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貢蕉の瞑想

青梅庵に住む貢蕉の日々のつぶやきです。

小矢部市倶利伽羅峠②大勝利の義仲への芭蕉の思い!

2025-06-25 15:38:31 | 日記
令和7年6月25日(水)
小矢部市倶利伽羅峠②
 芭蕉と曾良は
この倶利伽羅峠を越えて、
金沢に入る。
 曽良の
「随行日記」によれば、 
芭蕉が倶利伽羅峠を訪れたのは
元禄2年(1689)7月15日、
 新暦の8月29日。

「快晴。
 高岡ヲ立、埴生八幡ヲ拝ス。
 源氏山、卯ノ花山也。
 クリカラヲ見テ、
 未ノ中刻金沢ニ着。…」
と記載されている。
 埴生八幡とは、
義仲が戦勝を祈願した
埴生護国八幡宮のこと。
 「平家物語」
に想い入れがある芭蕉は、
「奥の細道」の旅で、
源平合戦ゆかりの史跡を巡り、
いくつかの名句を残している。
 特に
義仲には強い共感を
抱いている。
 「(墓は)木曽殿の隣に」
という遺言に添い、
大阪で病死した芭蕉を、
弟子たちが、
死の翌日大津の義仲寺に運ぶ。
 義仲の墓の隣に埋葬する。
 北陸路では
金沢に急いだ芭蕉も、
義仲が大勝を納めた
合戦の舞台である
倶利伽羅峠では、
ひときわ義仲に想いを
馳せている。
 倶利伽羅峠を横断する
源平ライン沿いには
芭蕉の句碑が二つ
建っている。
 「義仲や 
  寝覚めの山か 
    月悲し」
 「あかあかと 
  日は難面も 
    秋の風」
 金沢へとちょっと急いだかな?



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