の自由はある」と「中立公平」を装い、サイレント・マジョリティーの位置を確保して高みの見物(これこそが特権である)をする人々の沈黙によって、「在日」も「オキナワ」も、孤立無援の状態で表現の自由を奪われている。

 差別と闘う責任は、被差別の側ではなく、差別構造を作り出し温存する側にこそある。この国の主権者は、自らの社会から差別をなくすために払う努力を、主権を奪われたままの在日に押し付けてはならない。同様に、沖縄に押し付けてもいけない。

 新しい基地をつくらせないという闘いは、ヤマトンチュ自らが政治の中枢部でなすべきであり、そうしなければ根本的な解決には至らない。

 いまこそ、マジョリティーが矢面に立って闘わなければ構造は変わらない。
自分に火の粉が降りかからない限り動かない者が多数派の社会に、未来はないのだ。

 デマを流し、政権の先兵として憎悪扇動を行うこの番組を、決して許してはならない。あらためて、それだけは言っておきたい。

 

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ふるさと共創シンポジウム in 佐世保

2017-01-10 | 佐世保・長崎

9日の「成人の日」(佐世保市主催の成人式は8日でしたが)、アルカスSASEBOでこんなシンポジウムが開催されました。

なんと、司会は、あの田原総一朗さんです!

そしてパネリストはこちらの4名の方々。

左端の方は、佐世保市民ならご存知のはず市議会の新星、橋之口裕太議員。鹿児島県いちき串木野市生まれ。長崎国際大学大学院を卒業後、九州文化学園高等学校教員を経て、2015年佐世保市議会議員に第2位当選!

その隣は、あの里山資本主義の提唱者の藻谷浩介さん山口県徳山市生まれ。東京大学法学部を卒業後、日本開発銀行(現日本政策投資銀行)に入行。日本総合研究所調査部主席研究員。著書に『里山資本主義』、『デフレの正体』、『和の国富論』など。

その隣の方は…知る人ぞ知る佐世保出身のスーパーウーマン。ルイ・ヴィトン・ジャパンにて常にトップの売上げを記録。独立後はインポートブランドや旅行業も手掛け、また、銀座と丸の内で「蜂の家」を経営するなど幅広く活躍中。

そして、最後は「パタゴニア」日本支社長、辻井隆行さん。東京生まれ、早稲田大学大学院社会科学研究科修了後、1999年パートタイムスタッフとしてパタゴニアに入社。2000年に正社員となり、2009年より現職。 シーカヤックと雪山滑降を楽しむなど自然と親しむ生活を続ける。 2016年日経ビジネス「次代を創る100人」に選出。

 

こーんなすごい方々が佐世保の未来について真剣に考え議論して頂くなんて、不思議だけれど嬉しい…。

 

さて、始まってすぐ、田原さんは言いました。
なぜ地方は疲弊していくのか?なぜ若者は都会に出ていくのか?

藻谷さんによると、佐世保は出生率は高い方だが、高校を卒業すると福岡や東京の大学をめざし、そのままそこで就職、結婚し佐世保にはなかなか戻ってこない。それが人口減少の大きな要因。

櫻澤:実は私もそうなんです。東京の大学を出てそのまま東京に就職しましたし、また東京で結婚しましたのでそのまま東京に住んでいます。でも、私の場合ふるさと愛が強くて、佐世保の「蜂の家」をのれん分けしてもらって東京で経営し、世界にも届けています。いずれは佐世保に帰りたいと思っています。

同じくパネリストの1人、橋之口裕太さんは逆のパターン。鹿児島県から大学入学で佐世保にやってきて、佐世保で就職、結婚し、現在も住み続けている。

なぜ、教師を辞めて政治家になったのか?との田原さんの質問に、

橋之口:担任していたクラス生徒42名のうちの16名が1人親家庭でした。

授業料が払えない家庭も多かった。目標はあるが15~6歳で自分の限界を決めてしまっている子どもたちの現状を見て、教員としての限界を感じました。やはり世の中の仕組みを変えなければいけない。そういう思いから政治の世界へ入ろうと。

 

どうやったら地方を元気にできるのか?と問われた藻谷さんは1つの事例として、波佐見町をあげました。

佐世保の近くに波佐見という町がある。
全国どこでも焼き物の町は寂れる一方だが、ここは違う。その要因は、大規模経営を辞めて小規模経営を目指し、ブランドアップを図ったこと。各事業者が対立するのではなく、手を組んで波佐見全体のイメージを良くしていこうとしたこと。

また、農業も盛んで、飲食店は土地の野菜や肉を使って料理を提供する。何でも地元のものを使おうとする意識が高いので、地元にお金が落ちて繋がっていく。佐世保くらいの規模になると、そこまで地元産に拘らない。他県のものを使って作る。売上があっても最終的に残るお金が少ない。佐世保の資本主義は東京に近い…。

田原:京都と大阪とは全然違うね。
大阪の企業は東京に進出して大きくなろうとするが、京都の企業は東京には行かない。京都に残り、企業同士が仲が良い。それはどういうことかと言うと、相手の邪魔をしない、真似をしない、オリジナリティーを大事にする。下請け企業を下請けとは言わず、協力企業と呼んでいて対等に扱う。格差をつけない。

藻谷:まさにそうなんです。大阪の企業はパナソニックがそうであるように、他所に出た方が本物であるという意識がある。京都は東京になんか行けるかと。京セラとかオムロンとか佐川急便もそうですが、そこにいて世界中に展開すればいいという、自分のいる場所を中心として考える文化がある。
佐世保もそういうふうに考えるとアジアの中心になれる可能性はあるんだけれど、なかなかそういう風に考える人は少なくて、大阪に近い感じがします。

 

佐世保はあなたにとってどういう町ですか?問われた橋之口さん。

住みやすい町です。都会過ぎず田舎すぎず。便利さもあり自然も豊かですし。地域の繋がりが濃いところもあれば、私のようにアパート住まいだと、正直、隣の人が誰かもわからない。二面性のある町だと思います。

 

田原:佐世保で1つ問題だと思うのは、佐世保は米軍の軍港ですよね?。海上自衛隊、陸上自衛隊の基地もある。米軍は何人くらいいるんですか?

橋之口:軍人が3000人で、家族も含めると5000人ほど。自衛隊員は海上自衛隊が3000人で陸上自衛隊が1700人くらい。来年からは水陸両用部隊のための基地建設も始まります。

田原:佐世保は自衛隊と米軍に委ねている?甘えている?ということはないか?そのことによって、佐世保自体がどう発展しようかと考え悩む真剣さにかけているのではないか?

橋之口:佐世保という町の成り立ち(人口4000人ほどの寒村が海軍鎮守府が置かれて栄えるようになった)からして、軍と市民や経済界との関係はたいへん良好です。

櫻澤:私の妹も米軍で働いていますが、公務員のように安定していて職を失う心配もないのでいい職場だと思っているようです。

 

そういう意味では佐世保には企業城下町のような雰囲気がある。
その心は?親方日の丸的な甘えがあり、気位が低いということらしい、と藻谷さん。

田原:高速道路ができてから、長崎に来る観光客の多くが福岡に泊まるらしい。昼間長崎で遊んで、夜は福岡へって。ゴミだけ落として、金を落とさなくなったって、長崎の人が言ってたけど、ホント?

橋之口:確かに。いま佐世保で問題になっているのは宿が足りないってことです。リーマンショックの後たちいかなくなって閉じてしまった宿がいくつもあり、ハウステンボスの復活で観光客が戻ってきているが、その客の止まる宿が足りない、取りこぼしてしまっている。

辻井:新たなホテルを建てるよりも、官民が力を合わせて民泊の施設を増やした方がお客さんは喜ぶのでは?

友人が岩手県の小さな町の古い小学校を改築して新たな宿を造ったんですが、そこに中国からの富裕層がたくさん泊まりに来ている。爆買いに飽きた家族連れが何もない田舎町で、ホヤを取る手伝いをしたりして、それを食べて喜んで帰って行く。来年の6月まで予約でいっぱいだという。佐世保や川棚にもそういう観光の可能性がいっぱいあると思う。

櫻澤:旅行業界ではホテルの少ない優れた観光地には、大型船ではなく中型船で行きます。富裕層の乗る中型船にはホテルもレストランももちろん完備されているので寄港地に宿が無くても大丈夫。1週間かけて長崎、五島、佐世保などを船でゆっくり巡りながら、それぞれの地の面白さを満喫するとか・・・
そのためには通訳やガイドの教育に力を入れること、それがリピーターを増やすことに繋がります。

等々、旅行業のプロ、国際企業の経営者、里山の魅力を知り尽くしたエコノミスト三者からの貴重なアドバイスが続出しました。

 

そして、話は佐世保だけではなく隣の川棚町にも及んでいきました。

長崎県内では都会である佐世保市と焼物の町波佐見町に囲まれて、これといった産業もない川棚町だが、まさに里山の魅力が詰まっていて、東京生まれ東京育ちの辻井さんは本当の豊かな暮らしを感じると言う。

でも、そこにはダム建設計画があり、それは佐世保市民にとっても無関係ではない・・・ということで、話題は石木ダムに移っていきました。 

この続きは、ぜひこちらをご覧になってください。

 

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