貢蕉の瞑想

青梅庵に住む貢蕉の日々のつぶやきです。

水を飲んで楽しむ者あり

2019-02-08 08:39:10 | 日記

水を飲んで楽しむ者あり

平成31年2月8日(金)

 明日は、義姉の一周忌。

 どうも雪の予報。里の雪になりそう。

 降る量が気になる!

 さて、山中温泉ゆげ街道へ。

 その手前のお寺の掲示板に、

 

「水を飲んで楽しむ者あり。

 錦を着て憂うる者あり。」

という戒めが目に飛び込んできた。

 足ることを知り、歓ぶことあるのみ。

 お寺の名は、

燈明寺。

 その後、、ゆげ街道をゆったり、

ゆったり散策。

 工事中のゆげ街道だったが。

 いろんなユニークなお店も何か

ゆとりと遊び心が・・。

 文化と歴史の温泉街でもある。

 

「福を招く鐘」があったり、

「まつ夕雲」という男児と女児の

可愛い銅像があったり、

幼児時代を懐かしむ。 

 

大聖寺川に架かる橋の案内石碑も

整備されていたので、鶴仙渓遊歩道

へ入る。


ああ、湯の匂い!

2019-02-07 08:27:17 | 日記

ああ、湯の匂い!

 平成31年2月7日(木)

 新になったな。

 お薬師さま!

 山中温泉を開湯した行基の創建

と伝えられ、温泉の守護寺。

 展示室には、山中温泉縁起絵巻や

芭蕉の忘れ杖も収蔵されていると

いう。

 芭蕉の句は、

「山中や 菊はたをらぬ 湯の匂」

 今回で二度目の参拝。

 鉢花の円形に綺麗に飾られていた。

蓮如上人の挿し木だという。

 そして、芭蕉句碑と芭蕉のミニチュア像。

芭蕉像。

芭蕉句碑

ほんと、山ん中という感じ。

「山中や 菊はたをらぬ 湯の匂」

 長生きできそう!!

つづく。


東ゃ松山 西ゃ薬師

2019-02-06 10:45:36 | 日記

東ゃ松山 西ゃ薬師

平成31年2月6日(水)

 朝から降ったり止んだり・・・。

静寂の雨。

 今朝も山中温泉だ。

忘れしゃんすな!山中節を。

 朝風呂を一浴び、そして・・・。

 こちらは、女湯と山中座。

  今思うと、朝風呂一浴びしておけば・・・。

 この時、ちょっと先を急いでいたのかも!

 医王寺へすたこらすたこら。

 この手前でも80代のおじいちゃん

達が、朝風呂へ行くのに出会う。

 皆さん、色つやがいい。

 私は階段を上がって、医王寺に入る。

「忘れしゃんすな 山中道を  

 東ゃ松山 西ゃ薬師」   

と、山中節に唄われている。

 温泉街を見下す高台に建つ真言宗

の古刹だ。

 山中温泉を開湯した行基の創建と

伝えられ、温泉の守護寺。

 山門前に、沿革の説明と句碑がある。

 山門。

山門には、

 平田すみ子さんの句。 

ものの芽の ほぐるるごとく 微笑仏

 「生かせ いのち」

 「活かせ いのち」の方が好き!

 一躍 有名になった山中節!

1 ハアー忘れしゃんすなー 山中道を 

 東ゃ松山 西ゃ薬師

2 ハアー送りましょうか送られましょうか 

 せめて二天の橋までも

3 ハアー山が高うて山中見えぬ 

 山中恋し山にくや

4 ハアー谷にゃ水音峰には嵐 

 あいの山中湯のにおい

5 ハアー薬師山から湯座屋を見れば 

 獅子が髪結うて身をやつす

6 ハアー薬師山から清水を見れば 

 獅子が水汲むほどのよさ

7 ハアー桂清水で手拭きひろた 

 これも山中湯の流れ

8 ハアー桂地蔵さんにわしゃ恥ずかしい 

 別れ涙の顔見せた

9 ハアーお前見染めた去年の五月  

 五月菖蒲(しょうぶ)の湯の中で

10 ハアー飛んで行きたやこおろぎの茶屋 

 恋のかけ橋二人連れ

11 ハアー谷にゃ水音峰には嵐 

 あいの山中湯の匂い

12 ハアー浴衣肩にかけ戸板にもたれ 

 足でろの字をかくわいな

13 ハアー山が赤なる木の葉が落ちる 

 やがて船頭衆がござるやら

14 ハアー笠を忘れて二天の橋で 

 西が曇れば思い出す

15 ハアー恋のしがらみかわいやおつる  

 泣いて別れた二天橋

 山中温泉のよさも読み取れる。


菊の露を汲んで七百歳!

2019-02-05 08:50:28 | 日記

菊の露を汲んで七百歳!

平成31年2月5日(火)

 立春の暖かさ、春一番も的確に

吹く。

 暦実の妙味!

 今朝は、山中温泉菊乃湯へ。

 山中温泉の中心部にある共同浴場が

「菊の湯」。

 天平風の力強い外観の男湯、

「山中座」に併設しており、

優雅な曲線からなる屋根が

美しい女湯と、男女別棟で建っ

ている。

 芭蕉が、

「山中や 菊はたをらぬ 湯の匂」

と称賛したという湯だ。

  地元の高齢者の方々が、朝の湯を

楽しみにしておられる姿も垣間見

られた。

 さて、芭蕉。

「北海の磯づたひして、加州やまなかの

涌湯に浴ス。里人の曰、このところは

扶桑三の名湯の其一なりと、まことに

浴する事しばしばなれば、皮肉うるほひ、

筋骨に通りて心神ゆるく、偏に顔色を

とどむるこゝちす。彼桃源も舟をうしなひ、

慈童が菊の枝折もしらず。」

と、この湯を絶賛している。

 慈童とは、周の穆(ぼく)王に仕えた

慈童が、酈(れき)県の麓の山道で、菊の

露を汲んで、七百歳の寿を保った人。

 その慈童の長寿の菊を手折るまでもない

ことだと、この山中の徳を讃えての、

宿の主人桃妖への挨拶だったそう。

 真底魅了されたようだ。


14歳の若者が桃妖の号

2019-02-04 08:48:25 | 日記

4歳の若者が桃妖の号

平成31年2月4日(月)

 昨日の節分で、夕飯に自家製の恵方巻きを

戴いた。願いというか、祈りというか。

 深謝の祈りかな?

 近所の庭に、福寿草が咲き始める。

 梅の花と福寿草。

 これが青梅の春告花!

 

 今朝も加賀市の山中温泉へ。

 芭蕉逗留の宿「泉屋の趾」地へ。

 声明板には、   

「元禄2年(1689)秋、芭蕉は奥の細道

の途中、山中温泉に立ち寄り、

長谷部信連公ゆかりの『泉屋』に

八泊九日かんを逗留し、旅の疲れを

癒やした。

 この店の主人久米之助は、まだ14歳

の若者であったが、その才能と将来性を

芭蕉に認められ、

『桃の木の 其葉ちらすな 秋の風』    

の一句とともに、芭蕉の俳号『桃青』の

一字をいただき、『桃妖』の号を贈

られた。

 以来蕉風発展につとめ、多くの俳人達

がこの地を訪れ、加賀俳壇にその名を

なした。 

「紙鳶切て 白根ケ嶽を 行衛哉」  桃妖

「行燈の 献立をよむ 淳かな」   桃妖

「旅人を 迎え出れば ほたるかな」 桃妖 

と記されている。 

  

 その左の「ゆげ街道』という道標には、

「旅人を 迎え出れば ほたるかな」 

という桃妖の句が彫られている。 

 私も「ゆっくり ゆったり」と山中温泉

の里を楽しむことにする。

 八泊は無理だが。