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貢蕉の瞑想

青梅庵に住む貢蕉の日々のつぶやきです。

お城時計

2020-04-11 09:39:05 | 日記

お城時計

令和2年4月11日(土)

 お城の受付の方に御礼を言い、

「天守閣入口前」に出る。

 大時計発見! 

 大名時計・和時計ともいう。

 西洋の機械時計が日本に入ったのは、

フランシスコ・ザビエルが周防国

(現在の山口県)の大内氏に献上した

のが最初。

 当時の時計は壁掛け式で、操作も複雑。 

  このため、日本の時計師は工夫と改良を

重ね、日本独自の十二支を目盛りとする

櫓時計を造りあげる。

 精密さは世界一である。

  岐阜城では、お城時計と称された江戸

時代前期の大型櫓時計を天守閣内に所蔵

・展示している。(写真は模擬時計)


題目塚

2020-04-10 09:21:24 | 日記

題目塚

令和2年4月10日(金)

 今朝は、ベートーベン特集を聴いている。

 エリーゼとは?面白し。

 さあ、

 芭蕉の句碑から

切り通しへ。

これが切り通し。

 敵の侵入を防ぐため、尾根の通路を

遮断するように掘られたお掘。

 中世山城に多く見られる施設で、

普段は木橋が架かっており、

戦時には、橋を落とし防御したという。

 江戸時代になって、切通を呼ばれる。

  鎌倉の七つの切通を、神山先生ご夫妻ら

と踏破しとことも懐かしい。

   「諸行無常 是生滅法 

 生滅々巳   寂滅為楽」等、

涅槃経のお題目を唱える。

 悪魔退散、降魔の塔として今も年二回

大供養を実施だれたらしい。

  斎藤道三も織田信長も日蓮の信者で

あったという。


金銘水の金は?

2020-04-09 15:01:50 | 日記

金銘水の金は?

令和2年4月9日(木)

 家内の手術は、「ばっちり!」。

 3時半頃から麻酔をして、手術。

 手術後の看取りなどで、3時間半

から4時間ぐらい。

 「あっという間に終わったみたい!」

「全然覚えていない」とも。

 とにかく先ず第一段階の手術は成功。

 ほんと安堵。

 6時半過ぎ、先生から術前と術後の

レントゲン写真で説明があり。

 感謝あるのみ。

 しかし、左もいずれ転倒すると、

折れる兆候ありと。

 週一カルシウムの薬を飲んでいるで、

骨密度は高くても現れるという説明。

 来週、左足は予防の意味で手術する

ことに同意。

 今朝は、リハビリの靴を購入し、届

ける。

 リハビリも開始!

 一安心で、今朝は、前庭の整備。

  さあ、岐阜公園。

 次は「岐阜城の井戸」。

 濃尾平野の北端に独立してそびえたつ

稲葉山(金華山)は、かつて

「一石山(いっせきざん)」と

呼ばれ、全山が一つの岩塊で成り立っ

ている。

 山上に天守閣をはじめ多くの櫓や蔵

と郭を構え、番兵を配した要害堅固な

岐阜城であったが、籠城に備えた

飲み水の確保は非常に困難であった。

 湧水は一滴もないため、雨水と岩の

間から僅かにしみでる水を溜める

井戸を岩塊に掘削している。

 二の丸を挟んで西側に3ヶ所、

東側に1ヶ所の井戸がある。

  この井戸は、二の丸の西に位置する

軍用井戸で、「金銘水」と名付けられ

ている。

  それが、ロープウェイで上がって、

出口近くにある。本丸井戸だ。

 写真は、ロープウェイを降りた直近。

 そして、すぐその近くの山道の左脇に、

芭蕉句碑。

  説明板が読み取れず。

 早急の手直しを!

  句は、

 「夏きても 

  ただひとつばの 

     一葉哉」

   金華山に自生するヒトツバの可憐な

姿に、旅人である芭蕉自身の孤独な

境地を託した句。

  夏になると多くの植物が葉を茂らせるが、

ヒトツバはシダの仲間で、1年を通じて

1本の茎に1枚の葉しかつけないという。


二人の妻

2020-04-08 10:36:22 | 日記

二人の妻

令和2年4月8日(水)

 6日の夕方4時頃、ポストの移動で、

穴掘りをしていた。

「おとうさあ~ん」

と、家内の声。

 前の原っぱで、転んでいる。

「あっ、またやっちゃったな!」

・・・・・・・・・・・・・・・・

 救急車を呼び、通院している病院へ。

 大腿骨近位部骨折との診断。

 今日これから、手術!

 ・・・・・・・・・・・・・・・・

 この時期だから、病室へは入れず、

ラインのメール。

 昨日午後個室に移ったので、ラインで

電話、テレビ電話もできる。

 二人とも新しもの好きで、好奇心

旺盛なので、ほんと文明の利器に

助けられている。

 有り難し!

 今朝は、岐阜公園へ。何度目かな?

 道の駅「池田温泉」で朝食を済ませ、

出発。

 岐阜公園の駐車場に適切な場所がなく、

障害者・観光バス用の駐車場に立ち寄る。

  駐車可能となる。

  前回岐阜城へは、瞑想の小径を利用。

 金華山登山となったので、

今回は、初めからロープウェイを活用する

ことにした。

  駐車場の傍に総合案内所がある。

 

 そこで、自転車を拝借することに。

  先ず、目についたのが、

「山内一豊と千代の結婚の儀の地」。

  永禄10年(1569)9月18日、

 織田信長が岐阜に本拠を移した時、

下級武士である山内一豊も岐阜に移る。

 岐阜城下に居を構えた一豊は、

すぐ新妻かず千代を迎え、新婚生活を

始める。

  婚礼の日、

「一国の主になる夢を二人で叶えましょう」

「生涯私だけを愛してください」と誓いを

交わし、その後一豊は長浜・掛川・土佐の

国主へと出世していく。

  千代は初代郡上八幡城主の娘という。

  山内一豊は、2006年のNHK大

河ドラマ「功名が辻」の主人公。
 


ラッキーな小座布団は?

2020-04-06 08:44:39 | 日記

ラッキーな小座布団は?

令和2年4月6日(月)

 お借りしていた駐車場のご主人が

地元長野に戻られるという。

 そこで、棟梁に相談にのってもらう

ことに。

 庭の花壇を潰して駐車場にするには?

 あまり費用もかけずに!

 結局すぐ京フェンスを一つ取り始め、

工事はじめとなる。

 花苗を移し、土を掘り、土を菜園に

移すことは私がやり、後は専門家にという

ことに。

 昼食後、早速私も始める。

 いやあ、迅速というのは気分が良い!

・・・・・・・・・・・・・・・・・

  次は十八楼へ。

 途中、京都から来た問屋さんが

長良川を活用し材木問屋にくら替え。

 成功した大きな屋敷の玄関の、

「12月12日」と縦書きに書いた

和紙の小さな札に着目。

       

 「石川五右衛門が釜茹でにされた日で、

泥棒除けなんですよ。京では裏返して

貼るそうです。」

と説明してくださる。

 かつて聞いたことがあるような

ないような・・・。

 記憶は当てにならぬか。

 どこのお家からも岐阜城が拝顔

できるような町造り、家造りも

されている。

 高い建物を造らないのだ。

「パリみたいに条例でも定めているんですか」

と聞くと、「いえ、条例はないです。」

との返事。

 あうんの呼吸か。

 いいな!岐阜市、岐阜市民!!

 十八楼の前には、「芭蕉像」。

 そして、十八楼のホテル沿いの左側には

濡れ縁がある。

 小座布団が4枚敷いてある。

「そのうちの一枚に座った人だけ幸運が…」

という話。

 最後の4枚目。     

 「おっ、岐阜城が見える!」