ついの世界へ 推敲の極み ②
令和3年1月25日(月)
山寺や
石にしみつく
蟬の声
これが山形の立石寺の曽良にメモらせた
最初の句。
蟬の声が石にまとわりついている感じ。
長年風雨に晒され、孤独な石は、
喧噪とした蟬の声を聞いている
のだろうか。
余命いくばくもない蟬は、迫り来る
死をさびしく思い鳴いている。
蟬と石とが表出する淋しさだ。
そこで、推敲の句。
淋しさの
岩にしみ込
せみの聲
しかし、さびしいのは蟬と石だけ
ではないと芭蕉は思い返す。
さびしさや
岩にしみ込
蟬のこゑ
山寺も、石も蟬も、 森羅万象
全てに淋しさ浸透しているもの。
「淋しい」、「寂しい」という人の
感情表現では何か物足りない。
そこで、「さびしさや」と平仮名を
充てるが、やはり違う。
鳴き止んで死んでいく儚い小さな
蟬の命に思いを馳せる。
石も同じ。浸食されていつかは滅し
ていく。
生者必滅!自然の消滅はさびしいが
静かなものなのだ。
この静かさは、「閑」というものだと
気づいたのだろう。
「 閑さや」 と切字抑え、自然の持つ
悠久の静かさを示す。
山寺の堅固な石は岩とし、今最期の
鳴き声で岩に吸い込まれていく
蟬のドラマ、その死を弔う。
荘子を学び、仏教をに沈潜する
芭蕉の自然観、死生観はたゆまない推敲で、
最高傑作の句になったと、
我が師(?)が説いているのだ。
ほんに納得。